第1-7話 価値を知りたい
小屋の外に何かいるのか、三娘が耳を澄ましている。
小石のぶつかる音とせわしない息づかい。
全身から血の気が引いた。だが三娘はふうと息を吐いた。
「野犬が三頭だ。安心しろ、賊ではない」
外を見もせずに野犬だとわかるのか。しかも頭数まで。
「犬の家族?」
「……さあな」
「外、見ていい? 犬を見たことないんだ」
「危険だ」
戸を背中でおさえて、三娘は剣に手をかけた。血の匂いが漂った。三娘からか、野犬からか。
野犬は小屋の周囲をうろついていたが、三娘の殺気に怯んだかのように、走り去っていったようだ。
かすかに笑みを浮かべ、三娘は呟いた。
「殺さずにすんでよかった」
思いもよらない台詞に目を丸くしていると、
「動物を殺すのは苦手なんだ。人間相手のように無心で斬れない」
三娘は人としてなにかが壊れているのだと、そのときになって気づいた。
「ぼ、ぼくは子猫みたいだから斬りにくいでしょ……」
「いたずらに斬ることはない」
月明かりの下、周囲に目を配る三娘は白玉のような冷たい輝きを放っていた。悔しいことに野犬よりも惹かれてしまう。きっと好奇心だろう。
殺し屋よりも野犬よりも誰より、三娘に殺されるのはいやだ。
「命を狙われた立場としては、ぼくの命になにがしかの価値があってほしいと思うな」
独り言のつもりだった。
「価値が出来たのだろう」意外にも三娘は応えた。「この世に価値のない人間はいない」
「無心で斬るくせに? 軽重はあるよね」
「軽重の秤は自分では見えない。おまえは運悪く価値があるから狙われたのだろう。それ以上のことは自分で調べろ」
冷たい人だ。物語に出てくる女はたいていは優しく美しく、男に尽くすというのに。
「初めて会った女がこれでは夢がない」
うっかりと口に出してしまったが、三娘は軽くいなした。
「よかったな、五娘。これから出会う女はみなわたしより美しく優しく映るだろう。むしろわたしに感謝してもらわねばな」
これから出会う女、という言葉に、どきりと胸が鳴った。
ぼくは俗世におりたのだ。
俗世には本物の江湖の英雄がいるのか。国を傾けるほどの美女はいるのか。世の中に正義はあるのか。せっかくなら、この目で確かめてやろうと照勇は決意した。
「よし、出発だね!」
「この先は二手にわかれている。石栄はいつもどっちに?」
「……知らないよ」
三娘は「嘘をつくな」といさめた。「石栄に会えればおまえも安心だろう。今後のことを相談できるし、過去のことも教えてもらえるだろう。この後に及んで隠すわけもない」
「今後のこと……?」
「名を変えてどこかの道教寺院に入るのもいいし、平民にまぎれて暮らすのもいい。わたしは石栄に会うまでは一緒にいてやるが、そのあとはしらん。それまでに自分で生き方を考えろ。なんとか生きる方法を算段しろ」
ふいに目眩がした。いきなり地面が崩れたごとくに膝から力が抜けた。
これからどう生きるかなど考える余裕はない。江湖の英雄には会いたいがそれは行楽と一緒だ。腰を据える場所にまでは想像が及ばない。
わかっているのは、いま三娘に放り出されたら、無力な自分はのたれ死ぬということだけ。
自分の価値さえ知らずに死ぬのはいやだ。足の指に力をこめて顔をあげる。
照勇に価値ができたから命を狙われたのだと三娘は言うが、ならばその価値とはなにかを探らなければ。
「ぼくは自分の価値とやらを知りたい」
知れば、対処できる。
もしかしたら「人違いでした」と謝られるかもしれないし。などと楽観的に考えてみた。
「わたしは石栄を見つけられればいい。まずは石栄のあとを追うとしよう」
三娘は枯れ枝を拾うと、地面に簡易な地図を描いた。バツ印が今いるところ、にょろにょろしたものは川、丸は町のようだ。
「南と東に小さいながら活気のある町がある。石栄はどっちを選んだのか……」
道観からの距離は、双方大差がない。
照勇は首をひねった。町の名前など耳にしたことがなかったのだ。
五つ山を越えたら町がある、とは聞いていたけれど、どちらも該当する。
「うーん……」
困った。いとぐちになるものがない。
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