第3話 勧誘


 その日、ディートリヒは昼下がりの村を一人歩いていた。腰には木を削った棒——自作の木刀を引っ提げている。彼は出かける時はいつもそれを持ち歩いた。周りからは、男子が武器なんて、と白い目で見られたがディートリヒは気にも留めなかった。


 石床の坂道を登りながらディートリヒは、魔力を身体に留める感覚を確認していた。


(よし。完璧。昨日はしくじって気絶したが、意識していれば問題ない)


 中庭で突然気絶したディートリヒに慌てて母リディアと妹マリンが駆けてきて、救護室に運んでくれたのだとか。使用人が言うには、マリンは「お兄ちゃん死なないでぇ!」と泣いていたらしい。本当に死ぬかもと思っていたディートリヒには笑えなかった。


 ディートリヒは歩きながら、路地裏などを重点的にきょろきょろ、と探す。

 何を探しているのか。探し物は『トラブル』である。


(あー! 試してぇ! 試し斬りしてぇ! せっかく魔力を扱えるようになったのに。誰か木刀で殴って良さそうな奴いねーかなぁ)


 やぁ、僕のことは好きに木刀で殴って構わないよ、ハハっ。そんな奴はいるはずもないのに、ディートリヒは裏路地の草むらをかき分けて熱心に探す。そんなところに人間がいたら逆に怖いがディートリヒは思い至らない。

 

 穏やかならぬ人の声が聞こえたのは、家畜小屋の前を通った時だった。中に人がいるようだ。

 家畜小屋の壁上方にある欄間らんまから中の様子を覗き見た。

 枯れ草が山積みになり、壁には農具がかかっている。今は使われていないのか鉄柵の中に動物は見当たらない。

 代わりに鉄柵の外に女が3人。いずれも若者だ。男が1人。彼も若い。男は項垂れるように四つん這いになっており、その正面の椅子に女が1人座っている。あとの2人はその後ろに立っていた。

 

「あ? お前、まさかできねーなんて言わねぇよな?」と女の1人が眉間に皺を寄せて凄む。魔杖ロッドを手に持ち、魔杖ロッドの先の水晶で手のひらをパシパシと繰り返し叩いていた。

「か、勘弁してください……」男は消え入りそうな声で下を向いたまま懇願する。

「勘弁しませーん」と魔杖ロッドの女がすかさず言うと、周りの女2人が甲高い声で手を叩いて笑った。「てか、早く舐めろよ。いつまで待たせんの?」


 よく見ると魔杖ロッドの女は片足だけ裸足になっており、その足を男の方に伸ばしていた。要するに足を舐めろ、ということらしかった。

 あー、いじめね、とディートリヒは事態を大雑把に把握する。この世界ではよくあることだ。男は女に対抗する力もなければ、人脈もない。女の慰み者にされることも珍しい話ではなかった。

 ディートリヒは待ってました、とばかりにいそいそと家畜小屋に入った。念の為断っておくが、別に彼がドMという訳ではない。

 ディートリヒが小屋に入ったのはちょうど四つん這い男の震える舌が女の脚に触れる寸前だった。


 ずかずかとディートリヒは男に歩み寄ると、男の後ろ襟を引っ掴んで「代われ」と横に放った。男はあひゃん、と変な呻きを漏らして崩れ、それから慌てて立ち上がり、柱にぶつかりながらも小屋から走り去って行った。


「何だお前」と魔杖ロッドの女がディートリヒに言う。すかさず後ろの女が「あんたが代わりに舐めてくれんの?」「いいじゃん、いいじゃん。こっちの方がイケメンじゃん」と囃し立てた。


 ディートリヒはこれには答えず考える。


(できれば1対1でじっくり試したいな)


 切れ長の鋭い目で、椅子に座った女を見下ろす。女は「なんだ、その目は」と威嚇していたが、思考に耽るディートリヒには聞こえない。


(多分、この魔杖ロッド女がボスで一番強い。なら対戦相手はこいつだ。そうと決まれば、残りは邪魔だな)


 ディートリヒは魔杖ロッド女の脇を素通りして後ろの女の前に立つ。


「な、なんだよ? もしかして、あ、あたしがタイプなの?」女は満更でもなさそうに頬を染めてもじもじしだした。ディートリヒは長身で女よりも背が高いので、女は上目遣いにディートリヒを見上げる。「あ、あたしの……舐める?」


 ディートリヒは返答の代わりに木刀で女の顎を器用に打った。それはもはや『剣術』とは言えない雑な一振り。ディートリヒにとってまだ戦闘は始まっておらず、単なる掃除みたいなものだった。

 上目遣いの赤面顔がぶにっ、と醜く変形して横に吹き飛ぶ。壁は思ったよりも薄かったらしく、穴が開いて女は外に投げ出された。戻ってこないことをみれば、おそらく外で気絶しているのだろう。

 それを見て固まるもう1人の女も有無言わさず気絶させられた。


「お、お前……」とロッド女が目を剥きながら、ロッドを構えた。恐れと怒り、その両方が表情に現れている。

「なるほど。腕力が上がっているな。すげぇ……」ディートリヒは女そっちのけで木刀をぶんぶん振り回して、魔力を纏った太刀筋を確認していた。


 戦闘の口火を切ったのはロッド女だった。

 見開いた目でディートリヒを睨め付けながら、ロッドを水平に向けた。

 ディートリヒは慌てることなく、じっと魔力の流れを観察する。

 

(魔力が勢いよく湧き出ている。魔術を使う前にはこうなる訳か。敵にバレバレじゃねーか)


 ロッドから勢いよく拳大の魔力弾が放出されるのと、ディートリヒがひょい、と1歩横に逸れるのとはほぼ同時だった。

 魔弾はディートリヒの顔のすぐ横を通過して後ろの壁に穴を開け、屋外に消えた。


 ちィ、と女が大きく舌打ちをして、連続に魔弾を乱射する。ディートリヒはその全てを紙一重で交わした。


(纏う魔力量を大きく増やすと、天へ消失する魔力量も増えるのか。だが天への流れを閉じれば、魔力消費はゼロ。魔力の少ない男でも戦える)


 ディートリヒは一気に女との間合いを詰める。女は魔力をまた増やし、そのほとんどをロッドに集中させた。

 女の素人丸出しの薙ぎ払いをディートリヒはまたあえてきわかわす。ロッドがディートリヒの鼻先を通過すると、風圧でディートリヒの前髪が立ち上がった。


(威力は申し分ない。魔力を増やせば、高火力になるわけだ)


 ディートリヒも身体の魔力を厚くする。素早く体内から魔力を放出し、それを身体に留める。最後に天への消失を閉じる。そうすることでディートリヒを包む総魔力量は格段と増えた。

 ディートリヒが女に踏み込む。

「くっ……ッ!」女がまたロッドで殴りかかった。が、ディートリヒはそれを潜り抜けるように躱して、木刀で女の喉を切り上げた。

 女は驚愕に目を開いたしゃくれ顔で、屋根まで飛んでいき、屋根に穴を開けて外に飛び出た。その後屋根をゴロゴロと転がる音がして、最後に地に落ちる音が虚しく響く。


「やっべ……。死んだか?」

 

 ディートリヒはドアを開けて、顔だけ出して女の様子を見てみた。

 女はしゃくれ顔で痛みに震えていた。生きてはいる。しゃくれる元気があれば大丈夫か、とディートリヒはロッド女への興味をなくした。



 不意に手を叩く音が聞こえた。顔を向けると、中年の女が小屋の壁の前に立っていた。先程ディートリヒが欄間らんまから覗いていたまさにその場所だ。連続して聞こえる拍手音は、ディートリヒを称賛しているのか、揶揄しているのか、判然としない。


「あんた、いつからそこにいた」ディートリヒは物怖じせず、小屋から出て訊ねる。

「壁に穴が開いてその子が飛んできたあたりよ」中年女が、地べたに転がっているはじめに掃除した取り巻き女を指差す。それから「あなた男よね?」とディートリヒに近づいて来る。

「見て分からないか?」

「分かるわ。でも普通、男は魔力を扱えない。しかも……魔力の質が非常に濃い。実に興味深いわね」中年女は目を歪めてにんまりと笑った。

「誰だよ、あんた」

「おっと、そうね、うっかりしてたわ。私は王都にある決闘学園の人事部から来たの。インヴィよ、よろしく」

 インヴィが差し出した手を取り、「ディートリヒだ」と答えると、インヴィは満足そうに微笑んだ。


 決闘学園。聞いたことはあった。決闘の勝敗で全てが決まる。卒業できるか否かも強さ次第。良い成績を納めれば、国の要職に就けるとか。そんな話を妹のマリンがしていたことがある。


「決闘学園は世界最高峰の魔術師育成機関よ。第一線で活躍している魔術師は皆うちの学園の出なの。いまや決闘学園を卒業する、ということは一流の魔術師である証明になっているくらいよ」

 

 一流の魔術師、とディートリヒが呟く。インヴィはその呟きを聞き逃さなかった。

 

「そう、一流も一流! あの天下無双とうたわれるエマ・ヴァールハイトもうちの出身よ。特別講師として時々、来園するの。彼女の教えを受けることもできるわ」


 その言葉を聞いてディートリヒの目の色が変わった。脳裏をよぎるのは、あの日のこと。奴の不敵な笑みも、穏やかな波の音も、高鳴る自分の鼓動も、鮮やかに覚えている。


 

 ——俺とお前。どちらが上か。勝った方が天下無双だ。

 


 天下無双。

 世にふたつとない、武人の頂点。俺が追い求めて、ついに得られなかった最高の栄誉。

 俺を葬った、アイツの——



 ディートリヒくん、と声をかけられ、はっ、と我に返った。

 

「あなた、うちの学園に入学する気はない? もし来てくれるなら入学金、在籍金、授業料は全て免除するわ」

「……何故そこまでする。魔術を使う男が珍しいからか?」

「それもあるけど」インヴィが言う。「あなたは強いわ。うちの学園でも難なくやっていける程にはね」


 何の説明にもなっていない世辞にディートリヒは、なるほど、と声を漏らす。インヴィの言葉にしていない部分をなんとなく理解した。


「俺を客寄せに使うつもりだな」


 インヴィは微笑みを顔に貼り付けたまま、答えない。が、答えないことが答えとも言える。

 男に価値がない、というのは『戦力』として見た場合だ。『生殖』という点では男は重宝される。年頃の女子が性欲に振り回されるのは世の常だ。インヴィはそれを利用する、ということだろう。

 不愉快ではある。だが、それ以上にディートリヒには、決闘学園に入学しなくてはならない理由ができていた。


「良いだろう。入学してやる。母上の説得はお前がやれ」


 インヴィは音を立てて手を合わせて「交渉成立ね」と嬉しそうに笑った。




 まさかこんなに早く見つけられるとは。歓喜で口角が吊り上がる。

 男が弱い? 戦えない? 客寄せに過ぎない?

 そんなもの知るか。誰かが決めた常識に俺が付き合ってやる義理はない。

 俺は誰を蹴落としてでも、必ずそれを手に入れる。今度こそ。必ず。






 天下無双は俺のものだ。

 








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