第二話 Turn over/ひっくり返す②

 ことの発端は二週間ほど前。

 厄介ごとを持ち込んだのは、『エデン』職員の真島という男だ。


「近頃、我々の製品が相次いで紛失しておりまして」


 『エデン』というのは、この街をまさに創りたもうた巨大なる企業複合体アカシアのお膝元で『転生病』の治療のための道具を作ったり研究したりなんかをする研究機関だ。

 つまり奴らが言う商品というのは、『転生病』患者の使う治療道具や薬、拡張義肢サイバネティクスのことだ。


「ほとほと困っているんですよ。たまりません」

「そりゃいい気味だな、真島さんよ」

「本当ですよね」


 真島は微笑みながらよくわからぬ答えを返した。常に柔和な笑顔は、かえって仮面じみて不気味だ。


「へらへらしてないで、おたくらももう少し真面目に仕事したらどうだ? 妙なクスリだの機械だのばかり造ってないで、そもそもなんだってこんな妙な病気が流行っているのくらいさっさと教えてほしいもんだ」

「これは耳が痛い」


 真島は笑って答えた。

 実際のところ、この転生病という現象がなぜ、どのように発生するのかは、まだほとんどわかっていないらしい。

 一説には前世紀末に衛星軌道上の月が砕けたことと、月の破砕以後にそれまで未発見だった新粒子が地上に泥のように溢れかえったことと、転生病の蔓延には全て因果関係があるのだとされている。

 狼男の伝承よろしく、古くから月は狂気と密接に結びつけられてきた。その物理的な破壊が、地上に転生病という名の狂気を齎し、それを媒介するのが未明粒子アーカーシャという未知の新粒子だという。


「最近の研究では、未明粒子アーカーシャというのは宇宙の始まりから万物を構成する一要素として存在していたもので、月の破砕に伴って我々にも知覚できるようになった、という説があるそうですよ。転生者というのは、ある意味で『蒙を開いた』人間なのかもしれませんね」

「クソ面白い話だな。オカルト雑誌にでも持ち込んでみろよ」


 ほとんどオカルトのような話だが、事実として『転生病』も未明粒子アーカーシャ存在するのだから話がややこしくなる。

 誰よりも早く未明粒子アーカーシャと転生病の解明を自らの利益構造に組み込んだ企業複合体アカシアも、その専門研究機関である『エデン』も、まだその明確な答えには至っていない。

 あるいは、知っていて隠しているのか。


「で、用はなんだ?」


 真島に限らず、企業複合体の奴らは話していて気分の良い相手ではない。そもそも『エデン』という呼び名も俗称であり、皮肉だ。この街にいる誰もが、彼らに対してそんな皮肉の一つも吐かないことにはやりきれないのだ。

 俺は俺の業務をこなしながら、真島の話を聞いている。言外にとっとと帰れと伝えているつもりではあったが、彼らにはこの手の駆け引きはほとんど通じない。この街でしばしば差別的に用いられるのとは別の、本当の意味での人でなしの類だからだ。


「経過観察ですよ」


 真島は微笑を崩さない。

 それは即ち俺の業務──転生者の介護に関する話だ。

 俺は今、一人の転生者の食事の介助を行なっている真っ最中だった。


「あなたの介護技能に疑いを持つわけではありませんが、彼女は少々特殊ですからね」


 そう言って、真島は俺の差し出したスプーンから食事を摂る少女を見た。この世界のどこにも焦点を結ばないかのような微睡むように虚ろな目と、何の生気も感じられない弛緩した姿勢を除けば、ごく普通の少女だった。

 彼女は……カナメは、俺たちが今まさに自分についての話をしている事にさえ気づいていないようだった。


「経過はこの通り順調だよ。ほら要、あーんしなさい、あーん」

「食事は問題なくできるようですね」

「ご覧の通りな」


 食事はほとんど離乳食のようなものだ。

 要は特殊な『転生』を患っているため、自分の身体を自分の意思で動かすのが極端に苦手だ。彼女の意識はここではない何処かにトリップしていて、その意識と現実とを一致させるために、特殊な義体が必要だった。

 要の後頭部には大型の外付け拡張器官サイバネティクスが設けられており、微睡む彼女の意識を、彼女自身の認識が見せる遠い世界に接続している。『ピグマリオン』と呼ばれる類の装置だ。当然ながら、『エデン』の生み出した最新技術である。

  今この時も、要はその意識と肉体をすり合わせる作業を意識のどこかで続けているのだろう。


「ところで、ギギさんはどちらに?」

「散歩中だよ。お生憎だな」

「いえ、それは実に結構」


 ギギの義体も、元は『エデン』で作られた特注品だ。

 『転生病』は月の破砕に並ぶ今世紀最大の社会問題であり、同時に人類史上類を見ない未曾有の病魔でもある。

 月が砕けてその破片が地上に落下してから発見された未明粒子アーカーシャと呼ばれる新粒子や、月のかけらに含まれた隕鉄オリハルコンを用いた精神感応技術の開発は戦争を激化させ、長い争いの果てに国家という規範そのものを形骸化させ、それ以前までに存在した社会は崩壊した。

 そして同時に、技術の発展を目的とするある種の人間にとっては、それは福音となった。技術は研究によって飛躍し、それらの新技術を取り入れたアカシアのような巨大な企業がかつての国家に代わって世界を支配した。

 そうして世界には大量の難民と転生病者、そして拡張義体サイバネティクスが残された。

 例えば、人間に翼の拡張義肢サイバネティクスを与えたとする。精神感応金属を用いたそれは装着者の思考に連動して動作するが、ただの人間にはそれを動かすことはできない。人間には翼がないからだ。最初から"無い"器官を動かす感覚を、普通の人間は知らない。

 だが、例えばそれがその意識をハーピィに変質させた『転生者』なら。或いは自らを異形のドラゴンだとしか思えなくなった『転生者』であったのなら、話は別だ。

 彼らは人間の肉体で生活する事に強いストレスを覚える。現実の人間の肉体と、意識上の自己認識に埋めようの無い巨大な乖離があるからだ。故に彼らの治療の為にはその肉体を意識上の肉体に物理的に近づける必要があり、だからこそ、どんな"人間"よりも上手く、その拡張した義肢を使いこなすことができる。彼らにとってはそれが自然で、当然のことだからだ。

 重症化した『転生者』であればあるほど、奇特な怪物に意識が変質してしまった者であればあるほど、その『治療』には人間離れした強大な義体が必要になる。

 『エデン』は、そんな彼ら彼女らの"治療"のために様々な研究を行っている。少なくとも、そういう題目を掲げている。


「それで用はなんだ?」

「言った通り、要さんの経過観察ですよ」

「言った瞬間からバレてる嘘をつかれると馬鹿にされてる気がして物凄くムカついてくるのって俺だけか? とっとと話せよ」


 俺の仕事のほとんどは人捜しと、要のような『エデン』から仕事をしにきた介護の必要な同僚の世話をする事だ。

 もっとも、人捜しとは言ってもこの街ではその対象が人間であるとは限らない。むしろそうした、自分を人間ではない何かだと思い込んだ病人であることが多い。

 そして、その仕事には同じ『転生者』の協力が必要だったし、『エデン』には治療を施した『転生者』の実地試験を行う機会が必要だった。そのためには、実生活を送るのに著しい制約を持つ彼らの世話が出来る人間も必要だった。『エデン』からの認可を受けた介護士。俺もそうだ。俺がこの街の異常な転生犯罪者を素手で殴り飛ばしたりできるのは、『エデン』から貸与された介護用のパワードスーツを着用している為だ。本来はギギのような大型の完全義体フル・サイバネへの介助を行うための道具だが、俺は頭が柔らかいので発展的に応用している。

 そういうわけで俺達……俺の所属するバックス福祉局と『エデン』は、かなり親密な関係にあると言ってもいい。ちっとも気持ちの良い相手ではないけれど。


「出来れば所長とお話ししたかったのですが」

「留守だよ」

「そうですか」

「俺と話すのは不服かい」

「どうでしょう」


 真島は、またよくわからない答えを返した。

 不愉快な微笑は鉄面皮のように張り付いて揺るがない。


「我々の製品が立て続けに紛失しています」


 真島は何枚かの写真が添付された資料をテーブルに並べた。

 俺は要にストローからお茶を飲ませてやりながら、それを見た。


「……人魚、か?」

「ええ」


 写真は、いずれも人魚の転生者だった。人魚の転生者の中でも重篤な自覚症状を持つ者は、バイオテクノロジーの産物である生体拡張義肢によってその下半身を魚類のものに変え、水中での呼吸が可能になる魚のエラに近い役割の呼吸器を取り付ける。そうでないと、彼女達は海の中で暮らそうとしてすぐに溺死してしまうからだ。

 そうして治療を受けた人魚達の写真だった。


「……『製品が立て続けに紛失してる』ってのはあれか、人でなし語で『人魚の転生者が連続で失踪してる』って意味か?」

「ええ、概ねそのような所かと」


 エンブリオは腐った卵である。

 『エデン』は……その職員は、或いはこの街を支配するアカシアという企業複合体自体が、そこに暮らす、本来彼らが治療すべき広義の人間達を、誰よりも人間扱いしていない。

 彼らはただ、この腐った卵の中で病に侵された人々を醸成し、何かを産み出そうとしている。その何かがなんなのかは、きっと彼らにしかわからないのだろう。わからないほうが幸福だ。


「バックス福祉局様には、紛失した生体拡張義肢バイオ・サイバネの回収、及びその原因の究明と解決を依頼しに参りました」

「解せねえな。そんな事のためにわざわざこんなところまで話を持ってきたのか?」

「お察しがよろしいようで大変助かります」


 俺は真島の出した資料に順に目を通していった。被害者の中に、見知った顔があった。

 真島は笑ったままだった。ふざけている、と思った。


「……なんでこいつがここに混じってる?」

「事件との関連は不明ですが、同時期に失踪した人魚ですので」

「そうじゃなくて、こいつは『エデン』暮らしだろ。アンタらは自分のとこのガキ一人まともに面倒見てないのか?」


 被害者のリストに名前があったのは、俺やギギ、要達と同じ時期にエデンの養育施設で保護されていた娘だった。

 ギギは、この"泣き虫"ノエルとは特に仲が良かった。


「彼女は少々素行に問題があるようですから」


 真島は他人事みたいに言った。どうしてそんな態度で居られるのか、俺は不思議でならなかった。


「彼女の……ノエルさんの義体はエデンの最新技術をつぎ込んだ特注品です。それが外部に流出し、何者かに持ち去られた可能性があるとなれば、大事おおごとです。そのような事件は、存在してはならない。わかりますね?」


 子供相手に噛んで含めるような言い方が気に食わなかった。

 言われなくても、わかっている事だった。嫌になるほど。


「本案件は、『アカシア社秘匿業務指令アカシック・コード:000』です。バックス福祉局様には、この事件を速やかに迷宮入りにしていただきたい」


 この街はアカシアという企業複合体が作った街だ。それはそのままアカシアという企業それ自体がこの街の法律になっていると言い換えてもいい。

 『アカシア社業務指令アカシック・コード』は、企業複合体アカシアからその関連する民間企業への絶対の命令を意味する。

 000トリプルオーは、その中でも更に特殊な事例であり、その実態を明文化される事のない『存在しない業務指令』である。その実行の為に、俺たちは他ならぬ企業複合体アカシア自身によって都市での活動にさまざまな"お目こぼし"が許されるし、特例的に強力な義体や装備の類の使用も許可される。

 俺が多少銃弾を喰らっても平気だったり、オークだのゴブリンだのを殴り飛ばせたりするのも、まさにこの特例によって強力なパワードスーツを貸与されているからだ。アカシアはメチャクチャな企業だから、そういう横暴が罷り通る。

 だからこういう信じられない事を言い出すのだ。

 自分たちにとって都合の悪い事件をもみ消して、それ自体を無かったことにする。

 そういった後ろ暗い対応を押し付けるために彼らは『福祉局』という企業形態を民間に作った。全てが露見した時には全てを謎のままに切り離すことが出来る、汚れ仕事用の換えのきく手駒として。

 『秘匿業務指令』の発令は、事件の迷宮入りを意味する。


「そんなわけで、ノエルさんの義体を回収してください。彼女が無事であるのが最良ですが、最悪は義体だけでも」


 笑えない冗談だと言いたかったが、真島にとっては……この都市における神にも等しい企業複合体アカシアのお墨付きを得て活動するこのエデンという組織にとっては、少なくともそれは何一つ冗談ではなかった。

 彼らにとって重要なのは第一に彼らの研究の成果であり、人間はその継続に必要な素体でしかない。人命なんてものは、彼らにとってはただの部品だ。


「それと、犯人はできるだけ生きたまま捕らえてください。こちらで聞き取りたい事があるので」

「心配しなくてもそこまでしてやるつもりはねえよ」

「ええ、もちろん」

 

 真島は、機械的な微笑を一ミリも崩さずに言う。


「ただ、貴方は少々やりすぎる時がありますから」


 全くもって心外な話だ。

 もしかしてこいつらは俺のことを人殺しが趣味のサイコ野郎だとでも思ってるのか?

 信じられないほど失礼な奴らだ。


「ひでぇ話だ。どうする? 要」


 一先ず、俺は要にそう聞いてみる事にした。食事を終えた要は、微睡むような目でここではないどこかを見つめている。俺の声も、真島の声も、きっと何も聞こえてはいないのだろう。もしかしたら俺たちがここにいる事すら認識していないのかもしれない。それほどまでに、彼女の意識は変性してしまっているのだ。


「この件には是非ギギさんも同行して頂きたいのです。ドラゴンの完全義体については、データが不足しておりますので」

「そうかい」


 俺は適当に答えた。

 これ以上この男との会話を続けるのが耐え難かったというのがその大きな理由の一つであることは言うまでもない。

 どうしたって、やることは一つだ。酷く面倒だが、もうそう決まっている。


「参ったよなあ、相棒?」


 俺がそう問いかけても、要は返事の一つもしない。もしかしたら本当に眠っているのかもしれなかった。俺は時たま、無性に要のことが羨ましくなる時がある。

 俺もいっそ自分を人間ではない別の何かだと思い込んでいられたら、こんな面倒にいちいち煩わされる事もなくなるのだろうか?


「あーあ……また面倒な事になった」


 それが、二週間前。

 それから俺は街中のオークの巣を手当たり次第に叩いて回って、三つ目で当たりを引いた。

 そして、そこには人魚の死体があった。

 あちこちが虫食いみたいに欠損したその死体は、どうやらその身体の一部をどこかに売られて行ったようだった。

 よくある事だ。こんな街では、何が起きても不思議じゃない。

 そうでも思わなきゃ、とてもやってられない。

 『エデン』は俺たちのことを公的には『福祉局』と呼ぶが、世間ではもっぱら『事件屋ランナー』だとか、口の悪い奴らの中には『殺し屋』なんて言う奴も居る。この街で、表層と実態が一致しているものはほとんどない。もしかしたら、この街の外にだってそんなものは皆無なのかも知れない。

 転生者の保護と介助を行う『福祉局』も、周りに言わせれば言い訳を振りかざして血腥い所にわざわざ首を突っ込む『事件屋』だ。

 全くもって、因果な商売だ。




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