第13話 努力

 腹の激痛の直後にやってきたのは、またも激痛だった。どうやら背中を壁に打ち付けたようだ。特別頑丈な造りで魔術による強化『結界膜壁けっかいまくへき』までかけてあるという体育館の壁は、噂にたがわぬ硬さであり、まるで巨大な鉄の塊に打ち付けられたかのような痛みだった。


 だが、痛みにうずくまっている暇などない。

 ディートリヒは口元を手の甲でグイっと拭ってから、すぐさま駆けた。左手は壁に触れている。そうでもしないと、まともに動くことはできないからだ。

 一瞬遅れて背後で衝撃音が鳴った。追撃の魔弾が壁に着弾した音だ。奴らは容赦する気はない、とディートリヒは察した。


(まったく。ひどく嫌われたものだ。俺が何かしたか…………分からん。全く身に覚えがない)


 体育館の形はなんとなく頭に入ってはいるが、目を瞑って動き回れる程、熟知しているわけではない。だが、いつまでも壁沿いに動いていると——。

 ディートリヒはピリついた微妙な圧を肌に感じて、立ち止まった。すると、今度はディートリヒの進行方向のすぐ目の前で着弾の衝撃音が鳴った。止まっていなければ直撃していたところだ。


 ちっ、と舌打ちしてディートリヒが壁際を離れた。いつまでも壁際にいては勝機はない。

 自分の位置をはかる唯一の方法を失い、底知れぬ不安がディートリヒの足に絡みつく。ぐらぐらと体がふらついているような不安定な感覚に襲われた。

 だが、走るのを躊躇えば魔弾の餌食だ。現にディートリヒの周辺には何度も魔弾が着弾する音が鳴っていた。幸い最初の1撃以降はまだ1回も被弾していない。しかし、それも時間の問題だった。


「くっ、なんで当たらないの!」と覚えのない声が左後方から聞こえた。おそらく1号か2号。ディートリヒは目にも止まらぬ機敏さで、踵を返して声の方に突進した。


「え、え?! きゃぁ!」


 思ったよりも近くにいたのか、ディートリヒの身体が柔らかい何かにぶつかった。1号か2号のどちらかだろう。ぶつかってからディートリヒが木刀を横なぎに振るうと、木刀に何かを打ち付けた反動が手に返った。手ごたえから言って上手く顔面に当たったようだ。木刀を打ち付けられた彼女が右側に倒れる音が聞こえた。


 彼女の敗北に学んでか、残りの3人のたてる音が格段に減った。会話はもちろんのこと、移動音もなるべく立てないようにしているようだ。

 だが、ディートリヒはディートリヒで手ごたえを感じていた。


 (さっきの女とぶつかった時——いや、ぶつかる直前か。俺の魔力は既に女の身体を捉えていた。つまり、魔力が物体に触れれば、位置情報を感知できるということだ)


 ディートリヒはすぐさま自分を覆う魔力の範囲を広げた。しかし、それでもまだ身体から30センチ程広がったのみで、敵を感知するには無理があった。

 走り回り、魔弾を回避しながらも、思惟しいを巡らす。


(俺の魔力量じゃこれが限界だ。もっと範囲を広げるにはどうする…………どうすれば良い……)


 ディートリヒは考えながらも足を動かした。止まれば魔弾の雨が降って来る。流石にそれに耐えきれる自信はなかった。

 神経を研ぎ澄ませ、身体から30センチのところで、魔弾を感知し、そこから超反応でぎりぎり躱す。ディートリヒの尋常でない反射神経があっての芸当だった。


 だが、そんな綱渡りのような立ち回りは長くは続かない。ディートリヒの奇跡的な回避も、唐突に終わりを迎えた。2号の下手な魔弾のがむしゃら撃ちが、ディートリヒのあごを撫でるようにかすめたのだ。適当に放たれたその一撃の弾道は、丁度ディートリヒが別の魔弾を超反応で避けた後のそのポイントを通っていた。結果、魔弾を避けた直後の無防備なディートリヒの顎を打ち抜いた、というわけだ。


 ぐらっと、脳が揺れ、強烈な吐き気と共にディートリヒは膝をついた。

 嘔吐するよりも先にディートリヒを襲ったのは、魔術師3人による無慈悲の集中砲火だった。うずくまるように身を丸めてディートリヒは全身を打ち付ける痛みに耐える。何も見えなくなるほどの魔弾の嵐がしばらく続いた。


「もういいわ」


 ペトラの声を合図に、攻撃が止まった。

 ぐったりと倒れるディートリヒを見て、ペトラは嬉しそうに口角を吊り上げた。


「あははは、ゴールドクラス様がこんなところでおねんねかしら?」


 そう言ってもう一発ペトラが魔弾を放った。魔弾は倒れるディートリヒの腹部に当たり、まるで人形のように、為すすべなくディートリヒの身体が衝撃に跳ねた。ディートリヒが腹を押さえて呻く。


「あなたに勝った、と言えばたちまち噂になるでしょうね。別に言い訳したければしてもいいわよ?『違う、あれはズルだ。あんな試合はなしだ』って。口にすればするほど無様なだけだから」

「男子のくせに調子づくからそうなるのよ!」とミカの怒気をはらんだ声がして、直後、再びディートリヒの身体が魔弾を受けて跳ねた。「消えろ! この学園から消えろよ! 邪魔なんだよ! 必死こいて努力してる私たちの邪魔すんじゃねぇよ!」


 ミカが連続で放つ魔弾の全てがディートリヒに直撃する。ディートリヒの身体は痣だらけであり、しかし、かろうじて意識はあった。


「さて、最後にとっておきの一発であなたの魔術師生命を終わらせてあげる。心配しないで? 命までは取らないから。ただ脚とか腕が取れちゃったら、ごめんなさいね」


 ペトラが魔力を溜める。時間をかけて一定量以上魔力を溜めた魔弾のことを『魔砲』と呼ぶ。ペトラは魔砲を放とうと、杖を持った腕を前に突き出した。目が見えないディートリヒでも、魔力の塊が生成されているのを感じられた。

 肌がピリピリとした危険を察知し、全身に鳥肌が立つ。今の無防備な状態でアレを受ければただでは済まない。そう確信できる程に高密度な魔力が着々とペトラの杖に溜まっていく。


「嘆くことはないわ。所詮、あなたは男子だからね。大魔術師の血統を色濃く受け継ぐ私に敵わないのも仕方のないことだわ」


 ペトラの言葉にディートリヒは僅かな引っ掛かりを覚えた。

 色濃く、受け継ぐ、と心の中で反芻するうちに、そうか、と僅かな引っ掛かりが確かな閃きへと変わった。


(俺をスカウトしたインヴィが言っていた。俺の魔力は濃い、と。ならば、多少薄めても十分機能するのではないか)


 ディートリヒは自分の仮説に最後の望みをかけて、歯を食いしばり立ち上がった。


 ミカが眉間に皺を寄せ舌打ちした。「しぶといわね。まだ起きるというの」


 ディートリヒには聞こえていなかった。魔力操作に没頭し、おそるべき集中力がディートリヒを無音の海に沈める。目も見えず、音も聞こえない。隔離された孤独な空間にいるようだった。

 ディートリヒの魔力がゆっくりと溶け始めた。氷が解けて水が広がるように、ディートリヒの高密度の僅かな魔力は、低密度の薄く広い膜になり、体育館一帯を満たしていった。

 光も音もない世界で、ディートリヒは視た。10メートル先で杖をディートリヒに向けるペトラを。その隣でディートリヒを睨みつけるミカを。もう1人の位置や壁の位置も視えている。視覚ではなく、脳内にその光景が直接流れ込む。


「頑張って立ち上がったところ、悪いけれど」とペトラが堪えきれない笑いを漏らしながら、言った。その様子さえもディートリヒには視えていた。

 

「さよなら。ディートリヒくん」


 魔砲が放たれた。

 ディートリヒは砲撃に合わせて、体を横に滑らせる。魔砲はディートリヒの真横を通過していき、背後で魔砲が壁にぶつかり、派手な衝撃音が轟いた。


 目を見開いて固まる2号の位置もディートリヒは完璧に捉えている。迷うことなく、2号へと距離を詰め、一撃で伸した。

 続けて、魔力を溜めた足で床を力強く蹴って、ペトラに一足飛びに肉薄する。ペトラは「ひっ」と怯えた声を漏らしながら後退するが、ディートリヒのスピードには対応できず、ディートリヒの突きがペトラの水月を打ち、ペトラは壁際まで吹き飛んだ。

 壁に叩きつけられ、ペトラは四つん這いで地に沈む。そして慌てて口をおさえると、「ヴぉぇ」と派手に嘔吐した。

 終わらない吐き気に苦しむペトラの視界にディートリヒの足が入り込む。おそるおそるペトラが顔を上げると、ディートリヒがペトラを見下ろして立っていた。


「さよなら。ペコラ殿」


 ディートリヒが木刀を振り抜いた後には、倒れて気を失ったペトラがいた。


「何なのよ……」とミカの声が聞こえた。「何なのよォ!」


 悲痛の叫びと共に放たれた魔弾も、当然ディートリヒは感知している。危なげなく迫り来る魔弾を次々と躱していく。躱しながらも、ディートリヒは前進してミカとの距離を詰めた。

 そしてとうとうミカがディートリヒの間合いに入る。

 ディートリヒがミカの小手に木刀を振り下ろした。骨が粉砕される音がディートリヒまで届いた。


 ミカはステッキを落として「あ゛ァアア」と呻いて膝をついた。

 その鼻先に木刀が突きつけられる。勝負あり、そう示すような所作にミカが悔しそうに顔を歪めた。


「必死こいて努力した結果が、この卑怯な作戦なのか?」とディートリヒが問う。

 ミカは涙目でディートリヒを睨むように見上げた。「あなたに何が分かるって言うのよ!」

 

 視界が戻ってきたディートリヒに、ミカの顔が視えた。酷く歪んだ顔だった。勝者を妬むだけの顔。敗北者の顔。かつての俺の顔。

 ディートリヒの脳裏に、遠い過去、前世の記憶がフラッシュバックした。

 何度も死線をくぐり抜け、血反吐を吐くまで努力し、やっと到達した高みで、それでも敗北を喫したやりきれない気持ちが思い起こされた。


 ディートリヒは無意識のうちに、ミカと同じような苦悩に満ちた歪んだ顔をしていた。

 お前の悔しさは分かる。そう言おうとしてすんでで思い留まる。勝者にそれを言われても屈辱なだけだ。

 もしディートリヒが奴に——黒い木刀を持ったあいつに同じことを言われたら、発狂する程の怒りを覚えるだろう。ディートリヒは突きつけた木刀をそっと下ろした。


「お前の努力をお前がおとしめるな。努力に報いる行いをしろ」


 それだけ言うとディートリヒは背中を見せて体育館の出入口までのしのしと歩いて向かった。

 彼が去った体育館からは女子のすすり泣く声がいつまでも響き続けた。

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