単純なデータはミスを起こしにくいから重宝される


 偵察がてらか、或いは悪ふざけの産物か。大きすぎる隙を晒したソワラに釣られる形となって引き摺り出されたその怪物は、実に奇妙な見た目をしていた。


 竜の如き鱗を生やし、二対の鷹の様な翼を持ち、雄獅子の頭と大蛇の尾を持つその怪物は、切り落とされた脚を庇うように、高度を落として一行へと相対する。


 ──あれは『翼喰らう獅子モルブドゥス』。位階ステージは九。特徴は竜種の物とも混同される頑強極まる鱗と二対の翼による高い空戦格闘能力。身体能力フィジカルゴリ押しの典型的な脳筋型バニラ──


 不意に一行の面々の視界の隅へと躍り出る文字列は、アルケが事前に唱えていた呪文の効果に依るものだ。

 音を出さずに意思を伝えることのできるこの呪文、利点は様々にあるが勿論欠点も満載である。最たるものは、呪文の効果中術者が声を出せないという点か、或いはあくまでも一方通行の通信に限られるという点か。


 また、これらの効果が継続して発生する呪文の多くは『集中呪文』と呼ばれる分類に当たり、効果中に他の集中呪文を使えないという、割合戦略への縛りが重い部類でもある。


 尤も、彼ら程ともなれば、その程度は大した問題にも成りはしないのだが。


 『翼喰らう獅子』が力強い羽搏きと共に、一行へと向けて頭から突っ込んでくる。本来であれば、体で感じるほどの風圧が叩きつけられるであろうそれすらも、溜息ほどにも枝葉を揺らすことも無い。


 それは一種異様な光景なれど、その巨体に秘められた力は、速度と重さによって弾き出された本来の破壊力は人など簡単に吹き飛ばせる程の代物だ。


 無論、それだけの質量を備えた物体が高速で移動しようとしたならば、当然起こるはずの物理反応が衝撃波である。本来はそれ込みでの高い殺傷能力と、巻き込み対象の多さが売りの突撃攻撃ではあったのだが、今回ばかりは相手ではなく戦った舞台が悪かった。


 音や振動の類のみならず、に関するほぼ全ての物理現象を遮断するのが、この領域へと封印された存在の持つ固有技能とでも言うべき代物。

 様々な面で人類の大敵たり得る存在ではあったが、その対象を選べるほど知能が高いわけでも、他者からの制御を受け付けるわけでもなく。結果として野放図な被害をばら撒き出し、更には連絡のから多方面に悪影響を及ぼしたことから、この地へと封印されることと相成った訳だ。


 当然の如く、振動、詰まる所の衝撃波は規制の対象内であり、また『翼喰らう獅子』すらも効果の対象に取られてしまっている以上、その突撃の威力はともかく効果範囲は、全力のそれとは比べ物にならない程には弱体化している。

 尤も、あくまでも衝撃波を伴わないだけであり、ついでに言えば『翼喰らう獅子』の巨体を浮かしているのは魔法の力によるものである以上は、飛行能力自体には一切の悪影響は無いのだが。 


 それ故に、一切の加減無く振るわれた暴力の権化たる一撃は、ある意味無駄な破壊を撒き散らすこともなく一行へと襲い掛かる。


 更にはその小山と見紛う程の巨躯をしならせくねらせ、より多くを巻き込もうと薙ぎ払う。

 只の獣の類とは言え、此処まで育てば相応の経験を積んでいるもの。この程度の手練手管は必要に駆られてか、或いは成功体験による刷り込みかは別にして、一つ二つは備えている。

 加えて言えば、ここが黄昏領域ロストベルトで在ることを鑑みれば、彼が生きていた時代はさらに大きく降るだろう事は間違いなく。現役で鳴らしていた頃は、今の時代に比べて大きく生物の基礎的な能力スペックが上回っていた頃だろう。


 それは即ち、常識セオリーの違いとなって両者の差異を、浮き彫りにする事となる。

 

 彼からしてみれば、人など手ごろなおやつの様な存在でしかない。小さく軽く、腹には溜まらず消化も早い、その上味の種類も豊富と来ている。

 最近はなぜか色取り取りの殻に包まれて、少しばかり食べるのが面倒ではあるが、その程度の違いは彼にとっては些細な物。今度の獲物もそう大きく違いはないと、いつもの様に喰らいに掛かる。

 

 尤も、彼はあれでグルメな質であり、無残にぶちまけられた料理には食指が進まぬ繊細さも持ち得ている。

 故に、彼は何時もおやつを食べる際には叩くのではなく、優しく放りあげてから踊り食いにするのを好んでいた。


 おやつ共は小さな見た目の通りに軽いので、簡単に口元まで運べるのだが、どうやら今回は一筋縄では行かないらしい。

 地面毎巻き上げるような勢いで振るわれた強靭な尾が、たった一人の男の構えた楯の前に止められたのだ。


 無論の事、今まで攻撃を防がれる事が無かったとは言わぬが、其にしたって、斯様に小さな人間一人相手に等とは。


 勿論、彼がいかな『頂点捕食者』であると言ったところで、世間は狭く世界は広い以上、上には上が要るもの。

 彼にしたところで同格の相手との戦闘経験が無いわけもなく、或いは格下であっても特異な能力を持つ者には防がれ凌がれた事もある。

 故に一撃を凌がれた、そのこと事態には特段驚く事はない。


 驚くべきは、その光景に対してであろう。


 地面を捲り上げる様にして振るわれた長大な尾が、たった一人が構えた楯に吸い付くようにして受け止められる等、誰もがその目を疑うこと間違いない光景だ。


 無論、此処が特異な領域の内部で在ることも理由の一つにはなる、それでも、同じ条件であっても同じことの出来る者がどれ程要るかと問われれば、頷きを返す事の出来る者は居ないだろう。


 びたり、と音が聴こえたかと思う程、見事に止められた薙ぎ払いに一瞬双方の時が止まる。

 押し合い圧し合い、主導権を握るために双方が動きを見せる迄、そう時があったわけではない。


 野生の獣は経験則から、時には人間には想像できないほどに頭を使って見せる事がままある。

 彼程に野生の中を生き残って来た獣であれば、当然の如く頭は回る。故にこの停滞が、自身にとっては悪手この上無いこともまた、理解は出来ていたのだ。


 しかし、不意の出来事に咄嗟に巡らせた思考と、出来事に対して半ば無意識的に動き出したそれとが、どちらが早いかは比べるべくもない事。

 故に刹那の停滞は、途方もなく重い一瞬となってのし掛かる。


 一瞬の隙を見逃さずに駆け出したラルヴァンの一閃が早いか、或いは動きの止まったその瞬間には既に剣を振り下ろしていたソワラが先んじたか。先を競うようにして獲物へと牙を剥いた二人の剣は、寸分違わず同じ個所を抉るように切り刻む。


「           」

「            」


 斬りつけた後はすかさず距離を取りながら、聞こえぬと解って互いを煽り合う二人。読唇程度は嗜みとして備えている故に、煽り文句に青筋を立てる馬鹿二人を尻目に疾風の如く矢玉が走る。

 一本は樹上から、ディケイの狙いすました一撃は過たずに、鱗の跳ね飛んだ傷口へと突き立つ。更には駄目押しとばかりの弾丸の雨霰をお見舞いするのはオッペケぺー、呪文が使えずとも錬金術師アルケミストには手の内があると、両手で構えた錬金銃マスケットが景気よく砲火を散らす。

 

 如何な彼とて、これだけの猛攻には耐え凌ぐのにも限界がある。素早く離脱し体勢を立て直そうとして羽搏いたはいい物の、素直に離脱するのを見過ごすような面々ではなく。


 ふわり、身体を浮かせたその瞬間に、頭上から真下から鎖や網が飛び出してくる。


 それは先の交錯の間に仕掛けられた罠の数々。割合、小規模な戦闘の序盤は手隙になりがちなアルケは、こう云った手練手管にも長けているのだ。呪文の枠を使うことなく、されど適切に使用されれば高位の呪文にも匹敵するのが罠というもの。

 離脱の手を防がれた『翼喰らう獅子』が一手を無為にしたのに対し、一行の方は未だ地面に縛られた彼へと攻勢の手を休める様子は微塵も無い。


 とは言えだ、一行からの攻勢を、いくら呪文による火勢がないとは言えども全員からの集中攻撃を受けて尚、健在であることの事実は重い。

 それは裏を返せば、一行であっても呪文抜きでは苦戦を免れない相手であることの証左でもある故に。


 そして、無能力バニラとも称される彼らにはどのような状況であろうとも、天秤を引っ繰り返すための切り札が存在する。


 彼が渾身の力を込めて身を捩ったその瞬間に、ドレイク種すらも拘束する程の鎖が音が聞こえる程の勢いで以って破断する。

 これこそが彼らの持つ切り札、純粋なる力、パワーストレングスである。


 折悪く、装弾を終え追撃に掛かろうとしたオッペケぺーの銃口へと、裂け飛んだ鎖の欠片がぶち当たり、明後日の方向へと狙いが逸れる。

 一拍にも満たぬ程の間隙ではあったが、それは彼がその身を逃すには十分な程の猶予、ラルヴァンの剣戟は翼と胴体以外の部分で受け止め、ソワラの剣は確実に避けつつ目の前の厄介なコバエから距離を取る。


 ぶわり、と上空にて翼を広げ遊弋する『翼喰らう獅子』。その姿は見るも無残に傷だらけとなっている。

 それでも王者としての矜持からか、届くことなき咆哮を一度、二度と上げそのまま姿を晦ませる。さすがに高空を飛ぶ彼を即座に止められるだけの手札はそうは無く、況してや目標は別にいる以上、さらに消耗を重ねる必要性も無く。


 結果として彼らの交錯は双方痛み分け、といった結果に終わるのであった。




「まさか、あのような怪物が居たとはな」

「事前情報には無かったよね?」


 辛くも襲撃を退けた一行は、暫し追加の襲撃がないか警戒を保っていた後に、周囲の安全を確認すると三々五々と腰を下ろし一息を吐く。


「調査不足、というよりも、そもそも認識されていなかったのでショウ。あれが居るならもっと此処の脅威度は上がっていた筈デス」

──おそらくは。初撃で殺されていたから。下手人が解らなかった──

「……聾珠の襲撃頻度は、想定を下回るやもしれんな……」


 手短に所感を交わし反省会とする面々、此度は調子よく無傷で乗り切れたが、いつもそう上手く行くとは限らない。

 最初に狙われたのがソワラでなければ、後衛組は回避も防御も覚束ないだろう。或いはクリフであっても無傷で凌げるかは五分五分だろう程の相手、況してこの領域の中では初撃はほぼほぼ奇襲となる以上、百回やって百度とも無傷で凌げる者など『サウラン』全土を探してもそうは居ない。


 故にこそ、一行の話題は如何に襲撃を防ぐかに、向かうべきではあるのだが。


「次からは、止めておいた方が良いだろうな。またぞろ、あの規模の幻獣クリーチャーに出張られてはコチラが持たん」

「そうだね。また兄さんに向かうなら良いけど、そうじゃなかったら一人二人は死に戻りしてても可笑しくはないし」

「まあ、逆説的にあの規模の相手はそうは居ないでショウ。初手であれを引けたなら、十分益があったと言えるでショウ」


 些か毛色の違う話題が取り沙汰されるも、それは一行にとっては自明の事ゆえ。



 『好事魔多し』



 それは、物事が上手く行っている時こそ問題発生に気を付けろ、という意味合いの言葉。


 裏を返せばそれは、『物事を上手く運べば問題は向こうからやって来る』と云えなくもない、ことも無いかもしれない。


 或いは、この事象を大昔に生息していたとある界隈の住人に見せれば、恐らくこう言い表すことだろう。


 『乱数調整』と。


 何れにしても、既に賽は投げられた。


 彼らの行く手に立ちふさがる者は既に盤面に出揃っている以上は、如何にしてその障害を乗り越えるのか、或いは力及ばず屍を晒すのか。


 その趨勢は既に神の手をも離れ、彼らだけが握っているのであった。

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