第3話 期限は今月末で

「久しぶりだけど、いきなりでびっくりしちゃったよぅ」


 ちょっと慌てたような声音で答えるのは、寝ていたところを見られたからの気恥しさなのか。うっすらと頬が赤くなっていて、寝ぐせでも気にしたのかアワアワとしながら両手で髪を整える仕草からもそう判断した。


「仕事でこの近くに来てね。またしばらく泊まりたいんだが」


「あっ……えっと……」

 何故かフィランゼが言いよどむ。


 宿屋の看板はそのままだったから営んでいないということはないと思ったのだが、何かあるのだろうか。そう考えて、入ってきたときに違和感があったことも思い出す。


「何か都合が悪いようなら、言ってくれ」

 出来るだけ彼女がしゃべりやすいようにと思い、言葉にして促してみる。


「ええと、あの、その、ね」

 受付の向こう側、エプロンの胸元で両手を組み合わせて、もじもじと握ったり開いたりを繰り返す。


 あまり見ないフィランゼの表情と動作にさらに疑問がこみ上げるが、まずは彼女の言葉が続くことを待つ。

 こちらがまっすぐに見つめると言いにくいかと思い少し視線をずらしていたのだが、視野の端でフィランゼの視野はあちらこちらと動いていて、まるで落ち着きがない。


 こちらから何か切り出した方がいいのだろうか。

 ちょっとそんなことを思って何か会話の糸口を探そうとしたところで、フィランゼが意を決したようにまっすぐに俺へと視線を上げて、きゅっと唇を引き結んだ後に口を開いた。


「えっと、申し訳ないのですが…」


 そこで一度区切ってから、自分を励ますように“うん”と小さく頷いて。


「今月末で“踊る小鹿亭”は店じまいにすることになったんです。

 だから、そこまでは泊まって頂けるのですが、以前のように長くは……」


 言葉の始まりはしっかりと俺の顔を見ていたが、だんだんと視線が下がっていって声も小さくなっていって、最後には俯いてしまったフィランゼ。少しだけ続く言葉を待ってみたが、またしても握ったり開いたりしている胸元の自分の両手を見つめて俯いたまま。


「……それは、悪いタイミングで来てしまった、かな。

 とりあえず、今日は泊めてもらうことは出来るか?」


 彼女から告げられた内容に少々衝撃を受け落胆したがそれは表に出さないよう、かつ、あまり強い口調にならないように気を付けながら言葉を続ける。


「あ、もちろん、今月末までは大丈夫です。

 あまりきちんとおもてなし出来ないかもしれないけれど」


 宿帳を用意しながら答えるフィランゼは微笑んでいるのだが淋しげで、昔のような天真爛漫な笑みとは違うその雰囲気に小さなトゲのような痛みを感じた。


「わかった。

 できれば少し体を休ませたいから、ひとまず3日ほどの宿泊をお願い出来るかな」


 魔獣討伐の間は森の中で野宿続きだったので、温かくてうまい料理、温かくてたっぷりの風呂、温かくて柔らかい寝床が恋しい。

 緊張しすぎた身体も気持ちも休ませたいし、実は以前の時と同じような魔力酔いにも似た体調不良がこのところ戻ってきていることも疲れを増やしている原因のひとつに感じている。


「もちろん大丈夫だよ。

 逆にごめんね、せっかく来てくれたのに、ゆっくりさせてあげられなくて」


 申し訳なさそうな色を宿した瞳で見上げられて、ぺこりとお辞儀された。


「ええと、夕飯はすぐに準備出来るよ。っと、その前に、宿帳を書いて下さい」


 今月末で宿を終える事情はよく分からないが、とりあえず宿泊できるなら話をする時間もあるだろう。受付台の上に広げられた宿帳を見ると、幸い俺のほかに宿泊している者はいない。

 必要な項目を書き込んでいる間もバロンは足元でご機嫌だ。


「お部屋は以前と同じ角部屋が空いているけど、そこでいいかな?」


「あぁかまわない」


「わかった。これ、鍵ね」


 かたん。と真鍮製の鍵が受付台に置かれる。その色合いも手にした重さも懐かしい。


「まずは風呂を使いたいが、その後すぐに食事をお願いしようかな。

 そうだ、風呂用の薪はあるのか?なんなら今から薪割りするけど?」


 以前の逗留期間でも、身体を馴らすことも兼ねて途中からは宿の雑務を手伝っていた。薪割りや畑仕事など、あまりやったことが無かった家事の手伝いも楽しいものだったと思いだす。


「ありがとう、しばらく前にボイラーを魔石式に変えたから大丈夫だよ」


 彼女も二年前のことを思い出したのか、ふふっと楽し気に瞳を細めて笑う。その表情や仕草が変わらない様子に少しほっとした。


「夕食の準備が出来たら声を掛けるから、部屋で休んでいて。

 お風呂は裏のボイラーを点火してもらえれば、好きに使って構わないから」


「わかった」


 歩き出す足元にバロンがすりすりと身体をこすりつけて、まるで案内するかのように先立って進んでいく。その後に続いて階段を上り、一緒に部屋へと向かう。

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