第1-5話 皇孫
侠客?
有名な侠客なのだろうか。
「名など他人と区別するための記号だ。だがこれからは白仮面とは呼ぶな」
そう言っておもむろに白い仮面を外した。
その下から女の顔が現れた。針で刺したような点目、吊り上がった眉、ぺちゃっと潰れた鼻、肉の薄い唇は一条の傷のように無愛想。
物語では仮面を被った英雄は美形だと相場が決まっているが、三娘はみっつ数えるうちに描けるほど単純な造形だった。
「なんだ、その表情は」
「あ、ううん、なんでもない、です」
三娘は頭に巻いていた布を取り、艶のない頭髪をばさりと垂らす。それを無造作に紐で結わえ直すと「着替えるぞ」と言って女物の衣服を放ってきた。
「どうしたの、これ」
「盗んだ」
「どっから?」
「そこらの農家から」
ぼくがうとうとしているあいだに、三娘は窃盗をしていたのだ。
「なんだ、そんな怖い顔をして。まるで凶悪犯を見るような目じゃないか」
まるで悪びれたようすがない。
「盗むのは悪いことだよ」
三娘は
「そうか、衣服がみすぼらしいから気にくわないんだな」
「そ、そんなんじゃないよ」
洗濯はしてあるが色あせた粗織りの麻。いま着てる真綿入りの
「……女物だろ、これ」
「照勇、おまえはいまから、わたしの妹を名乗れ。
三娘はためらいもなくさっさと裸になり、手早く着替えた。もじもじしていた照勇を見かねてか、「自分で着れるか?」と訊いてきた。
「ばかにすんな」
裸を見られるのが恥ずかしいとか、女装がいやだとか、そんなのはささいなことだ。女がためらわないのに、男のぼくが恥じらってどうする。
衣服は簡素ながら筒袖で動きやすく工夫されている。裾を踏まないように腰で布を巻き込んで
前屈みになったとき、首にかけていた珠が肌着の下で動いた。布越しにそっと触れる。
いついかなるときも身につけているようにと、従者にきつく言いつけられていたものだ。
邪気を払う聖石だという、透明の守り珠。
三娘に見つからないように気をつけよう。彼女が触れたら一瞬で曇ってしまうような、嫌な予感がする。
背を向けて着替えながら、会話を継いでいく。
「石栄に恨みでもあるんですか?」
「わたしは殺し屋じゃない。とある事件の話を聞きたかっただけだ」
「とある事件?」
「おまえには関係ないことだ。それより、さっきの連中がなぜあんた……五娘を殺そうとしていたのか、わかるか?」
「ううん」
五娘と呼ばれると気恥ずかしい。おしりがかゆくなる。
「政変が起こる前兆かもしれないな」
「ぼくを殺すことと政変がなんで関連するの?」
政治は俗世のものだ。都はずっと遠い。ぼくとはなんの関わりもない。
着替え終わり、振り返った照勇の目に、三娘の無表情が映った。
「皇孫だからだ」
「こうそん?」
「皇帝の孫がいくら人目を忍んで隠れ住んでいても、世話をしている宦官が同じではバレるのは時間の問題だったな」
「ぼくが皇帝の孫?」
聞き間違いかと思い、両目を瞬いた。
言葉はわかるが意味がついてこない。
「……すまん、知らされてなかったのか」
気まずそうに目をそらす三娘。
三娘はなにか誤解しているにちがいない。
「ぼくは皇孫などではありませんよ。ただの捨て子です。たまたま石段の下に捨て置かれたところを沢蓮至に拾われたんです。占いの結果、ゆくゆくは観主になる運命だとわかったそうで、そのまま育てられただけです。ぼくは誰かと間違われているんですね」
三娘はゆるゆると首を振った。
「あれは廃道観だ。記録ではもう存在しないことになっている」
照勇は首を傾げた。
そんなばかな。道士や修行者が一人もいなくて寂しかったけれど、観主が不在のための一時的な閉門をしていただけだ。そう聞いている。
実はおまえは皇孫だったのだ、などと唐突に言われても信じられるわけがない。
「では教えてください、ぼくのこと。皇孫なのになぜ隠れ住んでいたのか。隠れ住まないといけない理由があったのか。本当の父や母はどうしてぼくを捨てたのでしょうか。十年も経ってどうして命を狙われるのですか。起こりそうな政変ってなんですか」
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