第15話 強敵

 決戦の朝、ディートリヒは目を覚ました時から既に気分が高揚していた。

 窓の外はまだ暗い。時計を見ると、午前4時だった。ディートリヒは着替えて、水場で顔を洗ってから、長木刀を片手に寮を出た。

 今日、決闘部部長であり生徒会長でもあるリリーをぶちのめす。それは、もはやこの学園に敵なしである証明でもある。そして何より、エマ・ヴァールハイトに再び挑む権利を得られるのだ。それが何よりディートリヒをたかぶらせた。


 興奮を霧散させるように、ディートリヒは鍛錬に打ち込む。

 ディートリヒの鍛錬を敢えて分類するのであれば、『素振り』となるのだろうが、一般的な素振りとは様態がかけ離れていた。単調な動きで同じ動作を繰り返すのではなく、流れるように——しかし、不規則な動きで——ディートリヒは剣を振った。

 仮想敵とイメージトレーニングするでもなく、ただ美しい舞のように——しかも完全に自由に——剣の赴くまま、綺麗な太刀筋で線を描き続けた。


 ディートリヒに声が掛かったのは、日が頭を出し始めた頃だった。


「やぁ早いね、ディートリヒくん」運動着姿のリリーがいた。どうやらジョギングしている最中のようだ。

 ディートリヒはリリーを一瞥すると再び剣を振りながら「何の用だ」と突き放すように言った。まるで、敵と馴れ合うつもりはない、とでも言うかのようだった。

 だが、リリーは全く気にせず「別にキミに会いに来たわけじゃないよ。たまたま見かけたから挨拶しにきただけ」と笑った。

 

 ディートリヒは鍛錬を続けようとするが、集中力が途切れ、満足のいく剣を振るえず、結局は木刀を下ろした。


「決闘の当日にジョギングとはのんきなものだな」

「緊張が和らいで体が軽くなるからおすすめだよ」

「俺は緊張などしない」ディートリヒが鼻を鳴らす。

「そうなの? てっきり緊張するから、こんな朝早くから剣を振ってるのかと思ったけど」

「舐めるな。俺が決闘ごときで緊張などするか。お前を叩き潰すのは既に決まりきった未来だ。そこに不安など生じるはずもない」


 リリーは黙ってディートリヒを見つめる。そして、ややあってから、おもむろに手のひらをディートリヒに向けた。


「ほら見て。震えてるでしょ」とリリーが笑う。それから見せた手のひらを握った。まるで恐怖を握りつぶすかのように。「真剣勝負は誰だって怖いものだよ」

「お前と一緒にするな」そう言うディートリヒの心に謎の圧力がかかった気がした。都合の悪いものを全てせき止めていた壁に亀裂が入るような予感があった。だが、それは単に『お前も恐怖におびえる軟弱ものだ』と言われた不快感のせいだと、とディートリヒは決めつける。

「キミは自分の弱さに鈍感だね」リリーは目を細めて見透かすようにディートリヒを見つめる。「だからこそ、脆い」

「俺が脆いだと? ハッ、そういう言葉は勝利をおさめてから言うんだな。俺は今日、お前を倒して天下無双に挑む」

 あはは、とリリーが笑った。「話は聞いてるよ。ウチを踏み台にしようなんて、舐められたものだよ」


 リリーの目にも好戦的な光が生まれた。あるいは元からあったものが強く輝きだしたのか。ディートリヒに真っすぐ向けられた眼光には、ディートリヒに勝るとも劣らない闘志が見て取れた。


「——でも、キミに天下無双はまだ早い。ウチが阻止させてもらうよ」

「できるものならばな。臆病者のお前にさらなる恐怖を刻み込んでやるぜ」

 


 ♦︎

 


 闘技場に出ると、ステージにのしかかるような熱気と歓声が前後左右あらゆる方向から放たれ、闘技場に充満していた。

 多くは生徒会長のリリーを応援する者だと、旗やカラーで分かる。リリーのイメージカラーは赤。それはリリーの武装に由来していた。

 肩、胸、胴と深紅の軽装鎧を身に纏い、耳には普段は見慣れない赤い宝石のピアスがあった。手に持つ長めのロッドの先端の魔石も赤黒い。


(完全武装、ってところか)


 一方、ディートリヒはゆるめの衣類に長木刀一つ腰に差したいつものスタイルである。


「観客多くて悪いね。ウチが闘うってなると、いつもこうなっちゃうんだよ。これでもウチ生徒会長だからさ」

「別に構わん。お前の敗北が広く知れ渡るだけだ」

「相変わらずのビッグマウスだなぁ」とリリーが苦笑した。


『決闘を始めます。10メートル以上離れてください』とアナウンスが流れた。バンドの水晶からではなく、魔道具を使って闘技場のどこかから放送しているようだった。


「良い試合にしようね」リリーが笑ってから、踵を返してディートリヒから離れていく。

 ディートリヒもリリーに背中を向けて、歩き出した。そして、十分に距離を取ってから、お互いに振り向き、向かい合う。


リリーはロッドを構え、薄い笑みを浮かべてディートリヒを視界におさめている。

 一方、ディートリヒは木刀をだらりと下げて、開始の合図を待つ。

 いつの間にか、歓声は止み、闘技場は静まり返っていた。自分の呼吸の音が聞こえる。荒く、速い。不可思議な力が心臓を圧縮しているように思えた。


『戦闘をはじめてください』


 アナウンスが鳴った直後、ディートリヒは咆哮を上げた。並みの者ならばすくみ上ってしまう程の威嚇するような雄叫びは、むしろ自分の中の邪魔な雑念を消し去るために、ディートリヒが無意識に放ったものだった。

 同時に魔力で自らの身体を包み込む。枯渇する寸前まで魔力を体外に放出した。その全てが、ディートリヒの身体をいつもよりも厚く覆う。魔力を消失することのないディートリヒだからこそ出来る芸当だ。


「凄い殺気だね。その若さで一体どれほどの命のやり取りを経てきたのやら……」リリーは若干顏を引き攣らせる。


 ディートリヒが地を蹴った。途轍もない速さでリリーに迫る。

 しかし、リリーもただ見ているだけではなかった。ロッドをディートリヒに向けると、魔弾が飛び出した。よくある一般的な魔法の一つだ。ただし、リリーのそれは他とは明らかに異質なものだった。

 ディートリヒが直感で危険を察知し、頭を逸らせると、リリーの魔弾はディートリヒの頬をかすめて通過していった。魔弾は、戦闘ステージを覆う結界にぶつかり、闘技場に衝撃音が響いた。


「なん、……て弾速してやがる」

「なはは、よく躱したね」


 直撃していれば一撃で戦闘不能になるのは確実だった。いや、それどころではない。元には戻らないレベルのケガを顔面に負う可能性すらあった。

 それをリリーは、きたのである。ディートリヒの胸がまた原因不明の何かに圧迫され、動悸が速まる。

 ディートリヒは自分の手が震えていることに気が付いた。一瞬、信じられないものを見たかのように大きく目が見開かれ、次には苛立ちと焦りで手を固く握りしめていた。今朝のリリーのように。


「望むところだ。俺も殺すつもりでいく」

「人聞きが悪いな。ウチは殺すつもりはなかったよ。死ぬ以外はどうなろうと、知ったこっちゃないけど」


 ディートリヒはリリーと距離を詰めようと試みるが、リリーの魔弾がそれをさせない。牽制も込めた魔弾が上手くディートリヒの進行を阻害していた。

 ちっ、と舌打ちをしてから、ディートリヒは魔力の一部を薄く伸ばし、戦闘ステージ全域に広げた。ペトラたちとの戦闘で見つけた敵影感知法である。

 リリーが再び魔弾を放つと、先ほどまで紙一重で躱していたディートリヒが、今度は余裕を持ってそれを躱した。


「その弾速はもう見切った。お前の負けだ」

「あははは、気が早くないかい? ウチが弾速一本で生徒会長まで成り上がったと思ってんの?」


 リリーがまたロッドに魔力を集中させて魔弾を放つ。これまでよりも大きな魔力の塊がディートリヒに迫る。

 即座に反応したディートリヒは、その魔弾に違和感を覚えた。


(先ほどまでの魔弾よりも…………遅い)


 魔弾がディートリヒの横、1メートル程の距離のところを通り過ぎようとした時だった。

 突如、魔弾が破裂し、小さく分裂して辺りに弾けた。

 ディートリヒに向け飛んできた小さな魔弾の1つは木刀で弾き、1つはすんでで躱し、そして、1つはディートリヒの腹に直撃した。衝撃に一瞬体が浮くような感覚がした。

 ディートリヒはすぐにリリーから大きく距離を取る。木刀を構えたまま、リリーを目で殺さんばかりに、睨みつけた。

 一方、リリーも呆れたように片目を細める。


「あれを受けて、平然としていられるの、おかしくない?」


 (くそっ、今にも吐きそうだ。あの小さな魔弾の1つでこの威力かよ)


 ディートリヒは、リリーを木刀で叩き潰す算段を組み立てる。が、いくら考えてもあの魔弾の嵐をかいくぐって無傷でリリーに辿り着くのは不可能に思われた。


「さて」とリリーがいう。「まだまだ魔力には余力があるし、どんどんいくよぉ!」


 リリーがペン回しでもするかのように、長いロッドをくるくると回してから、再びディートリヒに向けた。

 そして、間髪入れず、魔弾が放たれる。反動でロッドが上方に弾かれるが、すぐに再びディートリヒに照準を合わせてまた放つ。さらにもう一度。繰り返し放たれた魔弾は全てが先ほどと同じ弾けて拡散するタイプのものだった。


「く…………そ、ったれ!」


 ディートリヒは正面で弾ける魔弾から、距離を取るように横に逸れる。ディートリヒを追うように弾けて飛んできた小さな魔弾を、ディートリヒは全て紙一重で躱した。

 だが、視界の端に大魔弾が映った。それはディートリヒの回避ルートを読んでリリーが追って放った魔弾。

 魔弾はディートリヒの目の前で弾けた。衝撃音が響き、煙が上がった。


 リリーは視界を遮る煙に期待の目を向ける。ロッドは未だ煙に向けられたままだ。いつでも魔弾を放つことができる。リリーには、これしきのことでディートリヒくんが倒れるわけがない、という確信があった。

 

 一瞬、煙が揺らぐ。

 次の瞬間、そこからディートリヒが飛び出してきた。ディートリヒの口元は擦った血の痕があり、身体は見える箇所だけでもいくつも痣ができていた。だが、それを思わせない尋常ではない速さと気迫で、ディートリヒがリリーに迫る。


「ははっ、そうだろうと思ってたよ! キミは実にしぶとい!」


 リリーも興奮しているのか、笑みを浮かべ、目を見開き、声はいつもよりやや高い。今度は速度重視の魔弾を立て続けに3発放った。ディートリヒはその全てを木刀で撃ち落とす。


「おお! すごい! すごいよ! ディートリヒくん! ならば、これはどうする?」


 またリリーが3発魔弾を放つ。だが、今度の魔弾は、大きさはさほどでもない上、速度も遅かった。

 ディートリヒは再び木刀で撃ち落とそうとした。が、ディートリヒの木刀は空を切った。魔弾が曲がったのだ。

 3発のうち、2発はディートリヒの脇腹と肩に直撃した。残る1発はかろうじて躱したが、ディートリヒの背後で大きく旋回して背中からディートリヒにぶつかった。

 ディートリヒは膝をついて、倒れる。それを黙って見ているほどリリーは甘くはなかった。


「おらァ!」とその幼く可愛らしい外見に似つかわしくない声と共に、超速魔弾をロッド1振りで2発放った。

 ディートリヒは咄嗟に両腕と顔面に魔力を集中させて、両腕を顔の前で交差させ、防御姿勢を取ったが、2発の超速魔弾を受けて、ディートリヒはあっけなく結界際まで吹き飛ばされ、背中から結界に衝突した。

 メキッと木が致命的な外力を加えられた時のような嫌な音が身体の中に響いた。頭から伝い落ちる血が目にかかる。激痛は既に全身を駆け巡っているにも関わらず、ディートリヒは「血が目に入って痛ぇ」とそんなことを考えていた。


 かすむ視界の中、ディートリヒはまたも立ち上がる。

 痣のできた足はもはや痛みは分からず熱さだけがあった。力を込めると熱湯にさらされているかのように足に熱を感じた。


「うそでしょ? まだ立つの?! タフネスお化けじゃん」


 ディートリヒは木刀を構え直す。

 その瞳に映るのは怒りだった。遠距離攻撃でディートリヒを圧倒するリリーへの怒り。未だ1本も剣を入れられない情けない自分への怒り。

 憤怒は剣を曇らせる。力んだ身体から美しい太刀筋が生まれる道理はない。

 怒りのままにディートリヒは咆哮を上げ、リリーに直進した。


「向かってくるなら、やるしかないね。恨まないでよ」


 リリーはまた大魔弾を3つ放つ。

 ディートリヒは魔弾に構いもせず、突っ込んだ。

 例のごとく、大魔弾はディートリヒの近くで分裂する。しかも、その全てが追尾弾だった。迫り来る魔弾をディートリヒは、木刀で弾いて、無理やりに進撃を続ける。

 だが弾いた追尾弾は旋回して、またディートリヒに向けて飛んでくる。

 やがて追尾弾の弾幕をさばききれなくなり、ついにディートリヒに着弾した。1発当たれば、後はむごいものだった。初弾を受けてバランスを崩したディートリヒが、次々と押し寄せる魔弾に対応できるはずもなく、全弾がディートリヒになだれ込んだ。

 リリーはその様子を油断なく見つめながら、自分の右靴に魔力を当てて、その魔力を隠蔽術で目立たぬよう隠した。


 煙が晴れた時に、残っていたのはうつ伏せに倒れる血まみれのディートリヒだけだった。

 リリーはゆっくりとディートリヒに歩み寄る。

 闘技場は興奮した観客の叫び声とも言える声援が充満していた。コツ、コツ、とリリーが石床を歩く音も、サポーターの雄叫びに塗りつぶされる。

 リリーはディートリヒの真横に立った。


「生きてる?」とリリーが訊ねる。が、ディートリヒに動きはない。

「え、まさか死ん——」


 リリーがディートリヒに触れようと一歩踏み出した時だった。ディートリヒが勢いよく起き上がった。と同時に、リリーに斬りかかる。奇襲。この決闘で初めてのディートリヒの剣撃だ。


 ——しかし、ディートリヒの剣はやはりリリーには届かない。


 リリーの足元——右の靴付近から魔弾が打ちあがった。死にもの狂いの1撃にすべてを注ぎ込んだディートリヒには、死角からのその魔弾に気が付く余裕はなかった。

 ディートリヒの顎は魔弾に撃ち抜かれ、衝撃で顎が弾かれるように上を向いた。上を向いたまま、ディートリヒは膝をつく。それはまるで天に許しを乞うようにも、絶望に打ちひしがれるようにも見えた。

 リリーが避けるように1歩後ろに下がると、そこにディートリヒの身体が倒れ伏せった。


『勝者リリー・ォォオオオオ!』


 アナウンスの後にとどろいた押し寄せる壁のような歓声を、ディートリヒが聞くことはなかった。

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