知られ得ぬ死闘

 

 陽は高く中天へと差し掛かるころ。

 王都の郊外、いずれは辺境方向へ向けて新たなる街道を敷設する予定の荒野にて。


 もろもろの準備をすでに終え、静かに戦意を滾らせるラルヴァンとオッペケぺーの下にも一つの変化が訪れる。


 地面に描かれた魔方陣とそれを貫くようにして屹立するビーコンとが、鈍く音を立てながら鳴動する。


「……来るぞ、構えろ……」

「ソチラこそ、封じ込めはお願いしますネ」


 言葉少なに見据えた先に、淡く歪んだ球形の泡が湧き出て来たかと思えば、それは音も無く弾けると、中から異常な妖気を纏った怪物が転び出てくる。

 は四肢を持ちながら地を征かず、翼持ちながら羽搏く事無く、天を見地を見人を見ず。知識ある者も無き者も、この世界とは相容れぬ存在であることが魂身に染みて理解できるほど、それは常軌を逸していた。


 それでも理解できる要素を上げるのであれば、鰐へと跨り大鷲を手懐けた老人とでも呼ぶべきであろうか。尤も、跨る鰐に鱗は無く代わりに至る所に人の眼や口などが生えており、周囲を飛び交う大鷲たちは羽毛の代わりに肉の襞をぶら下げている。老人と呼ぶべきもまた、よくよく見やれば顔のパーツだけでなく全身の部位がてんでバラバラに配置されており、腕のあるべき場所に足が生えているだとか、臍の緒の如く不気味な肉塊が垂れ下がっているだとか、余りにも怖気を誘う異容であった。


 常人でなくとも、一目見るだけで精神に異常をきたしても可笑しくは無いその存在を前にして、而して莞爾と笑って見せる剣客が一人。


「紛う事無き魔神将アークデーモン。相手にとって不足無し、いざ尋常に切り捨てまショウ」

「……此方には、逸らしてくれるなよ……。雑魚しか受け持たんぞ……」


 いつものドラムセットを展開し、準備万端のオッペケぺーから幾つもの援護がラルヴァンに飛ぶ。何れも持続時間が短く、戦闘に入ってからでなくば使えない様な代物ばかり。

 単純な身体能力の強化から始まり一時的な技量の補正、特定属性への特効付与に特殊耐性付与。防護の呪文に関しても単純な物理障壁から耐性上昇、果ては回数限定の死亡回避までより取り見取りに。


 それだけの呪文を一息に行使するなど、どんな術者なら出来得るというのか。どれだけ高位の術者であっても、重ねられる詠唱はが限度。


 ただの専業術者スペルキャスターには到底不可能な荒業は、彼が呪文使いマジックユーザーであるが故の無法の賜物である。


 彼が潜り込んでいる鉄塊は、その実高度に自動化された魔工造物マギアの一種であり、彼の持つ各種職能クラスの粋を集めて組み上げられたこの世に一つしかない一機限りの製造品ワン・オフの乗騎となっている。


 その特質は、何といっても鎧である事その一つ。


 するすると、ドラムセットが据え付けられた土台と、魔神将から距離を取るように後退していくオッペケぺー。浮遊板フロートボードに各種装置を取り付けた自作の簡易運搬車キャリア―を、鎧にしている。見れば彼の手はせせこましく打鍵装置キーボードの上を行き来しており、その動きに対応して鎧の各部から伸展したが演奏や操縦、呪文の行使などを行っている。


 本来であれば、理論上は誰でも使える代わりに一部の専業術者が行える多重詠唱が行えないのが魔術師ウィザードの欠点であるのだが、彼の場合は一味違う。

 誰でも扱える、のの部分に注目した彼はその範疇に魔工造物を組み込んで、独自の演算装置によって呪文を行使するためだけの魔工造物を作り上げたのである。

 騎手ライダーとしての類稀な才覚と実力、それに軍楽隊ミリタリー・バンドの指揮能力とを組み合わせることで、複数の配下に同時に別々の呪文を行使させる方法を、ただの一個人で行えるようにしたが故のこの横暴。


 ただの、されども。故に響くは『駆け抜け征く軍楽隊ワンマン・アーミー』のその名である。


 道を阻むが如く立つ二人を前に漸く敵手と判断したか、挨拶代わりの咆哮を上げると共に呼び出された眷属たちが、地に突き立つように落着していく。


 本来であればそのまま直掩として当たるのだが、そうは問屋が卸さない。


「……倍が来ても問題はない……。道は作る、突っ込め……」


 轟音と共に、やおら後方から影が蠢く。それこそがここまで来るために使用した、オッペケぺー特注の飛籠エアシップ。奇天烈な見た目ながら性能は折り紙付きの代物だ。それが無人で、正確にはオッペケぺーの遠隔操作で稼働し迎撃用の砲座を構える。


「……今だっ……!」


 合図を掻き消すほどの轟音と共に、砲座からは各種砲弾が撃ち放たれる。それらの大半が爆炎と土煙を立てて魔神将の眷属たちを囲い込むや否や、本命の弾丸、鉤付きロープの拘束弾が放たれる。

 無論いくら強固な拘束とて、魔神将の眷属相手にいつまでも動きを止めることなど出来はしない。


 言い方を変えれば、少しの間は止められる、という事でもあるのだが。

 その、ほんの少しの間で事を為せる者など、五本の指で事足りる程度。


 そして、ここに居るのは『サウラン』において数少ない、『WORLD』ランキング台の到達者にして、『サウラン』唯一の剣聖。


 一歩踏み出したその瞬間、千々に乱れ流れたなびく土煙が


 息を一つ、短く、鋭く吐き出して、力一杯に鉄剣の柄を握りしめる。


 更に一歩、世界から色が失われる。息を止めて目標をひたと見据え、音が消える。


 肌に当たる風の温度も、鉄火舞う火花の香りも、吹き飛び舞い散る土の味も。


 不要な物が、捨て去った物が消えていく。跡に残るのは刃鉄はがねの重さただ一つ。


 視界を遮る土煙?そんなものは見えはしない。

 行く手を遮る眷属ども?そんなものは見えはしない。

 斬るべきモノ迄の道筋?そんなものは見えはしない。

 己が斬るべきモノ?……そんなモノなど



 故に、此処に一つの剣理が花開く。



 『真理の曲解者アンロスト』それは即ち此処に無きモノアン・ロスト



 音も無く、光も無く、存在すらも其処には無く。唯々結果のみを押し付ける理外の魔剣。瞬きの間に、等と言うほど高尚では無く、目にも止まらぬ、等と言うほど大仰でも無く。ただ、宙に浮いていた大鷲が二つに分かれ、老人の身体が縦に裂かれ、跨っていた鰐の首が斬り落とされた、ただそれだけ。


 身振り手振りも一切なく、ただ踏み込んだその瞬間に都合三度の斬撃を浴びせたラルヴァンだが、彼はまだである。


 一瞬のうちに致命打を三度も撃ち込まれた魔神将であるが、それで倒れる程常識に則った存在ではなく、無論の事それも勘定に入れての行動。色を失い止まったままの視界の中で、力強く踏み込み踏み出し瞬く間に距離を詰めるラルヴァン。

 迎撃の暇も無く身構える猶予も与えず、遊弋する魔神将を引き摺り下ろすべく更なる追撃を叩き込む。跳躍からの唐竹割りに、落とした首を足場にしての胴薙ぎ、更には老人の首の如きくびれた部位への刺突からの切り上げ。


 都合四度の斬撃で、さしもの魔神将も危機を感じ取ったのか、苦悶の咆哮を響かせる。されども相手は理外の怪物、この程度は致命打であっても殺しきるには至らない。


『ফাণীণ্ত ठईबভীसौगांলঅ্आवঘ্』


「フム。なんと言っているのか、解りませんネ」

「……魔神の言葉に、意味なぞ有るものか……」


 無駄話もそこそこに、素早く退く二人。次の瞬間には大きなクレーターが先程までいた場所に空いていた。間断無く放たれる不可視の攻撃を、而して見えているかのように避け続けるラルヴァン。早々に足を止めたオッペケペーの方には、先程まで相手取っていた眷属たちが六体ばかり襲い来る。


 奇しくも当初望んでいたような分断戦と相成ったが、その内実は双方で大きく異なっていた。


 霊格レベル位階ステージも上回る相手に単独で攻め続けるラルヴァンと、格下相手に遅滞戦闘を続けるオッペケペーと実に対象的な内容となっているのであった。


 尤もそれには理由がある。


 かの魔神将『‘‘震撼する‘‘欺天の嘯弄アグレウス』には、幾つもの厄介な特性や能力が存在しているのだが、厄介なのは本体だけでは無い。

 その能力で召喚される眷属に関しても、実に厄介で面倒な能力を持っているのだから、魔神将など相手取るものではないのだ。


 そも、主である魔神将からして自爆に汚染に不可視の広範囲攻撃持ちなのだから、眷属が同じ様な能力を持っているのは何ら不思議なことではない。

 故にこそ、引き打ちしながらちまちまと、呪文と矢弾とで均等に眷属を削っているオッペケペーの様子に合わせて、ラルヴァンの方でも魔神将だけでなく眷属の方にも削りを入れて調整しているのだ。

 押し切るだけなら二人だけでも可能ではあろう、しかし、それは魔神将のみを相手取っての話に限る。無尽蔵に召喚される眷属も含めれば、いかな彼らとて早晩持て余し取りこぼしが出たとしても可笑しくはないのだから。


 それ故に、慎重に慎重を重ねて尚慎重に、相手の残り体力をカウントしながら二人は少しずつ少しずつ、戦局を進めているのであった。


 そんな石橋を叩いて渡るかのようなギリギリに挑む二人にか、あるいは代わり映えのしない戦況に嫌気が差したのか。

 不意に動きを止めたかと思えば、やおら大きく上体をのけ反らせあからさまな溜めを見せた魔神将に、その瞬間、目の色を変えたかの如く一気に攻勢へと転じた二人。


 事実、二人が待っていたのはだった。


 魔神将ともなれば、至った位階は第十階悌踏破者ヌルにも成る。

 そして、大抵の場合其処まで至った存在は、として世界の中に名を連ねている。

 それはこの、『‘‘震撼する‘‘欺天の嘯弄アグレウス』とて変わらない。

 それどころか世界の大敵として名高い魔神将ともなれば、後々相手取ることも考えて、より詳細に情報が残っていたとしても何ら可笑しな事も無い。


 詰まる所、直接的に彼ら一行が相手取ったことはないとしても、過去に彼の魔神将に辛酸を、苦汁を嘗めさせられた者たちが、連綿と紡いできたモノがあると言うことで。


 故にこそ、体力が一定値を割った事で、これ見よがしに大仰にへと変身しようとした魔神将は、その瞬間に大打撃を受け敢え無く変身する間もなく地に落ちる羽目になったのであった。


「第一関門はクリア、デスネ」

「……問題は、此処からだろう……。更に間隔が、短くなって来るぞ……」

「大丈夫でショウ。切り札はコチラにも有りマス」


 軽口を叩きながらも、追加で召喚された眷属を手早く抑えに回ったラルヴァンに対し。オッペケペーは火力を集中させて始めに召喚された方の眷属を畳む。勿論自爆には巻き込まれぬよう、十分に距離を取ってから。

 

 結局の所は何が大変かと云えば、無限に召喚される眷属や、回避が容易ではないくせに耐性では防げない攻撃を掻い潜りつつ、戦闘形態に変身させないように立ち回らなければならない所だろう。

 それさえ出来れば彼の魔神将は、比較的相手取るのは楽な方と言える。


 尤も、その立ち回り以前の部分で引っ掛かる者が、大半どころかほぼ全てなのが問題なのだが。


 とは言え彼らにしても、何の問題もなく熟せるものでも無いのだが。


 何だかんだと始めの内は順調ではあったが、時間が経つ事少しずつ、少しずつ綻びが見え始めてくる。

 どだい二人だけでの完全討伐など、始めから無理があるのは分かり切っていた事ではあるのだが、それでも出来そうならば挑戦してみたくなるのが人情と云うもの。此処まではなまじ上手く行き過ぎていたせいで、損切りのタイミングを半ば逸して仕舞っていたのもまた事実。


「……チッ、そろそろ呪文の効果が切れるぞ……」


 そして恐れていた事態が、再び流れを断ち切りに来る。


「何処まで、掛け直せますカ」

「……耐性か、攻撃か……。何方か一方だけだと思え……」


 呪文に関しては門外漢のラルヴァンに効果時間の事なら兎角、重ね掛けできる上限などは知る由もなく、故に自分に出来る事出来ない事を天秤へと掛け、そして。


「なら、攻撃ヲ。合図とともに、最大級でお願いシマス」


 傲岸不遜にそう告げる。


「……決めに掛かるか、まあいい頃合いか……」

「ハイ。もう終わりにしまショウ」


 轟音、爆音物ともせず。静かに何て事も無いかのように、言葉を交わし合う二人。

未だ魔神将の暴威は衰える様子もなく二人だけでなくその周囲にすらも、幾度となく荒れ狂い襲いかかっている。

 幾度も斬られたその跡も、遠目ではそれと分からぬ程に薄まっている。回復や再生とはまた違う、この世ならざる存在が故の復元力とでも言うべき代物。時間を置けば置くほどに、彼らの存在はコチラの世界に適応し、その本来の力を取り戻していく。


 時を置くほど、回を重ねるごとに強力になっていく魔神将の攻撃に、遂には二人も様子見を辞め一気呵成に攻めかかる。そうなれば当然体力の低下も弥増すもので、あっという間に先程までは防げていた形態変化を迎えてしまう。


 折り悪く、或いは何方かがその節目を狙っていたか、二人の火力が途切れた狭間に差し込まれたその行動に、当然の如く対処は出来ずに見過ごした形になる二人。


 息を整えその時を待つ二人の前で、大仰にこれ見よがしに姿を変える『‘‘震撼する‘‘欺天の嘯弄アグレウス』。

 肉々しい造形だった大鷲を象っていた部位は、ドロリ溶けたかと思えば瞬く間に肉色の羽の集合体へと姿を変じ、悍ましい意匠の鰐はと言えば老人を象っていた部位といつの間にやら一体化し、人の腕や脚といった部位だけで構成されたような大蛇の如き様相を呈している。

 便宜上の本体とでも呼ぶべき部位もまた、巻き込まれるかのようにその姿を変え、今や三面六臂の鬼の如き代物に。


 異界の瘴気を身に纏い、世界の破壊と再誕を目論む異端者が、遂にこの世に降り立ったのだ。


 先程までの攻撃は児戯だったとでも云うかの様な、苛烈にして容赦のない間断なき連撃に加え、一切使う様子もなかった呪文に関してもこれまでの鬱憤を晴らすかのように過剰なまでにバラ撒いている。

 無言のままに周囲一帯を薙ぎ払う魔神将に、さしもの彼らとて防戦一方にならざる負えず、周囲に存在していた眷属を薙ぎ払うので精一杯な様子。


 不気味に貌を歪めて笑ってみせたのか、甚振ろうとでも言うかの様に、一瞬攻撃の手を止め様子を伺うような仕草を取った魔神将。


「此処デス」

「……今だな……」


 奇しくもその発言は、合図は同時に放たれる。


 戦闘の号砲を告げた重複強化を優に超える、一戦限りの奥の手。

 それが、一度に重なる。


 瞬間、暴風が吹き荒れる。


 視認どころか描写すらも追いつかないほどの連撃、強撃。


 、呪文による強化、それも最上級の物が掛かると同時にラルヴァンも自前でバフを重ね掛けした。

 その後、一瞬で懐へと踏み込んで時間一杯限度一杯の連撃を浴びせ掛けたのであろうか。


 本来であればあった筈の最後っ屁すらも斬り散らす程の斬撃に、魔神将の骸の一欠片も残りはせず。


 唐突にできたクレーターだけが、この死闘を証明する唯一の証拠と成るのであった。

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