ウィルダネスシナリオは、ちょっとのミスで崩壊する


 来たる日取り、地平線に太陽が顔をのぞかせ始めたその時間に。

 ようよう静まり眠りに落ちた街を背に、日差しに照らされた人影が


「良かった、本当に良かった。これで居なかったら如何してくれようかと、本当に良かった」


 まるで大長編の映画シネマを見終えたかのように、一人男泣きを見せるクリフ。滂沱のように流れる涙のままに、感極まった末の心情を延々と吐露している。


「大げさ、とは言えねえなあ。ま、良かった良かったと先を急ごうぜ。まだ何も、始まっちゃいないんだからよ」

「全くデスネ。此処で時間を潰していては、何のための早朝からの攻略アタックなのか分かりまセン」


 さすがの頭目の醜態に、一行の中でも比較的良識的な方から苦言が飛び出す。

 完全武装の偉丈夫が地に頽れて男泣きなど、十人中十人が見なかったことにして避けるだろう惨事だ。それらの言も、むべなるかなといった所だろう。


「そうだな、済まなかった。皆、出立しよう」


 立ち上がりそう声を掛けるクリフだが、鎧の前面が土埃に塗れ附していては威厳もへったくれも無い。

 尤も周囲を固める一行には、いつもの事と気にした風も無く流されている。


 お決まりの寸劇コントの一幕を挟み、冒険前のルーティーンの一つを熟して気持ちを切り替えた一行に、寸前までの緩みも気怠さも一欠けらとて残りはしない。


 汚れを払い楯を担ぎ上げ、威風堂々たる鎧姿を見せるクリフエッジ。今回は機械的なシルエットは控えめに、シンプルな板金鎧プレートアーマーを着こなしている。


 そんな頭目よりも珍しく前に出ているディケイ。森林迷彩を意識した斑の外套を着込み、主武装たる四絃琴ベースは背中に、老木を削りだしたかの様な弓を三張も携えている。


 クリフの少し後ろに居るのはソワラ。六絃琴ギターを肩紐で吊り下げながら、左腰にも剣を下げている。遠近双方に対応できるよう、珍しくアシンメトリーな革鎧を着込んでいる。


 そんなソワラの邪魔に為らぬ様、アルケは右斜め後ろに立っている。鍵盤キーボードは持ち運びには不便な為魔道具内に封入しており、森には不向きな祭服カソックを着込み手には祭具たる経典を携えたその姿は、何処に出しても恥ずかしくない司祭だろう。


 後方、悪路オフロード仕様の二輪鉄車バイクに跨っているオッペケぺーはと云えば、こちらは変わらぬずんぐりむっくりさを見せている。尤も車体にはごつい盾が据え付けている辺り、後方の守りの本分は忘れているわけでは無い様子。


 最後方で奇襲バックアタックと挟撃を警戒、対応するのはラルヴァン。鎧を着込めば弱体化する故仕方はないが、森の中、手甲グローブ脚甲ブーツにブーメランパンツの風体は、変質者と云うよりは自殺志願者と呼ぶべきだろう。申し訳程度にマントを迷彩柄にしているのが、逆に腹立つまでがある。


 相応どころではない程に気合の入った面々。各々の装備一つをとってもそれだけで小さな家が建つ様な代物ばかり、先だって見遣った没入者ヴィジットたちとは正に月とスッポンとも云えよう。


 それだけの気合を入れて準備したのは、装備の類だけでは無い。

 各々の背嚢バックパックには暫くの間食い繋げるだけの糧食の類に、各自必要となる呪文の触媒。武具の手入れ道具に副武装一式、更には雑多に纏められた冒険道具の数々と、魔道具の収納袋でなくば納まりきらないだろうそれが何よりも、彼等の気合と警戒心を物語っている。


 尤も、隊列を組み粛々と歩を進めるその姿に、過度の緊張は見られない。なにせ彼らとて一流の冒険者、一寸先も見えぬ闇を幾度も切り払って進んできた。


 そも、領域への侵攻すら此度が初めてというわけでもないのだから、踏み込むくらいで恐れをなす訳もなし。


 故に威風堂々と、歩みを止める事も無く。一塊となったまま、黒々とした領域の内と外とを隔てる壁を、飲み込まれるように潜り込んで行くのであった。




「状況報告、周囲に敵影は無し。目標物ランドマークになるような物も見えないよ」


 潜り抜けると同時に、ディケイが手早く周囲を偵察して告げる。見上げた空は黒く染まり、背後には鬱蒼と茂った木々が退路を断つが如く囲んでいる。

 時を止められたが故か、或いは他者の手が介在しなければそうなるのか、何処も彼処も木々に覆われ碌に周囲の様子も窺えない。


 尤も、盛大に生い茂った木々はそれだけの樹高を持つ故に周囲を暗がりに閉ざしているのだから、やりようによっては自らを利することも出来なくはない。

 実際、今しがた飛び降りて来たディケイの様に、登攀技能に優れていれば絶好の物見台としても使えるだろう。


「此方のソナーにも動体反応は無し、快適な滑り出しだなこりゃ」

「……此方の魔力探知機レーダーにも映らん……」


 誰もが恐れる魔境にしてはやけに穏当極まる一歩目に、さしもの一行も警戒を強める様子を見せる。

 尤も、いかな悪名高き領域とは言えその大半はただの土地、領域に置いて恐れられる原因は、封印された代物の方だ。


 故にこそ、彼等はしわぶきひとつとしない現状に対して、否応なしに警戒感を引き上げざるを得ない。


 なぜならば、腕っ扱きの『愚か者たちストゥーピッド』が数多屍を埋めて尚小動もせず聳えるこの領域の其の名こそ、狂える戦士も声なく噎ぶ悪名高き『凪途の寝所カムウェンカー』。


 風に揺れる木々も、飛び交う鳥の羽搏きも、時を止めたかのような静寂の中のすらも響きはしない。


 故に、その交錯を凌げたのは偏に経験の成す業だろう。


 文字通りに音も無く襲い掛かってきたその初撃を、こちらも音も無くぬるりと抜き放った太刀筋にて迎撃してのけたソワラ。

 返す刀で下手人の首を掻き切ろうとするも一歩及ばず、するりと空を切るように、或いは空を泳ぐかのようにその身をくねらせ一目散に離脱を試みる。


 尤も、その試みが成功することも無かったのだが。


 いち早く反応したソワラに次ぐ形で抜剣したラルヴァンが、行く手を遮るようにして三度四度と抜く手も見せずに剣閃を振るう。

 そのままはらりと宙で三枚におろされたのは、奇怪な角を生やしたトビウオの様な魚であった。無論水の中でなく陸に在って宙を泳ぐ等、尋常の生物では無いのは確かなのだが。


「新種でしょうか、見たこともありまセン」


 どさり、と音を立てて枯れ葉の積もる地面へと落ちた切り身を拾い上げ、ラルヴァンは独り言ちる。切り身となったその姿ですら、人の頭ほどの長さがあるほどの大魚の残骸であった。


「……いや、昔はどこでも見かけた代物だ……。今は此処にしか、居ないかもしれんが、な……」


 それに対して、生物に関しては博識なオッペケペーが応える。つい、と指し示されたのは未だ地べたに転げ落ち、恨めし気に一行を見遣る魚の頭。よくよく見れば角の様な部位は突き刺さった何かの破片であることが窺える。


「こいつが聾珠ロウシュの仔か、厄介な相手だな。放置してりゃあ、わんさかとこの手の奴原が沸いてくると。そりゃ、閉じ込めときたくもならあな」


 ソワラが慎重に抜き取ったは、近くで見れば硬質な殻に包まれた線虫の様な生き物の死骸であった。そのまま素手で触れない様に形も残さず丁寧に焼却した後、残った灰も散らさぬ様に瓶へと詰めていく。


「他には居なさそうか。ならば先を急ごう、こちらの存在を気取られぬ内に一撃を入れたい」


 周囲を見遣ったクリフが言う。既に木々はざわめきを発し、在るべき音が戻ってきていた。


「……自律探査機ドローンを使うか……」

「そうだな……いや、止めておこう。最悪バレる位なら、偶発遭遇の方がまだマシだ」

「なら、小まめに上から見ておくね。けど、合図はどうしようか」


 無駄に小器用に、木々の枝を伝って移動していたディケイが一行の頭上から声をかける。『ナントカと煙は高い所に昇る』と或る地方では言うそうだが、これは些か事情が違い、多分に戦略上の意図を孕んでいる。


「敵の居る方に、矢でも射かければ良いんじゃないか。方向が分かれば十分だろ?」


 此方は馬鹿の一つ覚えだろう、何の意味も無く木々に登りながらソワラが応える。


 偵察ならばこの少人数、一人が出れば十分であり、地上での迎撃戦力をわざわざ減らす意味も無い。況してや相手が相手、呪文の行使に多大な悪影響が予想される相手に、呪文以外の遠距離攻撃手段を携行していないソワラが頭上を取った所で、出来ることなどたかが知れている。

 落下からの攻撃は位置エネルギーを転化出来るだけ威力に勝るが、そのためには対象との距離が無ければ意味がなく、それはそのまま着弾までの時差を意味する。


 幾らソワラと云えども体重移動と身体操作で嵩増し出来る速度など、たかが知れていると云うもので、それ位ならば始めから地上で立って切り結んだ方が遥かに瞬間火力で勝ってしまう。


 畢竟、弟よりも高い位置に腰を据えて他者を見下すこの男に、戦略的な思考など皆無であると言わざるを得ない。

 

「バカやってないで行きますヨ。ディケイサンは先導を、合図は業腹ですがソワラサンの方式で。バカはさっさと降りてきてくだサイ」


 こういった時に音頭を取るのはいつも決まって真面目な者で、詰まる所、貧乏くじを引くのは大抵がラルヴァンであった。


 和気藹々としながらも、決して緩んでいる訳では無い。

 彼らとて死線は幾度も越えてきたし、没入者ヴィジット故に、何なら己の屍すらも越えてきた。ならば彼らのこの行動には、何の意図が込められているのか。



 ところで、とある極東にはこんな言葉が残っているそうで。



「しゃあねえな、今降りっから待っとれよ、っと」


 言うが早いか何の気なしに、くるりと腰掛けた枝を支点に回るソワラ。そのまま重力に引かれて落ちてはいくが、戦士としての職能クラスは持たずとも一端の戦士に優る技能は持つ彼の事、何も問題さえ起らなければ頭上遥か彼方の大木から落下したとて無傷で着地を決められるだろう。


 それこそ、此処が潜在的ですらなく敵地であり、且つ、は虎視眈々と獲物の隙を狙っていると仮定しなければ、だ。


 『好事魔多し』善きことの巡りには魔が付き物、とするこの言葉、正に今の一行を端的に表した言葉だと言えるだろう。


 で、あるならば。


 次に起こった出来事は、必然とも言えるだろう。


「            」


 先の取り決めの通りに鋭く射かけられた矢は、敢え無く頑強な鱗を数枚剝がすに留まり、の強襲を防ぐには至らず。

 空中というほぼすべての動物にとって死地としか言えぬ空間に在って、亜音速で踏み込んできた不埒者の魔の手から、羽を持たぬソワラが抗う術は無く。最早絶体絶命かとも思われたが、だがしかし。


 が、善きことの境であり、事柄であろうか。


「       」


 凶悪な形状の鉤爪がソワラの喉首を押し潰さんとしたその刹那、落下の勢いを利用した抜刀が、するりとそれの脚をすり抜ける。


 そもそもの話、空中という舞台に在って既存の術理とは無力となる。

 なぜならば、すべての武術は両の脚を地面に着けての動作を基本としており、そも、人類は空を自由には飛べないのだ。

 何よりも、地面という足場が無ければ、斬り合いで生まれた作用反作用の法則によるエネルギーが、武器の使い手に襲い掛かり、空中でもんどりうって錐揉み回転を見せる事になるのが相場だろう。


 であれば、今のこの光景はどう説明するべきであろうか。


 剣を振り抜いた姿勢のまま、音も無く落着するソワラに対し、不意に現れた下手人は落とされた脚の痛みに声も出せずに身悶えている。

 いかなる理論に基づいたものか、否、これはそのような高尚なものではあり得ない。


 ただ単に、人体の、生物の肉体に精通し、その動きを理論として理解し、転じて物理法則に熟達したが故の業。


 尤も、それがの鱗を只の技術で斬れる領域まで押し上げるには、尋常ならざる何事かが必要になるだろう事は違いない。


 そして、音も無く飛来した闖入者ではあったが、こうして一度補足されてしまった以上は一行の眼からは逃れようも無く、挨拶前の奇襲アンブッシュは一度迄と相場が決まっている以上、此処から先は地力で立ち合う他、道は残されてはいないのであった。


 

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