それでも俺は天下無双を諦めない

途上の土

第1話 出生


 天下無双。

 この世界にふたつとなく、並ぶ者もない。即ち、世界の頂点に立つ強者のこと。

 腰に刀を差す者は皆それを志す。

 名声を求めて強者を斬り、名声が高まれば富を求めて藩の指南役につく。

 

 もっとも俺は富と名声に興味はない。

 ただ……一番になりたかった。誰よりも強くありたかっただけだ。

 だが、それはついになし得なかった。


 覚えているのは、世の闇を映し出しているかのような漆黒の木刀。そこから放たれる一撃が今も目に焼き付いている。俺を葬った一撃だ。


 

 恐ろしいほど正確な太刀筋たちすじで、


 

 綺麗な軌跡きせきえがき、


 

 風を裂く音がしたかと思えば、


 

 俺の首に——






 ♦︎

 


 

 


 ——パァン! と痛そうな音が響いた。実際にじんわりと背中に痛みが走る。どうやら背中を叩かれたらしい。何故だか俺は裸だった。

 叩かれた衝撃で、俺は謎の液体を口から吐き出し、意識せずに声が上がった。元気な泣き声が。


「んあぁあ、んぎゃァァ、ぉんぎゃァ、んぎゃぁ!」


 音が聞こえた。自分の中から発されているように聞こえる。やはりこれは俺の声。俺の泣き声。

 男が泣くとは情けない、と自分に失望する。が、泣き止もうとしても、一向に止まらない。俺はいつからこんな軟弱者に成り下がったのか。

 自分の泣き声と、誰かの喜びの声が延々と聞こえる。

 やっぱり聞こえる。音が聞こえる。

 音、なんてものを認識できたことは、これまで一度もなかった。俺は聾唖ろうあだったのだ。

 喜びよりも、戸惑いが大きい。

 

 とりあえず何か声に出してみようとしたが、泣き声が一段階大きくなるだけだった。

 不意に宙に浮く感覚があり、体がこわばる。誰かに抱きかかえられたらしい。その誰かの腕の中は温かく、何故だか心が安らいだ。


「可愛い。お猿さんみたい」若い女の声が聞こえた。俺を抱いた奴だ。

「だが……男の子、か」と含みのある声を発したのは若い男のようだ。

「関係ないわ。男だろうと、女だろうと、可愛い私の——私たちの子よ」

「それはそうだが……きっと苦労する」

「何を怯えているのよ。私が——私たちがサポートすれば良いだけの話でしょ?」

「…………そう、か。そうだな。ところで、名前はもう決まったのかい?」

「ええ。まさに今閃いたわ」女は声に疲れを滲ませながらも、力強く誇らしげに言った。「この子はディートリヒ。ディートリヒ・アルティマよ」


 会話の内容は俺には分からない。分からないが、不思議と『ディートリヒ』という響きだけが頭に反芻した。

 ディートリヒ・アルティマ——俺の第二の人生はこの日から始まった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る