刃鳴散る円舞曲
王都の中心にほど近い大闘技場で、幾度目かのファンファーレが鳴り響く。
朝早くからの開幕とは言え試合回数が嵩めば相応の時間は経つもの、既に日は中天を幾らか通り越した昼下がり。
試合の間の休憩などは一切挟まれず、地獄の如き連戦の末に遂に至った決勝戦。
総勢十六人から成る勝ち抜き戦、数多の勇士戦士の屍を踏み越えて立つのは二人の男。
英雄の面目躍如、比肩する者無き孤高の強者。これまでの試合その全てで、三合と打ち合った者は居ない万夫不当の勇士、ソワラ。
対するは、如何にも傭兵と云った見た目の強面。腰には髑髏と蛇の意匠を模った剣帯を締め、曰くあり気な業物を吊っている。
こちらは此方で実に見応えのある試合振りを披露したもの、ぶつかり合って組んず解れずの剣戟の応酬からの大技での決着と、実に人目を判っての試合の流れに玄人も素人も区別無く沸き立っていた。
いずれも劣らぬ強者達に、観客の興奮も最高潮へと達して止まず、闘技場はこれ以上無い程の熱狂に包まれていた。
特別席に座る実況と解説役の二人が、前振りでさらに盛り立てる。歓声ががなり声へと変わり、更には喉を枯らした嗄れ声へと変わるほど熱狂の渦は冷めやらず、舞台に立つ二人へと一心不乱に熱視線が注がれる。
他方、それらを向けられる二人はと云えば、特設の舞台に立ったまま杳として動きを見せず、互いを見据えたまま立ち尽くしている。
実況の長かった前口上も次第に終わりが見えてくると、観客の熱狂はそのままに、押し込めたように歓声が途切れていく。
興奮と緊張が最高潮へと達したその瞬間、審判の発する開始の宣言が響くや否や、舞台上の二人は互いに向かって駆け出していく。
するり、と無造作に振り抜かれたソワラの刃は、鞘から引き抜かれた強面の魔剣に阻まれる。一瞬の鍔迫り合いを制したのは強面の方か、大きく剣をかち上げられたソワラに対し強面の方は、打ち返した反動で肩に背負うようにして剣を構え直している。
担いだ剣を振るうのではなく押し出すようにして袈裟切りを放つ強面に対し、剣を打ち上げられたソワラはと云えば真逆の対応を見せていた。
打ち上げられた剣には早々に見切りを付け、されるがままに放り出し空となった両の手を素早く下ろし、顔の前へと構えて見せる。直後打ち放たれた袈裟斬りの刃を左手で優しく撫で下ろすと共に、右の掌で柄尻を押し込み抑える。
袈裟に振り下ろされたはずの剣閃は、而して切っ先で弧を描くようにして空を掻く。強面はそこから左切り上げに繋げようと目論むも、柄尻をしっかりと握りしめたソワラによって腕を極められるのを防ぐため、一度蹴りを放ちながら距離を取る。
仕切り直しとなった事で再び開始前と同じ立ち位置となった両者に、観客らは固唾を呑んで、一挙一動を逃すまいと目を皿のようにして齧りついている。
再びの交叉、先んじたのは強面の方か、鋭い踏み込みと共に突き出された剣先が白く尾を引く程の諸手突きに、観客席からは悲鳴が零れ落ちた、その瞬間に。
不意に、強面の視線が上を向く。
本能か、経験か。視線が上に釣られたと同時、突きの勢いを殺してでも勢いよく真後ろへと跳躍する。無理な動きに仰け反った顎先に、ぶわりと風が当たるのを感じるが早いか、頭上へと降ってきた剣から死に物狂いで身を躱す。
それは先ほどソワラが放った長剣であり、過つ事無く刃を下に、一直線に頭上から貫く軌道で降りてきていたのである。
躱し逃れ、強面が体勢を立て直そうと目線を正面へと向ければそこには、降ってきた長剣を蹴りを放った後の足先で跳ね上げたばかりのソワラの姿、延いては此方へと再び刃先を向けて迫りくる刃の姿が其処にはあった。
三度身体を翻し辛くも逃れた強面は、而してその瞬間、愕然とした面持ちを隠すことが出来なかった。
「お前さん、
いかなる妙技か、放り投げた剣をつかみ取り振るうのであればまだしも、蹴り打った剣に追いついて、剰えそれを振るうなどと正気の沙汰とは思えぬ所業。
思考が追いつかぬ強面ではあったが、そこはそれ、此処まで勝ち残った強者がその程度で隙を見せる道理も無し。思考は止まったまま為れど、身体は経験を基に的確に動き、迫りくる剣閃を時に受け、時には避けて打ち合っている。
くるりくるりと、打ち合うたびに立ち位置が入れ替わる。
恰もそれは舞踏の如く、打ち合う刃の音と、地を踏みしめる靴音とが旋律を刻み。組んず解れず、触れては離れ離れては触れるその動きは、正に円舞曲の如し。
しかしそれは、両者の技量が伯仲しているが故の物ではない。
一方的に離れんとする強面を、ソワラがまるで情夫の如く、或いは好事魔の如く追い立て回しているだけに過ぎない。それでも舞踏の様に見えるのは、それだけソワラの掌の上で踊らされているからでしか無く、必死な表情を浮かべる強面に対し、ソワラはいっそ爽やかな微笑みすら浮かべて見せる。
打ち合う刃が散らす火花が炙るのも、強面の頬と焦燥だけであり。するりと腕を、足を撫でるのは、斬らぬ様に寝かされた刃先だけの事。
観客からは見えぬ様に細心の注意を払ったうえで行われる、剣士の矜持を凌辱するが如き所業に、而して強面は己が秘めし奥の手に一縷の望みをかけて激発を抑する。
尤も、それが通じる保証など、何処にも在りはしないのだが。
一合、二合と刃が交わされる。一手、また一手とソワラが押し込む。
無論、強面とて為されるがままな訳は無い。
剛力で以って打ち合った剣を押し返し、体格で以って先んじて間合いを潰して先駆する。単純な足の速さで間合いを取り、頑強な肉体を以って防げぬ剣は甘んじて受ける。
筋力も耐久も敏捷も、すべてが秀でている筈なのに。何なら斬り合いに関係するであろう器用や判断、感知力の数値に関しても、実は強面の方がソワラよりも高いくらいであると云うのに。
一手が足りない。
起死回生の秘策を使うための一手が。
間合いを開けた、その瞬間には剣閃が視界を潰す。打ち払って距離を開けた、と思えば体捌きで懐に潜り込まれている。逆に踏み込み一撃を狙う、打ち合った剣は音も立てずに逸れるばかり。体で受けた剣閃は、二度は無いと言わんばかりに、傷も残さず衝撃で臓腑を捏ね繰り回す。
一手、また一手と追い込まれる。
交錯するたびに少しずつ、少しずつ態勢が崩されていく。
舞踏の如き様相はそこには最早無く、ただ只管に藻掻き足掻く剣士と、それを甚振る怪物が在るのみ。
最早、微笑みを張り付けているだけの事を隠す様子も無く。凌遅の如くに、文字道理に血も涙も無く機械の様に正確無比に、唯々剣を振るうソワラ。
大勢は既に決したと、誰もがそう思い目を背けんとした、その刹那。
「なんだ、お前その程度でしか無いのか?何で本気出さないんだよ」
むくれた顔を隠しもせず、呆れた様に肩を竦めてみせたソワラに対して、呆気に取られた様な顔を隠せぬ強面。
鳴り響いていた刃鳴も、今は不気味に沈黙している。
「……何を、考えているのだ。私が本気を出していないと、お前は本当にそう思っているのか」
張り付いた様に動かぬ思考をどうにかこうにか動かしながら、強面の口から溢れた言葉がそれだった。
それはそうだろう、傍目から見ても彼は良くやっている。どだい
であるにも関わらず、傲岸不遜にもソワラは否を唱えている。
「ヤル気が有るのは認めてるよ。本題は、お前が本気になってない事だ。まだやれる事があるのに、それを選ばない事だ」
剰え、鼓舞するようなことを宣い出す始末。
誰もが閉口するような事態に、而して対面の強面だけは頷きを返す。
「確かに、私は奥の手を隠している。しかし、それはそこまで詰られる様な事なのか?そもそも、使いたくとも使わせなかったのはお前だろう」
それは、ここに居る誰に聞いても頷きしか返ってこない様な返答ではあったが、ソワラの顔は一層厳めしく引き攣られている。
「自爆紛いの奥の手に、どうにか巻き込みたかっただけだろう?無理な物は無理なんだから、さっさと諦めて本気出せよ」
憤懣遣る方無いとでも言うかの様に、語気も強く詰め寄るかのように詰り返す。
会話に感けていようとも、一挙一動を見逃さぬ様に警戒を露わにしているのは、それだけ奥の手とやらを評価しているが故の態度か。
「それとも、このまま良い所無しでご主人様の元へ帰るつもりか?帰る家が残っているかも定かじゃねえってのに、大した駄犬ぶりだな」
それはそれとして挑発は欠かさない様子。尤も怒らせる為だけでは無いのだが、ここで情報を抜くために挑発する意味は薄いのもまた事実。
しばし、二人は手を止め佇む。観客らも固唾を呑んで、その行く末を見守っている。
「……では、本気で行こう。大口を叩いたのだ、少しは持ってくれよ?」
「契約解放、顕現せよ『
その瞬間、舞台上に地獄が顕現する。
大地は爛れ、空は黒煙に霞み、観客を守るための結界に罅が入る。
その中心にいたのは強面の傭兵の身体を内から張り裂くようにして、顕現を果たした
数ある上位魔神の中でも討滅に関する報告が一際少ない
悲鳴すら上げられぬ観客を尻目に、ひたと正面の怪物をその赤ら顔で見据えている。
本来であれば決勝を勝ち残った後、式典やあるいは授与式などで暴れまわる手筈であった事は、無論魔神とて理解はしている。そも上位魔神ともなれば、総じて
故に、この状況がどれ程の危地であるかも理解はしているのだ。
眼前の
そも相性がいいと言った所で、魔神の方からはあくまでも打ち合いで有利が取れるといった所が関の山で、対する怪物は自身の霊核に手が届くレベル。
最早当初の計画も糞も無く、ただ怪物の暇つぶしに付き合うだけの舞台ではあるが、それでも魔神は一縷の望みに賭けて剣を強く握りしめる。
そも、契約が為された以上は周囲にいる者を皆殺しにする約定なのだ、躊躇うことは魔神の命を脅かすことにも繋がり得る以上、逡巡する心に蓋をして構えを取る。
「ハハッ、そうだ、それで良い。それが好い。お前がヒトであるならば、全霊で以って足掻いて見せろ」
魔神にしか感じ取れていなかった、狂気に染まった威容が衆目の下に曝される。
異様に上ずり震える声とは裏腹に、その表情は薄ら張り付いた微笑みのまま、口元だけが声に引き摺られて吊り上がっている。振り抜かれた鉄剣は、先ほどまでの変哲の無さはどこへやら。冴え冴えとした耀を湛え、煙るような狂気を纏っている。
「さあさあさあ!……お前は、傷になるのか」
大音声で喊声を上げたかと思えば一転、一言小さく呟くと共に、一気呵成に攻め立てるソワラ。
縦に横に幾重にも、正に縦横無尽に振り回される鉄剣に、魔神はいきなり防戦一方となるが、無論それもソワラの策ではある。
『
身体を拡散させての
況して今は、周囲に戦えない一般人を大勢抱えている以上、ソワラとしては気にはしないが英雄としては気にしない訳にも行かず、取り敢えず接近戦を挑んでいる。
尤も、魔神の方からしても其方の方が有難かったのは皮肉か否か、ソワラが一撃での致命打を打たんと目論めば、それは
それ故にか、トリッキーな戦形を得手とする上位魔神と
とは云え、言っては何だが焔霧魔神は決して斬り合いが得意な質では無いのだ。
故に、形勢がソワラに傾いていくのは仕方のない事だろう。
煙故に、焔ゆえに、関節も何なら部位も関係なく、腕を途中で曲げて人間には不可能な角度での剣戟を振るい、あるいは浮遊能力によって足に使っていた部位で下方からの強襲を掛けたり。
その他にも光の反射で目を焼くは、周囲の空気を焼いて肺を爛れさせようとするはと大暴れを繰り広げはしたものの、対面の怪物は一向に意に介さない。
空気の流れを読むかのように身を躱し、不意に振るわれる不可解な角度の斬撃は、而して触れた肌の薄皮一枚も削ぐことが出来ずに流される。
目を閉じても動きは変わらず、息の一つも溢さずに何十合と打ち合っては、挙句の果てに霊核へと一撃を与える。
いかな達人とてこうは行かないだろうと云うような荒業を、難なく熟して捌いて見せる。
否、それを荒業などと呼ぶ事の方が烏滸がましい。
もしも、彼の怪物の心魂を垣間見ることの出来る者が居たのなら、或いはその思考の一編でも読み取る事が出来たのならば。其れが例え相対する魔神であっても、発狂することは免れないだろう。
流れる光の音を聞き分け、熱に踊る風を見る。
目に写る光景を、膨らむ肺を、流れる血潮を、酸素を喰らって動く細胞を、自らの身体のその全てを知覚し自覚し、自らの意思で以て其れを動かす。
振るう剣閃の一つにすらも時計の如く細緻極まる技巧が宿り、焔に包まれた魔神の身体が縦一直線に割断される。
剣聖の振るう其れが理外の理に則った物とするならば、彼の怪物の振るう其れは正に、物の理の窮極とでも呼ぶべき代物だろう。
故に、その結末は逃れ得ぬものであったのであろう。計算の、思考の果てに突き詰められたその一手は、逃れる術無き魔神の核を一刀両断切り捨てたのだ。
霊核を断ち割られた焔霧魔神は萎むようにその身体を萎えさせると、干からびた強面の傭兵の身体を吐き出すように地べたへと横たえる。
霊核を断たれ、依り代も喪った魔神にこれ以上現界し続けることは出来ず、せめてもと伸ばされたその手は何を意味したのか。
何れにしても、仮定に意味は無いだろう。
興味が失せたと素気無く振り払ったソワラは、霞む残滓に視線を向けることも無く、一人静かに既に背を向け歩き去っていたのであった。
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