【閑話】徒然なる非日常の中で、
CASE1 ディケイの場合
現世とのしがらみから、泣く泣く
そんな俗事とは掛け離れた若年組はと言えば、こちらもこちらで一旦は落ちていた。
別に何かしなければならない事がある、と云うわけでもなく。単に次回の集合の都合上、接続地点は纏めておいた方が楽、と云う話でしかない。
その為、接続地点を記録した後は三々五々と解散の流れになり、一行の冒険譚も今は一幕の休息と相成ったのである。
闘いの場を他へと移した者、護るべき日々へと赴いた者、一切変わらぬ者も今はその背の羽根を休めるべく、各々の日常へと立ち返ったのであった。
故に、暇さえ在れば
それはディケイにとっては久方振りとなる、一人きりの時間を過ごしていた時の事であった。
相方は定期検査で出張中、兄とは元々向こうの方では互いに深くは関わらないようにしている為に縁遠く。また、一行が集っての
常日頃から欠かさぬ日課を終え、宛もない街ブラを楽しんでいたその矢先に起きた出来事であった。
「助けて下さい!」
気持ちの良い晴天の中、雑踏を貫く金切り声。
にわかに昇る怒号と悲鳴に、殺気立つ大通りの人々を尻目に、一人気儘にのんべんだらりと歩き去ろうとしたディケイであったが。
不意に、くんっ、と服の裾が風に拐われ歩みが止まる。
ふと、気紛れな風の行方を見れば、へたり込んだヒトを気遣うように顔色を窺う犬の姿が其処にあった。
ディケイが振り向いたことに気付いたのか、黒い飼い犬は首輪に繋がったリードを鬱陶しそうに鳴らしながらも懸命に言い募ってきたのである。
「助けて下さい!僕の飼い主が、飼い主が!」
キャンキャンと吠え募るその姿は余りにも必死に過ぎて、流石のディケイとしても捨て置くには些か気が咎めてしまった。正に気まぐれ、青天の霹靂としか言いようのない自身の心持に不愉快な気分に陥りながらも、一度話を聞いてしまった以上は仕方がないと言い聞かせ、事のあらましを話半分に聞き流す。
話を聞く間にも嫌気が差してはいるのだが、ヒト助け等と、と気が引けるたびに痛切な風が頬を撫でるので、仕方なしに手を貸すことにしたディケイ。
内心、嫌気に苛まれながらも頼まれたからには致し方ないと、一足跳びに人垣の上を飛び越える。まるで大道芸か何かの様なその動きに、周囲を行く人波も一瞬その動きを止めて見惚れてしまう。
にわかに歓声の上がるその最中に、脇目もふらずひた走るその影は、あまりにも分かりやすく不審者でございとその背で語るかの様な姿であった。
一目で目標を確認したディケイは飛び上がった勢いそのままに、ふわりと吹いた風の力も借りて大通りの商店の屋根へと駆け上る。未だ背を向け逃げるその姿に、追っ手に感づいた様子は無いと見て取るや否や、素早くその身を翻し衆目から隠れ潜み、そのまま感づかれない様に静かにひっそりと後を追う。
逃げ続ける影は一応は背後を気にしている様子で、幾度となく振り返っては追手が居ないかどうかを頻りに確認してはいた。何度も小道を曲がってはその都度背後を確認し、序に大通りを幾度か横切り、懸命に姿の見えぬ追っ手を撒こうと懸命な様子が垣間見えてはいたのだ。
何となればまるで悪童がばつの悪さゆえに逃げ出すようなその姿に、いじらしさすら感じたディケイは早々にとっちめるのを諦めて、のんびりと散歩の様な風情で後を追う。
その頭の中には頼まれごと等疾うに無く、既にどのようにヒト影をからかってやろうかと、そのことしか考えてはいなかったのだ。
故に、その事件が起きてしまったのは必然とも呼ぶべきことであったのだろう。
如何程の時間をそうしていたのか、何度目かの曲がり角を勢いよく曲がった影は、その先で不幸にも向かいから来たヒト影にぶつかってしまったのだ。
薄暗い路地裏、うらぶれた服装のヒト影、不注意にも程がある急いた様子。
此処まで揃えば何も起きない筈も無し。当然の如く、やれぶつかって怪我をしただの、お前から掛かって来ただのと、無意味な口論から刃傷沙汰に発展するまで、そう時間は掛からなかった。
無論、ディケイにも認識は出来ていた。やってきているヒト影も、縺れあった挙句に喉元に飛び込んで行った刃先も、すべてが認識出来てはいたのだ。
ただ、それを見やりながらも、自身が動く必要性を感じなかった、それだけの事で一切の出来事を掣肘もせずただ傍観者として眺めていたのだ。
我に返ったのは、或いは思い出したのは全ての事が終わった後、自身へと向けられた頼み事が完全に達成不可能となったそのあとの事であった。
呆然と、と言うには些か呑気な様相で、のっそりと屋根から降りて来たディケイは暫し足を止め、死体となったヒト影を意味も無く眺めていた。
茫洋とした顔つきで、ただただ死体のそばに立つ人影。実に怪しい事この上ない姿ではあったが、そんな事も気に留めずにこれからの言い訳に頭を悩ませていたのである。
不意に、路地裏の饐えた空気とは場違いな澄んだ風がディケイの鼻先を擽ってきたのは、その矢先の出来事であった。
それはまるで抗議の意を発するかの如く、執拗に、執念深く鼻先へと吹きかけられていた。
無論、その程度の事がなんだと云う者も居るであろう、しかしよく考えて欲しい。路地裏の澱んだ空気に慣れた鼻に、清涼な風を吹きかけられたら、剰えその二種類の空気を交互に嗅がせられたら、どれだけ寛容な、或いは鈍感な者であっても不快感を隠せやしないだろう。
それはディケイとて同様であった。
確かにその身は只人を凌駕する
不快であることに対してそれを我慢するという事を、表に出さぬという事を、彼が選択することはそう多くはない。
「分かった、分かったからそのくらいで止めてくれよ。今度はちゃんと話も聞くから」
度重なる抗議に対して早々に音を上げたディケイ。腰を落ち着け、今度こそはと話を聞く姿勢を取る。
そんなディケイに対しても生温い風が吹いてはいるが、気にも留めぬその姿に、或いは相手が何を気にしているのかが理解できていないその様子に、努力を放棄した様に一度喉元に、びょうと強く吹き付けた後には穏やかな風が耳元を擽るのみ。
「あぁ、成程ね。そうか、そっちだったのか。ごめんごめん、早とちりしていたよ」
「うん、大丈夫。今度はちゃんと聞いて理解もしたよ。すぐ済ませるから、さっきの場所で待っててもらってて」
話が済んだかと思えば、直ぐに立ち上がり路地裏へと足先を向ける。
その姿には背後の諸々に対する執着などは欠片も見えず、自身が足蹴にしていた、少し前までは愛らしくも見ていた死体となったヒト影への関心など、疾うに忘れ去ったかの様。
実際既にディケイの頭の中には、先ほどまでいじらしく掌の中で踊っていたヒト影の事など残ってはいない。あるのは如何にして次の玩具で楽しむのかと、その後に手に入る
明るい曲調の鼻歌を歌いながら、暗い路地裏へと消えていく後ろ姿。
独り捨て置かれた死体の両目だけが、酷く恨めし気にその姿を追っているような、そんな茹だる様な夏の或る日の出来事であった。
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