第29話 冒険者ギルド
建物の扉の脇まで来たところで、フィルが看板を見上げて小首をかしげる。
「この看板って……?」
「そ。冒険者ギルド。いろんな輩がいるから俺から絶対離れないこと。お前もだぞ」
最後の台詞は視線を下げてバロンに告げたものだ。バロンはふさふさの尻尾をぶるんと振るって返事した。
ここまでしっかりと握っていたフィルの手を離し、両手を伸ばして彼女の外套についているフードを被らせる。
「ん?」
「まぁ、不要な諍いは避けた方がいいだろうしな」
フードぐらいで対処が完璧だとは思えないが、何もしないよりはいいだろう。
「行くぞ」
重い扉を押し開けて自分が先に入り、フィルとバロンについてくるよう目配せする。
扉の向こうは100人ほどが入れそうな、それなりに大きな空間が広がる。
右手側には椅子とテーブルがいくつかあり、昼は軽食喫茶、夜は居酒屋のような営業をしている。ちらりと横目で見ると一仕事終えて帰ってきただろう冒険者たちが話をしたり酒を飲んでいたりする。
ギルドでもめ事を起こすと後々面倒なので深酒するようなバカはそうそういないが、冒険の成果次第でやけ酒やら祝い酒やらあおる連中もいるのでフィルとバロンがいる今日は近づかない方がいい。
左手側は壁際に依頼書を張り出す掲示板がある。そう人数は多くないが依頼書を眺めている冒険者たちも何人かいた。
その手前にはスタンディングテーブルがいくつか。こちらは飲食禁止となっているので、あまりうるさくはないが冒険者たちの情報交換やメンバー探しなどで使われることも有るので、すこし雑多な騒がしさがある。
左右の様子をざっと確認して、扉からまっすぐに進めば受付カウンターがある。
一歩入って受付カウンターに向けて歩き出した辺りはまだ平気だったんだが、二歩三歩と進むと辺りのざわめきがすっと引いていく。
カウンターまでの距離はそんなにないはずなんだが、少々遠く感じる。
自分に向かって様々な色合いを含んだ視線がそこら中から向かってくるのを全身で感じる。いつものことで仕方ないことではあるんだが。
――俺もフードを被っていた方が良かったか?とはいえ、それも今更だろうしな。それにフードを被っていることで絡まれてもつまらんし。
そんなことを思いつつ歩いていると、自分のコートの腰辺りがきゅっと握られた。
確かめるまでもないが視線を落とせば、辺りの冒険者たちが向ける視線というか気配というかに怯えたらしいフィルの手が俺のコートを不安そうに握っていた。
――やっぱりどこかの店で待たせた方が良かったか。
一瞬そう思ったのだが貴族向けの店に入れるわけでもない以上、いくらバロンがいるとはいえフィル一人で待たせたら誰に絡まれるかわからない。
それをヤキモキするぐらいなら、一緒に来た方がマシだったろう。
「よう!こんなところで会うなんて珍しいな!」
フィルの怯えている雰囲気をどうしようかと足を止めたことで、今は居酒屋営業となっている近くのテーブルから声が掛かった。
聞き覚えのある声に視線を向けると思っていた人物が片手を上げていた。
「久しぶりだな、マディ」
炎を思わせるような明るい赤毛が印象的な彼は、過去に何度か一緒に仕事をしたこがある情報屋だ。
「おう、しばらく前にあっちの王都ギルドで会って以来か? 最近はこっちで仕事していたのか?」
「あぁ、ちょっと野暮用でね」
とりあえずフィルが怯えている状況だ。さっさと受付カウンターで宿の情報を仕入れて冒険者ギルドから離れたいと思い、マディには軽く手を振って歩き出そうとしたところで、
「なんだよ、お前が誰かを連れているなんて珍しいじゃないか。紹介……」
言葉を最後まで言わせず、彼の口を軽く手のひらで覆う。申し訳ないが俺から軽く殺気が漏れていたことは否定できない。
「――すまないな、ちょっと急いでいるんだ。また今度にしてくれ」
マディ自身はA級ランクの情報屋で人柄もそれなりに知っているし信用している部分もあるが、こんな場所でフィルを紹介するなんて冗談じゃない。そんなことをした途端に周りの連中が何を言い出すか、手を出してくるか、わかったもんじゃない。
しっかり目を見つめて告げる。
じっと見れば少し青ざめてこくこくと頷くさまが手のひらにも伝わる。俺も一度だけ頷き返して手を離し、
「すまない、また今度な」
殺気の詫びも兼ねて、彼がついているテーブルの上に銅貨を2枚――エールが四杯は飲める――置いてカウンターに向かって歩き出そうとすると、俺のコートがつんっと引っ張られる感触が伝わってきた。
慌てて足を止めて視線を向ける。
ただでさえ場の雰囲気に飲まれていたのにさらに俺の殺気に当てられただろうフィルが、身体は硬直しているけれどコートを握った手は震えているという、なんとも難しい状態に陥っていた。
「あー……すまない。大丈夫だ」
フィルを怖がらせるつもりはなかったんだが、気が急いていたこともあり殺気が漏れたのは俺の失態だろう。
怖がらせないようゆっくりと伸ばした手で震えている手をぽんぽんと励ますように叩き、フードの奥に隠した顔を覗き込む。うっすらと青みを帯びている顔、きゅっと結んだ唇が怖さを我慢しているようだ。
一呼吸おいてから、出来るだけいつものような声と言葉を心がけて伝えてみる。
「動けるか?」
「くぅぅ」
フィルの足元にぴったりとくっついていたバロンも、フィルを見上げて励ますように小さく鳴く。その鳴き声に促されたのかフードの奥で深呼吸をする気配がして
「ご、ごめん、ね。驚いちゃって」
囁きより少しだけ大きい声で伝えられる。声音の硬さから結構怖かっただろうことは伝わった。
「いや、俺の方こそすまない。怖かったよな」
こういった場面でフィルの素性や性別などの情報を明らかにしたくはなかったのでマディの口を手っ取り早く封じたのだが、少し殺気が強すぎたようだ。
フィルはもう一度深呼吸をして、フードを被ったままぷるぷるっと左右に頭を振って、俺のコートを握り直す。その仕草を合図にして、俺はゆっくりと歩き出した。
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