第6話 装飾

 この女、頭のネジが2、3本足りてないんじゃないか。それがディートリヒが天下無双のエマ・ヴァールハイトに抱いた第一印象だった。

 これが戦闘方向に狂っている、というのなら納得できた。天下無双は戦闘狂。うむ、良い。

 だが、この女は違う。普通にイカれている。

 ディートリヒをジローと呼び、突然口付けを迫り、かと思えばとんでもないパワーで締め上げ、目覚めたら訳の分からないことを宣う。何が『昨日は激しかったね!』だ。激しかったのはお前だけだ。

 

 そして、その天下無双が今ディートリヒに頭を向けて土下座を敢行していた。栗色の艶のある髪がサラリと垂れる。


「申し訳ございませんでした」


 誠心誠意、深い謝罪だった。15歳で成人しているとは言え、男子生徒の唇を強引に奪い、その上、暴行を加えて気絶させ、自宅に連れ込んだのだ。土下座が過度な謝罪とは言えない。むしろ土下座で済む問題ではない。

 だが、ディートリヒは全く別の意味で激怒していた。


「お前……ふざけるな!」と怒鳴り散らした。

「ですよね……。本当に大変なことをしてしまったと深く反省しております……。お金で解決できるとは思っておりませんが、希望する額を——」


「金などどうでもいい! 天下無双が軽々しく頭を下げるな! この馬鹿者が!」


 エマが、え、と顔を上げる。「怒るとこ、そこ?」

「当たり前だ! お前を目標に生きている人間がどれだけいると思っている!」

「…………3人くらい?——ぁ痛ァ」エマが大真面目に指を3本立てると、ディートリヒがエマの頭をはたいた。

「俺の目標たる者が、情けない姿を晒すな!」ディートリヒのこめかみに青筋が走る。怒りは一向に和らがない。

 だが、反対にエマの表情はころころ変わる。「えっ、キミ、あたしのファンなの?」エマが嬉しそうに目を輝かせてディートリヒに顔を寄せた。ディートリヒは「んな訳あるか!」とまたエマの頭をはたいた。

「いったぁーい! 何すんのよ! ファンじゃなかったら、『目標』ってなんなのよ!」頬を膨らませるエマにディートリヒは指を差して宣言した。


「お前を斬る、それがお前に会いに来た目的だ」


 エマはめ付けるような真剣な目でディートリヒを見返した。そしてディートリヒの眉間を貫く鋭い眼光を放ちながら言う。


「お願いだからお金で解決させて」

 

 カッコつけて言うセリフでは断じてない。

 

「お前、舐めてんのか?」ディートリヒの怒りはさらに積み重なっていく。

「いやいや、だって、あたし死にたくないしぃ! 流石に死刑はなくない? キスしただけだよ? 舌も入れてないよ?」


 ぶち、とディートリヒの脳裏で何かが焼き切れるような感覚があった。気がつけばベッド脇の長木刀に手を伸ばしていた。

 そして、座ったまま一振り。エマのこめかみに打ち付けるつもりで横薙ぎに木刀を振った。

 エマは眉一つ動かさずに、ひょいと木刀を躱す。

 

「俺と決闘しろ!」とディートリヒが吠えた。

決闘デュエル? あたし生徒じゃないんだけど」

決闘デュエルではない。殺し合い決闘、だ」


 エマは「キミと」とディートリヒを指差してから「あたしが?」と自分を指差す。

「それ以外に誰がいる」

「でも、キミ、男子じゃん」と言うエマの声は、心底ディートリヒを心配してのものだった。しかし、それはディートリヒの逆鱗に触れる禁句でもある。

 ディートリヒの殺気がエマを包み込んだ。


「試してみるか? エマ・ヴァールハイト。俺とお前、どちらが上か」


 エマはいつ斬り掛かられてもおかしくない殺気の中で、構え一つ取ろうとしない。それは絶対に遅れは取らないという自信の表れでもあった。


「もしかしてキミは『天下無双』が欲しいの?」エマは問いかけてから、ディートリヒが答える前に「欲しいならあげるよ。こんなもの広告的な意味しかないただの飾りだし」と笑った。

「飾り、だと?」

「そうだよ。正式な役職でもなければ、位でもない。『なになに村のガキ大将』とかそういうのと同じ。ただ存在を華やかにするだけの装飾品だよ」


 ディートリヒは烈火のような怒りは引いていたが、ただ不快感だけが残っていた。天下無双がただの飾り。天下無双を夢見て、あと一歩のところで人生の幕を閉じたディートリヒにとっては、とても受け入れられる話ではなかった。


「なら、お前よりも強い奴が他にいるってのか?」ディートリヒが訊ね、祈るような目でエマを見る。

「さぁ〜。そればっかりは殺り合ってみないことには」

「ならば」とディートリヒも食い下がる。「現時点で最強なのはお前だろ。もうそれで良い。俺と闘え」


 面倒くさがって断られる、とディートリヒは予測していたが、意外にもエマはあっさりと「いいよ」と答えた。

 それから、アーモンド型の大きな目を、にまぁ、と歪めて「ただし」と付け加える。「ただし、あたしの頼みを1つ聞いてくれたらね」

「俺の唇を無理やり奪っておいて、この上、さらに要求するのか」


 容赦ない指摘に、エマはニコッと笑みで誤魔化そうとした。しかし、ディートリヒの追及の視線は容赦なくエマを貫き続ける。耐えきれなくなったエマは、光の速さで土下座に移行した。


「申ーし訳、ございませんでしたァ!」

「だから天下無双が土下座をするな!」

「ほんっっっとに悪いと思ってますぅ。でも、あたしもまじ困ってんだよぅ。お願いっ! 徳を積むと思って、助けてくれよぅ!」


 土下座をしていたエマが今度はベッドに座るディートリヒの足にすがりつく。潤んだエマの瞳が上目遣いにディートリヒを見上げた。どきっ、とディートリヒの鼓動が一瞬高まった。

 涙目でわんわん懇願するエマの頭を押し離しながら、こいつ色気の使い方間違ってんだろ、とディートリヒはなんとも言えない気持ちになった。


「と、とりあえず、その『頼み』とやらを話せ」とディートリヒが折れたのは10分後のことだった。エマの粘り勝ちである。

 エマは「大丈夫、とっても簡単なことだから」と前置いてから、満面の笑みで告げる。

 







 


「あたしの婚約者になって!」

 

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