第7話 舞踏
ダンスホールは華やかに着飾った紳士淑女で賑わっていた。
赤を基調としたカーテンが壁を彩り、高い天井からは光の雫を放つ眩いシャンデリアがぶら下がっている。王宮のダンスホールはダンスをするには十分過ぎる広さであったのだが、それすらも埋め尽くす人の多さで、大混雑していた。
それでもまだ尚、貴族たちが来城し続けているものだからディートリヒは辟易とした。
1人で柱に寄りかかり、ダンスホールを眺めていた。
(まったく、あの女、まだちんたらやってんのか)
エマは「ちょっと着替えてくるー」とディートリヒを置いて更衣室に引っ込んで行った。
おかげでディートリヒは一人待ちぼうけを食っていた。
「キミ」と声をかけられ、ディートリヒが顔を上げると金髪の女が少し顎を上げて勝ち気な目でディートリヒを見ていた。「1人なの?」
「連れを待ってる」ディートリヒが答えながら女の後ろに目を向けると、線の細い男が猫背で立っていた。
「男を放ったらかすなんて、見下げたお連れさんね」と女が口角を上げて微笑んだ。その笑みもどこか気の強さが滲んでいた。
「ほんとそれだな」ディートリヒは待たされている苛立ちから、つい意気投合してしまう。
ディートリヒの様子を見て、イケる、と思ったのか、女がディートリヒに手を差し出した。「そんな女、貴方が待ってあげる価値はないわ。それよりも、私と踊りましょう?」
ディートリヒの目が女の強気な瞳を経由してから、後ろの猫背の男に移る。
「そっちの男は連れじゃないのか?」とディートリヒが指摘すると女は猫背の男に一瞥をくれてから「違うわ」と言い切った。だが、男は明らかに動揺している。女の発言が嘘であることは明らかだった。
面倒くさい、と思いつつもディートリヒは丁重な断り文句を考えながら見切り発車で口を開く。
「申し訳ないが、弱い女はあまり好かん」
これが精一杯気を遣ったディートリヒの断り方だった。が、案の定、女は額に青筋を浮かべて、目を剥いてディートリヒを睨みあげた。
「弱い、ですって? 私が? 魔術師史上類を見ないアズホール家一の鬼才といわれるこの私が?」
危険を察知した周りの貴族たちが女から距離を取って、ざわざわと耳打ちし合う。女を中心にスペースが開いた。
アズホールと名乗る女の殺気はディートリヒに絡みつく。ピリピリとした圧を肌に感じた。ディートリヒは、こいつなかなか出来るな、と瞬時に察した。
だが女の殺気を肌に感じながらも、ディートリヒは別のことに意識が向く。
「今、アズホール家、と言ったか?」
女はディートリヒがアズホールの名に恐れをなしたと思ったのか、勝ち誇った笑みで「ええ」とディートリヒを見下して答えた。
だが、ディートリヒの考えは『恐れ』とは真逆だ。
ディートリヒが魔力で身体を覆って構えを取ると、アズホールは今度は驚愕に目を見張る。
「男が……魔法?!」
「ちょうど良い。アズホール家だか何だか知らんが、お前を倒せば俺は晴れて自由の身だ」
ディートリヒの婚約者はアズホール家の女。こいつは今、アズホール
ちんたら決闘学園の卒業など待たなくても、ここでアズホールをぶちのめせば、それで目的は達する。
木刀は持ってきていないが、そんなことはディートリヒには関係なかった。
「アズホール嬢、是非俺と——」ディートリヒが決闘を申し込もうとして、上から何かが降ってきた。
白いドレスを着たそれは天使と見間違う程、美しい。
ディートリヒは目を奪われた。
むき出しになった肩は少し赤みがかり、雪のように白くすらりと伸びる腕は本当に天下無双なのかと疑いたくなるほど華奢だ。
着地の衝撃で彼女の栗色の髪が大きく揺れて、男の欲望をくすぐる香りがディートリヒを取り巻いた。
「おまたせ、ダーリン」とエマがしっとりと笑った。ディートリヒは、ダーリンと呼ばれて、どきりとした。が、すぐにエマとの約束を思い出す。声が上擦らないよう気をつけながら「お前どっから降って来てんだ」と声を上げた。
「混んでたけど、この辺だけ開けてたから跳んで来た」エマが、かしこいでしょ、とでも言いたげな顔をディートリヒに向けた。
「あなた……エマ・ヴァールハイト!」アズホール嬢がはっとして、目を見開く。
「え?」エマがアズホール嬢に振り向いた。「そうだけど……あなた誰?」
アズホール嬢はエマに認知されていないことが屈辱だったのか、無言で眉間に皺を寄せてエマを睨んでから、ふん、と鼻を鳴らして踵を返し歩き去って行った。その後ろを猫背の男がヨタヨタと追いかけて行った。
エマは怪訝そうに「え、誰?!」とまだ言っていた。
「放っておけ。ただのナンパだ」
ディートリヒがそう言うとエマはアズホール嬢への興味が消え失せたのか、今度はディートリヒに顔を向けて、まじまじと頭からつま先まで視線をめぐらせた。
ディートリヒの
「ダーリン、似合ってるね。カッコ良い」エマが少し頬を染めて言った。ディートリヒは照れをごまかすように鼻を鳴らしてから「そのダーリンってなんだ」とぶっきらぼうに訊ねた。
「ダーリンはダーリンだよ。あたしのことも『ハニー』って呼んでね」
「ところでエマ」
「ハニー」とエマが訂正させようとするが、ディートリヒは全く取り合わない。
「さっさと例の女を見つけて、誤認させて帰るぞ」
「誤認て強調しないでよ、虚しくなるでしょ」
例の女、とはエマの同僚にして公爵のオリヴィアだ。ディートリヒはエマの部屋でのことを思い起こした。
♦︎
「あたしの婚約者になって」とエマが手を差し伸べて頭を下げた。
ディートリヒは差し出された腕を手で払って「バカかお前」と言い放った。
「バカは酷すぎ」とエマが顔を上げて爆笑する。どういうメンタルしているんだ、とディートリヒは半眼をエマに向けた。
「いくら男に飢えているからって、生徒にそんな契約結ばせて恥ずかしくないのか」ディートリヒが非難すると「違う違う! 本当に婚約するんじゃないって」とエマは両手を振って否定した。
「ちょーっと舞踏会に出て、ちょーっと一緒にダンスを踊ってくれるだけでいいから」
「なんだそれだけか。てっきり孕ませろ、とか要求してくるかと思ったが」
「あたしのこと、なんだと思ってるわけ?!」
ディートリヒはそれには答えずに、要するに、と言って目を細める。
「要するに見栄を張りたいわけだ」
「そんなはっきり言わないでくれる? まぁそうなんだけどさ」
「まったく。女ってのは面倒だな。だが、まぁそれくらいなら付き合ってやってもいい」
「ほんと?! やった! ずっとじゃなくていいの。オリヴィアにあたしたちの仲睦まじい姿を見せつけられれば。てか、あなた、ダンス大丈夫?」
「社交ダンスなら実家で嫌というほどやらされたからな。問題ない」
地獄のようなダンスレッスンを思い出してディートリヒは意識せず苦々しい顔になる。
「政略結婚には社交ダンスの技術は必須だものね。容姿が良いから、へたっぴだと尚更目立ちそうだし」と同情的な目をエマが向けてくる。
まぁ安心しろ、とディートリヒが言う。「お前の期待には応えてやる。その代わり——」
「全部終わったら、あなたと決闘。でしょ?」と言うエマの表情は柔らかく、とても殺し合いを承諾する者のそれではなかった。
「ああ、それでいい。お前の天下無双もその時までだ」
♦︎
ディートリヒはダンスホールに視線を巡らせて、ターゲットであるオリヴィアを探す。が、大混雑したダンスホールからオリヴィアを見つけ出すのは困難を極めた。
「エマ、オリヴィアはどこにいるんだ」
「さぁ? あの人の行動パターンなんてあたしに分かる訳ないし」あっけらかんと言うエマにディートリヒは苛立ちを覚える。
「お前、それくらい調べておけよ」
「仕方ないでしょ。目上の人に『どの辺にいますかー』なんて軽々しく聞けないよ」
ディートリヒが顔を横に向けて舌打ちしたが、エマは意に介さず、「どうせなら踊りながら待ってようよ」と手のひらを上にしてディートリヒに差し伸べた。
ディートリヒは今度は手を払いのけず、その手を掴んだ。人混みに入り込んだ方がオリヴィアが見つかるかもしれないと思ったからでもあった。
エマの手は温かかった。細くしなやかな指がディートリヒの手に絡む。
2人は揺れる水面のように音楽に合わせて穏やかにステップを踏む。一度踊り出せば、周りの人混みは気にならなくなった。
エマの顔が近い。エマの香りがディートリヒの心をかき乱した。ディートリヒは顔が熱くなるという初めての現象に戸惑いを覚える。
ふいにエマと目が合った。エマは目を細めてディートリヒに微笑みを向ける。慌ててディートリヒは目を逸らすが、そのせいで却ってエマに、ふふっ、と笑われた。
「なかなか上手いじゃない」
「……お前もな。やっぱり天下無双だと足さばきはお手の物か」
「なんでも戦闘と絡めて考えないでよ。ダンスと戦闘は無関係でしょ」エマは口を尖らせる。その尖った唇に目がいき、ディートリヒはまた目を逸らせた。
視界の端に、探していた人物が映ったのはその時だった。
一瞬のことだ。あっ、と思った時には既に人混みにオリヴィアが消えて行くところだった。待て、と無意識に追いかけようと、意識がステップから逸れる。
「ちょ」というエマの声が聞こえた時には既に2人は傾いていた。
ディートリヒにケガをさせまい、という気遣いからか、エマの腕がディートリヒの首に回り、そのまま胸に包むように抱えこまれた状態で床に倒れた。
ダンスをする目的で作られた部屋であるため、床はそれなりに固い。だが、エマのおかげでディートリヒは大した衝撃を受けなかった。
エマの胸に耳が当たっていた。すごい速さで鼓動が鳴り続けている。一瞬自分のか、と思ったが、すぐに違うと気付く。エマの動悸だった。
顔を上げるとエマが口を真一文字に固く結び、顔を真っ赤に上気させて固まっていた。
「す、すまん! 大丈夫か」ディートリヒはエマの様子からどこか負傷したのか、と慌ててエマの顔に自分の顔を近づけて現状を確認しようとした。
すると、エマが目を強く閉じて一層苦しそうに顔を歪める。「ちょ……待って。ほんと、それは…………ヤバい、から」と手でガードするかのように顔の前でクロスさえて、ディートリヒの視線を遮った。
顔に負傷はなさそうだ、とディートリヒがエマの身体の方に視線を向けて、気が付いた。自分の膝がエマの股に当たっていた。エマは痙攣するように小刻みに震えている。ディートリヒは慌ててエマから離れた。
エマはしばらく胸を上下させて横たわっていたが、やがて無言で立ち上がると、「飲み物でも取ってくるね……」と俯いたまま言ってディートリヒに背中を見せて歩き出した。
ディートリヒは大胆にドレスから露出されたエマの白い背中を黙って見送る。
エマから離れたにも関わらず、激しい動悸は続いていた。ばくばく、と鳴る鼓動はエマだけでなく自分のものでもあったのか、とようやく気が付いた。
「バカか俺は。この後、あの女と殺り合うんだぞ」
エマの後ろ姿を見ながら呟くが、エマとの決闘を拒絶するかのように心臓はやはり高鳴っていた。謎の高揚にちっ、と舌打ちが漏れた。
しばらくその場で気を沈めてから、ダンスホールの端に移動しようとディートリヒが1歩足を踏み出した時だ。
エマの歩いて行った方から、女がヒステリックに叫ぶ穏やかじゃない声が聞こえてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます