6 なんなんだ
「では、この前の、数Ⅱの小テストの結果を」
図書館の、学習室にて。
私は自分のを差し出し、
「……」
橋本は苦々しい顔でそれを受け取り、自分のを私へ寄越した。
「じゃ、お互いに確認しましょう」
「……」
橋本は、私に教わる側だけど。こっちだけ見るのはフェアじゃないと言って、見せ合うことにした。
「……はい。以前に教えた部分は、出来てます。もうこの辺りは、ちゃんと身に付いたと思って良いかと。ありがとうございます」
と、解答用紙をテーブルに置く。
「どうも」
橋本も、私のをテーブルへ。そして自分の解答用紙を素早く手元へ。
「……では、橋本さん」
私も、自分のを引き寄せ、言う。
「予定通り、まずはその数学をやっていきましょうか」
そして、なるべく丁寧に、かつギリギリの速度を見極めながら、橋本へ教えていく。
やっぱり飲み込みが早い。これなら夏休みに入る前に、1年生の頃の半分は、しっかり吸収できると思う。
時間が来て、テーブルに突っ伏す橋本へ、そう感想を伝えた。
「どうも」
「あと、伝えておきましたが、これを」
私は透明なA4ケースに入れてある、紙の束をテーブルに置く。
「1年の時の、3教科の、5月までの授業ノートのコピーです。復習に使ってください」
「……どうも……」
橋本はムクリと顔を上げ、そのケースをリュックへ仕舞う。
「次の分はフォルダーに入れて持ってきますので。そのケース、持ってきて下さいね」
「へいへい」
橋本は言いながら、リュックから見慣れた包みの箱を取り出す。
「で、今日の礼。……あの店の、パウンドケーキ」
テーブルに置かれたそれを、眺め。
「……あ、りがとうございます……ですけど、橋本さん」
「あん?」
「なんか、大きくないですか?」
箱は、パウンドケーキが2本は入るサイズに見える。
「これ、2本分に見えるんですが。だとすると、4000円以上すると、記憶してますが」
「だから?」
だから、て。
「いえ、有り難いですが、こんなには頂けないと、そういう意味で」
「……お前、家庭教師の相場、知ってっか?」
橋本が頬杖をつき、こっちを見る。
「いえ、知りませんけど」
「安くても、1時間3000円。で、今、俺は3時間、お前に教わった。相場換算で1万近くだ」
「……ですけど、私はプロではありませんし……」
「プロじゃないからそのサイズだ。もっと多くしてほしけりゃ言えよ。あとは、もっと高いやつとか」
「え、いえ、そんな……というかこのサイズ、最大だったと思いますが」
パウンドケーキを長いまま買う時、箱の容量は最高2本だった筈だ。
「別ので、もっとデカい箱のやつあるだろ。それに詰め替えりゃ良い。つーかそのデカいの持ってくりゃいい」
橋本が苛ついた声を出す。顔をしかめる。
けど、それより気になることがある。
橋本よ。詳しいな?
「……では、ありがたく頂きます。それと橋本さん、2つ、聞いても良いですか?」
「あん? 何を」
「昨日、前に頂いたマドレーヌをですね、買いに行ったんですよ」
橋本よ。なぜ目を見開く。
「で、新作、と書かれてまして。まあ、その前に、頂いたのを食べた時、今までのとどれも違うな、とは思っていたので、新作の文字には驚きませんでした。ですけど」
橋本は動かない。
「今月の新作だと、店員さんに教えてもらいまして。橋本さんにそれを頂いたのは3日ですから、相当、カメリアに通われてる方が用意したのかな、と」
「……だったら?」
橋本、目を眇めるな。お前の眼力は強いんだ。
「いえ、お礼を言いたいな、と。カメリアにはよく行くとは言いましたが、それでも月に1、2回程度なので。新作を、それもまだ一週間経っていないうちに口にできるのは、稀なので」
「……礼、ね。伝えとく」
頬杖を解いて顔を背けた橋本へ。
「ありがとうございます。お願いします。それと、あと1つ」
「まだあんのか」
呆れ顔を向けるな。
「2つあると、言いました。で、その2つ目です。これは単純な疑問なんですが」
私はパウンドケーキの箱へ目を向ける。
「これは、カメリアの包装ですが。橋本さんから頂いたのは、違う包装紙だったので、どうしてかな、と……」
橋本が顔をしかめ、次にまた、マシュマロモードになった。
「いえ、ただの疑問です。無理に言わなくて大丈夫です」
慌ててそう言った。けど、橋本は口を開いた。
「……紙、破……ったから、別ので包み直した」
包み直した。……包み直した?!
「それは、どうも、お気遣いありがとうございます」
ペコリと頭を下げる。
「別に」
橋本が動き出す気配を感じながら、頭を上げる。
見れば、既に立ち上がり、リュックを背負っていた。
「行くんだろ」
行きますけども。
「……少し、待って下さい」
懸念事項がある。そしてその懸念は当たった。
トートバッグに、箱が入りきらない。こんな大きい──分厚いのが来ると思ってなかったし。
「……おい」
さて、どうするか……ん?
「これ」
橋本へ顔を向ける。伸ばされた腕を辿り、手に持っているモノを見れば、カメリアの紙袋。
「……折れてるけど。それでも良いなら使え。入るサイズだ」
「どうも……」
受け取り、畳まれている袋を広げ、箱を入れる。入った。
「ありがとうございます」
軽く会釈する。
「別に。先に出しときゃ良かった」
橋本が、右手で髪をかき回す。
「では、はい。私も準備が出来ましたので」
立ち上がり、橋本を見上げる。
……なぜマシュマロになる。
「では、カウンターに行きましょうか」
で、受け付けに伝えたら、いつもはそこでさよならなのに。
「これからどうすんだ」
「……本を借りようかと」
「何を」
「勉強の本じゃありませんよ。娯楽本です」
「で?」
……どうしてそこまで食いつく?
「まず、借りられていないかチェックしないといけないのですが」
「見てる」
「……そうですか。では、失礼して」
検索機で検索し、館内にあると確認して、
「取りに行きますが」
「が?」
「……いえ、なんでもないです」
で、上中下巻のそれを、棚から取って。
「……」
去る気配を見せない橋本をそのままに、カウンターで借り、トートバッグへ。
「その本、好きなのか」
「好きですよ。これも、同じ作者の別のものも」
この本は、史実をもとにしたロマンスミステリー。舞台は中世のヨーロッパ。
「では、用を終えましたので、帰ります」
「ああ」
「……失礼します」
「ああ」
ああってなんだ。そう思いながらペコリと頭を下げ、上げ、橋本を見ずに歩き出す。
「……」
後ろから、足音が、ついて来る。
念のため振り返る。
「なんだよ」
それはこっちのセリフだよ。
「いえ、橋本さんも、こっちなんですか?」
「だったら何」
「……いえ、それなら、途中まで同じなら、隣に来ていただけると、助かるのですが」
「は?」
橋本が眉を片方上げた。
「いえ、後ろからずっと足音がするのは、少し、怖いので」
「……ハッ。俺がか」
「いえ、顔が見えないじゃないですか。橋本さんか違う人なのか、分からないのが、怖いので」
なんでマシュマロになるかな。
「……分かった」
橋本はそのまま、隣に来た。
「これで良いか」
「……ええ、はい」
歩き出す。
「……成川、足、遅くね?」
「橋本さんの足が長いんですよ。歩幅が違うんです。先に行くなら、どうぞ」
けど、橋本は歩調をそのままに、二人で駅まで着いた。
「……」
そのまま改札を通る。橋本も改札を通る。
ホームへ着いたら、橋本は離れていった。
電車に乗って、空いている席に座り、息を吐く。
なんなんだね、橋本よ。
◇
家はどこなんだと、聞けば良い。近所かもしれないからと、言えば良い。
……言って、怖がられたら?
「……」
電車に乗って、スマホを持って。橋本涼は検索欄に、ガキ、と打ち込み、消した。
「……」
そのまま、光海が借りていた本のタイトルを打ち込む。すぐにヒットした。
「……」
上巻の、試し読みを最後まで読んで。
「むっずいな」
橋本涼は、呟いた。
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