第6話 竜と竜騎士の物語
この世界には竜が存在する。
そして竜を相棒として誓約を交わし生涯を共にする『竜騎士』という特別な存在がいる。
――それは、互いを必要とし、互いを守り、互いを癒し、共に戦う特別な存在。
竜と交流があり、世界で唯一竜騎士団が存在するネルフェリア竜王国。
この王国は歴代最強と名高い黒竜バルバロスと誓約を交わして初代竜騎士となった方が興した王国であり、その縁で世界に唯一の竜と竜騎士が誓約式を行うことが出来る魔法陣が存在するという。
そもそも竜はネルフェリア竜王国の北に広がる「世界の背骨」と呼ばれる広大な山脈の中にある竜の峡谷と呼ばれる険しい場所に住んでいると言われる。人がまず訪れることが出来ないと言われる峡谷で、竜の背に乗ることを許された者のみが空より訪れることが可能だと言われている秘境ともいえる場所だ。
ゆえに人々が地に降りた野生の竜を身近で見ることはあまりない。
だから、大空を優雅に自由に飛ぶその姿を見て憧れる。あまりないわずかな出会いが語り継がれて、それは物語として紡がれていく。
オランジェ村の老人たちが手仕事をしながら語る古の竜の話に憧れ、時折訪れる旅芸人が紡ぐ物語や歌に出る竜に憧れ、竜を見たいと憧れることが多々あった。
一体、どんな国なのだろう。そして物語で語られる竜と竜騎士はどんな人たちなんだろう。わくわくとした憧れ満杯の気持ちは、いつだって私の中にあった。
竜が主人公の物語もあれば、竜と竜騎士の出会いの物語だったり、時には竜と竜騎士の別れの物語もあった。共に冒険をし、時に街を救う英雄となり、時に王女や姫と婚姻する竜騎士と寄り添う竜の物語。
私もそんな物語に憧れ、竜に憧れる一人だった。
けれど私が住んでいるアルタリア国では、竜の姿を見る機会なんてない。
父さんはかつてネルフェリア竜王国で仕事をしていたことがあり、竜を見たことがあると言っていた。母さんとの出会いもネルフェリア竜王国だって聞いていた。
竜もすごく気になるけれど、父さんと母さんにも縁があったネルフェリア竜王国にも興味がわいた。
それにネルフェリア竜王国では式典や収穫祭などだけでなく、ときには片田舎の村でも竜を間近に見ることが出来る機会が意外とあるという。
そんな話を聞き続けた私の憧れが自分の中で何よりも強い思いに到達するのは、今思えば必然だったのだ(ということにしておこう)
なんでこんなに竜に憧れるのか、恋焦がれるのか。
正直、自分でもよくわからない気持ちなんだけれど、稀に遠くの空を行く竜を見るだけでも切なさと愛しさと、なんだかいろんな感情がごちゃっと混ざってドキドキして、きゅんっとする。もちろん嫌な気持ちとかじゃない、けれど、なんて言っていいのか、どう扱っていいのかわからない気持ちの動き。
自分ではもうなんだかわからなくて、主語を微妙に隠しながら友達のベネッタに相談したこともある。
そしてあっさり返ってきた一言は
「それは恋でしょ」
「ここここここいっ?! そ、そうなのかな、そうなのかな?!」
動揺しまくって、声は裏返って、顔は赤くなって、作っていたシロツメクサの花冠を握りつぶしてしまった。
草原にベネッタと一緒に座っていた私の膝に顎をのせて昼寝していたバロンが、私の声がいつもと違うことに驚いたらしく耳をひょっと持ち上げて顔をあげ「はぅぅ?」と小さく鳴いた。
バロンの頭の上に握りつぶしてしまった花冠が落ちて、黒い毛並みに白いシロツメクサが可愛らしい。
隣で同じくシロツメクサの花冠を作っていたベネッタは、
「それ以外の何があるって思うのよ。あんた、ばか?」
ぐっ、くやしい。くやしいけれど、なんだか、何も言い返せない。
「そ、そんな風に考えたことも、思ったこともなかったんだもん」
無残にも崩れ去った花冠を手直しすることはあきらめて、尻すぼまりに小さくなる言葉と一緒にぽふんと背中からゆっくり倒れる。
若草の香りを身近に感じながら見上げた空はどこまでも広くて、どこまでも行けそうで、遠くて近くて。
――竜の背に乗れたなら、どこまでも行けるんだろうか。
ふと、そんなことを思い。
――私はどこまでも遠くへ行きたいのだろうか?
その問いかけに首を傾げる。
オランジェ村のことは大好きだし、どこかへ行きたいと願っているわけでもない。
ぼぅっと空を見上げる視野をぬっと黒い物体が覆いつくして、すぐに身体がむぎゅっと圧迫される。
「ふぎゃっ!」
そのままベロっとほっぺたを舐めあげられて、バロンがのしかかっている状態なことにすぐに気づく。
くっ、バロンが、重くて、くぅっ、お、起き上がれないっ…。
「こーら、フィルがつぶれちゃうでしょ」
くすくすと笑いながらベネッタがバロンを軽く押して、私の身体の上から動くように仕向けてくれた。
「ありがと」
ベネッタに助け起こしてもらいながら、ふと思う。
――私はなぜこれほどまでに竜に惹かれるのだろうか?憧れるのだろうか?
朝食を終えて。
レオン以外の宿泊客はいないので、後片付けを急ぐことはない。
久しぶりに誰かと食卓を共にしたのは、レオンの言葉じゃないけど一人よりおいしいご飯の時間だった。
ティーポットから彼と自分のティーカップにハーブティを注ぎ足して、そのまま視線を窓の外に向ければ、私の大好きな樫の木が見える。
「――…………」
結構長い、彼と私の沈黙。
と、こちらも食事を終えたバロンが両前足を膝の上に乗ってきた。ご飯が美味しかったと大満足の顔つきをしているのに笑みが零れる。
鼻の頭にパン粥がちょこんとついているのはご愛敬だけどそのままもどうかと思うので、エプロンの裾を使って軽く拭ってあげた。お礼のつもりなのか、私の手のひらに鼻先をぐりぐりっと押し付けてきた。
その動きがくすぐったくて小さな笑い声をあげて。
「でね」
ちょっと沈黙が長いし。
何か告げないと何も進まない感じがして、視線を再び樫の木に向けてから、ずっと憧れていたけれど一歩踏み出せないままでいた思いを告げることにした。
「せっかくの機会だもの、竜に会いに、竜騎士に会いに、ネルフェリア竜王国へ行ってみたいなと思って」
竜と人が交わる国、そこに行けば竜を間近で見ることが出来るというし。
竜と生涯を共にすることを誓ったという竜騎士にも興味がある。
それでもレオンから言葉が発せられる様子がないので「はてな?」と思いつつ視線を樫の木から離れさせて、対面の彼に向け直した。
と、今まで見たことないような顔をしてこちらを見つめている彼と視線があった瞬間にどきりとしてしまう。
その眼差しはじいっと深く私を見ているような、私の向こうに見える違う何かを見透かしているような不思議な色合いをしていて、彼の普段の瞳は深みのあるとろりとした琥珀色なのに、なぜか今、うっすらと金色を纏っているようにも見えた。
どきりとしたことで赤くなっただろう顔を隠したくて下げた視線に、レオンの手がそれぞれぎゅっときつく握りしめられていることに気付いた。
「――?」
なんだろう、なんだか悲しいような、胸が詰まる気持ちがして、慌ててもう一度顔を上げる。慌てた動きに反するようにリボンでまとめた亜麻色の髪の尻尾がふわりと上がってゆるりと落ちる。
再び彼の瞳を見つめれば、いつもと同じ琥珀色の瞳だった。
――見間違い、だったのかな?あぁ、窓から差し込む日差しの加減だったのかな。なんとなくそう納得してほっとした。
その間に彼自身が自分の手を握りしめていたことに気付いたのか、手を緩く広げて雰囲気を柔らかくする気配を見せて。
「あー……」
取り敢えずレオンから一声出たのでそっと安堵して。その続きを待ってみる。
と、バロンが暇になったのか外に行きたいと私の膝の上で前足をフミフミして意思表示をしたので、レオンから視線を外して軽く背中を撫でて了承を告げる。
「気を付けて、いってらっしゃい」
「わふん」
返事と共にばさりと大きく尻尾を振って食堂を出て裏口に向かって行く。お散歩も大好きな子だから大はしゃぎしているのが去っていく背中からもわかる。
外へと掛けていくバロンを見送って、レオンに視線を戻す。
表情はいつもの雰囲気に戻ったようだけど、なぜかゆっくりと片手を上げて両目をふさいで、軽く天を仰ぐように顔を上げてため息みたいなのを吐いている。
「ひとまず、今月末まで宿泊させてもらおう」
ため息のような深呼吸して落ち着いたのか、片手を下げてゆっくりと顔をこちらに向けて、すっごく真剣な顔つきをしたレオンがきっぱりとした口調でそう告げる。
「あ、うん。
逆に今月末までしか泊めてあげられなくてごめんなさい」
この件に関しては申し訳ないと思っている反面、踊る小鹿亭を閉めるギリギリのタイミングでレオンが宿を訪れてくれたことは有難かった。
この宿をおしまいにするってことを自分の口から彼に告げることが出来たから。
「で。ネルフェリア竜王国に行く伝手はあるのか?同行者は?護衛の当ては?」
「まだ何も決めてないけど、隣町まではベッセルおじさんの荷馬車に乗せてもらえるかな。そこでネルフェリア竜王国に向かう商隊とかに会えて、雑用係とかで混ぜてもらえたらいいなとは思ってはいるんだけど。
同行者は………、バロンかな」
まぁバロンがこの村に残りたいようならベネッタの家にでも預かってもらう形になるかなぁ。ぼんやりと考えながら答える。
ん、こうやって考えてみると、行きたい気持ちは満タンであるけれど、計画がまだまだふわっとしてるなぁ。もう少しちゃんと考えないと危ない、かな。とはいえ、今まで訪れた中で一番大きな場所は領主が住む街までしかない。そこと王都はまた全然規模が違うだろうし、そういえば国境を超えるのはしたことがない。どうしたらいいのかしら?
レオンのたった一言の問いかけだけでいろんなことに気づいてしまって、ちょっと青ざめてしまって、おたおたと自分の両ほっぺたに手を当てて悩んでしまう。
「わかった。俺がネルフェリア竜王国の王都まで連れて行く」
「――ふえ?!」
「旅の準備は俺の方で進めておくから、フィルは出発日までに身の回りのものをトランク一つにまとめるように」
レオンが一息でそこまで言い切る。
「えっ?!そそそんな申し訳ないよ、レオンだってレオンの都合があるでしょ?!」
レオンの提案がいきなりすぎて声が裏返った。
「いや、どうせこの後はネルフェリア竜王国に戻る予定だったから、ここに泊まれないなら戻ることを早めても問題ない」
「え、いや、そうかもしれないけど、だからって……、そういうものなの?」
話がいきなり進んで、よくわからない。
「だいたい隣町まで行けたって運よくネルフェリア竜王国に向かう商隊に会えるとは限らないし、商隊に会えなければどうするつもりなんだ?
この国もネルフェリア竜王国も比較的安定している国勢だが、それでも辺境あたりでは夜盗や追剥なんかがいないとは限らない。そんな場所に若い女性がバロンだけをお供に旅して安全なわけないだろうが」
がっしと両肩をつかまれて、一息に畳みかけるような勢いで猛烈に言われてしまった。
「で、でも、だからって」
「もとよりネルフェリア竜王国の王都ギルドに顔を出す用事がある。
――気にするな」
最後のセリフに合わせて、頭をくしゃくしゃと撫でられた。
こんなときにお兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなぁと思う。
上目遣いにレオンを見れば、本当に気にするなといった表情で瞳を細めて微笑んでいる。
う。いつ見ても整った顔なんだよねぇ。
実は二年振りで雰囲気がさらに大人の男性って感じになったレオンに、ちょっとドキドキしちゃうんだよね。慌てて顔を俯かせて赤くなった顔を隠す。
「そうと決まれば、準備を始めるか」
カップに残ったハーブティを飲み干して立ち上がり、レオンはすたすたと食堂から出て行ってしまった。
「ええええええー……」
カランコロンと場違いにも感じる玄関のカウベルの音が放つ明るい音を聞きつつ、思わず言葉が漏れてしまった。
話のなり行きが急すぎて、脳みそがまったく追い付いてない。ぷしゅーっと頭から湯気が出てそうで、思わず両手で頭を撫でてみる。
うん、大丈夫。熱くなってはいない。と、さっきレオンに頭を撫でられたことでまとめていた髪が少し崩れていたので、襟足でまとめていたリボンを解く。
指の間をさらさらと亜麻色の髪が流れて両肩に広がる。テーブルに両肘をついて、重ねた両手の上に顎をのせて、はふーっと息を吐きだす。
「ほんと、いいのかなぁ。それで」
自分がネルフェリア竜王国に向かうと決めたのはいいけど、レオンを巻き込んじゃっていいのかな?
レオンは用事があるって言っていたけれど、そもそもここに長逗留するつもりで尋ねてきていたみたいだし。
そんなことを思いながら食器を手に立ち上がる。
うん、ひとまず朝食の後片付けをしちゃお。これからのことはまた考えよう。
もしも竜に出会えたならば 香月 美里 @Misato25
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