第六話 Turn over/ひっくり返す⑥

 仙舟が示したのは、第七区画の中にある『インサイト』という名の廃棄された施設群が並ぶ街区だった。

 元々はサキュバスの社会適応のためという名目で設立された施設で、正式な手続きによってアカシアからの認可と助成金を受けて運営されていたが、実態はほとんどただの性風俗店だった。

 サキュバスの転生を患った者は、共通して重度の多淫症ニンフォマニアに近い症状を発症する。それは『人間の精気を吸い取る』という自己認識に基づいたものであり、多淫症と同時に人間の食事に対して極めて関心が薄くなるという摂食不良を引き起こすパターンがほとんどだ。治療と適切な栄養補助を受けられないサキュバスは、ほとんどが食欲と性欲の境を見失い、栄養失調を引き起こす。

 つまり、彼女たちの認識においては施設での『業務』は(実際に肉体を維持するための栄養補給にはならないという点を除いて)食事と同義であり、彼女たちには合法な手段でそうすることのできる環境が必要だった。

 そして、それをビジネスに変えようとした者が居た。そいつは企業複合体と巧みに渡り合い、助成金を獲得し、サキュバス達に仕事と『食事』を与え、自らは公共事業としてクリーンな報酬を獲得した。

 一見順風満帆なビジネスだったが、落とし穴があった。『人間の居ない街シャッタード・シティ』では、人間の道理は通用しない。

 施設を用いたビジネスは、この第七区画の壁の内側にある無数の転生氏族のどれかの反感を買うことになり、そして崩壊した。

 『人間の居ない街シャッタード・シティ』に存在する無数の犯罪組織、転生氏族には、既存の人間社会の利益構造や思考回路は通用しない場合がある。何せ、彼らは人間じゃない。何が彼らの逆鱗に触れるかわからない。この施設を作った奴は、知らずにその領域を侵し、そして恐らく、自らの破滅に至った原因すら知ることなく滅びた。

 そして、違法建築を繰り返し、際限なく伸長と膨張を続けた施設の跡地にはサキュバス達が残り、かつてのビジネスを形だけ引き継いだ巨大な街娼の巣窟に変わった。

 この悪徳と欲望の砦とその周辺には、金を払って彼女たちの『餌』になる事を望むある種のジャンキーも多く棲みついている。秩序の崩壊と同時に、そこには新たな生態系が形成されていた。


 極めて、よくある話だ。

 

「あら、カブトじゃないのぉ」


 一帯の中心部分──かつて最初に『インサイト』と呼ばれていた場所の扉を潜ると、甘ったるい声がしなだれかかるように耳朶をくすぐった。


「久しぶりぃ〜今日はお客さんなのぉ? あんたならぁ、サービスしてもいいよぉ?」

「いや、今日は仕事だ、カルロッサ」


 オークが自分自身を(少なくとも人間の価値観において)醜いものに整形しようとするのと同様に、サキュバスの多くは自分自身の容姿を『一般的に人間の男性から魅力的に見えるであろう外見』に整形する。

 だから、皆めちゃくちゃ美人だ。問題は彼女たちは俺みたいな人間の男を本当にただの餌としか思ってないということだ。


「もう〜『今日は』っていつも仕事じゃないのぉ、たまにはお客として来ないとバチ当たるよぉ」 

「今度な。ところで、最近妙な奴来てないか?」

「う〜ん」


 そのサキュバス──カルロッサは、小首を傾げてすこし考える素振りを見せた。

 本当に何か考えているのかどうかはわからなかったが、少なくともそういう仕草をして見せた。


「わかんないかなぁ、ここ、人多すぎていちいち来た人もいなくなった人も覚えてらんないしぃ」

「そうか」


 彼女の言うことも無理はない。この辺りは、周辺一帯がスラムに近い状態になっているし、あまりに大きすぎるこの施設の中には、単にねぐらを求めた違法居住者も棲みついている。

 仙舟の情報通りなら、棺屋もここに潜伏している。なるほど、確かにうってつけの隠れ場所かもしれない。こんな場所なら、今更一つ死体が増えたくらいじゃ誰も気づきもしないだろう。


「けどぉ、一番妙な客は多分アンタたちじゃないかなぁ?」


 カルロッサは俺の隣に立つギギと、それから俺が手で押している車椅子に乗った要を交互に見て言った。


「この子たちが前に言ってた今の相棒〜? すっごいねぇ。あたし、ドラゴン初めて見た〜! こっちの娘もかわいいね〜」

『カブト』


 嬉々として要の顔を撫で回すカルロッサを、ギギはまるで理解のできないものを見るような目で見下ろしていた。


『こんな所ニ、情報ガあるノカ?』

「さあな。だが仙舟がここにアタリを付けてたんだ。全くの無駄足とは思えない」

『あの老婆ハ、嫌いダ。私を子供のように扱いたがル。不遜だ』

「ババアってのはみんなそういうもんさ」

『……ソンナ事より』


 ギギは車椅子の上でぼうっと座っている要を見て、露骨に機嫌を損ねたように言う。


『何故わざわざ、足手纏イを連れてクル?』

「仕方ねーだろ、あんな物騒なとこに要一人

置いて行けねえんだから」


 かつての施設群を中心にスラムとなり果てたこの一帯は治安が悪く、取り分け人間の女(に近い姿をしたもの全般)に対する犯罪の発生率が極めて高い。

 そういう人間が最後にたどり着くのがこの『インサイト』だったが、ここの外に住んでいるのはサキュバスからも相手にされないような輩ばかりだ。

 ここの管理を行うサキュバス達も、外部の治安については一顧だにしない。

 彼女達にとって重要なのは、噛みついてこない安全な餌だけだ。


『私の知った事デハない。犬ノ餌にデモしておけ』

「そういうこと言うな」


 ギギと要の仲の悪さには困ったものだ。

 そもそも危険だというなら要は事務所に置いてくるべきなのだが、ギギの義体には、要と一定以上の距離を離れられないよう制限が課せられている。

 技術的に不可能だからではない。そうすることによって、ギギの無敵の義体の暴走を防いでいるのだ。

 エデンはそういうことをする。ギギのセーフティに使われる要の身の安全についての意識は、おざなりもいいところだ。奴らに言わせれば、「そのためにお前がついているのだ」というところだろう。

 頭が痛くなってくる。人でなしのせいで面倒をこうむるのはいつも俺だ。


「それでな、ちょっと人探しをしにきたんで、『大母ムッター』に挨拶したい」

「今日は顔役達の集まりがあるって言ってたから今朝からここには居ないよぉ。私が名代に話を通しといたげる」

「いつも悪いな」


 『大母ムッター』はここら一帯のサキュバスを統括するお頭で、同時にこの『人間の居ない街シャッタード・シティ』の顔役の一人だ。

 『人間の居ない街シャッタード・シティ』には各種族を一単位とした転生氏族が無数に存在し、その中でも有力ないくつかの組織の元締めが、顔役としてこの街の秩序を形成している。

 もともと、この第七地区は特に症状の重い転生者のための居住区として作られた場所だった。企業複合体は彼らに住処をあたえたが、食いぶちの面倒までは見なかった。それはそうだ。満月になったら暴れ出さずに居られない狼男や、地上ではろくに歩けない人魚が、人間の利益構造の中でどんな仕事ができる?

 企業複合体はその難解な謎かけの答えを与えなかった。もしかしたら初めからそんなもの考える気すらなかったのかもしれない。

 だから、少なくとも彼らはこの隔離された区画の中で、彼ら自身のための社会を形成し、生きていく方法を作り出すしかなかった。

 そうして、ここにはこのエンブリオで最も広大で歪な繁華街が生まれるに至った。


「今度客を連れてくるよ。俺の代わりに」

「自分で来てよぉ、サービスするからさあ」


 彼女たちの『サービス』は、俺みたいな普通の人間にはキツすぎる。場合によっては命に関わるところだ。

 丁重に断るに限る。


『…………』

「なんだよギギ、興味あるか?」

『無イ。人間とハつくづく低俗なモノだと思っただけダ。繁殖欲を満たすのガ、そんなニ楽しいカ』

「だから、俺は行かねえってば!」


 ドラゴンは不死身の存在だ。繁殖欲求も人間よりも弱いのだろう。そういう生き物にすれば人間の恋も性愛もただの繁殖欲求に見えるのだろう。転生した者と、そうではないものの間に横たわる大きな隔たりだ。そういうものが、日常のどんなところにでも潜んでいる。

 俺は、きっと死ぬまで誰かに愛の言葉を吐く事も無いギギの孤独を思った。人間からすればそれは寂しい事だが、彼らにとっては違う。

 認知の差異者は、時にその孤独すら誰とも共有できない。


「ねえ〜カブト、この娘も転生者なのぉ? なんの転生? かわいいねえ」

「内緒だ。要は特殊なんだよ」

「かわいいねえ〜カブトにいじめられたらうちにおいでね〜きっとお客さん沢山取れるよ〜」

「勝手にスカウトすんなよ」


 俺はカルロッサから要を引き離し、違法居住者の巣窟となっている区画を探索しはじめた。

 違法建築を繰り返して上へ上へ伸びていく背徳の塔の上層には、この歪な街の支配者層の者が住んでいる。サキュバス達から『大母ムッター』と呼ばれるのは、その一人だ。


『ソの、銃』


 と、ギギが言った。多分、俺の腰に下げた銃の事だ。

 ギギが雑談を振るのはそれなりに珍しいことだ。ギギなりに、この仕事に何らかのプレッシャーを感じているのかもしれない。


『今回は使うのカ』

「いや。こいつは普通の人間用のじゃない」

『事件ノ奥に居るのは、十中八九普通の人間とヤラではないぞ。棺屋モ、そうだ』

「だとしてもだ」


 事実、俺の持っている銃は人間用じゃないし、オーク程度の人間性を残した転生者に使うにも、過剰な代物だ。

 俺のスーツの性能をあてこんで異常な火力を搭載した、馬鹿げた拳銃だ。普通の仕事にはまず使い道がないし、こんなものを使わなければいけない奴を相手にした仕事なら、間違いなく俺は死ぬ。

 全く使い道の無い武器と言えるだろう。『エデン』の奴らは、そういうものを作るのが好きだ。


「ま、心配すんなよ。いつも通り、こんなもん使わなくてもパパっと解決してやるからよ」


 俺はあえて軽薄に笑ってみせた。

 時には、そうすることが必要なのだ。

 真面目に仕事に取り組むのは大事だが、真面目なだけでは疲れてしまう。疲れていては、肝心な時に動けない。こんな稼業では、どんな時にもリラックスできる図太さも重要な資質だ。


『カブト』


 不意に、ギギが鋭い声を上げた。

 その理由は、俺にもわかった。暗がりから、粘つくような殺気。さっきからずっとだ。もしかしたら、俺よりも感覚の鋭いギギはもっと前から気づいていたのかもしれない。

 尖った耳と鼻、牙のような乱杭歯。血色の悪い肌。オークとは真逆──異常な低身長。

 ゴブリンの群れだ。その目を敵意と暴力への甘美な衝動にギラつかせて、既に臨戦体制に入っている。


「なんか怒らすような事したかな?」

『知らんガ、お前ハ他人を怒らせる癖ガある。もう少シ自覚すべきだ』


 なんの話かわからないので、ギギの言葉には適当な愛想笑いで応えた。

 ゴブリンの氏族が山賊じみて何も知らずに通行する人間を襲うのは良くある話だが、こうしてギギが歩いている状態で面と向かって襲ってくるなんて事は本来ならまずあり得ない。普通はそうだ。ドラゴンに進んで喧嘩を売りたがる奴なんて居ない。つまり彼らは最初からそれを理解し、計画した上で行動している。


「思ったよりも手が速いな」


 タイミングからして、俺たちが足取りを追っている棺屋の手配によるものか、或いはその先で人魚の死体を求めて奴らと繋がっている何者かの指示によるものだと考えるのはそれほど突飛な連想ではないだろう。


「面倒な事になったな」


 だが、これは同時に俺たちの向かう先が正しいことの証であるとも取れる。仙舟の情報は正しかったというわけだ。

 こいつらを逆に捕まえて情報を引き出せれば、依頼者をたどってより詳しい情報が手に入る。


「ギギ、殺すなよ」

『フン』


 鼻を鳴らす。ギギの無機質な電子音声は、どういうわけかどんな時も怒ったように聞こえる。


『私の知った事デハ無い』


 仕事が一つ増えた。

 ギギが殺す前に、敵を制圧する。

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