第十六話 Over easy/とても簡単な⑨

 エンブリオ市第七地区。

 企業都市専任捜査官、ロナルド・ワンは付近の住民の避難を誘導していた。


 「住民の避難を急がせろ!」


 先日、同地区内でバックス福祉局の保有する獣型一類完全義体『ギギイロイ・ウルムガバト』と、未登録の獣型一類完全義体の交戦が確認されてから、エンブリオ市派出警察官は現場付近の警戒を行っていた。

 未登録の獣型一類完全義体──すなわち、ドラゴン──の捜索を行っていた所で、拡張義体による突然のテロ行為が始まった。

 ロナルド・ワン専任捜査官は、ドラゴンが出現してからすぐ、現場の警備からそのまま避難誘導に移った。


「なんだってんだ、こいつは……!」


 『黒い天蓋』──正にその名の通りに、ロゾロ・ラジーンは地上に大きな影を残す。

 翼を広げた竜の威容──絶望的なシルエット。

 それが、二つ。

 相対するのは事件屋。ギギイロイ・ウルムガバト。

 ワン自身、面識のある転生者である。


「くそったれめ……!」


 見上げる。

 翼の影が激突し、交錯する。

 一方が口を開くのがわかった。類稀なる殺戮の機構が露わになり──


「退避──」


 指示が間に合う筈もない。

 ドラゴンの義体に備わった破壊機構は、呼吸ブレスによってそれを為す。

 彼らにとって、地上を更地に変える大規模破壊は、文字通り息をするのと同じことでしかない。


 ──息を吸う。止めることは誰にも出来ない。

 ──息を吐く。避けることは誰にも出来ない。


 破滅。



「────ッ!」



 そのドラゴンのブレスは、超絶の破壊を齎す超振動兵器であった。

 地表に放たれれば有象無象の区別なくあらゆるものを微塵に帰す広域破壊兵器。

 それが、放たれる刹那。


『真なる竜の王たるこの私ヲ相手にして、無関係な者を襲うか。随分な余裕ト見える。或いは、単に耄碌しただけカ』


 ギギイロイ・ウルムガバト。

 通称、ギギ。

 ロナルド・ワン捜査官はそのドラゴンを知っている。その凶暴にして傲慢な本性を知っている。

 それが、地表に向けてブレスを吐き出そうとする刹那、黒いドラゴンの眼前を飛翔し、照準を上空に逸らせたのだ。

 その破壊の余波に、周囲の建築物の窓や外壁の一部が砕ける。

 砕けた建物の残骸やガラス片が周囲に撒き散らされたが、少なくとも、誰も死んではいなかった。

 護ったからだ。あのドラゴンが。ギギイロイ・ウルムガバトが。


『黙レ。貴様ハ、我ガコノ爪デ、千々ニ引キ裂キ、殺ス』

『やってみせロ』


 二柱のドラゴンが空中で短く交わした会話は、地上にある者達には聞こえはしない。

 ロナルド・ワン捜査官は空中で交錯する二つの異形の影を見上げた。

 巌のように揺らぐことのない、苦渋の仮面。

 ある時この世からそれまで当たり前に存在した秩序と呼ぶべきものが消失した。訪れた混沌の中で、秩序が滅びずにあり続ける為には、秩序自体が、新たに台頭した企業複合体という怪物に等しい存在とならざるを得なかった。

 故に、組織の名は『世界警察機構ハイドラ・ポール』という。ロナルド・ワンは、当然のようにそこに所属する事を選んだ。理由など、もはやわかりはしなかった。

 この都市に息づく悪徳と向き合うためには、その仮面が必要だった。感情は仮面にヒビを生じ、この世の凄惨や悪徳はどんな時もそのヒビから入り込み、その奥にあるものを侵した。


「事件屋め、ふざけやがって……」


 影を見上げるロナルド・ワン捜査官の表情が歪んだ。

 仮面のヒビから漏れ出す感情は、もはや彼自身にさえ形容することのできないほど自らの心と切り離された何かだった。


「首を突っ込んだなら、終いまで何とかして見せやがれ」


 彼の言葉を聞く者は、今この場には誰も居ない。

 そこに込められた微かな感情の意味さえ、誰にも読み取ることはできない。

 ここにはただ二柱の破壊の申し子が激突し、そのどちらが強大であるかを証明するという極大の闘争だけが存在し、ただそれ以外は取るに足らない微塵に過ぎなかった。


 ギギにはそれが解っている。

 超高速の世界にあって、ギギはもはや眼下にある人間たちのことなど正しく個人として認識しては居ない。その生死すらどうでも良いと考えている。

 ただ、相棒の口にした言葉を思い出して、忌まわしい感情を覚えるのみだった。

 

 ──要を守れ。


 なんの意味がある、と考える。

 答えは出ない。それは、『エデン』に居たあの頃に、天使が口にした謎かけリドルだった。


 ──彼女が君にとって、守るべき確かな存在となるように。


 天使は言った。

 要という名は、彼女がつけた。

 ギギには、その意味はわからない。天使が自分に何を望んでいるのかも。

 ギギは、要という人間のことが嫌いだった。憎悪してすらいた。

 この世のどこでもない場所を見て、自分一人ではどこにも行けない、哀れな女。哀れな人間。

 どこまでも醜く、脆弱で、矮小な、そんな人間。


 なんの意味がある、と思考する。

 答えは出ない。

 ただ、彼の──カブトの事を考える。

 自分が要を死なせたら、あの男はどんな顔をするのだろう。

 あの女の居なくなった世界で、あの男はどんな顔をして生きていくのだろう。

 解けない謎かけリドル

 ギギにとっては、ただそれだけが──


『王ヲ騙ル、羽虫ニシテハ、長ク楽シマセタモノダ。誇リナガラ、死ネ』


 ロゾロ・ラジーン──あまねく地上の存在に絶望の影を落とす、黒い天蓋。

 彼が旧式の義体で自らと渡り合う事実に、ギギは何か仕掛けがあると考えた。

 だが、ここまでの攻防で、それは攻略不能な外的要因であることがわかった。

 ロゾロ・ラジーンは、数多の戦場を飛び渡って来た。そうして、そのすべてをことごとく鏖殺し、灰塵に帰してきた。

 彼の強さを裏付けるのは、ただそれだけだ。殺し、壊してきた数が違う。それを目的として生きてきた時間が違う。

 埋めがたい戦闘経験値の差──彼我に横たわる絶望的な差異。

 だが、しかし。


『私の、知った事デハ無い』


 そんなものは、知らない。

 ギギの世界では、そんなものは意味をなさない。戦いをやめる理由にも、敗北する理由にもならない。

 相棒の理論を借りるならば、こうだ。

 ──あいつが戦っているのに、自分だけ負けるのは気に食わない。

 ──ナメられてたまるか。

 相棒カブトの悪い癖が感染うつった。

 完全義体に、人間に近しい表情を浮かべる機能はない。

 ギギは、ただ自らの世界の中で、不敵に笑った。


『クダラヌ強ガリヲ抜カスナ。貴様ノ矮小ナ体躯ハ、スデニ不出来ナ張子ニ等シイゾ』

『そウ、思うのならば』


 超高速の飛翔を続けながら、ギギは思考する。

 高速の世界を生きる、ドラゴンの速度の思考。

 次が最後の攻防になる。

 失敗すれば、敗ける。

 だが少なくとも、ギギに躊躇はなかった。

 ドラゴンは恐怖しないからだ。


『試しテみるがいい』


 加速するロゾロに対して、ギギは正面から向かっていく。

 激突の軌道。

 正面からの玉砕──否。

 ロゾロは目を細める。


(奴の戦闘経験が、いかに優れていようと)


 高速の世界で、ギギは思考する。

 激突の刹那、ギギは旋回するように、ほとんど垂直の軌道を描いて上昇する。

 第三世代ドラゴン義体の面目躍如──曲芸じみた空中制動。

 ロゾロはその軌道を目で追う。

 その先には、中天の太陽。


(自分より素早いものと空中戦をした経験は、無い)


 白い光に重なって、ロゾロからはギギの姿は目視できない。

 しかし。


『馬鹿、ガ』


 たとえ目視できなくとも、既にそこに居ることはわかっている。

 その距離は既にロゾロのブレスの届く死圏である。


 ──息を吸う。止めることは誰にも出来ない。

 ──息を吐く。避けることは誰にも出来ない。


 ロゾロが口を開く。その内奥に秘められた殺戮の機構が露わになる。


『一つ、教えてやル』


 光の中で、ギギが言った。

 その言葉を、ロゾロが耳にするより、早く。


『竜の息吹は、そう易々と見せルものではない』


 ギギは、既にロゾロのブレスを三度目視している。

 その機構を、発射までの予備動作を、既に記憶し、学習している。

 ロゾロのブレスの死圏にあることは、ギギにとっても同様にロゾロを必殺の間合いに捉えたということに他ならない。


 ギギが口を開く。

 その内奥に秘められた殺戮の機構が露わになる。

 真なる竜の王の肉体に備わるべき、破壊の権能が。


『ガ────』


 それは、一条の光の矢だった。

 それは、月崩壊を機に泥のように地上に満ちた未明粒子アーカーシャを義体内で帯電させ、光速で射出する機構である。

 真なる竜の王の認知上に存在する破壊の権能はこの世に存在するあらゆる既存兵器をもってしても再現することはできなかった。

 アカシアに実った、最も強大で歪な、禁忌の果実。

 それは、口を開いたロゾロの義体を、その内部に秘められたあらゆる禁忌の機構を溶解せしめながら貫通した。

 黒い天蓋はもはや天を遮ることなく失墜した。

 呪詛の声も、断末魔の絶叫さえもなかった。

 それを上げるための機構さえもが、ギギの一呼吸の刹那に破壊し尽くされている。

 

 空には、ただ一翼の影だけが残った。


『フン』


 ロゾロの墜落した地点は、既に住民の避難が完了した一角であった。

 高速の戦闘の最中、ギギの目には住民の避難を行う者の姿が見えていた。

 ギギは戦闘を続けながらロゾロをその地点まで誘導し、その上で破壊した。

 被害を最小限に留めること──ひどく人間的な、唾棄すべき価値観。


『私の知ったことではなイぞ、カブト』


 だが、ギギはそうした。

 そんなものは無視して、ただ自らの衝動のままに破壊の権能を行使し、ドラゴンの本能のままに全てを滅ぼしつくすことで勝利することもできた。

 だが、そうはしなかった。

 それが、ギギがここにいる理由だった。



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