語られぬ戦事


 唐突に開かれた戦端に、然れど双方惑う様子も無く。


「邪ッ!」


 口火を切ったのは黒ローブの集団の方。

 揃いの装束でも隠せぬ程に全身に筋肉の鎧を纏ったその巨漢は、遠く離れた間合いを意にも介さず握り締めたその拳を振り抜いてみせた。


 寸暇を置かずに響く打撃音。


 観遣れば其処には、楯を構えたクリフの姿が。

 先とは違い、ダンタースの前に出ているのは彼への攻撃を阻む為。


「ラララララララァ!」


 一気呵成に攻め立てる巨漢とそれを阻むクリフの間には、未だに長い間合いが横たわっている。


 一挙手一投足には程遠く、然れど呪文の詠唱には差し支える程度のその間合いに置いては、修験者モンクの『遠当て』に優る物無し。


 『帯に短し襷に長し』と修羅の巷ではよく言うそうだが、手軽に使えてそこそこの間合いを意に介さない射程の長さは実に優れた塩梅で、況してや元が神を奉ずる聖職者クレリックとくれば職能クラスの噛み合わせも実に良い。


 遂には、両の拳で息もつかせぬラッシュを叩き込む巨漢に、しかし周囲の黒ローブは各々身構え。得意な得物を、魔道具を取り出している。


 その警戒心が功を奏したか集団の後方、虚空より飛来したその一矢は、而して、誰に当たるでもなく身を捩った巨漢の傍らを過ぎ去ってゆく。


 その動きが契機となったか怒涛のラッシュに息が切れたか、甘く入った左の一撃に対してクリフは、初めて楯を構えず甲冑の肩で往なしてみせた。


 たった一挙で流れが変わる。


 肩を振るった動きのままに、大きく右腕を振り回す。

 無論クリフの職能は重戦士ガード、決して距離を取った戦型が得意な訳では無い。


 而して、訳ではない。


 そも、全身鎧で固めた相手に対してどの様な戦法が有利を取れるかと云えば、其は勿論、距離を取っての引き撃ちに限る。

 欲を言えば相手の方が重量で勝るならば、丘の傾斜等を利用して相手の足を更に鈍らせたい所。


 畢竟、どんな相手であったとしても、距離を取るのは戦の鉄則。その時になって、距離が有るから戦えません、では、お話に為らない程にお粗末なもの。


 であるならば、距離を取る事を正着手だと誰もが考えるのだとすれば、当然の如くするのが戦士と云う者。


「チェリャァ!」


 喚声と共に振り抜かれたその腕の先、逆手に握られていた手槍が一直線に、動きの鈍った巨漢へとひた走る。

 稲妻の如きその一投を連撃を放った直後の巨漢は避けようもなく、決闘であれば此処で勝負は決したであろう。


 故に、後方からの援護が飛ぶ。


 一枚二枚と巻き上げられた呪文書スクロールが宙を舞っては燃え尽きて、幾つもの呪文が行使される。

 巨漢の男を取り巻くように幾重にも重ねられた衣の様な燐光、『防護衣プロテクション』の呪文による守りは間一髪、その腕が食い千切られるのを防いではみせた。

 尤も、皮一枚で繋がっているようなを無事と呼べるかは、また別の話しになるだろうが。


 そして、此処にいる戦士は一人では無い。


「オーララァ!」


 声を潜める様な真似はせず、盛大に鬨の声を上げながら吶喊するダンタース。

 散発的に飛来する飛び道具を物ともせず、大金鎚を担ぎ上げ、敵集団後方にぶち当たらんとする。


 突撃の勢いままに振り下ろされた大金鎚は、小柄な人影の掲げた大楯を砕いて逸れる。打ち砕いた楯の破片毎、地面を打ち据えた大金鎚はその反動を利用して、勢いよく跳ね上げられた鉤手で以って小柄な人影を打ち上げる。

 放り出された人影に頓着するものは何処にも居らず、再度振り上げた大金鎚を渾身の力で以って打ち下ろさんとするダンタースに対し、敵手からの呪文による火線が集中せんとした、その瞬間に。


「出過ぎだぞ、ダン!私の横に居ろと、口酸っぱく話しただろうが!」


 楯を構え、土煙を蹴立てながら高速で迫るクリフ。見ればその足は動く事なく、突き出た車輪によって機敏に前後左右に移動している。後方やダンタースを狙う一撃には楯を構えて防ぎ止め、自身への攻撃には鎧で以って受け止める。その上で必要のない攻撃に対してはしっかりと射線からその身を外し、あるいは導線にて回収した右の手槍で以って逸らし、不要な被弾は回避する。

 我流ながらも基本に忠実な立ち回り。教本にしたいほどにバカ丁寧なその動きに翻弄されて、敵集団は有効な攻撃を打ち出せず、打って変わって打撃にしか意識を向けていないかのような騎士団長に、盛大に跳ね飛ばされては戦闘不能に陥っていた。


 二十は数えたローブの人影も既に過半は地べたに倒れ、最早戦意を保てず後方の逃げ道を気にする素振りすら見え始めたその時に。


「同志諸君、怖気付くにはまだ早い」


 集団の後方から声が掛かる。

 見やれば其処には際立った威圧を放つ人影が一つ。


「我等にはまだ、神の御加護が付いている」


 フードに隠された容貌を伺い知ることは出来ないが、その声音一つを取っても只者ではないことが知れる程、その声の主は他者を従え差配することに馴れた様子であった。


「来たれ『『上級召喚ハイコール魔神降霊デーモンライズ』』そして『装魔デモニック異相具器ウェポン』」


 一息での重複詠唱、類まれな術者でなければ成し得ぬ荒業であり、況して用いるは招異呪文。制御の難しさでは数ある術者職能の中でも指折りのそれを、苦も無く手繰って見せるなど凡百の使い手ではあり得ない。


 そして、その一手で再び戦場の流れが変わる。


 魔方陣から浮き出る様にして現れたるは、堂々たる上位魔神グレーターデーモン。何れも劣らぬ異容なれど、その装いは大きく異なる。


 前方に現れたのは、巨躯を棘の如き鱗で覆いつくし直立した鰐の様な魔神。

 後方に現れたのは、肉塊を捏ね繰り回して模った壺の様な姿の魔神。

 其々名を『‘‘反駁する”侃鰐魔神ディトリチノコイ』『‘‘模造する”臼孔魔神タンゲルクン』と呼ばれる、紛うことなき上位魔神の姿であった。


 更にはそれらを呼び出した術者本人が、魔神の武具を身に着けて前線へと斬り込んで行く。


 本来、専業術者スペルキャスターは切った張ったには向かぬものなれど、そこはそれ、幾らかの例外もある物で。誓約召喚者ウォーロックの、それも魔神との契約、召喚に特化した招異術士デーモンルーラーともなれば魔神の力を借り受けて、最前線で戦士と切り結ぶことも不可能ではない。

 無論の事、そこまでの練度に達するまでにどれほどの修練を、死地を乗り越えてきたかは、彼ら英雄であっても及びもつかぬほどの代物であろうが。


「ハァッ!」


 洗礼された立ち居振舞い、人の上に立ち命ずることに慣れた口振りとは裏腹に、その剛剣は荒々しく我流の剣であることが観て取れた。


 クリフは剛剣による嵐の如き剣戟に、両の手に携えた武装で以て相手取る。

 本来であれば鎧で受ける所なのだが敵手が振るうは魔神の刃、触れただけでも衰弱、脱力、瘴気汚染に免疫低下と状態異常のオンパレード。況してやここまで高位の術者の用いる呪文ともなれば、通常扱われる領域のそれとは一線を画すもの。不用意に受けようとした一撃が鎧をすり抜けて骨肉を断たれる、ぐらいで済めば御の字であろう。与り知らぬ所で己が命脈を断たれぬ為にも、断固として受ける訳には行かぬのだ。


 そも、往なし空かし、打ち合わぬようにして漸く成立している立ち合いだ。不用意に受けて衝撃で動きを止められてしまえば、相応の痛手は覚悟しなければならなくなってしまう。


 況してや、警戒せねばならぬ敵手は一人ではない。


 ぬるり、と巨躯に違わぬ鈍重そうな、その実俊敏な動きで以って侃鰐魔神が割り込んでくる。折しもダンタースが二人の打ち合いに横やりを入れんとしたその瞬間の出来事に、是非も無しと全力のぶちかましをお見舞いする。

 さしもの上位魔神もぐらりと態勢を崩し隙を見せてしまうものの、追撃を警戒してダンタースは素早く下がり、開いた隙間に体をねじ込む様にクリフが割って入ったその刹那、空を断ち割るような剛剣の一撃が飛び込んできていた。

 更には頽れた体勢から、起き上がる反動での頭突きをお見舞いしてくる魔神。これに対して咄嗟にダンタースの迎撃が飛ぶも、今度は意に介す様子も無く、大金鎚を物ともせずに突撃を敢行してくる。


「チィッ!面倒な能力だな」

「分かっているのなら対策をしろ、愚か者!」


 言葉通りに苦々しい顔を隠しもせずにダンタースが毒づくや否や、開けた左手で素早く懐から投擲剣ダガーを取り出し手首の返しのみで目にも止まらぬ投擲を見せるが、それは割り込んだ剛剣の腹に打ち払われる。


「させませんよ、こんな好機。みすみす逃してなるものですか」

「厄介だな、貴様ァ!」


「でも、視野が狭いね。引きこもっているから、目の前しか見てなくても済んでたのかな」


 言葉が響くのが先だったか否か、鋭い弦鳴りと共に虚空からの矢が飛来する。


「どうやって!」


 身を翻し躱すのが精いっぱいの招異術士に再び魔神を庇うほどの余裕は無く、そもそも適正配置は後衛寄りな侃鰐魔神に機敏に攻撃を避けるだけの能力も選択肢も無く、妖しく輝く矢じりが深々とその身に突き刺さる。

 

「ジャラァァ『インクリスプレッシャー』!」


 三度振り上げられた大金鎚に、鈍色の燐光が纏わりつく。鋭くコンパクトに振り下ろされたそれは見た目以上の怪音を響かせながら、魔神の巨躯を再びよろめかせ膝を着かせた。無様に転げた魔神ではあるが、本来であれば身体能力には特筆したものが無くとも耐性と頑強さには一家言有るものなのだ。それが今は、起き上がれずに地団太を踏み転げまわっている。

 見れば魔神の身体には、先ほどまでは大金鎚を覆っていた鈍色の燐光が纏わりつき、更には突き刺さった矢を始点に四肢へと向けて、燐光が渦を巻いている。停滞と呪縛を与える特異な状態『反重力アンチ・グラビティ』の影響エフェクトだ。


「『反転復元キュアリレーション』!やってくれる。だが、二人きりで彼らの猛攻を防ぎきれるか!」


 守りの為に一手割いた招異術士ではあるが、どだい数の上では向こうの方が上回るのだ。各々呪文や霊薬ポーションの類で以って戦線へと復帰した黒ローブの者どもに加えて、後方で臼孔魔神が粗製乱造を繰り返した魔工造物マギアが波の如く押し寄せんとする。

 迫る人波にはさしもの英雄と云えども堰き止めるには一歩及ばず、幾らかを跳ね飛ばし斬り潰そうにも、上位魔神と高位招異術者との連携に被害を出さずに除けたのは両手足の指で足りる程度。


 如何に前衛として立ち回れるだけの能力があったとして、一人で出来ることなどたかが知れている。況してや背後には足手まといを抱えているのであるからして、迫る棄教者達にとっては容易くは無くとも、己が屍を積み上げれば相手の首に手を掛けることも夢ではないと、そう思ってしまっても不思議ではない状況ではあったのだ。




 尤も、たかがそれだけの数で如何こう出来る相手であれば、端から超抜級の英雄レコード・ホルダー等と言って、持て囃されたりするものか。




 勝利の、目的の為に死兵となった棄教者達にとって、置き去りにした同朋の骸等眼中に無く。況んや足止めされた相手等、既に意識の片隅にも残っては居ない。


 故にこそ、次なる一手が流れを決定的な物へと変えた。


「「「喝!」」」

「「「!!!」」」


 手槍を逆手に、全霊を込めて放たれた咆哮シャウトがクリフのから鳴り響く。

 それは至近に居た魔神や招異術者を打ち据え貫くに留まらず、後背にて意識を逸らしていた有象無象にこそ轟き渡る。


 意識の間隙を鋭く射抜いた咆哮に、心の臓を掴まれたが如く棒立ちとなる棄教者共。更にはこの手の攻撃の影響を最も受け辛い筈の魔工造物すらも、その動きを止めてしまう。

 至近で聞いたはずの招異術者が最も早く立ち直ったが、ふらつく頭を抱えながらでは満足に斬りあうことも出来ず、況してや先ほど呪文まで使って復帰させたはずの上位魔神が、此度は手足を伸ばして痙攣している始末。



 そして、そんな大きな隙を見逃すような者は、この戦場には立てはしない。



「ウィアァァ!『ショートカットA・B・I』!」


 突貫。大金鎚を振り上げ向かうは暫定敵首魁、


 後方で一体、黙々とその能力を行使しては兵隊と武装、更には消耗品までもを賄っていた臼孔魔神に対してであった。

 前線に一人置いて行かれたクリフではあるが、そも単独での専守防衛は十八番である。況して相手は本調子で無く、そも、いくら高位の術者と云えども同格ですらない相手に裏をかかれるほど耄碌もしていない。


 そして幾ら上位魔神と云えども後方での補給と生産が本領の『‘‘模造する”臼孔魔神』に、英雄の放つ一撃を避ける術も防ぐ術も無く。あっけないほど簡単に、その肉塊の身体は飛散し事切れたのであった。


「流石は、とでも言ってあげましょうか、英雄。やってくれましたね」


 漸く招異術者が立ち直った頃には、既に大勢は決していた。

 後衛狙いの有象無象は倒れ伏し、頼みの上位魔神は一体が退去、もう一体は行動不能。自身にしても既に呪文はも使用している以上、これ以上戦局を打破できる手札は無い。


 だとしても、此処で引けるわけがない。

 引いたとしても意味は無い。


「此処までしてくれたのですから、最後まで付き合って頂きましょう」


 覚悟と共に剛剣を構える。


「降伏は」

「不要です。その分、彼らのその後を頼んでも?」


 最後の機会とフードを跳ね上げ顔を晒す。

 端正な顔立ちに、どこにでもありふれた金髪と、珍しい紅玉の瞳。


「……委細任せてもらおう」

「忝い。……我が名はシャリアール。ただのシャリアール。英雄よ、いざ尋常に」


「『すちゃらか楽団バンドマン』あるいは『勇躍楽進ファンファーレ』のクリフエッジ。応とも、尋常に勝負を」


 

 

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