第1-6話 根拠とか証拠とか
「いや、わたしは──」
「三娘さんが石栄を探している理由。本当にぼくと無関係なんですか」
「もちろん──」
「石栄は従者として二年ほど前から仕えてくれていました。もうひとりの従者、沢蓮至は赤ん坊のころからです。彼らが宦官だなんて聞いてなかった。中央の官吏だったということですよね。だって宦官は皇帝のそばにお仕えしているものだもの。根拠あります? ぼくが皇孫だという証拠とか」
宦官とは去勢された男性である。禁中で皇帝の身辺の奉仕をするのが仕事だ。
「根拠とか証拠とか、難しい言葉をよく知っているな。十歳のくせに」
まったく、うるさいガキだと三娘は吐き捨てる。
世間の十歳が自分とどう違うのかは照勇にはわからない。とくにやることがなかったのでひたすら書物を読んで過ごしたから、学問と知識はそれなりにあると思うが。
「あのな、石栄を捜していたら、偶然、おまえがいたんだ。何度も言うが、おまえに用もなければ興味もないんだ。だからおまえの出生について詳しいことは知らぬ。知らぬものは知らぬ。もう、わたしに訊くな」
三娘は腕を組んでそっぽを向いた。断ち切るような冷たさが、逆になにか隠しているのではないかと疑りたくなる。
皇孫というのは皇帝の孫のことで、皇帝というのは国家を統べる者だ。この国、普丹国だけの為政者ではない。皇帝は天の意志の体現者でもある。
石栄がかつて教えてくれた。世界中の約半分が普丹国に属しているのだと。とても自慢そうに。ぼくは物語の一つとして覚えている。皇帝は偉大である。皇帝にふさわしからぬ人間が帝位に就くと天の怒りを買い、世界は滅ぶ。
もっともぼくは、世界がどれほどの大きさなのかは知らないのだけれど。
生きとし生けるものの中でもっとも至尊な存在に連なる者がなぜ捨て子として道観に放り込まれなきゃいけないのだろう。
一番ありえそうなのは、皇帝に見捨てられたということだ。それは世界に見放されたということだ。
「……でもぼくはいまなにを信じていいのかわからない」
むしろ信じたら生きていけない。
「三娘さんが──」
「姉さんと呼びな」
「ね、姉さんが……ぼくの命を助けてくれたことは感謝してます、けど」
たとえ石栄とのつなぎの役目としか認めてくれなくても。危険を冒してくれたことは事実なのだ。
「わたしを信用してくれなくてもいっこうにかまわない。しょせん、つかの間の同行者だ。もしかしたら、あの賊連中と大差ないかも」
「逆もあるよね。正義の味方という可能性。わけあって本当の身分を明かせないとか」
三娘は鼻で笑った。
「ないよ」
「でしょうね」
そこに嘘や虚飾はないと感じた。残念だがぼくと三娘のつながりは石栄しかいないようだ。さらに三娘はつづけた。
「正義の味方って言葉は嫌いだね。この世に正義なんてもんはないんだ」
あまりに断定的な言いざまにかちんときて、ぼくはムキになって返した。
「そんなことはありません。市井では英雄譚が人気だと石栄に聞いて知ってます。書物もたくさん読みました。悪漢を倒す英雄豪傑。彼らは正義の味方なんです。正義は常に支持されているんです」
「世の中に正義がないから、物語が作られるのさ」
「じゃあ、世の中のほうが間違ってます。だいたい三……姉さんは市井の侠客だというなら、正義を信じるべきです」
三娘はふうと細い息を吐いた。
「意固地になって悪かった。おまえが生まれたての
嘲られている気がしたが、三娘の顔は笑ってはいなかった。
「本当に、ぼくについてまったく知らないんですか。うわさすらも?」
胸がくしゃりとひしゃげたような、頼りない声になった。
さすがに哀れんだのか、三娘は眉を寄せた。
「生後すぐに母親から引き離されて道観に移されたようだ。理由は知らない。おまえの父母はすでにこの世にはいない。十年前はわたしも子供だったから、それ以上詳しいことは知らないんだ」
皇孫ということは、ぼくの父親か母親が皇族なんだろうか。どうして死んでしまったのか。
「ぼくの父母とはいったい……」
「言ったろう。わたしは詳しいことは知らない。ひとつ忠告するが、会ったばかりの人間の話など信用するな。嘘かもしれないからな」
三娘はいきなりぎろりとにらんだ。大げさな反応に思えた。怖がらせようと無理をしている。この話はもうしたくないという意志なのだろう。
「じゃあ、もういいです。自分で調べます」
「お前こそ出生の秘密にうすうす感づいていたんじゃないか。不自由のない暮らしをしていたのだろう? 自分が皇孫と聞いて納得したんじゃないのか」
三娘はそしるように目を細めている。
どうやら疎まれているようだ。不自由な暮らしを知らないことは罪だと責められている気がした。
「不自由かどうかは比べる相手がいないんだからわからないよ」
ぼくはわからないことだらけだ。がっかりする。
「道士の籍を取って観主になるしかないと思ってたんだ。修行はもう少し大きくなってから始めようと言われていた。不自由のない暮らしというのが、どういう暮らしなのか、ちっともわからないよ!」
「しっ、静かに」
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