常に複数の手段を持て、データの保存には特に気を遣え

 その瞬間、一行の目の色が変わった。


 手にした剣を放り捨て、新たに魔剣を引き出したソワラ。

 幅広の刀身には波打つような文様が刻まれ、鰐の顎を模った大ぶりの鍔で飾っている。

 彼の持つ数少ない逸話持ち兵装ネームド・ウェポン、その一振り。


 銘を『禍つ水妖ナハング』と称するこの剣は、極めて単純で強力な神秘スキルを併せ持っている。

 とは言えだ、当たらなければ幾ら強力な兵器であっても意味はなく、そしてここまで痛手を負わせ続けてきたソワラを、虹霓竜が警戒しない理由も無い。


 現状では打率三割と云ったところか、今もまた振り下ろされた魔剣の切っ先は空を裂き、虹霓竜の身体に触れもしなかった。


 そう、触れなかったのだ。

 

 而して、虹霓竜の身体には剣閃が突き立って居たのである。


 これこそ『禍つ水妖』の真骨頂、不可視の斬撃を放つ『噛み砕くナハング』の神秘。

 逃れることを赦さぬ、テムサーフの力の具現の一端。


 そして、不可視の剣閃が肉を裂くと同時、虹霓竜の身体を捕らえるように、何処からともなく水が湧き出し渦を巻く。

 デスロールとも言われる鰐の知恵、獲物を確実に捕らえ仕留める為の技法。

 それを再現した神秘の力『引き摺り込むデスロール』。


 何れも生物を相手に特に効果的ではあるが、概念としてこの魔剣は蛇に、に特効を持つ。


 正にこの場面において、お誂え向きな代物だと云えよう。


 先程までの苦戦が何だったのかと言いたくなる位に、いとも容易く鱗を割り裂き手傷を残す『禍つ水妖』。

 これなら始めから使っておけば、等という話も出てくるやも知れないが、ここまでひた隠しにしてきたから、この場面で刺さっているのだ。いずれも劣らぬ強力な神秘、ここぞと云う場面で当てにしたいが、乱用しては効果も落ちる。

 況して相手は竜種の一柱、一行は知らぬ事だが加えて神格も保持していた程の怪物。いくら神話に端を発する魔剣と云えども、そうそう簡単に通じはしない。


 尤も『禍つ水妖』にとってみれば、嘗ての担い手と共に首を落とした魔竜の係累とも言える相手、奮い立つことすらあれど意気消沈して萎える等と云うことは無いだろうが。


 先刻、自身の身を縛り付けていた『爛れ竜擬きドレイク・ゾンビ』を思い出したか、執拗に自身を縛る水の鎖へと牙を突き立てる虹霓竜であったが、先の焼き増しとはいかない様子。


 霊の集合体であっても実体を持ってはいた『爛れ竜擬き』に対し、コチラの鎖は神秘によって形作られた無形の代物。あくまでも概念としての拘束が、目に見える形をとっただけの物である以上は、いくら力を振るおうとも、物理では抵抗することすら叶いはしない。

 無論、神秘力の塊たる竜種であれば、ただの腕の一振りにも神秘による破壊が込められてはいるが、ここでも霊素エーテル欠乏が足を引っ張っていた。


 本来であれば、身の守りから外敵の排除にまで、獅子奮迅の活躍を見せるのが神秘の、霊素の役割。それが枯渇しかかっているのだから、当然の如く機能不全に陥っているのである。


 今まで経験したことの無い不調。

 容易くあしらえる筈のそれに対し、こうも後手に回っている現状。


 ストレスの溜まる展開に対し、取り得る手段は二つに一つ。


 耐えて忍ぶか、ブチ切れて辺り構わず薙ぎ払うか。


 一行は目的と知識、そして経験から前者を選択できた。


 而して、虹霓竜には後者しか選択肢は残されてはいなかったのだ。



 不本意にも縮小させられていた身体を無理にでも引き延ばし、この次の攻撃に備え今や底が見え始めた霊素をかき集める。

 虹霓竜の全身が、その名の通りに輝きを放つ。それはまるで燃え尽きる寸前の蝋燭の灯の様に、激しく揺らめき明滅しながらも、次第に強く、強く輝く。


 如何にもこれから大技を放つ、と云わんばかりのその様相に、各々防御の為の位置取りを選ぶ。

 強い輝きに目も眩み、周囲が真白く漂白されていく、その刹那。


 ずぶり、と鱗の上から鉄剣の刃が根元まで深々と突き刺さる。時間と共に漏出した神秘によって、守りの力が剥がれ落ちたその瞬間を狙った凶行。


 況して狙われたのは喉元、今しも『竜の息吹ブレス』を吐き出さんとしたその瞬間の出来事に、汲み上げた霊素もその大部分が霧散する。


 大技の強制停止、それすらも初めての経験だったか浮足立った様子を隠しも出来ず、てんで出鱈目な方向へと『竜の息吹』が照射される。

 集束も甘いそれでは、如何に正面から当てようとも痛手を与えることも難しいだろうに、その射線の先には人っ子一人居やしない。


 強引に虹霓竜の首を反らしたラルヴァンが、更なる追撃と突き刺した剣を捻るように抉り出す。


「            」


 その瞬間、これまでに無かった程の衝撃が一行を襲う。

 音が空気の振動であることは誰もが知っている。では、神秘に包まれた竜種が放つ咆哮は、何を振るわせ伝わるのであろうか。


 少なくとも、尋常な物でない事だけは理解できる。

 鍛え上げられた一行の面々すらも、瞬間、身動ぎ一つ出来ずに立ち竦む。


 魂の底から揺さぶられる様な悲痛な鳴き声、上位存在として恣に振舞ってきた『愛悦を聾する蜺の珠エインガナ・オルク』をして此処までの狼藉、経験どころか耳にしたことすらない程。


 身悶える、等と云う次元ですらない。あまりの痛みと不快感に、全霊で以って身を捩る虹霓竜。さしもの一行もこれには手を出す余裕も無く、身も蓋も無く荒れ狂う虹霓竜からは距離を置き、各々得物を構え暴れ疲れたその隙を狙う。


 しかし、その余裕が悪かったのか、それとも虹霓竜の命運はいまだ尽きてはいなかったのか。大暴れを繰り返すうちに、虹霓竜へと突き立っていた魔弓の矢が剥がれ落ちた。


 身震いを一つ。

 空間が、轟っ、と音を立てたかと錯覚する程明確に揺れる。


 これまで封じられてきた不死性が、即ち神格が目覚める。

 色鮮やかな鱗は最早人の眼には映らぬほどの極彩色に耀き出し、見る間にその巨躯に霊素が漲る。

 無論、いくら不死性が戻ったからと言って、早々直ぐには影響は出ない。否、影響が出る段階は、疾うに過ぎ去ったと言うべきか。

 剥奪されたとはいえ、神格へと接続された不死性だ。本来であれば容易く封じられるような代物では無いのだが、此処は魔弓の方が一枚上手であったという事だろう。


 何れにしろ、彼の虹霓竜が本性を顕わにしたその際に、神格との共鳴によって幾つかの事象が起きる筈であったのだ。

 事に寄ればその余波だけでも、一行をもう一度死に至らしめる事すら出来たやも知れぬ程のそれも、すべては万全の状態であればの話。

 今さらとまでは言わないが、それでも時を逸した感は正直な所否めないだろう。


 とは言えだ、不死性の復活と共に再生能力も舞い戻ってきている。海や生命を嘗ては司っていた神格の持つ再生能力、当然の如く木っ端なそれとは比較にならぬ代物だ。


 立ちどころに癒えて行く傷跡を見て取った一行は、此処が正念場と覚悟を決めて、全霊を傾けて攻勢に出る。


 他方、虹霓竜の方すらも、今さら守勢に回る気にはならない。

 此処まで虹霓竜の視点では、一方的にしてやられていたのだ。最早容赦の一切は無いと、一刻も早く眼前の敵を叩き潰さんと息を巻く。


 両者一歩も譲らず、どちらが先に相手を潰すか。最後の攻勢と決めて遮二無二掛かって攻め立てる。


 持ち前のスタミナで一切の容赦なく擂り潰しに掛かった虹霓竜だが、此処で竜種としての特性が脚を引っ張った。

 持ち前の基礎能力スペックによる暴力こそが至上の竜種。とりわけ身体能力フィジカルを優先するきらいがあり、反比例するように頭脳ステータス、とりわけ呪文の類いには疎いのが彼ら竜種である。

 その御多分に漏れず、虹霓竜も身体能力偏重のきらいがある。無論それが悪い事ではない。技能スキルを絡めた攻撃は、とりわけ基礎能力が重要でありその他の要素は二の次三の次、身一つで出せる状況突破火力こそが真骨頂なのだ。


 とは言え、欠点が無いわけでは無い。


 呪文のように事前の準備やリソース消費枠などが存在しない分、再使用までの時間的制約が重いのが技能を絡めた攻撃の欠点であり。単発火力には秀でるが、継戦能力に劣るのもまた、欠点の一つと言えるだろう。


 そして、ここまでにさんざっぱら一行を攻め立てていた虹霓竜に、これ以上の技能の引き出しは無く、これ以上の火力を出すためには今暫くのインターバルが必要となる。


 ここが技能と呪文の最大の違い。

 再使用時間という制約のみが酷く重い技能に対し、各種リソースの用意や管理が必要な分連発が効くのが呪文の強み。



 ここに来て、戦況の天秤が一方に大きく傾き始める。



 漸くの神格の復活を経た虹霓竜だが、これ以上の伸びしろは望むべくも無いのに対し、一行の方は疲労困憊ながらも未だにリソースは潤沢である。


 無論、今使える呪文枠は枯渇しかかっているのは事実ではある。しかし、それはあくまで今使える分の話、未だ枠の数だけで言えば潤沢に残ってはいるのだ。

 さらに言えば此処まで技能を使用しての攻撃を行ったのはラルヴァンのみ、未だ攻撃面での切り札を各自抱え込んでいるのが現状であり、また、クリフが此処まで守り通した結果、各自の抱える手札はまだまだ潤沢にある。


 一つのリソースから為る大出力を誇っていた虹霓竜と、複数のリソース源から為る継戦能力が強みの一行。

 少なくとも、現状での推移を見る限りにおいては一行が優位に立っていると言えるだろう。



 それを見て取ったか、今までは手控えていたアルケすらも攻撃の方に回り始めた。呪文による攻撃の他、普段は用いぬ投石器スリングを使用した攻撃すらも行っての全面攻勢。


 尤も、投器といった所で投げるのは石では無いのだが。

 

 特注の退魔の銀弾に始まり、呪文を込めた炸裂弾や徹甲弾、果ては逸話持ち兵装ネームド・ウェポンの弾頭まで、より取り見取りと雨霰の如く投げつけている。


 一層苛烈になった攻勢に応じるかのように虹霓竜も圧を強めるが、それにはクリフが立ちふさがる。

 今まで以上に獅子奮迅の動きで以って、その身を挺して一行の面々を守り通す。此処をしのぎ切れれば余力差で一行が押し切れるのだ、これまで以上の勢いで嵩む負傷に弱音も見せずに盾を掲げる。


 それに対しアルケからは呪文では無く霊薬ポージョンでの返礼が返る。極限まで攻勢に出ながらも、最低限は盾役タンクへの支援を欠かさぬ辺りは支援役としての意識は一欠けらでも残ってはいた様子。

 

 そうまでしても、損害比率ダメージレースでは一進一退と云ったところか。


 尤も、双方攻勢に全力を傾けている以上はどちらが先に相手のリソースを削りきれるかの競争であり、実質的には、極限まで自身のリソースの消耗を許容できるかの勝負であるのは自明の事ではあるのだが。


 何れにしろ、最早止まれる段階は疾うに過ぎている以上、どちらが先に殴り抜けるか。

 意地と意地のぶつかり合い。決着の時は幾許も無く訪れる事だろう。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る