第1-3話 滑降
植樹された数種類の木が道観に彩りをそえていたが、その中でもっとも高さのある杉の枝に布が引っかかっていた。頑丈そうな布だ。布の端から縄が垂れていて、その先になにかがぶら下がっていた。
長い竹が二本。引っ張ると簡単に外れた。そっと屋根の上におく。
いつからあったのか、これがなんなのか、見当もつかない。
「うああ!」
なにかが割れる音がしたかと思ったら、窓から男が飛び出した。
殺し屋だろうか。
なにを焦っているのか、男は仰向けになったまま雪の中をもがく。腰が抜けているようだ。助けを呼びたいのか、必死に左右を見回している。
屋根の上にいたぼくと目が合った。
だが仲間を呼ぶことは叶わず、代わりに血を吐き出してこときれた。白仮面が音もなく近寄り、するりと剣をひるがえしたからだ。舞うような一撃だった。
「下山するぞ」
白仮面は血振りした剣を鞘におさめる。動揺しているようすはない。
「……全員、殺したの?」
「目についた者だけだ」
殺し慣れている。
照勇はごくりと唾を飲み込んだ。
「下山って……?」
「ここにいては殺されるのを待つだけだ」
「下山するには……南側にある石段しかないけど」
照勇は南を指さした。いまいるのは東端だ。
石段には見張りがいるかもしれない。逃げ足に自信はない。しょせんは子供の足だ。うまく振り切ったとしてもすぐに追いつかれるだろう。
「八千段もある階段を悠長におりてられるものか。かったるい」
「え、じゃあどうやって山を下りるの?」
「その竹の棒を下におろせ」
言われたとおりに二本の竹を屋根からおとす。白仮面が竹の中心部分に足を置くと、金属が噛み合うような小気味いい音がした。まるで細長い靴を履いているようだ。
「よし、準備完了だ。飛び降りてこい」
さも簡単なことのように白仮面は言うが、飛び降りるのは勇気がいる。
「こわいよ」
「雪が受け止める。さっさと来いっ!」
「けっこう高いんだけど……」
「猫なら宙返りくらいやってみろ」
「ぼくは猫じゃない」
雪が緩衝してくれても、当たりどころが悪かったら骨折するかもしれない。
『照勇さまは怪我をしてはいけない身体なのです』
今は亡き石栄の言葉がよみがえる。
「早くしろ。死にたいのか」
「し、死にたくないからためらってるんじゃないか」
「伏せろ」
頭上をびゅんと何かがかすめた。背後から矢が放たれたのだ。
「照勇! 飛び降りろ!」
白仮面がぼくの後ろを指さした。賊は背後に迫っているのか。
「うわあああ」
殺されるのはいやだ。死にたくない。
屋根から飛び降りた。正確には頭から落ちた。
顔面が痛い。なにも見えない。雪をかきわけて顔を上げると、
「ぐわ」
くぐもった声とともに、すぐそばに賊が降ってきた。
賊がうめいたのには理由があった。苦しげに右目をおさえている。その指の間から箸のような細長い棒が突き立っていた。
さっき白仮面がぼくの後ろを指さしたと思ったのは間違いだった。暗器を投げたのだ。見事に命中させたものの、男はまだ絶命していない。
右眼から鮮血をほとばしらせた悪鬼のような形相で、こちらに手を伸ばしてきた。
恐怖に身がひるむ。
「こっちへ走れ!」
雪に足をとられながら、必死で白仮面の手をつかんだ。
つかんだものの、もう逃げ場はない。あと数歩で崖だ。奈落へ一直線だ。
「どうするのっ!?」
片眼の賊は、まだ諦めていない。残った目に殺意をこめて、よろめきつつも着実に迫ってきている。
「わたしに抱きつけ。両手は首の後ろに、両足はわたしの胴を挟め」
「こ、こう?」
白仮面は縄で胴体を縛ってさらに密着させた。
「わわ、もうそこまで、来てるよ、白仮面!」
賊の伸ばした手が白仮面の背に触れなんとしたとき、「そのまましっかりとつかまっていろよ」と言って白仮面が崖縁から身を投げた。
身体がふわりと浮いた。
「うわあーーー!」
なすすべもなくぼくは白仮面と一緒に滑降した。
目を閉じて崖下に激突する瞬間を待った。だが右に左に激しく揺さぶらるだけで衝撃はやってこない。吐き気がする。後頭部を押すのは風の圧力か。夢中で抱きしめた身体からは甘い匂いがした。布地越しに伝わる温かさ、頬に触れる丸みと柔らかさ。
ああ、これが──
書物の中でしか知らなかった『女』というものか。
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