処理が嵩むと時間が止まる


 その瞬間からの戦場の動きは、実に筆舌に尽くしがたい物であった。



 半身を食い千切られたアルケ、負傷から回復したばかりのクリフ。

 両者は動かず、或いは動けずといった所か。



 近接どころか戦闘方面に向いた職能クラスを一つも嗜んですらいないアルケに、圧倒的格上の攻撃を避けろなど、無理難題にも程がある。


 他方クリフはと云えば、コチラは完全に報連相のミスだろう。


 基本的に回復系統の呪文を受けた者は、一瞬身動きが鈍るようになっている。基本的な仕様であり、過去にはこの仕様を悪用して黄昏領域ロストベルトの主を討伐しようと目論んだ輩も居るほどだ。


 その時の為の二枚盾編成であったり、或いは一部の技能スキルによる強制防御があったりする程度には広く世間に浸透しており、また、それを隙と捉える者も大勢いることに他ならない。

 今回の事も、しっかりとクリフが技能の冷却期間クールタイムを申告していれば防げただけの事態ではある。


 尤も、この空間の中で、緻密な意思疎通を取ることは極めて難しいと言わざるを得ない以上、今回の件はある種の必然であったとも言えよう。



 そして、今回は近接戦闘に終始している二人。コチラはコチラで手出し厳禁であったとも言える。



 何せクリフの攻撃変更能力ヘイト・コントロールが普段の半分以下に落ちている現状、無用な手出しを行って連鎖的に被害を拡大させることだけは、何としても防がねばならない。

 付け加えるなら、双方攻撃偏重の成長方針ビルドを組んでいる為に、こういった場で出せる手札に乏しいと云う側面もあるし、此処で防ごうと思ったら、それこそ敵愾心ヘイトが自身に向く程の火力を叩き出す必要があり、延いてはこの先の作戦遂行にも支障を来す恐れがある。


 故に、二人も身動きの取り様が無かったとも言える。



 では、虹霓竜こと『愛悦を聾する蜺の珠エインガナ・オルク』の動きはどうだったのかと言うならば、これも良手であったとは言い難いだろう。


 

 確かに、回復役から落とすことは定石ではある。しかしだ、それはあくまで一般論に基づいた考え方の話。言っては何だがこの位階ステージに居る者に、そこらの一般論は通用しない。

 一撃で首を落とせたのは上首尾と言えるが、それなら始めから守りの要のクリフに向けるか、攻めの起点のソワラの首を落とした方が幾分かは有利になったであろう。


 無論これも一般論や結果論の類いでしかなく、実際にどうなっていたかは実行しなければ判らぬ事だ。

 その上で一つ、付け加える事があるとするならば。



 第十階悌踏破者ヌルは、、という事だろうか。

 


 少々無理目に伸ばされた虹霓竜のそっ頸に、ひたり、と冷たい手が添えられる。

 それは、ただ生肉を捏ね繰り回して人の手の形に整えただけの様な、余りにも無機質で冷たい、人として大事な物を取り溢したかの様な、そんな感覚を与えるような掌であった。


 首元とはいえ虹霓竜にとっては急所とはならぬ、されど余りに不愉快なその感覚に、背筋を粟立たせ身震いと共に跳ね除けようとした、その瞬間。

 虹霓竜の脳髄に、冷たく突き刺すような思念が混ざり込む。


 ──逃げないで下さい漸く捕まえたんです。もう少しボクと遊んでいましょう──


 事ここに至って漸く事態の不味さに気付いた虹霓竜、咄嗟に噛み砕いた頭は何だったのか、冷たい肉の味に苦味が走る。


 人を喰らった経験には乏しいが、それでもが異常な事は理解できる。


 本能と理性が共に警鐘をかき鳴らすも時既に遅し、或いは、怖気を感じたその瞬間に、脱兎の如くその身を翻していれば逃れられたやも知れぬ。

 

 無論、そんなものは只の結果論だ。



 事実は余りに恐ろしく、語る口も震えるだろう。



 アルケの頸から噴き出したのは、怖気走る程どす黒い、タールの様な粘液の奔流。

 虹霓竜の口許から零れ落ちる肉は、斑に黒ずんだ紫の色味。


 立ち所にあたり一面に充満する腐敗臭。目鼻が潰れる程の悪臭に加え、陰気さ漂う薄霧すらもが立ち込める。

 どろりと腐り落ちた肉片が、蠢き連なり一つの象を紡ぎだす。


 それは、邪教の儀式もかくやと云わんばかりの冒涜的な代物。

 忌々しい羽虫の群れ、腐汁滴る肉の塊、薄ら寒い程に生白い骨、悍ましいにも程があるその姿。

 腐れ竜とでも呼べば良いのか、余りにも悼ましいその様相に、さしもの虹霓竜も鼻白む。


 人間の考え得る中で、最も忌まわしき物の塊であるに絡め取られた虹霓竜、身悶え手足を振り乱して脱出を試みるもそれは底なし沼か何かの様に、際限なくその身を沈めようと目論むかの如く纏わり付いて離さない。


 幻覚の類いであればまだ救いもあっただろうに、嘆かわしいかなこれは現実の物である。


 無論、アルケの本性がこんなので在った等という訳ではない。


 羽虫と腐肉と白骨の塊から為るそれは、位階にして七に達する相応の怪物『爛れ竜擬きドレイク・ゾンビ』。

 死したドレイク種が彷徨う霊体を引き寄せ集め、雑多な霊魂の集合体として再誕を果たした生ける屍そのものである。


 そんな物がなぜアルケの身体から這い出して来たかと言えば、それには幾らか複雑な要素が絡み合っているのだが。

 一つ、言える事が有るとするならば、半魔人種インヴォルに通常の生命の概念は存在しない、と云う事だろうか。


 唐突に飛び出てきたが故に虹霓竜も遅れを取ったが、普段ならば不意打ちなど成立しない程には位階の差が存在する。

 故に、呆気なく『爛れ竜擬き』がその身を引き裂かれ、千々に吹き散らされたのも致し方の無いこと。

 元よりたかがドレイク如きが、真なる竜種に対して太刀打ちできる筈もなく、虹霓竜が我に返るまでのその数秒間を稼ぎ出せただけ上出来と言えるだろう。


 拍に数えてもそう多くは無い一時に、而して今のこの場の面々であれば、値千金の価値を付ける事請け合いのその瞬間、事態は大きく動き出す。


 はて、始めに動いたのは誰であったのか。


 吹き散らされた『爛れ竜擬き』の肉片に紛れての急接近を果たしたソワラか、いかなる裏技かいつの間にやら完全復活を果たしていたアルケか、はたまた馬手に古びた鉄剣を弓手にはくすんだ青銅の剣を携えたラルヴァンか。


 何れにしても虹霓竜はその瞬間、確かに遅れを取っていたのだ。


 その隙を逃さずされど欲に駆られることもなく、擦り抜けざまの一撃にて事を終えたソワラが場を空けると、間髪入れずに二刀を構えたラルヴァンが飛び込んでくる。


 構えた二刀は伊達ぶりか、無論そんな訳はない。


 古めかしい拵えの二振り目、鍔に刻まれた家紋は角の生えた獣の物か。この時代に青銅器など余程の謂れが無い限り、それこそ伊達や酔狂の類いとしか見られぬであろうが。


 天を目掛け掲げられた青銅の剣、鋭く振り下ろされたその一撃は、過つこと無く無防備な虹霓竜の肉の上を滑り抜ける。

 この場で振るわれるのだ、何の神秘も籠らぬただの剣の筈も無い。

 切っ先が触れた瞬間に、虹霓竜の動きが鈍る。鈍化や麻痺といった低級の状態異常が亜神領海エルフに効く訳もなし。なれば如何なる理由かと言えば、実のところは単純なモノでしかない。


 能力値の低下に対しては、それが実数であれ割合であれ、何れにしても大体の者が耐性を持っているのが現実だ。

 しかしに対しては、耐性を備えている者などそうは居ない。


 であれば絡繰りは簡単だ、単に相手の耐え得る限度を超えた能力値を与えれば良い。


 本来であれば基礎能力値スペックとは、益となるだけのものでしか無い。而して幾つかの例外もあり、もそれらの裏技を用いたものの一つと言えるだろう。


 一過性の大幅な強化を受けた場合、その上昇量と効果時間によっては対象の身体に悪影響として現れることがある。

 今回の場合で言うなれば、一時的な耐久上昇効果を発動させて強制的に、と云うことになる。他にも筋力上昇による筋断裂や、敏捷上昇による動作不良からの交通事故等、肉体ステータスへの過剰な補正効果バフはある種の御法度にすらなっている。

 頭脳、精神ステータスに関してはこれらの悪影響がない辺り、悪意の込められた仕様とも思えるが、無理な肉体改造は容易に本人の体調を崩すことを鑑みれば、忠実に現実に即した結果であるとも言えなくも無い。


 とは言え、斬り付けただけで悪影響を引き起こせるほど一時的補正を積み込める剣など、そうそう転がっているような代物ではない。

 悪用しようと思えば幾らでも悪用が効く性能だ、魔剣の類いとして見ても、効果の方向性も効果量もそのどちらもが常軌を逸した段階にある。


 ラルヴァンが普段使いには用いらないのもむべなるかな、こんなものを四六時中ぶら下げていては、それこそ官憲のお世話になる事請け合いであろう。


 とは言えこんな物、あくまでも副兵装サブ・ウェポンとしての要しか為さぬ。

 弓手の一振りに対し、馬手の鉄剣が主兵装メイン・ウェポン。古臭い拵えながらこれ迄何度となく持ち主と共に死地を乗り越えてきた、正に歴戦の勇である。


 ひらりひらりと、幾度も剣閃が翻る。


 守りを捨てた四連撃。鎧兜の類いをすり抜ける『貫通撃ピアッシング』に始まり、継続的な出血を強いる『抉り切りカッティング』、次に受けるダメージを増幅させる『痛恨撃クリティカルアタック』、そして付与された弱体効果に応じた威力上昇効果を持つ『暗殺撃アサシネイト』。


 どれも効果の程が単純で捻りもない物ばかり、然りとてそれが剣聖の手に依って振るわれれば、十二分な効果を発揮する。

 とは言え今回は巡り合わせが悪かったか、一時的に上昇した耐久値に依って与えたダメージはそう多くはないのだが。


 尤も今の虹霓竜に、攻撃に対して即座に反応するだけの余裕は無い。


 雑多な霊魂の集合体である『爛れ竜擬き』、アンデッド系種族の御多分に洩れず死んでからも生命力に旺盛である彼らは、幾つかの『命の予備ストック』を持っていることが最大の特徴であり、アルケとの共通項の一つでもある。


 格上相手でも一撃だけでは死にはしないのが『雑多霊体レギオン』種の十八番。今もまた、虹霓竜の身体を締め上げては、その身の一振りで打ち払われている。

 何にせよ、しぶとく付き纏う『爛れ竜擬き』が居る限りは、さしもの虹霓竜も一行だけを注視し続ける訳にもいかず、その分だけ前衛組が水を得た魚の様に今までの鬱憤を晴らすべく、あらん限りに暴れまわっていた。


 無論、虹霓竜とてされるがままの訳は無い。遮二無二その身をくねらせて、如何にも鬱陶しい擬きを払わんと暴れてはいるが、此処で輝くのがクリフである。

 

 幾ら命の予備があるとは云えど、高々第七階梯ズィーベン程度、二度三度の復活が関の山といった所だろう。

 攻撃に回れぬ以上はその他の行動で敵意を稼がねばならないが、さりとて積極的な攻撃が行えない以上は打てる手立ては余りに少ない。

 本来であればここで呪文を大々的に行使して、如何にも止めねばならぬ、といった空気感を演出するのがいつものやり方であるのだが、事この場においては取れぬ手法。


 致し方なく味方へと向かう攻撃を防ぎ、どうにか厄介者としての地位を築いてはいるが、それもこの先通りはしないあやふやすぎる博打の様な物ではある。

 それに対してこの擬き、一召喚物ということでたとえ落ちても作戦上の問題は無い。その上で、もう一度くらいなら攻撃を素通ししても構わないとくれば、外れの目の無いルーレットの様な物。


 『爛れ竜擬き』を狙おうとすれば、すかさず横からクリフが守り、一転クリフの方を先に狙えば擬きが暴れて狙いが逸れる。


 どちらを先に狙おうとも、上手い具合に互いが邪魔をしに入ってくると、これまで一行を苦境に立たせた虹霓竜の攻撃が、ここにきて急激にその圧を減じた。


 未だに尽きぬ虹霓竜のその生命力。而して戦況は少しずつでも、一行の側に傾いているのであった。





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