CASE3 クリフエッジの場合


 怒号と苦悶の声が響く中、その男は一人高らかに大音声に、自らの存在を歌い上げていた。


 四方八方から矢玉が、槍剣が襲い来る。


 そこは、まさに戦場であった。


 揃いの鎧装束に身を包み、盾を構え陣を為し、声を揃え轡を並べ、迫りくる敵軍に対して。


 対面で、盾を構えるは唯一人。


 有象無象が屍を晒し、数多英傑が倒れ伏す。

 憎悪と嘆きが木霊する、この世の地獄を煮詰めたようなその場所で。


 己以外の全てから、敵意を、害意を総身に投げつけられるその場所で、自らの存在を誇示する事の出来る者など、彼の他に誰在ろうか!


 いざ!いざ!いざ!


 勲しを謳え!その名を讃えよ!彼こそは──



「……これは、。これは余りにも酷すぎる、没だ没」


 小ぢんまりとした部屋の中、雑多な機材に囲まれながらも譜面に向かう人影が一つ。脇目も振らずただ黙々と、狭苦しい机の上へと広げに広げた数多くの資料の束と、譜面との間で格闘していた。


 常にその身に帯びていた板金鎧は部屋の片隅に放って置かれ、心なしかじめじめと湿り気を帯びているように見えなくもない。

 鮮烈に、溌溂と光り輝いていた筈の灰礬柘榴石ツァボライトの肌すらも、どこか今一つくすんで見える。


 ぶつぶつと、時折独り言を漏らしながら、或いは独演会でも開いているかのように、どこかわざとらしい素振りで以って朗々と詩吟していた。



 クリフが此処まで頭を悩ませているのにも訳がある。



 既に動き出した『緲蜃の霊廟パラノイズ・マゥソレア』攻略作戦。それに伴う封印指定対象『恭贖の蜃気楼ヴォジャノイ・ガルグイユ』の完全討滅。


 一筋縄では行かぬどころか、正攻法では太刀打ちできる目の一つも見えぬ程には隔絶した領域の相手。今ある手札の内、どれだけ有効な代物が残っている事か、両手の指どころか片手でも事足りるであろう惨状に。

 改めて怖気の走る思いと共に、飲み下しようもない程の喜悦が胃の腑からせり上がってくるのを、どうしようもなく感じ取っていたからだ。


 灯りの一つも無い部屋で、木枠の窓から差し込む日差しだけを頼りに、独り静かに筆を執る。

 静かに、静かに、瘧のように震える身体を意志の力で抑え付けて、五線譜の上に踊る音律が千々に乱れてしまわぬ様に。

 ゆっくりと、ゆっくりと、一音一音を味わうように刻み付ける。


 せせこましい部屋で、窮屈そうに身体を縮めて、居心地悪そうに身体を震わせて。


 彼の顔を知る者が、彼の立場や功績だけを知る者が見れば、驚きの余りに卒倒しても可笑しくは無い程に、鬼気迫る顔つきで独り静かに机へと向かい筆を執るクリフ。


 『サウラン』随一の英傑の住まいとは思えぬほどに、うらぶれ寂れた廃棄地区ゴーストタウン

 

 荘厳にすら思える程に、所狭しと積み上げられたプレハブ住居の集合体。奇怪なオブジェの様なその姿は、正に時代を違えた繁栄の象徴と言うに相応しく、生ある物の息遣いなどこれっぽっちも響きはしない。


 まるで大地に突き立つ墓標の様なその一角を、クリフはもう随分と前から自身の住居として扱っていたのだ。

 最早、住む者どころか債権者や施工者、経営者すらも雲隠れして久しい、曰くすらつかぬ過渡期に作られた大量の箱物の内の一つ。


 在るべきであった栄華の徒花、に点在する、の功罪を指し示す遺産。


 

 尤も、来歴など気にするようなクリフではない。たまたま見つけたこの廃墟が、たまたま自身の原風景に瓜二つだったと、それだけの理由で自身の根城としているに過ぎず。とりわけ便利にすぎない今の塩梅が気に入っているからと、長々と腰を落ち着けているに過ぎないのだから、別段住まいがこのような場所である必要がある訳では無いのだ。


 しいて言うなれば、入居者の武力こそが最大の防犯対策であるのだから、極論、屋根と壁さえあれば良いと云うのが本音である。


 そんな狭苦しい部屋で粛々と、黙々と筆を書き進めるクリフ。書き出しているのは魔奏曲リリックの一遍か、書いては消してまた書いて、と何度も何度も絞り出すように文章を、音律を書き連ねては白紙に戻す。


 何時間経ったのであろうか。つい、とクリフが顔を上げるとすっかりと空は茜色に染まり、東の空にはじんわりと藍色が広がってきていた。ややもすれば双月がひょっこりとその貌を出しかねない程、じわりじわりと赤色の空が潮を引くように消えていき、その代わりと云わんばかりに深い藍色が我が物顔でしゃしゃり出てくる。


 空には星々が煌めき瞬き、組んず解れつ数多星辰を描きながらも、互いの領分を蚕食せんと鎬を削る。削り削られ先細り、哀れ流れ星として地表目掛けて墜落していく数多の輝き。その内の幾つが無事に地上に降り立てるのか、数千数万の内の一つ、それが地上に降り立ったとて、いったいこの世の何が変わるのか。



 ふと気が付けば、随分と長い時間、空を見上げて過ごしていたようだった。



 すっかりと固まってしまった首を解しながら、視線を上から下へと下げていく。

 遠くの方には堅固な城壁の中、小ぢんまりとした尖塔の先っちょが、ちょこんと壁の上に覗いている。その姿は街中の灯りに照らし出されて昏い空にぽっかりと、薄ぼんやりとした間抜けな様を晒していた。

 賑わいの声が幾許か離れたコチラにまでも届いてきそうなほど今日の街中は、否、ここ最近の街中は浮かれて騒ぎに騒ぎ、狂騒とまで称したくなるほどにタガの外れたお祭り騒ぎとなっていた。

 

 そのまま無感情な視線を下げれば、今度は足元が映り出す。

 バカ騒ぎに興じる壁の中とは真逆の、うすら寒い程の静けさ。しわぶき一つせず、灯りの一つも見えはせず。命の痕跡など文字通りに影も形も在りはしない、まるで世界から切り取られてしまったかのような、静謐に包まれた空間が其処にはあった。


 この一時が、クリフは好きで、嫌で。どうにも落ち着かず逃げ出したくなる様な、その癖まんじりともせず眺めていたくなる様な、そんな言いようの無い郷愁に思いを馳せていた。



「……寝るか」


 何時までそうして居たのだろうか。ふと、視線を横にずらせば、東の地平線が薄ら白く染まっているのに気が付く。視線のみを空へと向けるも、疾うに店仕舞いしていた様で双月はその姿を隠していた。


 向こうからは白陽がじりじりとその貌を覗かせ始め、農夫だろうか思い思いの農具らしき物を携えた人々が疎らに城壁の裾から吐き出され始める。



 いつもと変わらぬ一日の始まり。



 嘗ては自分もその中の一人であった事に思いを馳せながらも、最早戻らぬ過去には早々に踏ん切りを付けて、明るくなり始めた根城の奥へとその足を向ける。


 今日もまた、詩篇の一つも綴れなかったと嘆きながら。


 外から漏れ聞こえる、親に連れられた子供たちの笑い声に耳を塞ぎ。

 

 うっそりと、太陽へと背を向けて、暫くの夢無き旅路へと向かうのであった。


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