セーブポイント前は事前準備を忘れずに
なんやかんやと既に日は高く登り、昼時近くを時計の針が指し示す頃。刻々と削れていく時間にさしもの一行も気が焦れてきたその時に、漸くの合図が一行の元に届けられた。
「ストップ、そろそろ塒が近い。今の内に準備を整えて、一気に突撃しよう」
待ちに待ったその一報に、而していきり立つ様な無様は見せず、より一層息を潜めるようにして小声で呪文を掛け合っている。
肉体ステータス全般を向上させる『
そこに加えて、クリフに向けては防御面を強化する各種呪文に重量、体幹強化も付いているし、ラルヴァンには武器強化の呪文や動作の速度向上の効果も付いている。
呪文が使えなくなる予定の後衛組に関しては、双子の方は前衛顔負けの呪文による武器戦闘強化の効果が遠近と異なるが付与されていて、
これで、今掛けられる呪文だけでしか無いのだから、相手にしては堪ったものでは無いだろう。事前準備の段階で、此処まで殺意全開で振り切ることなどそうは無い。
とはいえ、そもそも相手からして規模の違いはあるとは言えども、神々から手の付けようが無いと判断され隔離されたような代物だ。
両者のどちらが大人気ないか、形振り構っていられないのはどちらの方かと尋ねられたら、多くの者が悩み抜くことであろう。
尤も、今の彼らに同じ様な質問をしたのなら返ってくる答えは一つだろうが。
「……今使える呪文は殆ど使い切ったぞ……」
「後は気合でどうにか、って所かね。戦闘中に呪文が使えないのは全く持って面倒だな」
「相手のフィールドで戦うのデス。少々の不利は仕方がありまセン」
結局の所、今の彼らが
故にこそ、多少の小狡さや大人気なさなど意にも介さず、虎視眈々と
するりするりと音もなく、木々の間を移動していたディケイからさらなる一報が一同へと伝えられた。
「向こうは休んでいるのかな?ピクリとも動かないよ。ついでにさっき闘った『
「それは動いちゃいけないヤツだろ、こう、色んな意味で」
「何れにせよ、一番警戒していたパターンでは無いようデス。これなら最悪の場合でもどうにかなるカト」
会話の合間にも静かに移動を続けている一行。先よりもなお慎重に、ジリジリと細心の注意をはらいながら進んでいく。
そうして遂には藪を挟んだ向こう側に、今回の
それは音のない空間であるにも関わらず、その豪快な寝息が今にも聞こえてくるような、それほどの存在感を発する程の巨大な怪物であった。
人など丸呑みに出来そうな程に巨大な『翼喰らう獅子』がまるで子猫にも思えるほどに、その怪物の巨大さは常軌を逸していたのだ。
とぐろを巻くその胴部は端から端を視界の内に捉えることが出来ないほどに長く、大きく開かれた口から覗く牙は小ぶりに見えてその実、成人男性の背丈を超えるほどの大きさがある。
その身に纏う大小様々な鱗は蒼く透き通って、まるで海をそのまま大蛇の形に誂えたかの様にも見える。
比喩に非ず、そのまま山海の如き威容を誇るその怪物こそが、今回の討伐目標たる『
それは
愚鈍に思える程に反応もなく眠りこける山の如き大蛇。それもその筈、これ程の怪物に楯突こうなどと考える愚か者がいる筈もなく。
或いは単に、傷を付けられる様な存在がこれまでに居やしなかった事もあるだろうか。
何れにしても、定命の軛から解き放たれた亜神、半神の類いにあたるのが
もとより常識で測れるようなものですらなく、況してや
尤も、その威容も寓話もここで終わりにするために、彼らは剣を、杖を構えているのだ。
既に互いの声も、衣擦れの音も聞こえない。
耳に痛いほどの静寂、等と時には云うが、実の所内耳の血管や筋肉の発する微細な音などが常に響いているのが人体だ。或いは時に気圧差や湿気、温度の変化なども耳鳴りとして認知している事もある。
もしも、世界からすべての音が消えたとしたら、その静けさに耳は痛みを発するのだろうか?
そんなモノ当人にしか分かり様は無いのだが、それでもここで言えることが一つあるとするならば、それは簡単な事実だろう事、即ち。
人間の認識は、視覚が五割、聴覚が四割を占めているという事だ。
初動は想定通りに進んでいた。此方を認識すらしていない怪物に、爽やかな目覚めをプレゼントするため、段階を踏んだ攻撃が執り行われる。
始めに動いたのはアルケ。神に届かぬ祈りでは無く、確実に届くディケイとの
それらの支援を受け取ったディケイが、静かに矢を引き絞る。狙うのは急所ではなく全く以って無関係な、太い胴部の其の一か所。
如何な強弓であろうと貫けぬようなその鱗目掛け一直線に飛び込んだ矢は、不思議なことに鱗に弾かれるでも貫くでもなく、吸い付くようにして鱗の表面に直立している。
それは
そもそもの話、何故に彼は封印されたのか。そも、そう在れかしと願われたなら、乞われたのなら世界とてこうも拒絶はしない。
であれば、このようにして世界から否定され、消滅を望まれる彼は何者なのか。
位階の高さが故なのか、元から素養があったのか、或いは理由など、理屈など何処にも在りはしないのかもしれない。
何れにしろ、願われ乞われた在り方を、酷く逸脱したその成れの果てがこの姿。
歴史書にしか登場しない、嘗て有った国生みの女神であったこと等、最早誰も知りはしない。
国を、世界を救うため。その身を挺した女神の献身に、対価として与えられた永劫の呪縛。
尤も、不可逆の異変により崇め奉られる
国生みの神話には付き物の属性が一つある。
多くの者が常識として踏まえているその概念、当然の如く口に乗せるその形容詞。
かの神が嘗て司っていた概念であり、
即ち、『母なる海』という創造の土台となる福音であり、今は最早、古きを一新する為の単純な
かの大蛇がその身に纏うのは、海の如き紺碧の鱗。それは色味の事だけを表している訳ではなく、文字通りにその鱗の一つ一つが大海よりしわぶきたつ波そのもの。
かの怪物がこれ迄討滅されなかったのは、単純に海を滅ぼせる者が居なかったからに他ならず。
それが一行へと託されたのは彼等であれば、文字通りの大海を相手に回すこと無く、海の如き大蛇を相手どることが出来るからに他ならない。
輝く鱗へとその矢が突き立てられたと同時、大蛇の身体へと密かな変化が起こり出す。
未だ夢の園にその身を横たえている大蛇には気付けぬが、既にその身体は鮮やかな色を喪いくすんだ青へと変わっている。
これこそが一行の持ち出した切り札の力、
資格無き者は見る事すらも能わない、
『
それが司るのは慈悲と怒り。正しき者には安寧を、悪しき者には神罰を。
即ち、迅速なる死を齎す魔弓である。
尤もここまでの位階、
無論、その最低ラインが満たせずに居たからこそ、この怪物は此処まで生き延びてきたのでもあるが。
さりとて不死性のみを以てして、彼の怪物は猛威を振るっているわけでは無い。
不死性の剥奪を確認したラルヴァンが踏み込む動作ももどかしいとばかりに、眼前の距離を殺して一息に接敵すると同時、目にも止まらぬ連撃を放つ。
空を斬るための唐竹割りから始まり、切り上げからの体を回した横一閃の右薙、刺突左切り上げ袈裟斬りetc.etc.……息もつかせぬ連撃は、都合十度にも上る程。
そこまでの剣戟を以てしても、与えた手傷は鱗一枚。これまで一行を利してきた位階の差が、如実に眼前の怪物の常識外れっぷりを物語る。
位階の差はそのまま立場の差、視座の差となる。より高い次元で物を見る者に対して、目先の物しか見る事の出来ぬ愚者が抗うなど、正しく愚の骨頂。一つ違うだけでもその差は歴然であると云うのに、二つも位階が異なるなどその差は正に絶望的とまで言える。
無理にでも希望を見出すのであれば、剥奪された不死性の中に再生能力が混じっていた点か。これで目に見えて傷が治りでもしたら、さしもの一行でも撤退の二文字が脳裏にチラついたことだろう。
尤もこの場合、他の厄介な能力が封じられているかどうかが、不安要素の一つではあるが。
どちらにしろここまで来たら後には引けぬと、怒涛の連撃に息を吐くラルヴァンの横から飛び出たのはソワラ。基本的には呪文の詠唱を必要としない、
呪文により強化、拡張された業物の鉄剣が、鍔深くまで生身の肉に突き刺さる。その手ごたえはまるで岩を貫くが如く、折れる事無く貫き通した鉄剣を褒めるか、曲げる事無く突き通したソワラを褒めるべきか、はたまた彼ほどの使い手相手に刺突の一撃が精一杯と思わしめた大蛇を褒めるべきか。
何れにしろ、針の一刺しに過ぎぬとは言えど、流れた血は確かな赤色。
微睡から目覚めた大蛇が鎌首を擡げ、やおら一行を見下ろしていた。
距離の違いがある。斬りつけた二人など自身の胴に隠れて見えもしないだろうし、その他の一同に関しても、こうも縮尺が違えばいくら上位存在と云えどもその眼には直接は映らないだろう。
一般論ではどうとでも言える。所詮は世迷言の類い、普遍的な事象のみを加味した無味無臭の戯言。事実は小説よりも奇なり、とも言うように現実は想像よりも遥かに奇天烈になる時がある。
故に、その時一行がその心魂を射竦められたのは、間違いない事なのであろう。
ただの一瞥。目が合った、と認識してしまったその瞬間に、意識を視線に向けていた一同は揃って『
尤もこの呪文は自動発動、かけられた対象のHPが0になる時、その効果やダメージを無効化する、という物だ。
詰まる所これが発動したという事は、そのままでは死んでいた、という事に他ならない。
ついでに云えば、一行は事前に『
その守りを貫いて見せた辺り、流石
そこまでの交錯を経て、時間にして数秒にも満たないその果てに、漸く一行が敵手たることを認識したように、眼前の怪物が覚醒する。
その咆哮は天にも届いたのであろうか。音の響かぬ、空気の振るわぬこの領域内で、それでも一行が足に力を入れねば吹き飛ばされそうになるほどに、大蛇の上げた咆哮は世界の枠組みを震わせて見せたのである。
完全に一行を敵と見做した『
その威容、巨大さ、神秘、そして疵。どれをとっても尋常ならざる大怪物が、遂に一行へと牙を剥いたのであった。
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