幽霊は僕を見る
ヨキリリのソラ
幽霊は僕を見る
『ねぇ、ねぇ』
夏、灼熱の太陽が照り付ける公園。特に何をするわけでもなく突っ立っていた僕に、一人の少女が声を掛けてきた。
『ん? 何かな?』
流石に半ば十もいかないような女の子に無反応というのも酷な話かと思い、僕は紳士を気取って問い返した。
すると、少女は笑うでも、悲しむでもなく、再び僕に向けて疑問を投げた。
『おじさん、今ぼっち?』
穢れを知らない表情から放たれるのは、孤独感を秘めた言の葉。槍よりも鋭く核心を突き抜ける様は純粋無垢という名の弾丸である。
『あっ、あぁ。僕はいつもぼっちだよ』
『そっか。いつもぼっちなんだね!』
動揺と失言のサンドイッチに加えて、少女はまたしても悪意一つないまま弾丸を発射する。とはいえ、僕が一人であるというのは今に始まったことではない。れっきとした事実である。だから痛みはあるが、悲しみや衝撃の類はない。
『残念ながらね。それより、そう言うキミは誰か友達と来てるのかい?』
きっと、誰か友達と一緒に遊んでいるのだろう。そんな予想が無意識の内に頭の中で浮かび上がった。
『ううん、私もぼっちだよ!!』
だが、そんな僕の予想を裏切るようにして少女は明るい顔を作り、ニコリと笑った。
一見して、小学校低学年くらいの少女。確かに今は少子化の時代だが、いくら何でも友達一人いないというのは不自然ではなかろうか。
「わーい、ブランコ楽しいー!」
「泥団子いっぱい作ったよ!」
「ケイドロする人、この指とーまれ!」
公園には大勢の子供がいるのだ。きっと、少女がその気にさえなれば初対面だろうが友達は作れるだろう。そう思って、僕は周りを見渡す。が、いつになっても少女に声を掛けてくる子供はおろか、こちらを見ようとする子供は一人だって出てこなかった。
『まさか、キミ』
再度公園内を見渡してから気付いた。自分の前に立つ少女。どうしてか、その姿を認識しているのは僕だけだった。
『そうだよ。誰もね、私のこと見えないの。だって、私は』
――幽霊だから――
『なるほど』
この公園で突っ立っている日々を過ごしてからもう何十年にもなるが、少女の幽霊に出会ったのは今日が初めてである。
だが、僕は否定も肯定もしない。一言、納得の意を呟くことでこの現象を腑に落とそうとしていた。
『ねぇ、ボッチのおじさんは幽霊なの?』
現状理解に努め、次第に驚きが心から抽出されていたところ、幽霊の少女が僕に訊ねる。いくら幽霊と言えども、流石はまだ小さな少女。悪口ではないが、発想が突飛過ぎる。
『いいや、僕は幽霊じゃないよ。死んでないから』
『そっか、じゃあただボッチなだけか』
『まぁ、そうだね』
『寂しくないの?』
『寂しいよ。一人で、誰も傍にいない日常なんて寂しい以外に何があるか』
少女との会話で初めて、僕は本心を紡いだ。今まで誰にも言えなかった自らの本心を。
『ねぇ、おじさん』
少女は僕の正面にゆっくりと背中を預けると、青く光る空を見ながら言った。
『私、一緒にいても良いかな?』
損も得もないただの提案、そう思うことは簡単だった。お気持ちだけとか、それっぽい文言を使えば、それだけで誤魔化すことは出来る。 それなのに、それをした時の嫌気を考えると、どうしてか目を背けたくなった。
『いいよ、キミがそうしたいなら』
僕は迷いなく、幽霊少女の提案を受け入れた。
朝、昨日と似たり寄ったりの好天で迎えた翌日。彼女は宣言通り、僕に背中を預け、日常の流れに乗っていた。
『ねぇ、ねぇ』
予想外の二日間を振り返っていたところ、少女が僕の腹をつんつんと指先で叩いててくる。
『何?』
『おじさんは何でここにいるの?』
昨日同様、唐突な質問である。
『さぁ。あんまり覚えてないな』
本当に、僕はどうしてここにいるのか覚えていない。恐らく何かきっかけがあるはずだが、それはもうずいぶんと前のこと。すっかり頭から記憶の葉っぱが抜け落ちてしまっている。
『そっか………………』
『逆に、キミは何で幽霊に?』
『さぁ、あんまり覚えてないな』
僕の問いに、少女はわざとらしく声を低くし、視線を鋭くして答える。もしかして、僕の真似でもしているつもりなのだろうか。だとしたらお世辞にも似ているとは言えない。
『はいはい、分かった分かった。覚えてないわけな』
『あぁ、違うよ。確か、遊んでたら何かの事故で、気付いたら幽霊になってたの』
『それって、未練があって幽霊になったパターン?』
『どうだろ? 未練とか私、よく分かんない』
『そっか』
照り付ける太陽に熱感を覚えた子供たちが僕の周り、日陰を囲う。子供同士で無邪気にお話をして、寝っ転がったりして、そしてまた日の当たる遊具の方へと戻って行く。
その間、幽霊少女の存在に気付くのは言うまでもなく僕だけ。別の世界にいるかのよう。そんな比喩が、ささらかな葉音と共に脳裏を過った。
『なんか、似た者同士だね、私とおじさんって』
『生憎僕は幽霊じゃないけどな』
『でも、おじさんは私とそっくりだよ?』
『何で?』
揶揄っているのだろうか。別に怒る気もさらさらないが、僕の問いは少しだけ不機嫌な色を含んでいた。
『ここから動けるけど、誰にも見てもらえない私。誰の目にも入るけど、動かず、誰にも話し掛けないおじさん。私たちに、大した違いなんてないよ』
誰かに干渉されたくても干渉されない。孤独であることの寂しさを抱いた互いだけで構築された無機質な世界にいる。
確かにそういう面で言えば、僕と幽霊の少女は似ているかもしれない。
気付けば、疑問や反論はそっちのけで、僕は幽霊少女に言い包められていた。
『結局、キミは何が言いたいんだ?』
『昨日も言った通りだよ。私はボッチになりたくないんだ。だから似た者同士のおじさんと一緒にいたいの。だって、おじさんは孤独を分かってるから』
要は自分と同じような状況に立っている僕と一緒にいることで、孤独を紛らわそうとしている。ということか。
『キミ、実年齢明らかに僕より上だよね?』
『女性に年齢を聞くのは失礼だよ?』
幽霊になってからは見た目が変わらないという事実。年下であることを疑う僕に少女は愉快な表情を浮かべ、唇に指を当てている。
『それは申し訳ない』
『まぁ、そのうち教えるから。その時を楽しみにね』
『覚えてたら、楽しみにしてる』
『もう、意地悪だなぁ』
本気で忘れるとは思っていないのだろう。少女がわざとらしく口を尖らせる。無論、僕だって忘れる気は毛頭ない。
『大丈夫、ちゃんと覚えてるから』
『約束だよっ、破ったらハリセンボンだよ?』
そして熱を帯びた今日が過ぎて、明日になって、気付けば一週間、一か月、一年、十年。そうやって時間が流れていっても僕と少女が離れることはなかった。
少女は僕に愛想を尽かすどころか、日を重ねるごとにその距離は縮まっていき、どうでもいい世間話からコアな会話まで色々なことを話題に上げるようになった。
『ねぇ、ねぇ、おじさん』
初めて出会った時のように日陰の下、少女は僕の腹辺りにその背中を預けている。地面に根を張って、動けないだけの粗い幹でしかない僕の腹は果たしてくつろげるスポットとなりうるのだろうか。
そんな些細な疑問を振り払うのは、やはり幽霊の少女。含みなんて一つもない黄色の花を顔いっぱいに咲かせて、僕に花弁を向けてくる。
『私の実年齢、楽しみに待ってた?』
『突然どうしたの?』
『いいから答えて』
『ちょっと待たせ過ぎじゃない?』
『ふふっ、覚えてたじゃん』
『まぁね』
長い長い時間の中。どうやら、これだけは忘れることが出来なかったらしい。毎日の会話や公園で起こった出来事なんてほとんど覚えちゃいないのに。
『私、今年で――歳だよ』
『うわ、僕より年上じゃん』
『えっ、ホントに?! じゃあ、私の方がお姉さんだね』
『さっきまで『おじさん』って言ってたけどね』
『もう言わないからいいの!』
――そういうもんかね――
そんな喉元一歩手前まで出かかっていたツッコミを飲み込み、僕は僅かに口角を上げた。
生前の名前も、趣味も嗜好も、私生活も、好きな食べ物やスポーツも、血液型も、将来の夢も。僕は彼女のことを何一つ知らない。
だからこそ、知りたくなったんだと思う。
『今度は、何を教えてくれる?』
僅かばかりの興味を含んだ僕の問い。対して、少女は幹に預けた背中を外に向け、愉快な表情を浮かべている。
長い長い時間を越えた懐かしい感覚が僕を擽り、緩やかな風が深緑の葉を靡かせる。
『まぁ、そのうち考えるよ』
こりゃ、長くなりそうだな。
嬉々とした内心のまま、僕はそんなことを思った。
「ねぇ、お母さん。今日も幽霊さんいるかな?」
もう、今がいつなのかすら分からなくなるほど長い時間が経ったある日。経年の侘しさに浸食された公園を訪れるのは一組の母娘だった。
「また、いつもみたいに聞くの?」
軽快な足取りと目に見えるほど溢れ出た好奇心をこちらに傾ける娘。それに対し、母は優しく落ち着いた様子だ。
「うん、聞くよ! 幽霊さんと木の妖精さんは仲良しだから! いつも話してるんだ!」
母の問いに少女は無邪気な笑みで答えると、向かう先は公園の奥。何の変哲もない一本の木にその背中を預けた。
「どう、聞こえる?」
「うん! とっても楽しそうに話してる!」
曰く、この公園には一本だけ幽霊と話が出来る木があるとのこと。最近は子供たちの間で都市伝説として流行し、幽霊と木の妖精の話を興味本位で聞く子もしばしばいるらしい。
幽霊は僕を見る ヨキリリのソラ @yokiririno-sora
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