第十四話 Over easy/とても簡単な⑦

 福祉局の表向きの業務が転生者の介護と人命保護であり、裏の業務がそれを建前とした事件介入と隠蔽であるならば、彼らの生活するダンジョンを踏破することもまた、避けようのない俺たちの仕事だった。 

 ‘‘棺屋‘‘のセーフハウスには、当然のように生きた人間は存在しなかった。ただ大量の死体を──ザキの恋人を──眠らせておくだけの設備だけがあり、それさえもぬけの殻だった。

 沈む船からは鼠さえ逃げ出す。死者のための方舟であったはずの場所には、もはやただ虚無だけが息を潜めていた。


 棺屋のバックに居た存在、ロゾロに義体を与え、彼に人魚の肉を提供し、俺とギギを襲撃した存在──

 この事件を解決するということは、その存在を突き止めるということだ。そしてそれは、犯人を捕まえて警察に突き出す事を意味しない。

 企業複合体は事件そのものを闇の中に葬った上で犯人の身柄を確保したがっている。

 だから真島は……『エデン』という組織は俺たちを動かし、事件を"解決"させようとする。

 これぞ正に、俺たちが『迷宮局』と蔑まれる所以だ。アカシアの意思の下に事件に介入し、何もかもを闇に葬って迷宮入りにする。

 それが、アカシア社秘匿業務指令アカシック・コード:000だ。


「まったく、面倒なことになった」


 虚無に満ちた空間に、虚しい独り言が反響した。

 目当てのものを見つけるのは、そう難しくなかった。あらゆる清潔も不浄も病的なまでに漂白された虚無の匂いの最も色濃いその場所に、俺の探していたものが……見つけ出すべき人間が居た。

 そいつは無数の配線や巨大な機械にまるで虜囚のように絡め取られて、ベッドの上で眠っていた。

 ひどく痩せ細った男だった。不滅の命など持ち得ない事が、一瞥しただけでわかるほどに。


「今回は本当にうんざりしたよ……あんたもそう思うだろう、ロゾロ・ラジーン?」


 今まさに死にゆく男を、俺は彼自身がそうと信じる、彼自身の名前で呼んだ。

 ドラゴンのような完全に人間の形態から逸脱した転生者の完全義体は、遠隔操作によって動作している。本当の意味で人間がドラゴンになるための方法は、『エデン』にすら未だ存在しない深遠の謎だ。

 ロゾロ・ラジーンは……或いは、ミハエル=岩動=オーランドという死にゆく男は……俺の言葉になんの反応も示さなかった。

 その目はどこにも焦点を結ばずに、虚空を見つめているように見える。彼の後頭部からは一際太いコードが大きな機械に繋がれている。彼は今、『ピグマリオン』と呼ばれるその装置で、ドラゴンの視界を追体験している。

 俺の知っているそれよりも、幾らか旧式の機材だった。


「話しかけたって無駄だって。そいつ、頭おかしいからさ」


 嘲るような女の声がした。

 漂白された虚無の空間に一滴の血が溢されるような匂いがした。


「そんなことない。俺の真摯な心が通じて、にっこり笑って返事をしてくれるかもしれないだろ」

「ハハハ!」


 笑っている、というにはあまりに不吉な気配を纏った女だった。

 顔の至るところに刺されたピアス。黄色い雨合羽、目に痛いほど強烈な桃色の髪──毒を持った生き物に特有の、警告色じみた色彩。

 不吉な笑みの正体は、片方の唇の端から耳まで裂けるような大きな傷痕だった。


「面白いね、アンタ。そういうの好きだよ」


 知った事か、と思った。俺はとっとと用を済ませる事にした。


「悪いけど、そいつ連れて帰るから」

「なんで?」


 首を傾げて、女が俺を見返した。光を返さない、石のように黒い目だった。


「そういう仕事でね。そいつにだって帰りを待つ人が一人くらいいるかもしれないだろ」

「ギャハハハ!」


 また、女が笑った。どこまでも不吉で、悪徳を煮詰めた鍋の底を掬い上げたように下卑た笑い。


「ンなわけねーじゃん! こんな頭おかしくなる病気にかかって、おまけに別の病気で死にかけてるじいさんが一人死んだって、鳴くのはカラスぐらいのもんだろーよ!」


 こいつにとっては、自らを異形の存在であると認知する転生病は「頭のおかしくなる病気」ということになるらしい。

 この女は俺が気に入ったらしいが、俺の方はこいつの冗談をまったく好きになれなかった。


「かもな。でもそれがお前に関係あるか? 『勇者同盟ブレイブ・リーグ』の勇者殿?」

「へえ〜、もうバレてんだ? ウケる」


 女は驚いたように目を見開いた。大袈裟で道化じみた所作だったが、どこか作り物のように空々しくもあった。


「なんでわかったの?」

「転生者を金で雇って人魚の死体を集めさせて、ドラゴンの完全義体を手配して、棺屋を動かすだけの金とルートと動機がある奴なんて、そう多くない。ロゾロを使って企業複合体相手のテロをやろうとしてたんだろ?」

「さぁ〜ね。アタシらそういう難しい話はよく知らないし。ねえサソリお姉ちゃん?」


 女は、部屋の隅で蹲っていたもう一人の女に声をかけた。揃いの黄色い雨合羽に、座っていてもわかるほどの長身。色素の欠落した白い髪。暗く虚無の底を睨むような赤い目。

 蠍と呼ばれた女は、自らを呼ぶ声にやや不自然な間を置いてから顔を上げた。


「……う?」

「ねえ蠍お姉ちゃん! バレちゃったよ正体! どーする!?」

「うう」


 蠍はゆっくりと立ち上がり、桃色髪の女の隣に立った。


「バレた……ら、ころせって、お姉ちゃん言ってた……よ?」

「だよね〜やっぱ。お姉ちゃん超怖いし」

「や……やる? 蜜蜂ミツバチ


 桃色髪の女……蜜蜂は耳まで裂けた口で獣のように獰悪な笑みを浮かべた。


「まあ待ってよ。この人とはまだ話す事があるからさ」


 そう言いながら、次の瞬間には表情ひとつ変えずに人間の喉笛を噛みちぎれるような研ぎ澄まされた殺意を、二人ともが等しく身に纏っていた。

 あまりにも滑らかに、暴力と日常が接続された者の有様──暴力を自らの有用性にすることを選んだ生き方。つまり、俺と同類。


 『勇者同盟ブレイブ・リーグ』は反転性者思想を持つテロ組織であり、それは同時に企業複合体に対する明確な敵対を意味する。

 彼らは人類の異形化……すなわち企業複合体が行う拡張義体を用いた転生病治療……の根絶を標榜している。彼らの目的は、企業複合体を壊滅させれば概ね解決する。

 そして今回は、そのためにロゾロのような転生者を利用した。恐らくは、最初から使い捨てにするつもりで。

 ここにいる彼女達は、ロゾロが制御不能になった時のための安全装置なのだろう。


「一応自己紹介しとこっか。アタシは錆釘サビクギ蜜蜂ミツバチ。で、こっちがお姉ちゃんのサソリちゃん。もう一人お姉ちゃんが居て仲良し三姉妹だけど、今日は二人だけ。よろしくね迷宮局のお兄さん」


 蜜蜂が喜劇じみて一礼すると、ならうように蠍も頭を下げた。獣のように張り詰めた殺気を纏う妹と違って、姉は外部からの刺激にひどく疎いようだった。

 目深に被った黄色い雨合羽の奥の赤い目は血走っていて、ゾッとするほど暗い。蠍はただじっと俺を睨んでいる。


「噂に聞く『勇者同盟ブレイブ・リーグ』の戦士職ウォリアー・クラスってのがどんなもんかと思えば、ただのドチンピラじゃねえか。下っ端風情が、俺と何を話したいって?」


 『勇者同盟』は組織に属する者達を互いに勇者と呼びならわし、その役割に応じた職業クラスが割り当てられる。

 市井に紛れて情報戦を行う斥候スカウトや後方支援の魔術師メイガスは殆ど目に触れることも無くその実態も謎に包まれているが、実行部隊である戦士ウォリアーは、時たまこうして表に姿を表す事がある。彼ら自身も自軍の戦士ウォリアーの勇猛さを喧伝しているフシがあるため、戦士と呼ばれる存在については幾らかの情報が出回っている。

 俺も話くらいは聞いた事がある。都市一番の人でなし共の命を狙う、いかれた人でなし共だと。


「そういうアンタも結構立派な使いっ走りらしいじゃん? "絶滅者スローター"って言うんでしょ?」

「そう呼ぶ奴も居るな」


 俺はうんざりして答えた。当然だが、俺の情報も既に漏れてるらしい。


「元は占い師に仕事を習って人狼氏族の鉄砲玉になって、んで今は企業複合体の犬か。アンタ、今の待遇に満足なの?」

「何が言いたい?」

「アンタ程の英雄が、こんな所で使い潰されるのに納得がいくのかってハナシ」


 こいつらの基準では、俺は"英雄"とかいうやつになるらしい。信じられない冗談だ。


「アンタはこっち側でしょ? ねえ、"絶滅者スローター"。なんせアンタは、この都市から一つの転生者の種族そのものを絶滅させたんだから!」


 色々言いたい事はあるが、おおむね間違ってはいない。

 ある時、『エデン』は人為的に複数の特徴を兼ね備えた転生者を作り出そうとした。目論見は半分成功して、半分失敗した。

 奴らが作り出した転生者達は施設を抜け出して独立し、一個の氏族を形成した。複数の転生的特徴を兼ね備えた転生者の種族──『キメラ』と仮称されるそれらは、『エデン』を出た後で自らの認知的不協和を埋めるための拡張義体を求めて、片っ端から転生者を殺して拡張義体を奪い、自らに移植し始めた。

 そして、何もかもが手遅れになってから俺が呼ばれて、俺はただ、やるべきことをやった。

 そうして俺は"絶滅者スローター"とあだ名されるだけの業を背負った。腹立たしいが、訂正する気もなかった。何もかもただの事実で、それはもう誰にも変えられないからだ。神様にも、自分たちを神様だと勘違いした企業複合体アカシアにも。


「確かに、エデンも企業複合体アカシアも、お前らに潰された方が世の中多少はマシになるのかもな」

「でしょ? 何もかもどいつもこいつも、この街にあるものは全部腐ってて最悪なんだよ──共に世界を救おうじゃないか、勇者カブト?」


 最後の言葉は、この女の口調とは違う、別の誰かの口ぶりだった。

 きっと彼女にその言葉を告げた誰かの発した言葉なのだろう。

 顔の見えないどこかの誰か、自分自身でさえも望まぬままに人間ではない何かになって社会から弾かれてしまった者達を怪物と呼び、それを忌避し排斥する自分自身を『勇者』と呼んだ、誰かの言葉。きっとその言葉はこうして人から人へと伝わって際限なく拡散し続けるのだろう。


「お断りだな。俺はつまんない奴と組みたくないし」

「アタシがつまんないって?」

「ああ、お前の冗談は最悪だ」


 俺の癖──他人を怒らせる事。

 自覚的になろうとしても、治すのは難しい。


「お前、仙舟を殺したろ」

「センシュー?……ああ、あの占いのババアか。それが? 知り合いだった? まさか怒ってんの?」

「さあな」


 当然のように、蜜蜂は否定しなかった。

 話が早いところだけは、好感が持てる。


「ところで、お前の姉ちゃんも相当具合が悪そうに見えるが、救ってやらなくていいのか? 勇者殿」


 蜜蜂の表情が曇った。槍玉に上げられた当の蠍は何を話しているのかわからない様子で、ただポカンとしている。


「……蠍お姉ちゃんは病気なんだ。アタシにはどうにも出来ない」

「病気か。そっちのお姉ちゃんとは前に一度会った。介護士の俺に言わせれば、そいつはお前の言う『頭のおかしくなる』やつとは別だな。治せる病気だろ」


 この女──蠍の腕力は異常だった。何らかの拡張義体を肉体に搭載しているのは確実だったが、それを外部に露出しない。

 拡張義体を必要とするほどの転生を患った転生病者は、その拡張を外部に露出する傾向にある。

 自らを『そいういうもの』として外部に発信することで、自らの認知を強固にしようとするためだ。

 だが、この女は、そうしていない。

 その装いは、黄色い雨合羽で全身を隠している。


「…………う?」


 蠍は首を傾げている。血走った目──典型的な中毒者ジャンキーの面相。

 自分の体に無理矢理拡張義体を移植した人間が、ドラッグで拒絶反応を誤魔化すのはありがちな話だ。


「簡単だろ。クスリをやめさせてお姉ちゃんを救ってやれよ。姉妹の絆って奴で、ちゃんと病院に連れてけ。医療機関で然るべき処置を受けさせろ」

「黙れ」


 蜜蜂の表情から、一切の感情が欠落した。

 耳まで裂けた傷痕だけが、獣のような笑みを象っていた。


「血は水よりも濃い。私たちの絆は誰にも断ち切れない」


 また、彼女のものではない言葉。誰かに与えられた信仰──澱みない口ぶりは、彼女がその言葉を何度も繰り返すように口にする姿を想像させた。そうして反復することによって、言葉に込められた意味が強まるかのように。それは恐らくは彼女達の間にだけ成立する、ひどく歪な呪文モージョーだった。


「錆釘捩じ込んで殺してやるよ、犬コロ」




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