第4話 魔力暴走

 フィルを自室に送った後、自分の部屋へ戻ろうと廊下を歩きだしたとき、足元には当たり前のような顔つきをしてバロンが付いてきていた。

「いいのか、傍にいなくて」

 ちらりとフィルの部屋に視線を送って、小声で問うてみる。

 なんというか、バロンは人の言葉が分かっている節があるように感じる。なのでつい話しかけてしまう。

 バロンは振り返るように一度フィルの部屋を見て、ちょっとだけ迷ったような顔つきをしたけれど、すぐさま俺の部屋に向かって歩き出す。

 あの分では、フィルは落ち着いて寝れないんじゃないかと心配があって、バロンが傍にいた方が安心なんだがな。

 その思いがにじんで歩き出せずにいる俺の足に、ぎゅっと強い刺激が走る。慌てて見下ろせば、先に行ったはずのバロンが戻ってきて、俺の足をしっかり踏みつけていた。じっと俺の顔を見つめている。

 この二年、彼女を支えてきただろうバロンがその方が良いと判断したなら、俺も従うべきか。そう思い直して、バロンを連れて自分の部屋へと戻った。

「さて、と」

 一人掛けのソファに腰を下ろし、荷物袋の中から取り出した小ぶりな酒瓶をサイドテーブルに置く。

 当然のような顔つきでバロンが俺の足の甲に顎を乗せてラグの上でくつろいだ態勢をとるのに、ちょっと笑ってしまった。身をかがめてバロンの額にある白い毛並みを流れに沿って柔らかく撫でてやる。

「すまなかったな、何も知らなくて。

 大変な時に、傍にいることが出来なくて」

 無意識にそう呟いたことに少し驚く。

 そんな呟きが出るほどに、自分の中では小鹿亭が重要な位置にいることを再確認した。

 撫でていたバロンが俺の顔を覗き込むように顔を上げて、小さく「わふっ」と答えた。俺の呟きを、俺の気持ちを受け取ったよ、とでも言うように。

 そのままもっと撫でて欲しいとでも言うように、ぴょんとソファの上に飛び乗ってくる。一人掛けのソファの僅かに空いた場所に器用に身体を落ち着けて、俺の腿に頭をのせてくつろぐと、俺の中にある緊張が少しずつほぐれていくのを感じた。

「でもお前がいてくれたおかげで、フィルは頑張れたのかな」

 立て続けに両親を失うことは、フィランゼにとってはかなり酷なことだったろう。それも父親については不慮の事故だ、母親を失って半年ほどで父親までも失った気持ちは推し量れない。

 物思いは続いて、バロンを撫でる手はそのまま続く。

 反対の手は酒の瓶を持ち上げ、そのまま唇へ。そんな強い酒ではないが、少しばかり気分を落ち着けるものが欲しかった。

 酒が喉元を過ぎる感触と共に、ゆっくりと二年前のことが脳裏に浮かんでくる。


 あの時は、ネルフェリア竜王国経由で受けた魔獣討伐の依頼でこの辺りを訪れたのだった。冒険者ギルドを経由せずに届いたネルフェリア竜王国じきじきの依頼だが、大元の依頼主はアルタリア王国だった。

 当時、アルタリア王国側に今回の件が扱えそうな高ランクの冒険者が出払っていなかったこと、アルタリア王国とネルフェリア竜王国の間に広がるシュバルツの森で魔獣は見つかったためにどちらの国にとっても退治することが最善だと判断されたことで、アルタリア王国からネルフェリア竜王国に援助を求める声が届き、俺に話が回ってきたA級の討伐案件だった。

 事前情報の収集はアルタリア王国側が担い、それなりに情報は揃っていたので準備を整え俺一人で討伐に向かった。

 ところが、その事前情報が間違っていた。間違っていたというか、外見情報などは事前情報通りだったが、行使する魔法の種類と魔力の量が桁違いと言いたくなるほど差があったし、身体能力も高かった。多分だが、情報収集者は実際にこの魔獣と戦闘をしておらず、実際の実力を把握することが出来なかったのだろう。

 苦戦するも最後には討伐することが出来たが、俺自身も自分の魔力を極限まで追い込んで使うことになってしまい、ほぼ魔力暴走に近い状態になっていた。かろうじて自我が保たれて魔力暴走をぎりぎり制したところで魔獣を倒せて良かったと今でも思う。

 それでも自分と魔獣を中心に辺りの木々はのきなみ吹き飛んでいたし、その辺りにいただろう獣たちも皆逃げ出していた。少しばかり、地面もえぐれた。

 生まれつき魔力が多い俺は様々な訓練を受けて制御力には結構自信があったのだが、あの時だけは制御していたら倒せないことがわかっていたので結構複雑な魔法に上限点ギリギリまでの高密度な魔力をつぎ込んで愛剣に全てをのせて振り切った。

 剣も折れなくて、本当に良かった。そのあと馴染みの鍛冶屋にリペアを頼んだ時には酷使しすぎだとめちゃくちゃ怒られて凄い金額の修繕費を請求されたが。それでも手になじんだ剣が今も俺と共にあり戦っていてくれるのはありがたい。

「くぅん」

 物思いにふけったせいかバロンを撫でる手が止まっていた。ちょっと不満そうに、もっと撫でて欲しいぞと鼻づらで俺の手のひらをつつく。悪い悪いと軽く背中を叩いてから、再び毛並みにそって背中を撫でてやる。

 そういえば、あの時もバロンが俺の頬をつついていたな。

 急速にまた二年前の記憶が溢れてくる。


 魔力暴走手前まで魔力を注ぎ込んで作った魔法でぶったぎった魔獣はこと切れたが、俺もまた意識はかろうじて残っていたがとてもじゃないが動けなかった。

 辺りは魔獣と俺の魔法が激突したせいだろう他に危険度の高い獣たちはいなかったが、さすがにここで気を失いでもしたら死にかねない状況だった。ただ気力体力魔力の全部を使い果たしていた俺は、どうしたらいいかと考えることも、何らか助けを求めるような次の手を打つことも、出来なかった。

 ああ、くそ。と思ったのは覚えている。そのまま体が大地に倒れたのも覚えている。

 こんな状態になってしまったこと自体には悔しさを覚えたが、魔獣を討伐出来たことは周辺への脅威を考えれば良い仕事をしたと思えた。

 そんな鈍い意識が浮かんで消えて、時折走馬灯のように昔の記憶も浮かんできて、これはマジでやばいかとうっすら思った頃、頬に湿り気の有る何かが触れた。

 最初はツンツン。その次はベロンッ。ハッハッハッという荒い息も頬に感じた。

 うっすらと目を開ければ黒い何かが視野に収まったが、何かはわからない。一瞬魔獣の類いかかと疑ったが、それならもう殺されているだろう。

「わん、わんっ!!」

 黒い何かがふっと視野から外れ、大きめの犬の鳴き声が聞こえた。どうやら俺のそばにいるのは犬らしい。と、人の手のようなものが俺の口元、続けて首筋に触れる感触にびくんと身体が反応した。

「息は有るね、見たところ大きな外傷はないようだし、この状況から考えるとよほど強い魔法を使ったようだね」

 突然傍らで低いけれど聞きやすい穏やかな男の声がした。

 腰の剣帯を鞘ごと外される感触にくぐもった声を上げるが、悔しいことに体が動かない。

「大丈夫、このままじゃ君を運べないから剣を収めるだけだよ」

 そう答えを渡された次には、筋肉疲労による硬直か右手に握ったまま外れずにいた剣が丁寧に指を開かれて外された。本当に言葉通りになるのか少し焦るが、身体はほぼ動かずに言葉を発することも難しい。

「お手柄だ、バロン」

「わんっ!」

 そこで我慢の限界が来たのか意識が一気に黒くなり、どっぷりとした深い黒い闇に全ては塗りつぶされた。


 次に気づいた時は、素朴な木で組まれた天井がぼんやりと見えた。すぐに意識がはっきりとはしなくて、ぼんやりとした視野を左右に向けた。

 晴天のおかげだろうきらきらとした日光が窓際に溢れているが、薄手のカーテンが程よく遮ってくれているので室内がよく見えるが眩しくは感じない。

 素朴な家具で整えられた、あまり広くはない部屋。そこで初めて自分がベッドの上に横たわっており、体の傷には包帯が巻かれていて、丁寧に手当てされていることに気づいた。ほんのりと包帯の下からは薬草の香りがしている。

「――っ」

 左腕をついて体を横に向けて、腕を支えにゆっくりと体を起こそうとするが軽い痛みが体のそこかしこに走る。思わず小さな声が上がった。

「わんっ」

 と、ベッドの下から犬の鳴き声がする。視線を向けると、小ぶりな中型犬ほどの黒犬がお座りをして俺を見上げていた。その傍らのサイドテーブルには、俺の剣が鞘に納められた状態で立てかけられていた。

 じっと剣を見ていると、犬はわずかに空いていたらしい部屋の扉へ体をするっと滑り込ませて、外へと出て行った。なんとなくその姿を見送ってから、さらに体を起こしてみる。

 あちこちに鈍い痛みはあるが動かないほどではない。ゆっくりとした動作ながら体は動く。両足を床に降ろしてみる。

 腕を伸ばせば剣まで届いた。きちんと鞘に収まっている。鞘も魔獣の血で汚れていたと思うのだが、すべてきれいに落ちていた。心身の疲れのせいか重く感じる鞘と握りに左右の手を添えて、緩い動作ながらも鞘から剣を抜く。

 ありがたいことに刀身の血糊も綺麗に拭われている。鞘が綺麗になっていたので大丈夫だとは思ったが、やはり自身の目で見ないことには落ち着かなかった。さすがに刃こぼれしている部分はあちこちにあるが、これは後で武器屋に持ち込めばいい。

 ゆっくりと鞘に戻しているところで、扉がノックされて返事より先に開かれた。

「お、もう起き上がれるとはすごいね」

 片手にカップが載ったお盆を、逆の手には丸椅子を持った30歳半ばぐらいの男性だった。足元には先ほどベッドサイドにいた黒犬が付いているので、多分、この黒犬が男性を連れてきてくれたのだろう。

 彼はそのまま室内へと進んでサイドテーブルにお盆を置き、丸椅子をベッドサイドに設置する。

「体調はどうだい?

 まだ痛みはあるだろうし気分も悪いかもしれないけれど、まずは水をどうぞ」

 その声は俺が倒れた時に聞いた声と同じ声だとすぐに気づいた。

 水が入ったカップを渡される。そこで初めてのどが渇いていることを意識した。

 受け取ってすぐに飲み干したくなったが、まだ体調がどんな状態なのか把握しきれていないので、まずはゆっくり少なめに一口含んで飲み込まずに様子を見る。数を3まで数えて拒否するような感触はないので、そのまま飲み込んで息を吐く。

 幸い内蔵などにひどい影響はないようだ、嚥下で咽喉が痛む様子もない。

「それだけ落ち着いた様子なら、ひとまず大丈夫そうだね」

 俺が慎重に体を確認しながら水を飲んだ様子を見て安心したようだ。人懐こさを感じる笑みでうんうんと頷いている様は俺より年上なのにどこか愛嬌がある。

「さて、色々と話をしないといけないかなと思うんだけど。

 まず、俺はアルベルト、この“踊る小鹿亭”の主だ」

 丸椅子に腰を下ろし、俺の顔を見て言葉をつなぐ。

「君はシュバルツの森の外れで倒れていたんだよ。見つけたのはバロンのお手柄」

 その言葉に合わせてベッドに両前足をのせた黒犬がバロンだ。お手柄だったでしょ?と言いたげな表情が少し人間臭くて初対面なのに親しみを感じる犬だった。

「そうか、ありがとうバロン」

 軽く頭を下げる仕草に合わせて、バロンが上半身を伸ばすようにして俺のおでこに自分のおでこをこっつんと付けた。

 少し硬い獣の毛が額に触れてもぞもぞとしたのが、少しのくすぐったさと、ちょっとした違和感を覚えたが、すぐにアルベルトがバロンの身体を俺から引き離して床に降ろす。

「こら、彼は怪我人だ。少し大人しくしなさい。

 そうだ、フィルとロゼリアに彼用のスープを用意するよう伝えてきてくれるかい?」

「わふっ」

 尻尾を一度大きく振って、すぐさま早足で部屋を出ていく。まるで人の言葉がわかっているような動きだ。

「アルベルト、貴方にも感謝を。

 俺はレオンハルト、ネルファリア竜王国のギルドに所属する冒険者だ」

 そのあとは時折水を含みながら討伐依頼のことなどをかいつまんで話し、しばらくはここでゆっくり休んだほうがいいというアルベルトの勧めに従って再び眠りに落ちた。

 正直、あまりにも体力も魔力も削ぎ落されていて、死にかけていたと思う。

 そう表現するぐらいひどい状態だったがアルベルト夫妻と一人娘だというフィランゼが根気よく食事や睡眠などに気を配ってくれたおかげもあり、数日でベッドの上に起き上がれる程度には魔力バランスが回復した。

 正直、魔力暴走しかけるほどに魔力バランスを崩したら、こんなに早く落ち着くことは珍しい。自分でもかなり驚いている。

 俺は小さい頃から体のサイズより魔力量が多くてバランスを崩しやすかったのだが、今までこんなに早く穏やかに落ち着いた記憶はない。

 しかし体力もかなり消耗していたし、大きな傷はなかったとはいえそれなりの怪我はしていたので、すぐに体調が戻る訳ではなかった。それでもアルベルト家族が献身的に面倒を見てくれたおかげで魔力バランスが安定し始め、体力も無駄に使うことが無くなり、一か月ほどで部屋の中を動けるまでに回復した。

 さらに半月ほどで剣を振るい中級程度の魔法を扱っても問題ないほどに回復し、肩慣らしにバロンを連れて近隣の獣(晩飯のおかずともいう)を仕留めたり、薪割りや畑仕事なども難なく出来るようになり、この宿での生活をかなり満喫して過ごしていた。

 正直、依頼主からの伝令さえこなければ、ずっとそのまま過ごしたいと思うほどに居心地の良い暮らしをしていた。


 思い出がゆらりと揺れてふうっと薄まって、今この時に意識が戻る。

 結局二年前の討伐案件は、俺の報告内容と現地調査の後にA級案件ではなくS級案件に昇格されたぐらいだ。おかげでこの案件の報酬はかなり増額されたことは喜ばしかったが、S級案件を一人で処理した冒険者がいると評判となってしまい、あちらこちらから様々な面倒ごとが持ち込まれてしまうようになった。

 苦い思い出に繋がってしまった気分を流し込もうと酒を口にするが、あまり気乗りしない。飲んでも気晴らしにならないなら、寝る方がいいな。

 ベッドに行くか。そう思ったところで、膝上の重みと小さな寝息に気付く。撫でられて心地よかったのか、いつの間にかバロンが寝ている。

「まったく、お前は変わらないな」

 うっすらと苦みも有るが、それでも気持ちが穏やかになる感触を覚えながらバロンを抱き上げ、足元のラグの上に寝かせてやる。

 一瞬目を開けたようにも思うが、そのままころんと寝返りを打って丸まる。

「おやすみ」

 そう告げて、俺もベッドにもぐりこんだ。

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