第三話 Turn over/ひっくり返す③


『カブト、ここにはノエルは居なイようダ』



 そして今。まさに俺たちは血なまぐさい事件に首を突っ込んでいる。

 オーク達の巣になっていた廃ビルには警察が駆けつけて、そこに攫われていた女達を保護したり拉致監禁を行なっていたオークを連行したりと慌ただしい。

 殺人事件の現場でもあるわけだが、肝心の死体はもう残っていない。『エデン』の回収班が警察より早く訪れて、さっさと持ち帰ってしまったからだ。


「そうみたいだな」

『次の巣ヲあたるぞ。ノエルを探す』


 ギギは高慢ちきで鼻持ちならないドラゴンでほとんどの人間を見下しているが、それでも共に暮らした過去を持つ同じ『エデン』の子供達に対してだけは、一定の情を見せることがある。ノエルもその一人だ。

 別に悪いことじゃない。俺としたって完全に人間の情や倫理観から解き放たれた奴と仕事をするのは難しい。


「落ち着けギギ。まだ次の手がかりが何もない」

『慌てているわけではなイ。だが、同時期に失踪した人魚が現に死亡している以上、ノエルにも危害が及ぶ可能性は高イ』


 特殊合金で構成された鋼の竜の体に力が満ちるのがわかる。ぞっとしない気配だ。安全装置の外れた銃と会話している気分になる。


「ノエルが心配か? ギギ」

『……お前の仕事だ。私の知った事では無イ』


 ギギはぷいとそっぽを向いて、それきり黙り込んだ。友達のことは心配だが、心配していると思われるのはドラゴンのプライドに関わるのだろう。

 実に人間らしい振る舞いだったが、からかって余計ヘソを曲げられると面倒なので、放っておく事にする。


「よお、事件屋ども」


 俺たちが居座っていた遺体の発見された厨房に、重く沈み込むような声が響いた。入り口には、慢性的な寝不足と激務のせいで、病んだような暗い目つきをした男が立っている。目の下に刻まれたクマは、きっと永遠に消えることはないのだろうと思わせるほどに濃い。


「どうも、ワン


 企業都市専任捜査官、ロナルド・ワンは俺のフレンドリーな挨拶にもいつも通りニコリともしない。

 

「よくよく面倒ごとに首を突っ込むのが好きな野郎だな、手前も」

「勘弁してくれ、俺もちょうどうんざりしてるところだよ」


 これは本当のことだ。一体誰が頼んだってくらい毎度毎度面倒な上に血なまぐさい目に遭うせいで、最近少し食傷気味だ。


「冗談で言ってると思うか?」


 ワンの目がギョロリと動いて、その中心に俺を捉えた。獲物を狙う猛禽を思わせるその病的に鋭い目つきから彼が冗談を言う姿をイメージするには、かなり豊かな想像力が必要だろう。


「まあ、あんたもたまには冗談言いたい気分の時ぐらいあるんじゃないかと思ってさ」

「殺人事件だと言うから来てみれば、遺体は綺麗に掃除された後。おまけに現場は探偵気取りの事件屋に踏み荒らされてる。冗談と言うなら、既に随分な冗談ではあるな」

「マジ? ウケる」


 俺が昔のギャルみたいに朗らかに笑ってみせても、ワンの表情は一ミリも変わらない。

 国家が形骸化した現代において、警察という肩書が示すものは、それ以前の世界とは異なる。国家崩壊後、警察組織は『世界警察機構』という営利団体に姿を変えた。

 国家崩壊後の世界において、既存の法や秩序が拘束力を失った混沌の時代に、各国の警察や軍隊の残骸が互いに寄り集まって自らがこの都市を支配するアカシアと同様の巨大な企業複合体となることによって秩序を保とうとした。

 ワンはそんな『世界警察機構ハイドラ・ポール』の企業都市専任捜査官であり、経歴として見れば国家崩壊以前からの生粋の警察官だ。

 通常、エンブリオのような企業都市には業務委託を受けた派出局が設置されて治安維持を行うが、ワンは本部から直接派遣された専任捜査官であり、つまりエリート捜査官ということになる。ワンのような人間がここに派遣されている事自体が、このエンブリオという都市が彼らに最低最悪の犯罪都市として認知されている証拠でもある。秘匿業務司令アカシック・コード:000とは、つまり彼らのような人間に事件を解決されるより早く真相に近づき、不都合な事実を隠蔽する事を目的とする。


 ワンは優秀な捜査官であり、『エデン』の真島なんかとはまったく正反対の意味で、巌のように表情の変わらない男だった。熱も冷たさも通さない石でできた仮面を決して外さない事が、この世界の悪徳と向き合うために何よりも必要な事だと知っているのだ。

 だから俺は、時たまある種の敬意を込めて彼を国家崩壊以前の肩書きで「警部補」と呼ぶ。


『カブト、時間の無駄ダ。早く行クぞ』


 当然ながら、事件の捜査を目的とする警察と、事件の真相を闇に葬り去ろうとする俺たち福祉局の関係は常に険悪なものになる。

 ギギは人間の営みに興味が無い。嫌がらせ以上に職務上の牽制の意味が込められたワンの態度にも、一切取り合うつもりがないのだ。


「随分事件屋稼業が板についてるじゃねえか、、誇り高きドラゴン様がよ?」


 ワンの冷たい目に、微かに嘲りと軽蔑が浮かんだ。あるいはそれは、彼なりの冗談の一種だったのかもしれない。


『ソノ、名は』


 瞬間、ギギが爆発的な怒りを発散するのがわかった。鋼の義体が、その内圧に砕け散るのではないかと思えるほどに。

 重症であればあるほど、「自分が本当は人間だという事実」を突きつけられるのは転生者にとって過大なストレスとなる。

 ギギにとって自分を"人間の名前"で定義されることは、到底看過することのできない最大級の侮辱だった。


『──?』

「哀れな奴だ。わからねぇなら教えてやる、事件屋気取りの病人め。てめぇの本当の名は──」

「やめろやめろ! ストップ!」


 この建物にはまだワンとその部下たちが保護しようとしているオークに攫われた民間人たちが残っているはずだし、なにより放っておくと建物ごと何もかもめちゃくちゃになる。証拠も手がかりもクソもない。己の誇りを冒涜された時、ドラゴンは躊躇しないのだ。


「ギギ、こんなところで暴れたら全部台無しになるぞ、時間を無駄にして、多分ノエルは死ぬ」

『私の知った事デハ……』

「嘘つくな馬鹿。警部補も、こんなしょうもない言い合いでベーコンみたいにカリカリになりたくてここに来たわけじゃないだろ」

「ふん」


 二人とも不服そうだったが、それ以上何かを言うこともなかった。こういうちょっとした諍いへの対処は本来俺の得意とするところでは無いが、それでもこの仕事をやるには結構必須のスキルだ。相棒がドラゴンだったりする場合なんかは特に。


「事件屋、お前ら何か掴んでんのか?」


 現場で発見された人魚の遺体は、既に『エデン』が回収している。事件のあらましを正確に把握してるのは俺たちと『エデン』だけだ。

 本来なら、福祉局が警察と連携を取って情報を交換し合うことなんてあり得ない。目的が真逆だからだ。

 だが、だからと言ってはいそうですかと引き下がってくれるような相手でもない。ギギを過剰に挑発してみせたのも、ある種の脅迫のようなものだ。「自分たちはそこまでやってもかまわないぞ」という意思表示。時代が変わって国が無くなったって、警察の縄張り意識が強いのは変わらないらしい。だんまりを決め込んで切り抜けられるほど、企業都市専任捜査官は甘い相手ではないのだ。

 それに、俺とワン警部補の間には、個人的にちょっとした信頼関係(彼に言わせればそれは全く別の言葉になるのだろうが)が無いわけではない。世間話ついでに、多少の情報交換くらいはしたっていい。

 警察と福祉局の目的が真逆である為に、俺たちがそれぞれ把握している情報は種類も質も大きく異なる。上手く俺たちの知らない情報が引き出せれば、今後の立ち回りを有利にできるかもしれない。

 企業複合体の奴らが知ったら怒るだろうから、これは内緒のやつだ。


「被害者は若い人魚の女性。『エデン』特注の生体拡張義肢を使用している。それで、ウチに話が来た。同様の転生者たちの連続失踪の捜索願として」

「それで、オークに当たりをつけたわけか」

「この街で女が消えたなら、まあベタなところでしょ」

「一連の失踪事件と今回の事件の繋がりは?」

「さあ、まだ何も」

「他には?」


 ワンの追求に、俺はただ肩をすくめるジェスチャーで応える。情報は時に金よりも価値があって、等価交換によってのみ得られるべきものだからだ。


「……ウチにも何件か人魚の捜索願いが届いているが、いずれも発見には至っていない。『エデン』から届けのあった者の身元に関する情報が開示されれば確認できるが、今回の事件と関係している可能性は高い」

「警察は捜査してないのか?」

「鋭意捜索中だ」


 ワンは渇ききった口調で言った。

 自分を人間じゃないと思い込んだ奴らが大路を歩いて、狼男が夜な夜な徘徊してオークが人を攫って売り飛ばすような街で警察の仕事をするのは、俺の想像する限りでもうんざりするような事だろう。

 少なくとも今この時にも誰かが死んだり死なせたりしているような中では、慢性的に人手不足である彼らにとってそう優先順位の高い案件とは思えなかった。


「なら少なくとも今はまだ死体が上がったり、物騒なことにはなってないってことだ」

「そういうことだな」

「ぞっとしないな。こんな事件が掘ればそこらにいくらでも埋まってるってことか?

「とっくにご存じだろう」


 ワンの声には一切の感情も乗っていなかった。そこにあった何かは、いつしか何もかもすり減って消えてしまったのだろう。

 この一連の事件について、少なくともワンは何も掴んでいない。有効な手がかりは得られないだろう。


「動機はなんだ?」


 ワンの問いから連想されるイメージ。

 解体された人魚の腐乱死体/欠損した部位/パックに詰められた無機質な体──食肉という連想。

 この街でだけ歪な意味を持ち得る、不気味な儀式のような殺害現場。


「さあ?」


 ワンは冗談を言わないらしいが、俺は嘘も冗談も大好きだ。少なくとも、自分が言う分には。


「連続失踪事件なら、種族単位での性的偏執マニアって線もあるんじゃない? あとは|生体拡張義肢<バイオ・サイバネ>の蒐集家コレクターとか」


 俺には理解の及ばない話だが、この街にはその手の拡張義肢サイバネを装着した者や、義肢そのものに性的興奮を覚える類の変態が幾らか居る。

 彼らの存在は都市の暗がりに確かに息づいていて、中には転生者用の拡張義肢サイバネを自分の身体に移植するような人間も居る。

 当然、真っ当な人間の認知機能では義肢はろくに動かせないし、生身との認知的不協和で大概は正気では居られない。そういう狂人フリークスが絡む事件は、大抵悲惨なことになる。


「ああ、あとは怨恨とかな」


 ワンは当然のようにちっとも笑っていない。その病的に鋭い目つきは、値踏みをするように俺を睨んだままだ。


「特定の個人ではなく、人魚という一種族への強烈な怨恨。時たまそういう動機で、こういう事件が起こる」

「ゾッとしない話だな。人魚アレルギーの殺人鬼が、人魚を殺して死体を集めて回ってるって? だとしたら人魚がこの街から一人も居なくなる前に片をつけなきゃな」


 俺がそう言うと、ワンは鼻を鳴らした。もしかしたら、彼の世界ではそれが笑い声なのかもしれなかった。


「てめぇが言うと冗談に聞こえねえな、"絶滅者スローター"」


 笑える話だ。少なくとも、ワンの言う皮肉にしては、だが。


「俺ほど冗談の上手い奴はこの街には数えるほども居ないぜ。なんならコツを教えてやろうか、お堅いワン"警部補"?」

「結構だ。お前の冗談は胸焼けがする」


 ワンは虫を払うように鬱陶しげに手を振ってみせた。


「なら、俺たちは失礼するよ。行くぞギギ」

『人間ハ話しが長イ』

「お前がなんでも面倒くさがりすぎなんだよ」


 興味のない話は長く感じるものだ。ギギにとっては一ミリも興味のない人間の世間話や冗談や皮肉の言い合いを聞くなんてのはひどく退屈なものなのだろう。


「待て事件屋」


 ワンが呼び止めるが、足を止めてゆっくり話すつもりはもうない。話すべきことは全て話している。俺は顔だけ振り向いて答える。


「どこへ行くつもりだ?」

「さあ」


 俺たちが用があるのは人魚で、その人魚はすでに死体になっている可能性がある。

 なら、心当たりがある。この街ならではの、クソみたいな場所だ。


「まあとりあえず、餅は餅屋ってことで」

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