第12話 稽古

 ディートリヒくん、と聞きなれない声に呼び止められた。

 振り向くと、黒い長髪の女子が猫背気味に立っていた。知らん顔だな、とディートリヒはその女子を見て改めて思う。

 

「何か用か」


 ディートリヒの感情のこもらない返答に、その女子は一瞬表情を無くしてから、すぐに笑顔に戻り「私、ミカ・ドラグナ」と自己紹介した。

「ああ。俺はディートリヒ・アルティマだ」

「知ってるよ。ディートリヒくん有名だから」とまたミカが笑みを見せた。見せるために作られたような笑みだった。

「実はディートリヒくんにお願いがあってね」

「お願い? 面倒ごとは受け付けないぞ」

「面倒というか…………『戦闘』、に関することなんだけど」とミカはわざと『戦闘』を強調して言った。

 案の定、ディートリヒは目の色を変えて食いつく。「なんだ。試合の申し出か? それならそうと早く言えよ。よし、やろう。今からか?」

「えーっと、違うの。私じゃないの。ペトラ先輩と戦ってほしいんだけど」


 ディートリヒは口を真一文に結んで渋い顔で、しばし考えてから、結局諦めて口を開く。

 

「誰だそれ」

「シルバークラスのペトラ・イゼラン先輩だよ」

「知らんな。まぁ誰でもかまわんが…………昇格戦か。面白そうだ。どこにいんだよ、そいつ」


 先輩を『そいつ』呼ばわりするディートリヒに、ミカは一瞬だけ不快そうに顔を歪めた。

 

 下級クラスの者は1つ上のクラスの者に試合を申し込むことができる。クラスが上の者はその試合は断れない。ただし、日時は1週間以内であれば上級者の方が指定できる。下級クラスはその昇格戦で勝利すれば、その時点でクラスが1つ上がるのだ。ただし、負ければ3か月間は昇級戦を挑む権利を失う。

 上級者は負ければ降格するが、勝利すれば、勝ち星3つ分を得ることができるため、デメリットばかりでもない。


 今現在、プラチナクラスの部員はディートリヒに昇級戦を挑まれることを恐れて、全員が部活に出て来なくなってしまっていた。

 未だかつてこんなことは起こったことがない、とは部長リリーの言である。「まぁそんな軟弱な精神じゃ絶対にダイヤモンドではやっていけないけどね」と言い添えて。


「ペトラ先輩、今手が離せないんだよ。悪いんだけど、ちょっと来てくれないかな? 案内するから」ミカはディートリヒの手を掴んで引っ張った。


 ディートリヒは戦えるのなら何でも良いと、のこのことミカに引かれるまま、体育館まで付いて言った。


「なんで体育館なんかにいるんだよ、そのペコラ殿は」

「ペコラじゃなくてペトラだよ。まぁ行けば分かるから」


 ディートリヒが体育館に入ると、ツインテールの女子と、見るからに手下っぽいショートへア1号、2号が待ち構えていた。


「あんたがペコラか」とディートリヒがツインテールに言い放つ。

「ペコラではなく、ペトラなんだけど」とペトラは訂正してから、ミカを睨んだ。なんでちゃんと説明しないのよ、と。ミカは肩をすくめてかぶりを振った。

「俺と昇格戦がしたいんだろ? 受けてたとう」早く試合がしたくてしかたないディートリヒは早くもお馴染みの長木刀を腰から抜いていた。

 だが、ペトラは「それはちょっと違うわね」と薄く笑う。

「違う? 何が違うんだ?」

「あなたと戦いたいっていうのは本当よ。でも昇格戦にしたくないの」


 ペトラの言を受け、ディートリヒは視線を端に滑らせてしばらく考えた後、「無理じゃね?」と眉をひそめた。「格上相手には昇格戦しかできねぇだろ」

 だが、ペトラは「いいえ」と微笑んだ。「試合ではなくて、『稽古』という形ならば問題ないはずよ。だってそれはただの訓練なんだから。私はね、ディートリヒくんとずっと戦って見たいと思っていたのよ。でも、おそらく私は負ける。負ければ3か月は昇格戦を挑めなくなってしまう。それは嫌なのよ」

「つまり、負けるのが分かっていて、それでも俺と戦いたいってことか?」

「ええ。強者を求めるのは、戦いに身を置く者としては、当然のことじゃない?」ペトラの上目遣いの視線に、ディートリヒは大きく頷いて共感を示した。

「確かにな。それはある」


 ディートリヒとしては、この戦いに勝っても勝ち星は得られないのだから、メリットのない戦闘ではあったが、戦いに貪欲な目の前の女がどれほどのものか、少し興味があった。


「良いだろう。お前のその意気に応えるぜ、ペコラ」

「ペトラよ」

「応えるぜ、ペトラ」ディートリヒは律儀に言い直す。


 だが、それで試合開始、とはいかなかった。ペトラが指を一本立てて、「でもね」と言った。「多分、本気のあなたと戦っても、すぐにやられてしまうと思うの」


 またディートリヒが思惟しいをめぐらす。

 

「手加減しろってことか?」

「手加減なんて嫌よ。バカにしないで」

 ディートリヒは自らに非があったと感じて「すまなかった。今の言葉は取り下げよう」と頭を下げた。「だが、それならどうするんだ?」

「ハンデをつけるの」とペトラが答える。

「ハンデ? それは手加減するのと何か違うのか?」

「大違いよ。手加減というのは、あなたが私を倒さないように手を抜いて戦うことでしょ? でもハンデは、あなたに制限を掛けて戦うけれど、あなたは全力で私を倒しに来るもの」


 言葉遊びのようにも思えたが、ディートリヒは「なるほど」と取り敢えず受け止めておいた。「なら、俺はどんなハンデを負えばいい?」

「そうね。まず、私の他にもあなたと戦いたい子たちがいるから、私たちはチームで戦わせてちょうだい」

「後ろの1号2号のことか?」

 ディートリヒに1号2号と呼ばれ、彼女らは不快そうな顔を見せるが、ペトラは構わず「この子たちもそうね」と応じた。

「この子たち……も?」ディートリヒが首を傾げると後ろから「実は私もなの」とミカが声を上げた。

「なるほど。つまり、4対1か。面白そうだな」


 ミカはすかさず「それともう一つ」と2本目の指を立てる。


「なんだよ、まだあるのか」いい加減ディートリヒも面倒くさくなってきて、頭をがしがしと掻く。

「あなたは強すぎるから、1つだけ軽いデバフ魔法をかけさせてほしいの」

「デバフ?」

「ええ。要は一時的に身体機能を弱体化させる魔術よ」


 ふーん、とディートリヒは気のない返事をしてから「かけるなら、とっととかけろ」と言った。「だが、もう面倒な条件はこれで最後だ。その弱体化魔法とやらをかけたら、模擬戦を始めるぞ」

「ええ。分かったわ。ミカ、やって」


 ディートリヒの正面にミカが立ち、ディートリヒの額に手を当てて、ミカは掌に魔力を集中させた。

 ディートリヒは多少身体能力が落ちても魔力を厚めにまとえば何も問題ない、と考えていた。むしろ殺さないで済むから丁度良い、とも。

 だから、バチンと視界が真っ暗になった時、ディートリヒはそれが魔術による効果だとはじめ気がつかなかった。

 突然の闇にディートリヒは言葉を失う。一体何が起きた、と顔を左右に振ってみるが、視界は真っ暗のまま変わらない。


「約束どおり身体能力——視力を弱体化させてもらったわ」と笑いをこらえるようなペトラの声が聞こえた。


(はめられた……ッ!)


 ディートリヒは全てを理解した。彼女たちが本当は強者と戦いたいなどと微塵も思っていないことも、これから行われるのは戦闘でも訓練でもなく、単なる『いじめ』であることも。


 ペトラはディートリヒが言葉を発する前に言う。「魔法をかけたら、とっとと模擬戦を始める。これはあなたが出した条件だったわね。なら、望み通り、さっさと始めましょう」


 直後、ディートリヒは腹に魔弾を撃たれ、体育館の壁まで吹き飛んだ。


「戦闘開始よ」

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