第十二話 Over easy/とても簡単な⑤


 昔馴染みとの久しぶりの再開というのは、いつだって気まずいものだ。

 俺とノエルは同じ施設で育った気のおけない間柄ではあったが、俺が外で福祉局に勤めてからは顔を合わす機会もそう多くはなかった。

 出来ることなら、こんな血なまぐさい再会はしたくなかった。


「よおノエル。まあなんていうか、久しぶりだな」


 俺はせいぜいフレンドリーに見えるようににこやかに手を振ってやった。ノエルはニコリとも笑わない。


「お前、なんだってこんな事した?」

「……」

「死ぬかもしれなかったぜ」


 実際、かなり危ないところまで来ていた。ノエルが今ここで生きているのは、本当にたまたま幸運が重なったというだけのことでしかない。

 何かが少しでも違っていて、俺が来るのが遅ければ、きっとあっけなくノエルは死んでいただろう。きっと、本人にもそれがわかっている。


「またアンジュと喧嘩したのか?」

「……嫌いだ」


 黙り込んでいたノエルが、不意に口を開いた。

 声が震えていた。泣いているのか、と思った。


「……あの死体屋も、死にかけのドラゴンも……エデンもアカシアも」


 泣いているように思えた声に滲んでいるのは、燃えるような怒りだった。そして同時に、氷のように冷たい悲しみでもあった。

 きっとこの数日で、この世にある凄惨に近づきすぎてしまったのだろう。


「この街には私と同じ人魚がたくさん居て……あいつらに食われた! 何人も、何人も! 不死になりたいとか死体が可愛いとか、そんな……意味のわからない理由で! アカシアもエデンも、自分のことしか考えてない! 自分ではなんにもしないくせに! だからこんな事になるんだ!」


 ノエルの言葉は、堰を切ったように溢れて止まらなかった。

 きっと緊張の糸が切れたのだろう。極限の状況の中で押さえつけられていた恐怖が、怒りとして表面化されているのがわかった。

 悪いことじゃない。むしろ、正常な反応だ。こういう状況で感情を押さえつけられて、戻ってこられなくなった人間も、俺はこれまでに何度か見たことがある。それに比べれば、ずっとましだ。

 それに、ノエルの言う事は正しい。この街は狂っていて、そのせいで命を落とした奴が大勢居る。誰にもそれを覆す事はできない。


「転生者を治療するとか、福祉局とか、偉そうな御託を並べて……結局みんな同じじゃないか! 同じだ……なにもできなかった……私と……同じ……」

『ノエル……』


 ギギは何かを言おうとして、口をつぐんだ。ドラゴンの尺度から出る言葉では、人間の心を慰める事はできない。

 ギギにはそれがわかっていた。だから、何も言わなかった。そこにあるのは、この街では当然のようにありふれたの断絶だ。


「う、うぅ……」


 ノエルは遂に泣き出した。泣き虫ノエルの面目躍如──アンジュならうまく慰めただろうが。そういうのは俺には向いていない。

 それに、きっと今のノエルに必要なのはもっと別のことだ。


「そうだ。俺もお前も同じだ。奴らに食われた人魚は助けられなかったし、アカシアもエデンもクソで、この街はいかれた病人の犯罪者だらけで最悪だ」


 俺は笑おうとした。上手く行ったかどうかはわからないが、そうするべきだと思った。


「仙舟が死んだ」

「え……?」


 怒りと恐怖と混乱に紅潮していたノエルの顔色が、一瞬で哀れなほど色を失うのがわかった。

 親しい人の死を、もっと優しく伝えられたならどれだけ良かっただろう。

 だが、俺にはそんな事はできなかった。俺にできるのは、どこまで行ってもただの暴力でしかなかった。

 だから、こうすることしかできない。


「あっ……あっ……え……?」


 ほとんど紙のように白い顔を両手で覆って、ノエルはその場に崩れ落ちるように膝をついた。


「私の……せい……?」

「いいや」

「私が捕まったから、足がついて……仙舟先生もあいつらに……?」

「狙われてたのは若い女の人魚だけだ。仙舟は情報屋として、口封じをされた」


 ノエルはエデンの内部から人魚の失踪事件の情報を掴んだ。

 その情報から犯人を探すために、ノエルは仙舟を頼った。

 そんなことをしなくても仙舟は遠からず事件に繋がる情報を掴んでいたはずだし、いずれにしても彼女の口は封じられていたのかもしれない。

 だが、ノエルが関わっていることを知らなければ、仙舟はもっと早くに姿を隠していたのかもしれない。

 答えはない。それを知っているのはこの世にクソみたいななぞなぞを投げ落として遊んでいる神様だけだ。


「婆さんは、最後までお前を気にかけてたよ──『正しく怒れ』だとさ」


 最後に見た仙舟の顔を思い出した。彼女は笑っていた。

 それが救いだった。ノエルの中の彼女も、そうであれば良いと思った。


「お前、なんだってこんなことをした?」

「それ、は──」


 ノエルの唇が震えていた。何かを言おうとしていた。価値のある何かを。


「……私にも、何かができるって思いたかったんだ。カブト兄とアンジュが私を助けてくれたみたいに……私も……カブト兄みたいになりたかった」

「俺みたいに?」


 笑い話なら、上等だったかもしれない。

 今回の事件での俺たちバックス福祉局は誰も助けられなかった。仙舟も、他の人魚たちも。全ては後の祭りだった。俺たちにできるのは、その本来の役目通り。ただ事件を山に葬り去るだけ。

 薄汚い『迷宮局』の仕事だ。


「なってどうすんだ。そんなもん」

「なりたかった……なりたいんだよ。だってカブト兄は私のさ……」


 ぽつぽつと呟くように言う。最後の方は掠れて言葉にならなかった。

 『エデン』での日々。俺とアンジュは、一緒になってノエルが何とかもう一度声を出してまた歩ける様にしようとした。それも、今となっては正しいことなのかわからない。少なくとも俺がなにもしなければ、彼女はこの都市の底に渦巻く最悪の悪徳に触れる事もなかっただろう。

 結果として、俺とアンジュの相棒関係もうまくはいかなかった。ノエルはその理由を知らない。

 何もかもが、上手くはいかない。


「けど、それだけじゃなくて……声が、」

「声?」

「声が、聞えるんだ……ずっと、ずっと。どうしてお前だけ助かったんだって。ひどい事件の話を聞くたびに、ずっと……」


 俺は、いつか聞かされたノエルが『エデン』に来るまでの経歴を思い出した。

 彼女は彼女以外の全てが死に絶えた災厄を自分のせいだと思いこんでいる。

 この街には、自分をなにか人間とは別のものだと思い込んだ人間が山ほどいる。だが、自分を大量殺戮者だと思い込んでいる奴なんてそうそう居ない。まして、ずっとその罪悪感に苛まれている奴なんて、ほとんどいない。

 咎める者すらどこにも居ない罪の十字架を背負った者が許しを求めるのは、途方もない巡礼の様なものだ。ノエルは許されたくて必死なのだ。課せられた責任を果たして、自分に生き残った価値があるのだと示すことでしかその罪の意識からは逃れられない。

 だから、彼女は怒っているのだ。十字架を背負って生きるためにはわそれが必要だからだ。

 俺にはそれがわかった。そうしなければ狂ってしまう。


「空耳ですらないんだよ、ノエル。そんなものはな」


 いつか、『エデン』の施設で初めて見た時のノエルの姿を思い出した。

 暗い部屋でうずくまって、自らの認知と異なる形をしているせいで痛む両足を抱えて、ずっと何かに謝っていた。

 その時にも確か、同じことを言った気がする。


「全部お前の独り言だ。お前を責めているのも、お前を許さないのもお前だ。だから、お前をほめてやるのも、許してやるのもお前なんだよ」


 俺にはそれがわかった。

 俺は『|絶滅者≪スローター≫』だからだ。

 

「仙舟は死んだ。だが、俺もお前も生きている。生きているからにはやるべきことがある。お前がお前を許すために」


 ノエルは泣いていたが、それと同じくらい怒っている。この街があまりにもクソなことに。この街を支配する企業複合体が、その下にあるエデンが、更にその下にある俺たち福祉局の酷さに怒っていて、そんなものを巡る何かの陰謀に親しい人を殺されたことに怒っている。

 それが必要なのだ。少なくともそれは、止まってる足を動かす理由にはなる。


「カブト兄の、やる事ってなに……?」

「お前と同じだ」


 外からは、ドラゴンの咆哮が聞こえる。死の苦痛に悶えるような悲痛な叫び。不滅の命を持つ筈の者が、今まさに朽ち果てて死のうとしている。膨大な命を道連れにして。

 俺はそれを止めなくちゃならない。仕事だからだ。そして何より、俺がそうすると決めたからだ。


「多分素質あるよ、お前」


 こういうことを言うと、アンジュは怒る。前にも俺のせいでノエルが不良になったとかで散々嫌味を言われた事がある。

 だが、人間が何を考えて何を選んで、どうやって生きていくかを決めるのは、どうしたってそいつ自身だ。自分に課せられた問題は、自分で解決しなくてはならない。

 そして今まさに、俺たちは俺たちの解決すべきものを目の前にしている。


「じゃ、行くかギギ」

『……なんダ、その手は』


 突き出した俺の拳を見て、ギギは怪訝そうにした。


「グータッチだよ。こうやって拳を、コツンってすんの」

『知ラン、何の意味があル』

「これやると絆パワーが爆発して超強くなんだよ!」

『私の知った事デハ無い』


 ドラゴンの相棒ってのはこれだから困る。これから死ぬかもしれないって言うのに情緒のかけらもない。


『……死ヌなよ』

「お前もな、ギギ」


 たった一言だけ言い残して、ギギは砕けた壁から矢のように建物の外へ飛び出して行った。

 ギギは、本人としては不本意だろうが一度あのロゾロ=ミハエル・岩動・オーランドに敗北した事になる。ドラゴンのプライドに照らし合わせれば、許せない恥辱だろう。恥は報復によってしか雪げない。ギギにはそれがわかっている。


「ノエル、要のこと見といてくれ」

「……どこに行くの?」

「ギギが派手にやってくれるんなら、俺は俺で本分を全うしなきゃな」


 事件屋だなんだと揶揄されはするが、建前ではあっても俺たちは福祉局の職員であり、その職務の本質は転生者の介護、及びその生命の危機に際しての現場介入である。

 この街は歪で、介護を必要とされる人間も、同様に誰もが歪んでいる。だから、俺たちのような歪な職業が生まれた。

 それをやる。課せられた役目を果たす。ここに来て、いよいよ事件は大詰めだ。


「ダンジョンハックだ。事件屋の仕事の、一番面白い所だぜ」


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