第十九話 Sunny side up/太陽の方を向いて③

「終わったみたいだな」


 蠍と蜜蜂の姉妹をそれぞれ拘束し終えて、俺は言った。

 直に企業複合体の回収業者が来るだろう。そうして実行犯であるロゾロと、裏で糸を引いていた『勇者同盟ブレイブ・リーグ』の二人を引き渡せば、これで今回の俺の仕事はようやく終了ということになる。


「……嘘だろ、ロゾロが敗けたのかよ?」

「そうだ」


 俺たちはそのことを、この場で眠るロゾロ・ラジーンの本体=人間、ミハエル・岩動・オーランドのバイタルサインによって知った。


「俺の相棒がやったんだよ」


 俺は、この後ギギがどんな憎まれ口を叩くのかを想像して、少し憂鬱になった。

 よくも面倒を押し付けてくれたなだとか、お前が弱いせいで自分がしりぬぐいをする羽目になったのだだとか、きっとそういう類の事を言うのだろう。俺はため息をついた。

 この数日で、もううんざりするほどの面倒を味わった。しばらくは、静かな南の島でバカンスでもしたいものだ。


「……相棒だって?」


 そう言った蜜蜂の笑みはひきつっていた。


「ロゾロは怪物だ。あいつ一体で、この街をまるごと更地に変えることだってできたんだ。それを、倒したんだぞ」


 耳まで裂けた獣の笑みを歪めているのは、明らかな恐怖だった。

 何に怯えているのか。

 俺はこの時初めて、彼女の感情に共感を覚えた気がした。


「そんなことをやってのける怪物がいて、そいつは自分のことを人間だなんてこれっぽっちも思っていないんだ。あのドラゴンが癇癪を起こせば、こんな街何もかも一瞬で全部御破算になるんだぞ!」


 蜜蜂の言うことはもっともだった。

 大量破壊をなし得る兵器の引き金を、人間の社会に帰属意識を持たない存在が握って、その上で社会生活を送っている。

 爆弾と寝食を共にするようなものだ。ギギの義体の機能は『エデン』が制限を設けてはいるが、それも絶対ではない。そもそも、『エデン』やそれを擁する企業複合体自体がギギがその義体の性能を発揮する事を望んでいるフシがある。


「言えてるよ」


 蜜蜂の言葉には、本当の切迫感があった。

 あるいは彼女は、本当にそんな危機感のために反企業複合体組織に属しているのかもしれなかった。ある意味で、彼女は俺以上にこの世界の危機というものと真面目に向き合っているのかもしれない。


「けど、そうならなかったんだよ。少なくとも、今回は」


 ギギには、それができる。

 この街を更地にして、何もかもを破壊して、気に食わない奴を全部ぶち壊して終わりにできる。でも、そうはしなかった。

 俺には、その理由がわかる。


「あいつはこの街で生きてて、仕事してて、友達が居るんだ。だから、何もかもをめちゃくちゃになんかしないんだよ」

「そんな……そんなのは気まぐれだ! 化け物の気分次第だろうが!」


 そうだ。

 だから、俺なのだ。

 俺の仕事は介護士だ。事務所で活動する転生者が義体を使って生活し、仕事をこなすのをバックアップする。

 『事件屋』なんて呼び方をする奴も居る。企業複合体の認可を受けた福祉局は『エデン』の作った最新鋭の義体技術の使用と、転生者の生命保護のための活動が認められるからだ。

 それが建前。

 俺に期待される仕事は、もっと血なまぐさい別のことだ。


「いつか、いつか何もかも壊れることになるぞ。そうなったら、お前たちのせいだ」

「そうはならねえよ」

「なぜそう言える?」


 怯えと、嫌悪と怒りに満ちた声。そうでありながら、俺がその確かな答えを口にすることへの期待を孕んでもいた。

 怯える子供のようだな、と思った。

 きっと、誰もがそうなのだろう。未曽有の脅威を前にしたとき、人間の抱く反応はどうしようもなく等しくなる。

 誰かがその不安を解消する言葉を口にする事を期待している。

 なぞなぞリドルの答え合わせを待つ子供のように。

 だから、俺は答えた。

 彼女の求める答えを。


「俺は、絶滅者スローターだからだ」


 それが答えだった。

 そして、俺に期待されていることの全てだった。

 人間や、まともな転生者には使えない馬鹿みたいな装備を与えられているのも、そのためだ。

 父を殺し、人狼の氏族で裏切者を手にかけ、この都市から一つの種族そのものを消し去った。

 暴力が俺の経歴を歪め、その行く末を決定した。

 俺は、いつか来るかもしれないその時に、『竜殺し』になることを期待されてここにいる。


「はは、ははは……!」


 蜜蜂が笑った。

 獣のような笑いはどうしようもなく乾いた嘲笑だった。


「同じだ、やっぱ同じじゃんか! あんたもそうだったんだ!」


 俺と彼女の何が同じなのかは、俺にはわからない。

 わかりたくもなかった。


「あんたとはきっとまた会える」

「どうかな。俺はそうは思わない。お前がこの後『エデン』にどんな扱いをされるかなんて、悪いが想像したくもないしな」

「会えるよ」


 俺の目をまっすぐに見返して、蜜蜂は言った。まっすぐな目だった。彼女が姉を見る時と同じように。


「だって、お姉ちゃんが助けてくれるから」


 彼女たちは姉妹なのだという。異形になることを選んだ姉と、それについていくことを決めた妹。

 蜜蜂の目は、ここにはない太陽を見るように、無垢に輝いていた。

 倒れて意識を失っている蠍も、同じ事を言うのだろうか。

 それは何故か、少し羨ましい事のようにも思えた。


「そうか。頑張れよ」


 どうしてか彼女の口にしたことが本当になるような気がして、俺はそれ以上何も言わずに彼女たちに背を向けた。


 踵を返した先には、無数の計器にまるで虜囚のように繋がれた男が居る。

 その身は病に侵されていて、年齢以上に衰えて見える。

 呪詛を込めたその目だけが、今にも飛び出しそうに見開かれていた。


「よお、目が覚めたかい、ロゾロ・ラジーン」

「貴様……貴様らは……」


 呼吸さえもがその身を苛むように、苦しみ喘ぎながら男は言った。

 苦痛の大きさが、彼の身にある呪詛を更に巨大なものに変えるようだった。


「あんたはこれから『エデン』の奴らに回収される。多分、治療くらいはしてもらえると思う」


 それで、あとどれだけ生きられるかはわからないけれど。

 そう口にすることもできたが、そうはしなかった。恐らくは、本人にもそれがわかっていたからだ。


「し、死にたくない……嫌だ……我は……竜だ……我は……」


 きっと、それだけだったのだろう。

 人魚をさらって食ったのも、要をさらってみせたのも、結局は、ただそれだけのことなのだ。

 誰もが考えることだ。恐らくは生きているものの全てが。

 極めて人間的な感情だった。


「あんたに食われた人魚だって、みんなそうだったさ。誰も、死にたくなんかなかった」


 俺はポケットの中をまさぐった。

 蠍の電撃を受けても、まだ無事だった安物の羊羹が一つだけ残っていた。ババ臭い菓子。

 ひどく疲れていた。俺は、それを目の前の男に差し出した。


「食うか? 不死身になんてなれやしないが、気分が良くなるらしいぜ」


 誰もが、生きる為に感覚を鈍麻させる事を選ぶ。

 だが、どれだけ感覚を意識から遠ざけても、それでも人は痛みや苦しみから逃れられないし、背後に張り付いた死の恐怖から解放されることもない。

 狼男も、ゴブリンもオークもドラゴンも、皆同じだ。何故ならこの街に居る誰もが、ただ自らをそう思い込んだだけの、ただの人間に過ぎないからだ。

 だから、人間には甘いお菓子が必要なのだ。

 どうしたって不死身になんてなれないが、生きる為には、少なくともそれが必要なのだ。



 遠くに大勢の人の足音が聞こえた。

 『エデン』の手配した人員が、彼らを回収しに来たのだろう。

 事件解決だ。

 俺は長く息を吐いた。


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