第七話 Turn over/ひっくり返す⑦

 ゴブリンというのはいわば小鬼で、この転生を患った者は、自身を骨格から小さなものに作り変えたがる傾向がある。

 尖った鼻や、耳もその顕著な特徴だ。彼らはそう言った特徴をわかりやすく外部に露出する事によって自らの認知における変性した世界観を補強する。


「キィッ」


 猿叫とも言うべき、甲高い声だった。オーク達が自らの言語を操ったように、ゴブリン達にも独自の言語と文化がある。獲物の知らない言葉で常に連携を取り合いながら、追い詰める。まさしく獣の狩りそのものだ。


「ギギ! 気をつけろよ」!」


 かかってきたゴブリンの一人を蹴り飛ばしながら、俺は臨戦態勢に入ったギギに言った。

 もちろん、ギギ自身の身の危険を心配してなんかいない。


「要が居るんだからな! お前もちゃんと要を守れ!」

『お前の仕事ダ、私ニハ関係無い』


 全くドラゴンの相棒なんてのは扱いにくくて困る。俺の言うことを聞いてくれたためしがない。


「ギィィッ」


 ナイフを構えたゴブリンが突っ込んでくる。きっと盗品だろう。普段はこの辺りを通りがかった俺たちのような通行人を襲って、その身包みを剥いで生活している。時には転生者の義体を剥ぎ取って商品として売買する事さえある。ゴブリンは生き物の死を売り捌くことに誰よりも慣れ親しんだ解体者であり、それを売買することによってこの都市の生ある者に還元する分解者でもある。

 護身用のナイフや銃器を使いこなす事に、ゴブリンは忌避感を示さない。彼らの認識の中において、彼らは極めて狡猾な狩人だからだ。

 俺は突っ込んできたゴブリンを、大ぶりのアッパーカットで勢いよくすっ飛ばした。飛んだ先で、さらに三人が巻き込まれて倒れた。


「ストライク!」


 改めて周囲を見渡すと、総勢十人前後のゴブリンが俺たちを包囲していた。

 こんな人数で殺れると思われてるなんて、ふざけた話だ。

 俺のスーツは『エデン』印の特注品だ。砕けた月のかけらから採れた隕鉄を加工してある。

 大気中の未明粒子アーカーシャを取り込み、俺の精神に感応して動作する特別の人工筋肉が搭載されていて、分厚い鋼の筋肉で弾丸だって通さない優れものだ。更にそれを、無断で戦闘向きに改造したりもしている。

 ちゃんとした銘だってある。正式名称は、介護用多目的改造義装『ベイオウルフ』……俺の名誉のために言っておくと、名付けたのは俺じゃない。

 俺の前の相棒は、何にでもこういう馬鹿げた名前を付けて遊ぶのが好きだった。


 俺の異常な膂力を目の当たりにしたゴブリン達の包囲に動揺が走る。

 その背後に、巨大な質量が落下した。ギギだ。


『遊んでやルつもりは無イ』


 広げた翼が、牙を剥いた相貌が、背後からの陽光を受けて絶望的なシルエットを映し出した。


『せめて慈悲なク、殺してやル』


 脅しのつもりならこの上なく上出来だ。ドラゴンにこんな風に凄まれて震え上がらない奴は居ない。問題は、こいつが俺の話を一ミリも聞かないで本当に言葉通りの行動を実行に移しかねないということだ。


『おい、カブト』


 ギギは手近なゴブリンの一人を視線もやらずに尻尾で弾き飛ばしながら、屈むように俺に顔を寄せて呟く。


『私が片付ケテやる、何人か締め上げロ』

「なんだ、ちゃんとわかってるじゃないか」

『当たり前ダ、私をナンだと思ってる』


 人の話を全然聞いてない偉そうな巨大トカゲだと思ってる、と言いかけたが、やめた。どうやら俺には人を怒らせる癖があるらしいので、少し自覚的に自制した。

 ギギがその気になったなら、この程度の包囲は物の数でもない。数分とかからずに片が付くだろう。相手にもそれが分かっているはずだ。なのに、彼らは恐慌に陥ることも、逃げ出す事も無かった。

 違和感──彼らはドラゴンがここに居ると知っていて襲ってきた。何故そんなことが出来る? バックアップが……ドラゴンを打倒し得る奥の手があるとでもいうのか?


「あれは……」


 ゴブリンの群れの奥から、別の影が進み出てくるのが見えた。

 ゴブリンに倍する身長──俺以上の長身。

 黄色い雨合羽のフードを目深にかぶったそいつは、まっすぐ俺に──俺の背後に居る要に向かって突っ込んできた。


「こいつ……!」


 そいつは、ほとんど無造作ともいえるモーションで拳を繰り出して来た。

 俺はそれを正面から受け止める。

 俺のスーツは特別性だ。組み込まれた隕鉄オリハルコンが周囲の未明粒子アーカーシャを取り込んで、人工筋肉を活発化させる。

 その気になれば、常人の百倍近い膂力を発揮させることができる。

 そのはずだ。


「マジか」


 俺は、そいつに……雨合羽の女に完全に腕力で押し返されていた。

 明らかな異常事態だ。少なくとも、こいつがまっとうな人間ではないのは確かだ。

 何らかの拡張義体を搭載した転生者だと考えるのが妥当だが、一体何の転生を受けている。

 外見からは極端な異形化は見られない。オークのような外見特徴の変化はなく、それでいてその身に施された生体拡張義肢による筋力増強は明らかになんらかの重症化した転生病者のそれでなくては説明がつかない。

 黄色い雨合羽の奥。その右腕が、青白い燐光を発した。

 未明粒子アーカーシャのエネルギー転換反応──不吉な予兆。


『何ヲ、やっていル!』


 ギギが女の背後から突進し、その腕のように発達した前肢を振り上げた。

 女は振り返り、俺を突き飛ばすようにして距離を置く。

 そして同時に、今度は何の躊躇もなくギギにとびかかった。


「ルォアア!」


 女の口から、獣じみた咆哮が漏れた。

 大きく振りかぶった拳を、力いっぱい叩きつける。

 武器らしい武器を持っているわけではない。ただその手には、錆びた釘が握られている。


『チィッ!』


 そんなものが、ギギの竜鱗に突き刺さるわけがない。

 だが、女はそれを躊躇なく断行したし、女の異常な様子を警戒したギギはそれを回避せざるを得なかった。

 これが、ゴブリンたちのあてこんだ切り札なのか?

 いやな予感がする。もしかしたら、俺たちは最初から──


「……あ?」


 我ながら間抜けな声が漏れた。

 急に夜になったのかと思ったからだ。それは影だと、一瞬遅れて理解した。

 頭上から落とされたその巨大な影──翼を広げた、絶望的なシルエット。


『カブト!』


 危険を察知するのは、ギギの方が早かった。俺は要を抱えてギギに駆け寄って、その翼が作る影の下に転がり込んだ。

 一瞬遅れて、壁面が崩壊した。何か巨大なものが、俺たちを壁ごとえぐり取ろうとしていた。


「なんっ、だ、そりゃ……!」


 弾け飛ぶゴブリン──彼らの期待した切り札。その正体。

 恐らくは、彼ら自身もその詳細までは知らなかったのだろう。きっとその最期の瞬間まで、彼らは自分たちがこんな死に方をするだなんて想像もしていなかった筈だ。

 ただ幾らか俺たちの足を止めさえすれば、確実に俺たちを仕留められる奴が出てくる。その確信があったのだ。

 彼らの背後には、ドラゴンが居た。


「ギギ、飛べ!」


 その間にも、敵ドラゴンからの攻撃は続いている。

 ギギよりも更に巨大な、ドラゴンの義体が、空中から建物の中にいる俺たちを狙っている。

 砲弾のように叩きつけられる砕けた瓦礫は、ギギの義体に触れる寸前で不自然に軌道を変え、その体に傷をつけることはない。。

 ドラゴンの不滅の肉体に宿った強力無比な神通力──実際には、ただの飛翔用の仮想重力発生装置の応用に過ぎない。その義体に備わった『エデン』印の禁忌のオーバーテクノロジーが、周囲の未明粒子アーカーシャを内部に取り込み、仮想重力場に変換する。

 ドラゴンの義体には、そんな機能が山ほど付いている。

 それが、今は敵に回っている。悪夢か、さもなくば酷い冗談のような状況だ。


「くそ、なんだあいつ! お前の親戚か!?」

『知ラん!』


 ギギが怒ったように言う。仮想重力発生装置で落下する瓦礫から俺と要を守る。

 そのまま、ギギは羽ばたきながら跳躍した。ドラゴンの巨大な爪に抉られ、砕けた壁の穴から外へ飛び出し、壁を蹴り渡りながら仮想重力によって飛翔──頭上のドラゴンへ肉薄。


『貴様……』


 果たしてそこには、ギギよりも二回りは巨大なドラゴンの姿があった。漆黒の鱗を纏った完全義体。ギギのそれと同様の、禁忌の技術によって生まれた未曽有の兵器。

 それが、俺たちを襲っている。繰り広げられる光景は、もはや戦場と相違ない。

 俺は要をその背にかばったままで、それを見ていた。

 同時に、雨合羽の女が俺に肉薄する。


「なんだ、てめぇは……!」


 女の重すぎる拳を捌きながら、俺はほとんど絞りだすように言った。

 女は答えなかった。雨合羽のフードの下、白い前髪の奥にある女の瞳は赤く血走っていて、そこに人間らしい知性はほとんど感じられなかった。

 まずいな、と思った。


『邪魔ヲ、スルナ、竜ノ仔』


 竜が、そう口にするのが聞こえた。

 低い、地獄のような電子音声だった。声を発するための全ての器官が、この世に生きているもの全てを呪う為に歪んでしまったかのような。

 背後から取りつこうとしたギギを、黒いドラゴンは尻尾の一撃で一蹴した。


「ギギ!」

『騒グな!』


 ギギの不滅の竜鱗──仮想重力の皮膜が、致死的な激突の衝撃を和らげる。反動に吹っ飛んで反対側のビルの壁面に激突するが、ギギの義体はその程度では損傷を負う事はない。


『貴様、私ヲ真なる竜の王たる者ト知っての事カ』

『ソンナ物ハ、知ラヌ』


 ギギとよく似た、コミュニケーションを取ることすら厭悪するような一方的な言葉。こいつとは、会話で切り抜けるのは無理だ。俺は直感した。こいつは俺たちを殺そうとしている。


『我ノ邪魔ヲ、スルナラバ』


 黒いドラゴンが、こちらに向き直った。

 牙を剥く──口を開く。その内奥にある地獄の機構が露わになる。


「く、そ……!」


 俺はどうにか雨合羽の女を蹴り飛ばして距離を造り、拳銃を抜き出してドラゴンに狙いを定めた。

 だが、全てがあまりにも遅かった。

 生き物が呼吸することを阻む術など無い。

 ドラゴンの吐息の前に、この世の全ては均しくなる。


『灰燼ト帰シテ、ソノ愚ヲ悔イヨ、愚カナ定命者共』


 俺は何かを叫ぼうとした。

 ギギに向かって。或いは、俺の背後に居る要に向かって。だが、それら全ては滅亡の音と光に呑み込まれて、何者にも届くことはなかった。


『ク……ッ!』


 ドラゴンの吐息ブレス

 自らを地上の最強生物であると認識し、そうであることでしか正しく生きることのできないこの都市で最も重く呪われた病人が放つ、万物必壊の権能。

 ギギは翼を広げて、それを受けた。回避することはしなかった。背後に居る要を──あるいは、俺を守ろうとしたのかもしれなかった。


 吐息ブレスの直撃は避けられたが、それだけだった。破壊の余波は、それでもなお俺を打ちのめした。まるで嵐に晒される紙切れのように。

 俺にできるのは、どうにか要を守ることだけだった。

 視界の端に、墜落するギギの姿が見えた。


「おい……!」


 それでも、俺は立ち上がらなければならなかった。

 例の雨合羽の女が、俺の傍らで倒れている要を抱え上げようとしているのが見えたからだ。


「お前らは……なんだ? 何が目的だ?」


 陳腐な言葉だった。

 俺は馬鹿げているほどに巨大な拳銃の銃口を女に向けて、せめてそう問うた。

 この銃は、この女を殺すための武器じゃない。

 だが、そうしようとしなくてはならなかった。


「私、は」


 女はどこか難儀そうにそう言った。


「錆釘、……蠍。お姉ちゃんの、お願いで、こいつを、つれて、帰る」


 独り言のような言いぐさだった。

 まるで、ただ自分に課せられた命令を、反芻するように。


「ふざけんじゃねえぞ」


 俺は引き金を引こうとした。

 だが、どうしようもなく視界が揺れて、狙いが定まらなかった。立ち上がるだけで精一杯だった。指一つ動かせない。銃を撃つこともできない。

 揺れる視界で、要を連れ去る女の背を見た。

 追おうとしたが、足も動かなかった。

 そして、すぐに意識が暗く塗りつぶされて、何もわからなくなった。


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