第20話 宵闇と焚火


 ひっそりと夜が近づいてきていた。

 この季節、日中はだいぶ温かくなってきたが、まだ夜となれば野外はそれなりに冷え込む。


 呆然とへたり込んでいるフィルを気遣わしそうに見た後、バロンはせっせと枝を咥えては野営地に運んでいた。その姿に少し疑問を覚えたが、俺の視線に気づいたバロンが焚き火の場所で足踏みを数度してから鍋に鼻をくっつけたので、お茶でも用意してはどうかと言いたかったようだ。


 フィルの様子をもう一度軽く確認するが、さすがにまだ立ち上がることは難しそうだった。地面の上で彼女が握りしめた拳の上にぽつぽつと透明なしずくが落ちていく様がかろうじて見えた。


 魔力暴走という出来事の大きさ故に思わず大きな声で叱ってしまった。

 間違ったことをしたとは思わないが、もう少し気遣いの有る言い方があったよな、と心の中で思う。


 そんなことを思っている間もバロンが頑張って枝を運んでいる姿を見れば、成すべきことをやるべきだろう。


 軽く肩に手を掛けて落ち着くように伝えてから、驚かせないようにゆっくりと抱き上げる。


「――!?」


 一応断ってからなんだが、ピキンと音がしそうなほどにフィルの身体が緊張したのが両腕に伝わる。ただその驚きと緊張のお陰で涙はひっこんだようだ。

 少しでも落ち着かせたいと思い、抱き上げたまま片腕で背中をぽんぽんと叩く。


「大丈夫だ、野営地に戻るだけだから」


 多分まだ涙の跡が残っているだろう顔は見ないようにしながら、ほんの数分の距離を抱き上げたまま運び、丸く石組みがしてある焚き火スペースの傍に合った椅子代わりの丸太の上に座らせる。


 心身への衝撃は大きかったのだろう、まだ顔は青ざめているし、軽く触れた両手の指先はひんやりとしている。寒いというよりも緊張と疲労からくる冷えだろう。


 俺が彼女の様子を確かめ連れてくる間に、せっせと焚き火用の枝を運んでくれたバロンが小さな鳴き声を上げながらフィルの元に寄り添ってくれたので彼女のことは任せて焚き火の準備を始める。


【炎よ・燃えあがれ】 ≪初級炎術式:発動≫


 魔法で火種に火付けを行い、バロンが運んでくれた小枝をぽいぽいと火種の上に重ねていく。すぐにしっかりと火は着いた。

 火の具合を横目で見ながら取り出した鍋に手を翳して呟く。


【水よ・満ちよ】 ≪初級水術式:発動≫


 何も入っていない鍋底からこぽこぽと水が湧き上がってくる。程よいところで魔力制御を切って、そのまま五徳の上に置いて。

 ついでに食事の用意もしてしまうか。そう考えて革袋からいくつかのジャガイモを取り出す。


【水よ・共に踊れ】 ≪初級水術式:発動≫


 持っていたジャガイモたちが手のひらの上にしゅるんと発生した大きな水の玉に包まれて、水の中をころころと転がって洗われていく。

 表面の土が落ちたところで魔法制御を終わらせ、濡れたままのジャガイモと乾燥肉をコモスの葉に包んで直火より少し遠い場所に転がしておく。単なる包み焼きなんで料理と呼ぶのはおこがましいが、ひとまずこれで夕飯は済ませよう。少なくとも保存食をかじるよりはマシだ。


 出来るならフィルが落ち着くだろうロゼリアさんのハーブティを用意出来ればいいのだが、あいにく俺の革袋には入っていない。がさがさと自分の革袋から常飲している市販のハーブティを取り出して、二人分準備した。


「っと、お前にもいるよな」


 フィルの足元で大人しく伏せて彼女を気遣っているバロンが視野に入り、小ぶりな器を手にもう一度呪文をつぶやく。


【水よ・満ちよ】 ≪初級水術式:発動≫


 器を水で満たして、フィルに寄り添っているバロンの足元においてやる。


「薪拾い、ありがとうな」


「わふん」


 ゆっさゆっさと大きめに緩く尻尾を振ったバロンが器からゆっくりと水を飲む姿を少しだけ確認してから、用意しておいたカップに湯を満たしてハーブティを淹れる。


「熱いから、ゆっくり飲むんだぞ」


 無骨な金属製のカップを手渡して、フィルの隣に腰を下ろした。お互いに無言のまま、ときおりハーブティを飲んで。

 その間に少しずつ宵闇は深くなり、焚き火が揺らぐ灯りが俺らの周りだけをぼんやりと浮かび上がらせる。


 しばらくして少しは落ち着いたのだろう、視線はこちらに向けないままだが小さく声を掛けてきた。


「――レオン」


「ん?」


「ごめんね、いきなり空間魔法を使っちゃって。あんなことになるの、当たり前だよね」


「まぁ……お前の前で気にせず使った俺も悪かった」


 とたん、こっちを見上げてぶんぶんと首を左右に勢いよく振る。その動きに合わせて焚き火の光を受けた亜麻色の髪もまた左右に煌めきながら緩やかに流れる。

 亜麻色の髪はそのまま俯いたフィルの姿を柔らかく覆い隠し。


「そんな訳ないでしょ。

 ちゃんと魔法の先生には教わっていたもの。自分の上限点を把握しておくことと、それを超えるだろう魔法は使っちゃいけないこと」


 がっくり。という吹き出しでも付けたくなるような表情と動きで項垂れているフィルの頭に自然と手のひらを置いてぽむっとしてしまう。しょんぼりとしている姿が子犬のように見えた。


「そうか、きちんとした先生に習っていたんだな」


「うん。大まかだけど中級魔法までなら使えるかな」


 ――そうか。どこで魔法を覚えたんだ?


 そう聞こうとして、すぐさま言葉を飲み込んで止めた。


 俺が知っている限り、アルベルトさんもロゼリアさんも簡易魔法を使っている場面しか見た覚えはない。だがそれは、魔法を使えないと同意ではない。


 なんと言葉を続けるかなとわずかに思案したところで、焚き火の中でコモスの葉が弾ける軽い音がした。

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