第2話 魔力


 屋敷の中庭で戦闘が繰り広げられていた。

 母リディアが金属製のロッドを向けて牽制しながら、横向きに走る。1歩の移動距離が人間の限界を超えている。要するに途轍もなく速い。前世ではこんな動きをする者はいなかった。いたら『妖怪だ!』と騒ぎになっていただろう。

 対する妹のマリンが木製のロッドを振り回して、謎の光線を乱れ撃つ。こちらもやっぱり『妖怪』じみている。これは『魔術』というらしい。母リディアのあり得ない動きも魔術による身体強化なのだとか。


「マリン、しっかり狙いなさい。魔力の無駄遣いしない」

「は、はい!」


 マリンが指摘を受けて杖をおろすとリディアが「杖はおろさない! いつでも撃てるように上げておく!」と厳しくまた指摘した。マリンは慌てて杖を上げる。


(まだ12歳の女の子相手にずいぶん厳しいなぁ)


 ディートリヒはそう思ったすぐ後に、いや、とかぶりを振る。女の子だから厳しいのか、と思い直した。

 彼が第二の人生を得たこの世界は、男性1人に対し女性はその10倍存在している。男女比が著しく偏った世界だった。

 偏っているのは人口だけではない。パワーバランスもそうだ。

 例えば魔力。女は膨大な魔力量をその生命に宿して生まれてくる。一方で、男は例外なくすずめの涙ほどの魔力量しか持ち得ない。しかも、魔力量は努力でどうこうなるものではなく、生まれついての才能と言われている。

 つまり男性は生まれながらにして、圧倒的弱者の役、と相場が決まっているのだ。


「あの……お兄ちゃん?」マリンがいつの間にかディートリヒの目の前にいた。ボーッとしている間に、稽古は休憩にでも入ったのか、戦闘は終わっていた。

「あ、ああ。何?」

「その……そんなにじーっと見られてると、やりにくいって言うか……」もじもじと太ももを擦り合わせながらマリンが目を逸らした。

「なんでだよ。別に見るくらいいいだろ。俺は稽古をつけてもらえないんだから」


 実際、母には何度も頼んだ。魔術の稽古をつけてくれ、と。だがダメだった。

 この世界では純粋な剣豪などいない。戦闘は魔術ありきなのだ。当たり前と言えば当たり前である。魔術で強化した身体とそうでない身体とでは、まるで大人と子供だ。いや、それよりもさらに両者の差は大きい。おまけに遠距離攻撃まで飛んでくるのだから、魔力なしに太刀打ちする術はない。だから、男は戦士にはなり得ない。

 それが母の言い分だった。


「当たり前でしょ」と母リディアが汗を拭きながら歩いてくる。「ディートリヒはアズホール家に婿とつがせるんだから、傷ものになったら困るもの」


 母の言葉にディートリヒは眉間にシワを寄せ、マリンは口を固く結んで顔を伏せた。


(俺が人様の家庭に入るだなんて、あり得ない。想像もしたくない)


 ディートリヒが口を開こうとして、先にマリンが開いた。「お兄ちゃんは、アズホール家に合わないよ! 妹として認められません」

「あら知ってる? 政略婚に妹の意見は、不要なのよ? 必要なのは当主の意見のみ。分かった、ディートリヒ?」


 次は俺の番、と反抗の準備をしていたディートリヒは母に釘を刺されて肩をすくめた。


「でも、俺強い人にしか魅力を感じないから」ディートリヒが一応反対しておくと、母は「なら大丈夫ね」と目も合わさず答えた。

「アズホール家のご令嬢はなかなかの魔術師よ? 少なくともディートリヒでは手も足も出ないくらいには、ね」


 誰だよ、そのアズホールって。とディートリヒは顔を横に向け小さく舌打ちする。


「なら、もしも俺がそのアナホールと戦って——」

「お兄ちゃん、アナホールじゃなくてアズホールだよ」

「——勝ったなら、婚約は無効。そういうことでいい?」

 母リディアは、何をバカなことを、と鼻で笑った。「そんなことが本当に起こるのなら、ね。でもあり得ないわ」

 マリンに目を向けるとマリンは無念そうにかぶりを振った。「お兄ちゃん、男が女に勝つなんて不可能だよ」


 俺の前世では逆だったがな、とディートリヒは心の中でぼやく。なんて世界だ、と。


 

 しばらく休んだ後、「さ、稽古再開よ」と母リディアはマリンを連れて、ディートリヒから離れていった。

 

 マリンとリディアがまた戦闘を始め、ディートリヒはそれをじっと見つめる。今日はたまたま母リディアの機嫌が良かったから見学を許されたが、いつもはそれすらも認められないのだ。この貴重な機会を逃す手はない。

 

 ディートリヒは初めのうちは中庭の景色と2人とをひとまとめりにぼんやり眺めていた。が、やがて目の前の彼女らの動き以外何も見えなくなっていく。徐々に、徐々に、集中力が研ぎ澄まされ、ついには周りの音が消えた。

 この世界に転生してからディートリヒは耳が聞こえるようになってはいたが、深く集中すると唐突に以前の無音の世界に沈み込むことがあった。


(見えづらいが2人の体を何かが覆っている? もしかしてこれが魔力か)


 薄らとマリンとリディアの身体の周りの空間が歪んでいるように見える。おそらくこれは視覚だけで捉えているものではない。嗅覚、それから肌に感じる圧力のような物が視覚を補助して魔力を見せている。威圧の強弱から魔力の厚い部分と薄い部分の違いまで分かる。


(初めて見えた。でも、男にだって魔力は少しは宿っているはず。なぜ今まで感じられなかった? いや、今まで、ではない。今も、だ。今も俺の魔力は感じられない)


 マリンとリディアの魔力は感じられるのに、もっと身近な自分の魔力はからっきしだった。

 ディートリヒは、多分体外に出しているか、体内に宿しているか、の違いだ、と当たりを付けた。問題はどうやって体外に出すか、だ。


 またしばらく観察していると、ある事に気付いた。顔の周辺は常に魔力が厚い。


(急所だからか? いや、だったら胸や胴付近の魔力も厚くするはず。臓器が1つでもやられれば終わりだ。それに……腰も魔力が厚い? 何故だ)


 ちょうどその時、マリンがロッドをリディアに向けた。どうやら魔弾を放つようだ。

 それを見てディートリヒの脳裏に稲妻のような閃きが走った。頭の中で仮説を整理する。


(今の魔弾を放つ前の魔力の流れ——まず頭と腰辺りの魔力が膨らみ、それからその膨らんだ魔力が腕を通ってロッドに移った。つまり始まりは頭と腰。そこに共通するのは——)


「九穴、か」


 口、両眼、両耳、両鼻孔、尿道口、 肛門。これらの穴から魔力が体外に出ている。そう考えれば頭と腰から魔力供給されるのも説明がつく。

 試しにディートリヒは目から魔力を出そうと試してみた。が、案の定、失敗に終わる。


(ダメだ。目にしたって目ん玉が詰まっているし、口は喉が閉じている。鼻もあまりイメージが湧かない。尿道、肛門は論外だ。排泄物のイメージしかない)


 だが、ふと、耳はどうか、と思い至った。

 ディートリヒは前世ではずっと耳は機能していなかった。つまり、あってないような物。イメージとしては『無』だ。そこには何の役割も割り振られていない。

 ディートリヒは目を閉じて、耳に意識を向ける。すると、熱いどろっとした液体が耳からこぼれ落ちた。が、手でそれを押さえようとして、液体などないことに気がつく。


(これが…………俺の魔力)


 耳から溢れた魔力は体を覆うように全身に走り、頭のてっぺんから天に向けて少しずつ消失していく。


(……てか、これヤバくないか? 男である俺の魔力なんてすぐ底をつく。もし体内の魔力が切れたら……どうなるんだ? 死ぬ? いや流石にそれは——)


 ない、とは言いきれなかった。それほどまでにディートリヒは魔術について何も知らない。魔術は女のもの。男は魔術から遠ざけられる。基礎知識さえ与えられないのだ。


(落ち着け。経験上、心が乱れている時は必ず失敗する。まず頭のてっぺんの魔力の消失を止められるか、だ)


 ディートリヒは頭に意識を集中する。つむじ辺りから、小川の流れのように、ただし重力に逆らって、天に魔力が少しずつ流れているのを感じる。ぐっ、と力んでみる。天への流れが一瞬速くなるだけで、止まることはなかった。

 次にふっ、と力を抜いて扉を閉めるイメージを浮かべてみる。——が、やはり流れは止まらない。


(ダメ、か。どうやら天への流れを止めるのは、無理そうだ。ならば、体外への魔力の放出を止めるのはどうか)


 今度は意識を耳に向ける。今、ディートリヒの身体の魔力は耳を通じて体外に出ているからだ。耳を閉じるのは簡単だ。なぜなら、ディートリヒにとって耳はいつでもから。

 すっ、と体外への魔力放出が止まった。すると、驚くことに頭のてっぺんからの魔力消失も同時に止まった。

 身体を覆っていた魔力だけがそのまま留まっている。


(でき……た)


 思った通りになった達成感に、ディートリヒは静かに興奮しながら、マリンとリディアに目を向けた。

 先程よりも、はっきりと2人の魔力が見えた。おそらくディートリヒの目が魔力で強化されているためだ。

 マリンとリディアは未だ模擬戦を続けている。その両方共が魔力の天への消失が確認できた。


(母上ですら、魔力消失は防げていない。もしかして——これってすごい大発見なんじゃないか?!)


 ディートリヒの興奮が限界を振り切れる。

 集中力が途切れ、ディートリヒに音が戻った。そして、止めていた耳からの魔力放出が再開し、当然魔力消失も再び始まる。


 あ、と思った時には体内の魔力はすっからかんになった。視界がぐるんぐるんと回り始め、座っているのも困難になり、一旦横になろうとディートリヒが思った直後には、彼の意識は途絶えていた。

 

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