第11話

 銀河連邦西部方面艦隊をグーパンで叩き落とした日、僕の三〇〇の艦隊にはなぜだが、大小様々な艦隊がうじゃうじゃとやってきて、銀河のはぐれ者が揃った艦隊に成長した。僕は銀河帝国艦隊にうっとりした。これだけの戦力があれば僕らは銀河連邦に大穴を空けられる。中心星ネビュラまでの旅路はすこしかかるだろう。

 

 僕は目を閉じて二三年前のことを思い出す。

 夏の日だ。あの夏に僕は銀河皇帝になろうと思ったのだ。蝉の声が耳に入ってくる。山岳地帯の、田舎で僕はある親子と出会ったのだ。彼らはラビュオ人とニディル人との間に生きる人々で、ある意味特殊な生き方をしていた。


 かくれんぼで誰にも見つけてもらえず夕方の山道を歩いていた。足取りは重くてトボトボ歩いていたのを覚えている。山道は急な坂になっていて勢いがついて山の出口にたどり着いた。

 夕方のひととき、ひぐらしが遠くで鳴いている。

 僕は手洗い場で傷口を洗っている少年を見かけた。癖っ毛の茶色の髪、褐色の肌の少年で手も足も生傷だらけで痛そうだった。僕はおそるおそる声をかけた。だいじょうぶ? と。彼はムッとして答えた。


「痛くなんかないぞ」

「そう……。僕はカヅキ・ミコト。かくれんぼしてたんだけど、一人だけ置いて行かれてしまったんだ……君は?」

「俺? 俺はヒノ・チアキ。カヅキは、それで一人なんだ」

「あはは、まったくダメだよね。こんなのじゃ」


 二人でその場に座り込んだ。チアキ君と僕は少しだけ思ったことを打ち明け合った。少年社会の厳しさをまじまじと語り合ったのかもしれない。その辺のことはよく覚えていない。そのころのことを考えると不思議なノリで僕たちは馴染んだのだ。

 山から出ると、辺りは夕焼け空で暗くなる前に急ごうと言って町へふたりで行った。途中自動販売機が見えて思わずサイダーをふたりで買ってしまった。暑かったその日を忘れてしまうくらいに美味しかった。


 僕たちはその場で別れた。手を振っているとチアキ君のお父さんが見えた。後で知ることになるけれど名前はヒビキさんといった。


 簡単な通話機能を持った端末は持っていたはずだから、僕らはそれから連絡を取り合って遊んだのだと思う。

 蝶の捕まえ方のコツをチアキ君から教わった。

 キャッチボールの投げ方をチアキ君から教わった。

 夜空の星座をチアキ君から教わった。

 僕の夏は、僕たちの夏になった。


 二人で遊んだ後は決まった自動販売機の前にいた。お小遣いがそんなにたくさんあった記憶はないけれど、サイダーやらオレンジジュースやらを買った記憶がある。

 

 ある日、チアキ君がお父さんを紹介すると言ってきた。チアキ君の父、ヒビキさんは背の高い人で眼鏡をした穏やかそうな笑顔を浮かべている人だった。三人でダイナーに入った。僕にヒビキさんはご馳走してくれた。罪悪感はあったけれど空腹には耐えきれなかった。僕は親にも言えない秘密を持った。

 山から町を見下ろせる高台に三人で歩いて行く。チアキ君はヒビキさんに頭をくしゃくしゃと撫でられて嫌そうにしていたけれど、彼らはいい親子だと思った。


 夕方になって家路につくと姉が心配して出てきていた。


「あんた、ニディルの子と仲良くしてるってホント?」


 僕はそのころニディル人のことは良く知らなかった。学校でもニディル人のことを話す人はいなかった。中学生くらいになると分かる、差別だった。

 チアキ君がニディル人だとかそうでないとか、そのときはどうでも良かった。だって友達だから。でも家族会議になってチアキ君のことは忘れないといけないと諭された。止めてくれよと思った。僕の友達を悪く言わないでほしかった。


 その日から僕はチアキ君に話してひっそりと会うことにした。山の中は町と違って自由だった。彼は自由で昆虫を捕まえたり、野山で走りまったり、いつものチアキ君だった。彼は僕にニディル人であることを打ち明けてくれた。でも完全なニディル人ではなくラビュオ人とニディル人の混血児なのだと教えてくれた。


 僕は世界の真実のひとつをこのとき知った気がした。差別はあるけれど、それを乗り越えた人々も世界にはいるのだと分かった。だから僕があるがままに行動することを否定する必要は無いんだって本能では理解していた。


「またあの子と遊んでるんだってね。お姉ちゃん、あんたと口利かないからね」


 理不尽だと思った。山で誰が誰と遊ぼうと構わないだろう。僕たち姉弟はそれから口を利かなくなった。ベッドで歯噛みして眠った。

 あるときチアキ君に尋ねた。


「ヒビキさんって普段何してる人なの?」

「父さん? 旅人だよ」


 旅人という雰囲気にただ惹かれた。大人になって思うけれど無職の言い換えだったのだろう。時折山の上を上昇していく宇宙船。見上げればそこには宇宙という別世界が広がっている。宇宙には雪に覆われた平原がある。火山活動が活発な死の山がある。人すら住むことのできない硫酸の海原が広がる星がある。そのどれもが知識で知っていることでしかない僕にとって、ただ大きかった。


 親や姉に理解して貰えなくてもチアキ君と遊んだ。僕は彼の話すくだらない話が好きだった。兄のような背中が好きだった。そのときの僕は良く知らなかった。ニディル人とラビュオ人のあいだで生きていくとはどういうことなのか。差別の強い、あの時代をあの親子がどうやって生きていたのか。それまでの旅路を想像できなかった。今でもときどき聞いてみたくなるけれど、チアキ君はいま僕の隣にはいない。


 彼は笑顔の似合う子だった。だからその顔が怒りに変わったときのことを良く覚えている。彼がニディルの血を引いていることはすぐに周りに伝わっていた。だから他の子たちにとってチアキ君は異質な存在だった。どうして僕はチアキ君を拒絶しなかったのか? 

 僕だってチアキ君をよそ者扱いしてもよかったはずなのに――。


 思い出した。僕たちはひんやりとした畳のうえで寝ていたんだ。それでチアキ君が手のひらを太陽にかざしたんだ。彼の手にはちゃんと血が通っていることが分かった。

 たったそれだけのことだった。

 彼はどこから見ても人間だったし、僕の友達だった。

 奇異の目で見られた日々だったけれど、チアキ君と野山を駆けた日を、今日がほんとうににあった日だったと覚えていたい。


 ときどき彼の顔は差別を受けて怒りに歪んだ。いじめっ子に取り囲まれたときや、大人から罵声を浴びせられたときも、僕は彼を宥めてチアキ君の心に降る雨から彼を守った。

 あの日はダイナーに三人で昼食を食べていて、ヒビキさんが大人の誰かに殴られたんだ。いつも笑顔を絶やさないヒビキさんを見て、男が言った。


「へらへらしてんじゃねぇぞ!」


 ヒビキさんにそのつもりは全くなかった。ニディルの血を引く彼にとって笑顔は処世術だったんだ。その笑顔が原因で殴られる、そんな筋合いはないと思った。


 チアキ君は頭に血が上ってカッターナイフで男を切りつけた。相手の大人の傷は深くなくて、でも警察が来た。チアキ君は傷害の罪に問われた。

 僕はチアキ君を止められなかった。

 ほんとうに一瞬のことだったんだ。

 彼が懐にカッターナイフを忍ばせているなんて思いも寄らなかった。

 僕は彼のことをあまりよく分かっていなかったんだ。

 彼は凶暴な獣なのか?

 それとも愛嬌のある友人なのか?

 よく分からなくなってしまった。僕はその場に力が抜けて座り込んでしまって動けなくなった。

 姉が迎えに来て「やっぱりそうなったじゃない……」って言った。やっぱり、ってなに? そんなにチアキ君は怖かったのか、ヒビキさんが怖かったのかって思った。


 彼が帰ってきたのは夜だった。ヒビキさんに連れられてチアキ君が帰ってきた。その眼差しは弱々しくて頼りない。


「やっぱり怖いよな。ニディルの血がそうしたんじゃない。俺がそうしたかったんだ」

「怖くないよ……。僕はチアキ君を……」


 そこから先が出てこなかった。喉に何かが詰まって僕は言葉を継げなかった。どうしてだよ、くそだ……。


 チアキ君と夜の公園で花火をした。火花があたりに散って綺麗だ。青白い光や緑色の光の華が咲く。僕は夏の終わりを感じていた。たぶんチアキ君はこのままでは社会に居られない人なんだと思った。


 星空を見上げた。宇宙になら、彼の居場所があるのだろうか?


「銀河って、宇宙ってどんな感じなのかな?」

「宇宙?」

「そう」

「宇宙はでっかくて、広くて、残酷なところだよ」


 彼の表情は暗くて見えない。


「僕がチアキ君の安心して生きていける国を作ってあげるよ」


 精一杯嘘をついた。チアキ君を安心させてあげなくちゃ。チアキ君を拒絶しないから。


「バカ言うなよ。宇宙は甘くないぞ」

「え……、そうなの?」

「そうだよ」


 彼の声は柔らかい調子になった。僕はホッとして彼と花火を続けた。ヒビキさんがチアキ君を迎えに来た。ヒビキさんは僕に話してくれた。


「チアキを守っていてくれたのは君なんだね? この子をありがとう」


 僕は何も言えずに立ち尽くしていた。チアキ君もヒビキさんも不器用だし、放っておけなかった。でもあの夏以降、彼らを見なくなった。彼らは遠い星へと旅立ったのだと親や姉は言っていて、彼らの横顔をもういちど見たいと思ったときには遅かった。いま彼らはどうしているんだろう。気になっても通話端末の電話番号は使われていない。

 

 大人になっていろいろなことを学んだ。僕らの生きる世界はチアキ君が言ったように残酷で、甘くないのだ。それで僕の心に燻る思いをもう一度燃え上がらせた。

 僕は僕が安心できる世界を作りたいのだ。僕のたいせつな物が、人が、雨に打たれない世界を作りたい。僕はそう思ったのだ。

 

 あの眩しい夏はもう二度と帰ってこない。

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