第6話
「ミコト、ミコトってば……」
もう、あなたってほんとうにおっとりしているわね。グズなのかしら。そう言いたい気持ちもあったけれど
ミコト先生は私の家庭教師だ。数学・国語・英語・理科を教わっている。週五日いつでもいっしょだ。私はミコトが好き。彼もとくに何も言ってくれないけれど、私が好きなのだろう。
ここは人口十九万人の都市、ローリエス。お父様が統治している領地だ。都市の周りは深い森に覆われていて、空気は甘い香りを持っている。私たちはほとんどローリエスから出ることはない。それが私たちの人生で生活だ。おとなしく、清く、正しく……、いいえ。
淑女たるもの男子と野球するべからず。お父様はよく言うけれど今日は晴れていて気持ちがいいからバッドを振り回したくなる。ぶんぶんと素振りしてから幼馴染のジャービーがボールを投げた。緩い速度の球を私は森のむこうへと打ち返す。ジャービーが泣き顔になって訴えてくる。男子たるもの、堂々とあれ! でしょう?
メイドのニーナはいつも私に手を焼いて、いや優しくしてくれる。私の髪を梳かしつつ、レディの心得を懇切丁寧に教えてくる。ニーナは真面目で良い人だけれど、こういうところは苦手だ。
「いいですか? お嬢様。私の申し上げました通り、淑女はおしとやかでなければなりませんよ……」
わかってるってば。何度も耳に
外の明かりが差し込む廊下からグラウンドを見下ろすと、ジャービーが剣術を習っている。いいな、という羨望が胸に残って私は無視して歩き出す。お城のなかは私一人の生活じゃ、退屈なのだ。
自室に戻ると写真が一枚ある。その写真はお父様が決めた許嫁のもので、ハンサムだけれど気障ったらしいその横顔が私は気に食わない。男子たるもの、いいえ、理想はもっと優しい人だ。柔和な笑顔が素敵な人がいい。そう、たとえばミコト先生みたいな人が。
鏡を見る。金色の髪が映っている。そして白い肌と青い瞳。私の歳がもう三つ、あるいは五つ高ければ私はあの人に相応しい人になれたのだろうか? 私はため息をついた。
カーテンを開ける。光が部屋に飛び込むと、憂鬱な気分を消し去るために私は外に出た。
花壇に水を遣るニーナが見えた。
声をかけようとしたらミコトがニーナに話かけた。ふたりの様子は和やかでいい雰囲気で、私はそれが気に食わない。そこへずかずかと入り込んでいくのも違う気がする。見ているしかなかった。
ニーナは私に気づいて視線を送ったけれど、私はそこから去った。
「お嬢様、あれは違うんですっ……」
ニーナは私に言った。ペコペコしながら謝る。その姿がどこか可愛らしくて抱き寄せる。いいえ、あなたは悪くない。私がすこし良くなかった。ニーナは安心したようだ。彼女は私の気持ちを知っている。
勉強部屋へ向かうとミコトが立っていた。手には林檎が握られていて、彼はどうやら林檎を剝いているらしい。ナイフを持つ手がぎこちない。
「痛っ……」
ほら、言わんこっちゃない。救急箱は戸棚のうえだ。彼を手当てしなくっちゃ。不器用な人だ。かわいい。
ふたりで林檎を食べる。その味は甘くて美味しく感じた。
私たちは勉強を始める。夕方になって勉強が終わると、ミコトは教科書を纏めて部屋から出ていく。彼の柔らかな背中を抱きしめる。だいすきだからだ。
「こら、レオノーラ。離してくれよ」
「離さない~」
甘えた声で言ってみた。
「甘えん坊だ。だったら!」
彼は私をくすぐった。
「やめて、やめてったら……アハハ」
ミコトとの時間はいつもあっという間。
私は夕食を済ませるとお城の探検に出かける。長いこと住んでいるとは言え、知らない場所も多い。
私はお城の地下室へと歩いていく。
暗く、静かな地下室には隠し部屋があった。
私は興奮して隠し部屋のなかへ忍び込む。七八平方フィートほどの広さで壁は本棚が立てかけられており、小さな机の上に日記帳があった。
お父様の日記だった。お父様のお仕事はローリエスを治めることだけれど、ときどき国王の城へも行くことがある。この日記はいわばお父様の国王に対する愚痴だった。国王はとにかく気難しいひとだとか、メンヘラだとか、挙げ句の果てには国王に向いてないだとか、そんな言葉が書き並べられていた。私は威厳あるお父様がこんな泣き言を言っていることを知って少し落胆した。
私は日記帳を閉じた。隠し部屋から出て、私が入った痕跡を残さないようにする。そうして私は部屋へ戻った。部屋にはあの許嫁の写真があって私は気にしないようにしながらベッドに座る。そのまま横になった。仰向けで天井を見上げると、天井の模様がぐるぐるとした。私の世界は不安定だったんだ。そんなことを思った。
お父様と国王は仲が悪いんだ。外から見れば良好な関係のように見えていた。彼らは、いいや、大人ってそんなものなんだ。だったらミコトはどうなのだろう? 彼も大人だけれど同じ? いいえ、違う、違う。彼は特別。
あれは少し前の話だ。森で遊んでたいせつなブローチを落としてしまった。一生懸命探したけれどどこにもなかった。そこへミコトがどこからともなく現れていっしょにブローチを探してくれたのだった。彼は私の泣き出しそうな気持ちを宥めて、優しく微笑んだ。「いっしょにさがそう」と。
私たちは森のなかでブローチを見つけた。私の隣にいたひとは私の特別になった。
***
ひとつの月が新月で、もうひとつの月が見えた。きょうはひと暴れしよう。僕はセシリアを呼び寄せた。
ローリエスは平穏で静かな町だ。僕にとっての銀河そのものの象徴だ。反体制組織、闇の騎士団を招集した僕は、そのなかでも数人を僕の手足となる
門を守る騎士たちが慌てふためくなか、僕たちは城へと堂々と入り込んだ。
***
外が騒がしい。きょうは少し暗い夜だった。部屋の扉が開いてニーナがやってきた。
「お嬢様、お逃げください!」
「何事なの?」
「テロリストです。場内に複数の実行犯が侵入しました」
「お父様は?」
「旦那様はもう……」
私は口を覆った。そんなお父様がお亡くなりになるなんて……。
ニーナは私の手を取って裏口へ向かう。廊下で銃の音がした。私の現実が崩れていく。ジャービーもどこかで死んでいるとしたら……。恐ろしくなる。呼吸が荒くなり、心臓が不気味な音を立てている。
目の前に外から侵入してきた男が立ちふさがる。引き返そうとすると後ろにも。ニーナは懐から銃を取り出した。構えると発砲する。弾丸は男に当たらなかった。
パンと銃声がして反対にニーナの頭部が揺らいで彼女が死んだ。
「ニーナ、そんな……」
涙が止まらなくなる。なんてこと……、なんてことだ……。
私は俯きながらも必死で理性を保った。そこへミコトがやってきた。
「ミコト?」
「レオノーラ、いい夜だね」
「わけがわからないよ。ミコト、何を言っているの? あなたはどうしてこちら側ではなくあちら側にいるの? ニーナは死んでしまって、お父様も死んでしまった! 私は死ぬの?」
奥から少女がやってくる。彼女の影が揺らめいたと思ったら、私の頭蓋が揺れる。殴られたのだ。重い力で頬を叩かれ、失神しそうになる。
「おっとセシリア。殺すな」
「はい、ミコト様」
冷たい雨の音のような冷酷な声だ。ミコトは私に言った。
「レオノーラ、君の気持ちは知っていたよ」
「この期に及んで何を言い出すの? 私の気持ちなんてもうないわ! 失望だけが胸にいっぱいに広がっているわ。私の世界を返してほしい。ミコトもほんとうの姿を取り戻して!」
「それは、偽りだよ」
「え? なにを言ってるの? ミコト、お願いだから優しい心を取り戻して!」
「レオノーラ、ここにナイフが一本ある。どちらかを選べ」
ぬらりと煌めくナイフが手渡された。くやしい。その意味もわかる。私はどちらを選ぶか。決まっている。私はミコトからナイフを奪い取り、彼に突き刺した。ところがナイフは硬いなにかにぶつかった。ナイフははじけ飛び、私の頬をさっと切った。だらりと私の頬から血が流れる。
「う……、うぅ……」
熱い。
「そうか、それが君の気持ちか」
外から泣き出したような雨音がし出した。
「さいごにお願い。好きだって言って。あの日々に私を返して……」
「好きだよ……レオノーラ。
私の意識はそこでついえた。
***
ローリエス壊滅の
ビヒャレスはローリエスへ兵隊を送ったが、ローリエスは町ごと壊滅状態にあり、実行犯が皆自害しているという惨状に言葉を失った。
事件を企てた人物を探したが、見つからなかった。
一か月後、ビヒャレスはかねてより緊張状態にあった隣国キルヘスとの書簡で返事に困っていた。こんなときにマイエヴァラがいてくれれば、ビヒャレスの気性を
ビヒャレスはキルヘスとの戦争を決めた。ポリャコフ南西のトルルイベ川で行われた、世に言うトルルイベの戦いである。トルルイベにはビヒャレス側、一万の兵隊とキルヘス側、三万の兵隊がぶつかり合った。戦いは六時間にも及んだ。
そうしてビヒャレス率いるマクスニス軍は敗れようとしていた。ただビヒャレスには奥の手があった。銀河連邦より貸し与えられた宇宙戦艦一隻を空中に配備していたのだ。銀河でも産業が中世レベルの国で宇宙戦艦などオーバーテクノロジーだろう。
宇宙船エールベイウの砲塔が炸裂した。騎馬は荒れ狂い、弓兵が絶叫した。エールベイウの虐殺を見ていた者がいた。彼のカメラは戦場を睨み、その姿を克明に捉えた。虐殺はフィルムに収められていた――。
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