第1-4話 与三娘

「あいつら、ただの強盗や山賊ではなかったぞ。武功の心得があった。だが疲労のせいで足の動きが鈍重だったな。ふふ、八千段をのぼるのがきつかったのだな」


 階段八千段分の標高を一瞬で滑り降りた白仮面は笑声をあげた。

 白仮面と照勇は、渓谷でひとやすみしている。


「ふもとは一足早く春が来るのかな。さほど寒くない」


 遠慮がちに降る雪は積もるそぶりがない。


「ああ、寒さも障害になったのかもな。言っとくがいまは真冬だ。道観があった場所が特殊だったのさ。標高が高くなると気温はさがるんだ」


 うなずけることだった。山の高さと温度の変化について記した書物を読んだことがある。

 白仮面が言うように、あんな辺鄙なところまでわざわざ盗みに入る物好きな強盗はいなかろう。


「でも白仮面だって疲れてるはずじゃない?」


 白仮面もその石段を登ってきたはずなのだから。


「そう思うか?」


 白仮面はにやと笑った。仮面のせいで口元は見えなかったが、たしかに笑っていたと思う。


「わたしは空を飛んだのだ」


『世の中には嘘つきが多うございます』


 死んだ石栄の口癖がよみがえった。




「具合が悪いだと。見せてみろ」


 渓谷沿いにしばらく歩くと、枯れた畑地に無人の作業小屋を見つけた。


農閑期のうかんきでよかったな」


 白仮面は遠慮のかけらもなく立てかけてあった戸を蹴り倒した。


「白仮面の小屋じゃないよね」


「わたしが農夫に見えるか」


「ああ……」


 壊れかけの床几しょうぎに座らされた。

 全身をくまなく触られる。


「ふん。骨も筋肉も腱も異常はない。内出血や捻挫もない。微熱くらいか。気合いで治せ」


 治るわけないよ。抗議する気力もなかった。身体も精神も疲れていた。

 凶賊に襲われ、従者を殺され、人を殺す場面を見せられ、崖から飛び降りたのだから。


「ちょっと用を足してくる」


 白仮面は外に出ていった。とたんに緊張が解けて、眠気がおそってきた。板壁の隙間から幾条もの銀線が降りそそぐ。

 床几に横になって目を閉じた。まぶたの裏で青白い月が雪山に変化する。

 雪山を滑り降りた道具は、あのあと、ばらばらに砕いて始末した。


「面白いものだね」と感嘆したら「滑雪板スキーいたというもので、わたしが発明した」と白仮面は胸を張った。

 竹に熱を加えて平らにならした長い板。雪への接地面を広げることで足が沈まないのだという。他にも氷の上を走る靴や宙に浮く籠などがあるのだとか。あのとき、ぼくが見た布こそが宙に浮く籠の一部だったらしい。雪の上を滑る靴は理解できるけれど、宙に浮く籠は信じがたい。

 神仙の世界では雲に乗って空を飛ぶ仙人がいる。白仮面は仙人には見えない。道士を目指していたから羽化登仙には憧れるけど、彼女が仙人なら、ぼくはおおいに落胆する。


「おい、起きろ」


 いつのまにか白仮面が戻ってきていた。


「これからどうするの?」


 抗議のつもりで、あくびをして眼をこする。


「賊はすぐにあんたが逃げ出したことに気づくだろう。ぐずぐずしているひまはない。わたしは一刻も早く石栄を探したいんだ」


 白仮面の目的は石栄だ。こうまで執着しているところを見ると相当な理由があるのだろう。『真実』を知ったときの反応がこわい。


「ねえ、さっき言ってたよね、あいつら、武功の心得があるって。ならばどこかの武門で学んでいるはずだ。白仮面……あなたなら武門の区別がつくのではありませんか」


「ふむ。まっとうな構えだったな。間合いの取り方も重心の移動も、型にはまっていた」


「まっとうな?」


 おもわず身を乗り出した。照勇には武術の型の区別はつかない。


「エモノもきれいに手入れをしてあった。欠けも歪みもなかった」


「身に着けていたものも、そういえば」


 夜目につかない黒い服だった。

 ふと頭に浮かんだ言葉にぎょっとした。


「やっぱり……殺し屋なの……?」


「誰かに雇われたんだろう。おまえを暗殺するために」


 その言い方には何の感情もこもっていない。


「暗殺なんて大げさな……」


 ふいに悪寒がして白仮面を見上げた。出会ったとき、白仮面はぼくの名前を口にした。なぜ知っていたのだろう。


「きみは誰なの?」


「わたしの名は与三娘よさんじょう市井しせい侠客きょうかくだ」


 予想に反して、白仮面はあっさりと名乗った。


「与三娘……」

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