第九話 Over easy/とても簡単な②


『壊れていないと使えないもの』とアンジュは言った。

 それは、なんらかの比喩なのだろう。恐らくは、この事件の謎の、その核心に値するもの。


 アンジュの中では、そのなぞなぞリドルの答えは既に出ている。ならさっさと教えればいいだろうというのが俺の考えだが、彼女にとっては違うらしい。『エデン』で生活を共にした僅かな期間での経験から、俺にもその程度のことはわかる。


「いいからさっさと答えを言えよ、面倒くさい」

「ヒントは、さっき渡した資料の中」


 こうなったら、最後まで付き合わない限り話が進まない。俺は仕方なく、改めてアンジュのまとめたミハエルという転生病患者の情報に目を落とした。

 ステージ5のドラゴンの転生者。元軍属。治療のためエンブリオに──治療?


「ミハエルはドラゴンとして軍に属していた。軍を除隊された理由は転生病の治療のためじゃない……こいつの持病か」


 アンジュの笑みが深まる。

 資料に付記された『エデン』の治療記録──切除しても切除しても転移を繰り返し再発するガン。『エデン』の禁忌の科学技術を以てしても完治する術とて無し。

 『エデン』による方針──終末期治療へシフト。


「だがわからん、不治の病に侵されることと、人魚の肉を食うことになんの関係がある?」

「君の故郷に、八百比丘尼という尼の言い伝えがある。彼女はあるものを口にする事で、八百年の長寿を得たという」


 この街では、思い込むということ事ことが最も重く、救いがたい病だ。

 この街でのみ意味を持つ迷信──歪な呪文モージョー


「それが、人魚の肉だってのか?」


 アンジュは笑みを深めた。人間世界の悲惨や、どれだけ救いようのないほど転生しても消えることのない人間の悪業──この世のあらゆるものにユーモアを見出すことができる者の、途方もない自信に満ちた笑み。

 この世界のどんな難解な謎も、アンジュにとっては馬鹿馬鹿しくて愉快な"なぞなぞリドルに過ぎない。

 ドラゴンは不滅の命を持つ非定命者イモータルだ。彼らの認知においては彼らは不老不死であり、死ぬことはない。永遠に生き続けるロゾロ=ラジーンというドラゴンと、ガンで死に瀕しているミハエル・岩動・オーランドというちっぽけな人間の間にある途方もなくて消しようのないギャップを解消させるための、ひどく血なまぐさい、たった一つの間違ったやり方。


 ──壊れていないと使えないもの


 この事件の裏で糸を引く何者か──何かの目的をもってミハエルに治療を施し、彼の義体を盗み出した存在が、彼を選んだ理由こそが、それだった。

 『初めから壊れていたから使えた』のだ。

 それが、なぞなぞリドルの答えだった。


「じゃあそいつは、病気を治そうとして人魚の肉を集めてるわけか?」

「そうだ。一人では足りぬから二人、二人では足りぬから三人。犠牲者の数は無為に増え続ける……そしてその手は、ノエルにまで伸びた」


 アンジュの笑みに暗い影が差した。この世界で唯一無二である者の命に危機が及ぶことへの、暗く冷たい怒り。

 被造物じみたアンジュの美貌に怒りが宿ると、まるで本当にこの世のものではないかと思わせるような底知れぬ妖しさがあった。


「……誰かが、それを計画した。そして、壊れていたドラゴンを使って、何かをしようとしている。それはなんだ?」

「その答えは、本人に聞くしかないね……大方の予測はつくが」


 企業複合体から軍用のドラゴン義体を奪取し、それを動かすために、何の意味もない治療として多数の人魚を殺害するだけの動機をもった存在。

 確かに、そんなものは限られる。

 それはきっと、こんな超常と異形が跋扈する街においてもなお歪で、異常な存在だ。


「どのみち、俺にナメた真似しくさった上に要をさらって、その他にも大勢殺しやがった……ツケは払わせる。そういう話だ」


俺は、サキュバスの巣でゴブリンと一緒に俺を襲った女のことを思い出した。

 異常な膂力、話の通じない気配──拳に握りこんだ錆びた釘。

 仙舟の遺体に残された凶器──釘。

 シンプルな話だ。見つけて倒す相手が、一まとめになった。


「そして、それができるのは、事実上君たちだけだ」


 この都市にも警察と呼ばれる存在が居るが、それはあくまでその役割を代替する企業に過ぎない。

 彼らの大本の企業自体はこの国家なき時代においてアカシアと同程度の規模を誇るものであり、都市においての様々な捜査活動が許可された存在ではあるが、それはあくまでも形式的なものだ。

 この都市そのものであるアカシアがその気になれば、いくらでも彼らを妨害することができるし、不都合な事実は闇に葬り去られてしまう。

 まさにそのために作られた組織こそが俺の所属するような福祉局であり、俺たちが『迷宮局』とあだ名される所以だ。


「アカシアからの秘匿業務指令アカシック・コード000は、この都市においては天下御免の証だ。それがアカシアの利益を損じるものを除く為の行いである限り、君たちは捜査においてあらゆる制約を受けない──この都市で誰よりも真実に近い場所に居るのが、その全てを闇に葬るために組織された君たちだというのはなんとも皮肉な話だな」


 アンジュはおおげさに肩を竦めて見せた。


「だから、君は今でもこの仕事をしているんじゃあないか?」

「うるせえ」


 アンジュは時たまこうして人を見透かしたようなことを言う。

 こういう物言いをする奴は、一般的にはあまり良好な人間関係は望めないだろう。的外れではないから余計にタチが悪い。


「そいつらが、俺たちを襲ったのは何故だ?」

「君たちは『棺屋』を捜索する道中襲撃された。その推測は間違っていなかったのだろう。彼らは、人魚を使ったそれとは別に、ミハエルがドラゴンの義体を動かせる程度の『治療』を完了させる必要がある。『棺屋』はある意味で現代における死霊使いネクロマンサーだ。誰よりも死に親しむ故に、生ある者の肉体にも通じている。……企業複合体アカシアとの繋がりを期待できない中では、最も優れた名医と言える。もっとも、今は居場所を移しているだろうがね」


 道中俺たちを襲ったのがゴブリン共だったのも、その前提なら符合する。

 彼らは死体も商品として扱う。当然死体愛好家の棺屋は上客だ。繋がりが深く、融通が利くのだろう。


「だが、要は攫われた」


 残された謎を口にすると、思っていたよりも硬質な声が出た。

 要の無事が脅かされている現状に、自分で思っている以上にイラついているのがわかった。

 アンジュのように、この世の全てをなぞなぞにして、そこにユーモアを見出すような事は俺には出来なかった。


「その場で殺すことも出来たはずだ。何故わざわざ連れ去った?」

「奴は、人魚の肉を食っても不老不死にはなれなかった」


 アンジュは言いながら、新しいタバコに火をつけた。完全な晴天が人工的に再現された天井に向けて煙を吐く。



 アンジュは、解き明かすべき最後の答えを告げた。どうしたって、俺はそこにユーモアを見出すことなんて出来なかった。

 "なぞなぞリドル"の答えはどんな時も馬鹿げているほど単純で、残酷なほど幼稚だ。そんなものを、愛せるはずがなかった。


「ありがとよ、アンジュ」

「行くのかい?」

「ああ。だがその前に、ギギを運ぶ」


 ギギの義体は特殊だ。その機能を十全に発揮するためには要との同期が不可欠。

 つまり、今ギギは自分では動けない状態にある。だから、俺が運ぶ。俺に貸与された介護用パワードスーツの出力が馬鹿げているほど過剰なのは、まさしくこういう時のためだ。


「カブト」


 庭園を出る間際、アンジュが呼び止めた。俺は、首だけを振り向けて彼女を見た。その表情は白い翼で隠されていて、窺い知る事はできない。

 本当の事を言おうとする時、アンジュはこういう態度を取ることがある。

 誰よりも嘘と隠し事に通じたなぞなぞの女王は、本当の事を話すのを嫌う。

 昔からそうだ。


「……ノエルは、まだ生きてると思うかい?」


 彼女が隠したかったのは、不安だろうか。

 この世のすべてをなぞなぞにして、どんな残酷も悲惨も楽しむ。楽しもうとする。

 アンジュにも、もはや人間だったころの肉親は居ないはずだった。そんな彼女が、全てを失った先で出会ったノエルという家族に等しい他人を失う事に──自身がそれを知っていながら助けられないという状況を、楽しむことなどできるのだろうか。

 俺は、オークの巣にいた女たちのことを思い出していた。その身に降りかかった悪運から心を守るために、誰もが苦痛への鈍麻を選択していた。

 アンジュも同じなのだろうか、と思う。


なぞなぞリドルだ、アンジュ」


 俺はアンジュに何か言ってやることにした。他ならぬ、彼女自身の流儀で。珍しく深刻になっているのを見て、少し愉快な気分になったからだ。発展的な人生を送るためのアドバイスという奴だ。

 俺には人を怒らせる癖があるらしいが、なにかやらなくちゃならないことがある奴には、そうしてやるのも悪くない。少なくとも、怒りは止まっている足を動かすための動機にはなる。


「『壊れていないと使えないものはなんだ?』」

「……卵だ」


 |なぞなぞ狂≪リドラー≫の即答──だが、不正解だ。

 答えなんて、出題した者の気分でいくらでも変えられる。相手が回答を示した後にだって。

 だから、人生はなぞなぞのようなものなのだ、と誰かが言った。どれだけ悩んでも、それは決して答えにたどり着くための手掛かりにはならないのだと。

 それを言ったのは、俺のかつての相棒だ。だから、俺もその言葉を信じた。

 彼女がそうだったことが、もうひどく昔のことに思えた。


「正解はな、お前の頭だ。せいぜい笑ってろ、お前は少しイカれてるくらいが丁度いいんだ。お前が神妙なツラしてると、昔からロクなことにならねえ」


 俺は再びノエルのもとへ歩いて行って、俯いた奴の額をこづいてやった。

 ごく弱く叩くのがコツだ。そうされると馬鹿にされてる感じがして、ひどく腹が立つ。

 アンジュは俺の手を払うでもなく、そのまま俺の拳に額を預けた。


「そうかな」

「そうだよ。頭がいいくせに記憶力はいまいちだな」

「ああ、ああ……覚えてるさ。もちろん。覚えているよ」


 きっと、彼女が俺と同じことを思い出しているのがわかった。思い出したくもない事を。


「……君は、本当に、変わらないんだね」

「どこがだよ」

「そういうところだよ。そういう……ずるいところさ」

「知るか」

「ふふ……人の気も知らないでさ」


 アンジュは俺に表情を見せないまま言った。

 俺はポケットをまさぐって、無理やりポケットに詰め込んだままになっていた羊羹を取り出した。ドラゴンにぶちのめされて重傷を負っても、まだいくらかは無事だった。

 俺はそれをアンジュに押し付けた。


「ノエルが生きてるかだと? 馬鹿馬鹿しい。俺たちが死なせない。そうだろ?」

「ああ、そうだ。そうだね」


 焦げ付いてしまった人間には、そういう息抜きが必要なのだ、と言った奴がいる。だから、くれてやった。俺はこんなババ臭い菓子は好みじゃない。


「お前もたまには自分のなぞなぞリドルを解いてみろよ。お前が今やりたいことがなんなのかをな」



去り際、アンジュがぎこちなく笑うのが見えた。それでいいと思った。



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