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何時からだったのだろう。
自分が、他人とは違うと気が付いたのは。
昔は、何とも思ってはいなかった筈だ。
周りの他人も自分と同じ。同じように悩み、苦しみ、疲れ、その果てに自死を選んでいたものだと、そう無邪気に信じ込んでいた時代。
何とも、滑稽で無様な話だ。
そも、己の出自に平凡などという言葉は存在すらしていないと云うのに、人間など、疾うの昔に己の周りには居なかったと云うのに。
或いは、気付かなければ、自分も他人と同じように平凡に生きて、死ねたのだろうか。
意味の無い話だ。既に己は、己で在ることを受け入れたのだから。仮定の話などしたところで、過去に戻れる訳でも無いのに、どうして今更そんな事を考えているのか。
益体もない考えばかりが脳裏を過るのは、あんなにも美しいモノを見てしまったからに違いない。
立ち上る燐光を
茜差す木々に囲まれ、くゆる血煙りが差し込んだ光に乱反射して辺りを明るく照らし出す。
それはまるで、天からの祝福のようで。
初めて見た私には、まるで呪いのように思えてならなかったのだ。
鬱蒼と繁る森の中、人の手の入らぬ奥地にて、ゆらり立ち上る煙りが一筋。
見ればその一角だけは木々が切り倒され、下草もきれいに刈り取られていた。
それは明らかなる文明の香り、人の手による物であった。
立ち上る煙りは炊事の物だろうか、焚き火の上には木を組んで作られた簡易の鉤が、これまた簡素な鍋を吊り下げ中の具材を煮込んでいる。
刻まれた野草は大雑把に煮たくられ、細切れの肉の隙間でぐらぐらと踊っていた。鍋は随分と放って置かれていたようで、すっかりと表面には灰汁が浮かんでしまっている。
辺り一面、周りを見渡してみても、人の気配は欠片もしない。
煮炊きの様子を見る限り離れたのは少しばかり前の事だろうか、未だ断面に木目を晒す枯れ枝が幾らか覗いている。
パチパチと、ぐつぐつと鳴る炊事の音だけがだだっ広い空間に響いていた。
いつまでそうして居たのだろうか、唐突に、森の方から音がする。段々と近付くその音は、明らかにこの場所を目的地としている様子であった。
「何用だ、名乗れ」
静かに告げられた誰何の声は、巌の様に重苦しく、雷鳴の様に明朗な男の声。
しかしどうした事であろうか、先ほどまで人の気配は森の右手からしていたと云うのに、今響いた声は客人の後方から木霊している。
「……怪しい者ではありませんが、故あって名乗る名を奪われております。私の事は『使士』とお呼び下されば」
気配も無い相手方に対し、丁寧な姿勢を崩さぬ『使士』とやらも相応の使い手なのであろうが、これは流石に比べる相手が悪いだろう。
「そうか、それで」
次いで届いた声はどうした事か、使士と呼ばれる男の正面、先ほどまでは確かに無人だった筈の炉端の傍から響いて来た。
確かに、使士も後方の気配を探ろうと後ろに気を向けていたのは事実。さりとて視界に映るもの、過るものが在ったのならば、気が付かない筈がないのだ。それだけの鍛錬を積んできたのは事実であるし、それが熟せない者をわざわざこの場の使者として選ぶ理由も無い。
それ相応の手練れ足る彼の目を盗み、悠長に鍋をかき混ぜ煮え立ち具合を見ていたのは一人の男。
黒髪に碧眼の端正な顔立ちの美丈夫。長くもなく短くもない髪の間から覗く笹穗耳、
自然と語らう彼らの種族柄を鑑みれば、このような人里離れた土地で暮らしている事にも理解が及ぶ。
とは言え、同族を慈しみ多種を毛嫌いする彼らにしては、周囲に他の精霊人種の姿が見えないのは気になるところ。
なれど、余計なことは口にせぬよう厳命されていたか、使士はその事には触れず、淡々と自身に託された言伝てを伝える。
二言三言の短いそれは、精霊人種に伝わる古い口伝の一節を諳じたもの。
吟われた一節は何処の物か、よく暇をみて強請っては聴いていた対面の精霊人種には良く解っていたのだろう。
重苦しい溜め息を一つ溢すと、諦めたように首を振った。
「『
まるで、不吉な預言の如く溢れ落ちたその言葉は、無意識の物であったのだろうか、既に立ち上がり旅装の確認に入った精霊人種が口を開く様子はない。
火に掛けられたままだった鍋は、その役目を全う出来ずに熾火と共に土の中へと埋められていく。
振り返ることなく歩き去る二つの影。まるで焔の中へとその身を投じるが如く、連なる影は不気味に揺らめいているのであった。
結局、その後はどうなったのであったか。
思い出すには億劫な程、遥か昔の出来事の様にも思える。
道程を同じくする同志を集め、時には離別を繰り返し、苦難の果てに一定の成果は得た物の。
結局、冒険譚のようには綺麗に終わらず、未だこうしてずるずると夢の残骸を抱えて過ごしている。
嘗て同道した仲間達もその多くが不帰の旅へと向かい、残された者もあとわずか。
残された時間で後どれだけの事が為せるのだろうか、自問自答を繰り返す日々。
「『
最早枯れ枝の如きその身体に、なけなしの気力を込めて立ち上がる。
「世界が滅びるなど、絵空事だと笑い飛ばせれば良かったのだがな」
その拍子にずり落ちかけた王冠を慌てて抑える、これにも愛着こそ湧きはしないが、それでも重さには慣れきってしまっているのも否定できない事実ではあるのだ。
颯爽とマントを翻し、そのまま自室から外へと向かう。
扉を潜れば其処は既に戦場であり、彼としてもその心構えは疾うに出来ている。
振り返ることなく歩き去るその背に、大鷲と一角獣を背負うその男は。
今日の為、明日の為、世界を救う為に邁進しているのであった。
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