第十三話 Over easy/とても簡単な⑥

 地上数百メートルの孤独の中にあって、ロゾロ・ラジーンは絶えず死病の苦痛に苛まれていた。

 かつて軍に所属していたその時も、同じように、心は常に空にあった。誰よりも高く飛び、何よりも速く飛んだ。彼の認知においては、彼は正しくドラゴンそのものであり、そうあるために彼に課せられた条件が、軍への貢献だった。

 ロゾロ=ラジーンは、寄る辺無き天の彼方から地上にあるものを葬り続けた。それこそが自らに課せられた絶対の権能の正しい使い道だと信じていたし、そうする事がまた、彼の誇りを保つ事に貢献するという大義名分によって、未曾有の兵器は運用され続けた。

 努めて地獄の入り口を開き、あまねく弱者を等しくその断崖へ突き落とし続ける日々──絶対者としての栄華は、長くは続かなかった。少なくとも、彼の認知における彼自身の悠久の命からすれば、それは瞬きと思えるほど短い、一瞬のことに過ぎなかった。


 身体が激痛に苛まれている。吐き気がする、空気が不味い。なんだこれは、一体なんだ?

 竜の身体には一切の異変もない──ここにない、自分ではない誰かの肉体が病に侵される苦痛と、その弱い定命の肉の器に自分が縛られているという耐え難い認知的不協和が、ロゾロ・ラジーンを発狂させた。ミハエル=岩動=オーランドという脆弱な人間が、絶対者である自分自身と何よりも分かち難く結びついているという事実こそが、彼にとって何よりも耐え難い苦痛の源だった。

 そしてその時、奴が現れた。


「お初にお目にかかりますわ、ロゾロ・ラジーン様。誇り高き竜の英雄」


 元よりロゾロにとって虫や動物に等しい人間の容貌を見分けることは困難だったが、それでもなお、ロゾロにさえその女の纏うある種の不吉な気配が理解できた。

 不吉な女──その装いが女のものであることがわかったので、ロゾロはそう認識する事にした──は、恭しく一礼し、続けた。


「万軍を塵芥のごとく葬り去る天空の王、舞い踊る死の天蓋……ふふ、ごめんあそばせ。音に聞こえた英雄が、!」


 不吉な女の嘲弄にロゾロは激昂しかけたが、病に侵された身体ではそれも許されなかった。苦痛に呻きながら、死にゆく竜の呪詛に満ちた暗い目が、不吉な笑みをたたえた女を睨んだ。


「故に、わたくしは当然こう考えます。あなたはこんな所で死ぬべきではない」


 当然のことだった。真に不死なる絶対の存在であるはずの自分が、惰弱な蠕虫の如き人間と同じく老いさらばえ、病に侵され、死ぬ。

 許されて良い筈のない事だった。だが、この都市においても、そんなロゾロの「当然の主張」は誰にも聞き届けられることはなかった。

 今この時、この女に出会うまでは。


「この世界は病んでいる。貴方の身を蝕む病巣と同じ、死へ至る業病に侵されている。わたくし達はそれを治療したいのです。その為には、貴方のような真の勇者の力が必要ですわ」


 不吉を纏った女は手を差し出した。

 その手には、今のロゾロの望む全てが握られているように思えた。


「貴方が我々と同盟を結んでくださるのならば、我々は貴方に治療を施し、再び貴方に翼を与えることを約束しましょう」


 それから、女は様々なことを語った。

 そのほとんどは意味のない戯言に思えた。|企業複合体≪アカシア≫の腐敗。人間を人ならざる異形に歪める義体化治療の歪さ。『|禁断の園≪エデン≫』の中で爛熟し、今にも腐り落ちようとしている禁忌の科学技術の数々──どれも、聞くに耐えぬ戯言だった。

 ただ、重要なのは彼女はロゾロに治療を施す用意があるということだった。そのための全てを用意すると──曰く、人魚の肉を食った者は、不老不死になる。

 そして何より、企業複合体に取り上げられた義体を取り戻すことが出来るという言葉。

 再び空を飛ぶことが出来る。絶対者としての永遠の命を手にすることができる。

 ロゾロは女の手を取った。自らがこの女と同盟し、この女の望む者となることを約束した。


「共に世界を救いましょう、勇者ロゾロ」


 組織の名は、『勇者同盟ブレイブ・リーグ』という。


 その理念は転生病者の排斥にあるが、彼女が誘ったロゾロは、間違いなく人ならざる認知を持つ異形である。そうでありながら、彼女たちは地上から一切の異形を排除することを標榜していた。

 ロゾロにはその意味はわからない。興味がないからだ。人間が何を憎み何を信じようと、それはドラゴンの尺度で見る世界においては極小の精神活動に過ぎない。

 転生し、異形と成り果てた者への差別意識をもって、彼らは勇者勇者と名乗る。

 それは、この都市でだけ歪な意味を発揮する、馬鹿げた|呪文≪モージョー≫だった。

 知った事ではない、とロゾロは考える。

 どれもこれも、ちっぽけな人間風情の営みだ。自分が煩わされる謂れはない。忌まわしい病が完治したなら、あとは義体だけいただいてしまえば良い。歯向かうなら殺せば良い。ドラゴンとはそういうものだ。

 人間と、それに追われる人間もどきの顛末になど何の興味もない。

 ロゾロにとって、転生病を患って人間以外の何かに成り果てた者の滑稽さを嘲笑うことと、自らが不死のドラゴンであるという認識は矛盾しなかった。彼の世界においては、地上でただ一人、彼だけが正常だった。


『実ニ、クダラヌ』


 天空から、ロゾロは眼下の光景を睥睨する。

 彼に再び竜の身体を与えた不吉な女は、ロゾロに破壊を命じた。思う様に、全てを壊せと。

 初めからそのつもりだった。醜い虫の巣のごときこの都市と、己を不出来な肉の器に閉じ込めて辱めた企業複合体への憎悪のままに、全てを破壊する。

 あとは、捕らえた人間の小娘が──あの娘の血が不死の妙薬たり得ることを祈るのみだ。


『我ノ為ニ、塵芥ノ如ク、消エ果テヨ、虫共』


 口を開く。地獄を現出せしめる、破滅の機構が顕になる。

 竜の息吹は、この世全てに等しく絶対的な災厄として降りかかる。

 一呼吸するだけの間に過ぎない。たったそれだけで、全ては崩壊する。


『私の知った事デハ、無イ』


 声がした。絶対の孤独を意味する天空の世界に、ロゾロ以外の何者かが居た。


 それは、鋼の鱗を持ちながら一対の翼で飛行している。

 それは、逞しく発達した前肢と、鞭の如くしなやかな尾を持つ。

 それは、神話の世の具現の如くそこに存在する。ありうべからざるもう一つの絶対者。


『貴様ガ消えろ、羽虫』


 第三世代型ドラゴン義体──ギギイロイ・ウルムガバト。

 その名は、真なる竜の王を意味するという。


『ゴミ、ガ……』


 ロゾロの発するノイズ混じりの電子音声が、殺意を帯びて歪んだ。


『ゴミは貴様だ、死に損なイ。貴様モ竜ならば、セめて誇り高ク死ね』

『竜ナラバ、死ナヌ』


 暗い呪詛に掠れたロゾロの声──彼自身の世界を信じきって疑わないものの有り様。


『貴様ガドウカハ、知ラヌガナ』

『フン』


 ギギは人の話を聞かない。初めから、そんなものには何の興味も無い。ある意味ではロゾロと同じ、ただ自分自身の中でのみ完結する世界への孤独な信仰があった。


『借りを返スぞ、『黒い天蓋』』


 瞬間、ギギが加速してロゾロに肉薄する。

 次世代型のドラゴン義体で飛行するギギの体躯は、ロゾロよりも一回り小さい。

 それ自体が一個の弾丸と化したかのような急加速。鋭い爪を振り抜く。


『クダラヌ』


 ロゾロがその背に生え揃わせた一対の巨大な羽を打ち振り、爆発するような気流を伴って旋回する。

 被造物の鱗に覆われたロゾロの義体に笑みを浮かべる機能は備わっていなかったが、死病に呪われた邪竜が獰悪な笑みを浮かべるのが、ギギにはわかった。


『ソンナモノデ、竜ノ王ダト? 笑止!』


 一瞬前にまでギギが存在した虚空を、邪竜の顎門が噛み砕く。

 ロゾロの翼が巨大な翼膜で揚力を生み、長い距離を飛び続ける事に長けた蝶のようなそれであるならば、ギギの翼は薄く繊細なトンボのようなそれであった。

 急旋回/急停止/急加速──第三世代型ドラゴン義体の面目躍如。抜群の運動性能によってロゾロの認識を撹拌する。


『小癪ナ、羽虫ガ!』


 それこそが、ドラゴン義体の有用性そのものだった。戦術ヘリや戦闘機を上回る高速の世界で『機械を操作する』という認識上の手続きから解放された、自身の認識上の肉体による精密飛行。

 仮想重力場の生成と義体そのものの性質上の必然によって、ドラゴンは操縦者の重力負荷からさえも解き放たれている。

 真に空の王となるべくして生み出されたもの──知恵の果実の産み落とした先史科学の宿業が火花を散らし、空中を交錯する。


(老いて死にかけたドラゴンの割に、素早い)


 超高速の世界で、もはや言葉は意味をなさない。ギギの思考は、飛行するドラゴンの速度で回転する。


(何か仕掛けがあるな)


 二柱のドラゴンが空中で接近し、火花を散らして交錯する。

 ドラゴンの義体は、飛行制御の為の仮想重力場を纏っている。二柱のドラゴンは互いに、その発展的応用によって瞬間的に体表に斥力を発生させることで不壊の竜鱗をその身に再現する術を持っていた。

 機銃やミサイルの類はほとんど効果をなさない。故に、二柱のドラゴンの戦闘は、超接近距離で互いの擬似重力場を中和したうえで爪と牙でその身を削りあう獣の如きそれとならざるを得ない。


(……チッ)


 舌打ち=極めて人間的な不快感の発露。

 『黒い天蓋』──ロゾロ・ラジーンのその名の通り、ロゾロの巨躯が制空権を奪う。

 義体の性能差を補って余りある、類稀なるロゾロの戦闘経験。戦地で自らの有用性を証明し続ける事で、自分自身を定義してきた異形者のならわし──戦闘こそが、彼が彼であるための手段だった。


『塵ニナッテ、死ネ、紛イ物』


 ロゾロが口を開く。あまねく地獄を現出せしめる破滅の機構が顕になる。

 たった一呼吸の内だ。眼下に見下ろしたギギと、その背後にある地上の光景。全てが、ロゾロ・ラジーンの吐き出す息吹の圏内にある。

 誰にもそれを阻めない。生き物が呼吸する事を、止める手立ては無い。


 ギギは第三世代型ドラゴン義体の冗談じみた飛行制御能力を最大活用し、空中でその身を翻した。ブレスを回避する。その威力圏内から逃れる──ああ、だが。しかし。

 

『ク、ソ……!』


 ギギは最大速度でロゾロに向けて突進し、その顔面に爪を振り下ろした。ロゾロの首が高速飛行するギギを追う──照準を補正する。

 ──破滅が訪れる。


『仕留メ、損ネタカ……』


 ロゾロは呪詛に歪んだ声で呟く。

 ギギを追って放たれたブレスは、地表を破壊せず、廃墟となったビル群の一部を消し飛ばすのみにとどまった。

 ロゾロ・ラジーンの吐き出す息吹──指向性超振動波。

 大気を震わせ、それを以て万物を微塵に帰す破滅の吐息。単純な炎では、ドラゴンの認知にある自らの破滅的威力の全てを再現する事はできない。


(カブトの、悪い癖がうつった……!)


 ギギは胸中で相棒を呪った。

 

 ロゾロの超振動波ブレスによって、疑似重力発生装置の三割が破損している。ギギが負った負傷は小さくはない。

 だが、まだ飛べる。

 真なる竜の王たる者──その証は、未だ失われてはいない。


『鬱陶シイ、羽虫ガ。大人シク地ニ墜チテ、死ネ』


 敵を倒す。竜の息吹を地上に向けさせず回避を続け、ドラゴンの義体を破壊する。

 ギギは自らの勝利条件を再度確認する。

 竜の王ならば、それが出来るはずだ。

 簡単な事だ。てとも、簡単な。


合成音声に深い疲労と苛立ちを滲ませるように低く唸った。


『私の知った事デハ無い』




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