CASE2 オッペケぺーの場合
日に直せば十日から長くても十五日間ほどだろう、人によって長く感じるか短く感じるかは異なるであろうが、一仕事を終えるには短く休暇と取るには些か長い、そんな程度の時間だろうか。
とは言え、それも一般的な人間の場合だ。仕事に追われる人間には一時の休暇であっても救いの手であろうし、逆に有閑階級にとってその程度の期間では何をするにも短すぎる、という事もある。
それはオッペケぺーにとっても同じことであった。
何分、常日頃から実家には迷惑を掛け通しな身の上につき、ホイホイと顔を出してしまえば暫くは帰還できなくなっても不思議ではない。
さりとて、市井の人々の様に朝っぱらから仕事に感ける必要性も無いのに朝から駆けずり回るのも気が引ける、と可笑しなところで小市民的な感性で物を考えた結果が、連日基幹世界観へと
無論、弁明をさせてもらえるならばオッペケぺーとて仕事の一つもしていない訳では当然無い。無いのだが、仕事をしなくとも生きていける環境に身を置いているのもまた事実、あくせく働いて日銭を稼いで回るようなことは、実の所現実でも基幹世界観でも経験が無かったりもする。
だからと云って、労働を下に見ているわけでは無い。ただ、生来の立場と能力とが、彼が単純な社会構造の中にその身を置くことを許しはしなかった、ただそれだけの話。
いずれにせよ、生業の為には少なからず基幹世界観側のネタが欲しいオッペケぺーにとっては、没入し『すちゃらか
詰まる所、唐突に開いたこの十日少々の時間というのは、彼にとってはどうにも持て余してしまう物なのであった。
電脳世界内の四方山話をかき集めては現実世界へと配信を通して語りかける、そんな毎日を過ごしていた矢先の事。
「……連日の様に連絡を寄越してきて、何の要件なんだ……。……兄上……」
「悲しいな、実の弟に邪険に扱われる様な事をしてきた覚えは、生憎と私の方には無いのだが」
薄暗い部屋の中、仕立ての良いソファーへと身を沈め、当たり前の様に砂糖とミルクを投入したコーヒーを流し込んで見せる、実に気障な動作が板についた優男とオッペケぺーの姿が其処にはあった。
「……これが、コチラでの素なだけだ……」
「ああ!
「……それだけ順応しておいて、良く言うものだ……」
ニヒルに笑って見せた対面の優男、オッペケぺー曰くの兄上は、楽し気に含み笑いを漏らしながら優雅な手つきで手元の燻製肉を野趣あふれる動作で嚙み千切って見せる。
「酔狂とは、古今東西、上流階級の者から始まり流れた風習の事を差すものだ。それに倣えば我が家風としても、此方の風習や慣習に迎合することは不思議ではあるまい」
余りにも板についた蓮っ葉な振る舞い、それでいて表情自体は気障ったらしく、如何にも好青年とでも言いたげな微笑みを口の端に浮かべているものだから、どうにも胡散臭く見えてしまうのも仕方なかろう。
「……それで、何用です……」
身内の面妖な振る舞いが故か、或いは他にも理由があるのか、絞り出すようにして放たれた言葉はその表情も相まって、実に苦味走ったものであった。
「素が漏れているぞ、気を付けろよ。お前にとやかく言うものは居なかろうが、言葉とは鎧だ。常に身に着けておけ、それがいざという時にお前の命を守り通すことにもなる」
それを見ているだろうに、対面の兄上とやらは気にした様子も見せずに一人コーヒーを楽しんでいる。
焦れた様子の弟を見ながら楽しげに笑っているその姿は、実にあけすけで親しみの込められた物だと云うのに。所作の、表情の、雰囲気のちぐはぐさがどうにも癪に障る人物であり。
或いは、そう相手に思わせる事もまた、彼の人の遣り口なのではないかと邪推させるような人となりでもあった。
「お前のその素直さは美徳ではあるが、それが通用するのは同じように清らかな相手に対してだけ。狡猾で醜悪な獣相手には、また別の武器を持たねば通用はしないぞ」
「……だから、私は野に下ったのだ……。兄上達が居れば、家中の事は安泰であろう……」
「ふん……つまらんな、昔は無意味にも我等に食って掛かって来ていたと云うのに」
「……己も成長したと、そういう事だ……」
暫し、互いの飲み物を啜る音だけが室内に響く。
親しみの込められた、されど交わらぬ視線。
親愛を語りながらも、されど変わらぬ表情。
異様な雰囲気に包まれた、息の詰まるような室内で。
静かに、男が二人向かい合って腰掛けていた。
「それで、何の話だったかな?」
静寂を切り裂く唐突な声は、想像通りに対面に座る胡乱な男が発した物であった。
自分で話を有耶無耶にしておいてのこの仕打ち、誰であっても怒髪天を突くだろうそれに、しかしオッペケペーは辛抱強く耐えていた。
或いはそれは単なる慣れの問題だったのかも知れないが、何れにしろ漸く話が進展したと、もろ手を上げて歓迎したかはさておき、ぶっきらぼうに話を返したオッペケペー。
「……そちらから、呼んできたのだろうが……。聞きたいのは此方の方だ……」
「ははっ、そうだったか、そうだったな」
「……そうだとも……」
割合としては慣れ、と云うより呆れの方が大きそうな反応ではあったが。
嫌気が差すとまでは行かないのだろうが、どちらにしろ、相手をするのが面倒な相手などどこにでも居るものだ。
「用件か、何簡単な話だ。頼みたい仕事があるんだが、お前は断れないだろう」
わざとらしく、音を立てて卓上へと置かれたカップ。それでいて表面には波紋一つ無いのはあからさまに過ぎて、流石のオッペケペーであっても邪推してしまいそうになる。
「……断定か、兄上にしては急いているな……。何があった……」
それは身内としての甘さから出た言葉か、それとも彼の信念によるものか。
何れにしても、その問いに対する返答はなく。また、波紋一つ無いコーヒーの様に、そこに居たはずの人影も跡形もなく消え去っていたのであった。
「……また、だんまり……か……」
暫し、耳に痛いほどの静寂がその場を支配する。
既に、湯気の一つも上がることを辞めてしまった冷めたコーヒーが。対面に残る口をつけた跡の一つも残っては居ない、一口たりとも飲まれた形跡のないコーヒーが。
二人の認識の、或いは立ち位置の差を如実に示しているように思えて、やおら向かいのカップに手を伸ばし、勢い良く一息で飲み干してみせたオッペケペー。
「……苦い、な……」
薄焦げ茶色の、ちょっとやそっとではお目にかかれぬ
清涼な、或いは爽快な喉越しの筈のそれが、ひどく重苦しく粘つくように喉に詰まって思えてならず、自らのカップにも手を伸ばし豪快に呷って噎せこんでしまう。
やっとのことで一息をつき、ソファーへと腰を落ち着け直す。
そのまま暫し、頭を抱え悩んでは見るもどだい頭の出来が違う兄弟の事、己を掌の上で踊らせることなど過日には常の如し。今更考えを巡らせた処で此方の想像の範囲には、向こうの本懐などは欠片も掠りはしないに違いなく。
況してやあのような話の切り出し仕舞い様を見るに、こちらが気付かぬうちに頼み事とやらは熟してしまっているに違いない。
気が付けば窓の外は薄赤く染まり、遠くからは鐘の音が聞こえて来ていた。
早くも一日が終わろうとしており、刻一刻と、避け得ぬ動乱の足音が迫ってきているのをただ独り、寂れた町並みを見下ろしながらオッペケペーは感じ取っていたのであった。
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