第2話「天国、地獄、大地獄」

 時は少し遡る。



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 あまりにも突然だった。


 気がつくと見知らぬ部屋にいた。

 

 直前まで何をしていたのか、寝ていたのか起きていたのかも分からない。

 それなのに突然、TV番組のカットのように風景が切り替わる感覚を覚え、得体の知れない違和感に少しばかり気持ち悪く感じる。


 状況を整理するために辺りを見渡す。


 重々しい空気の部屋だった。

 ちゃんと見ればそこまで大きな部屋では無いものの、雰囲気のせいかやたらと広く感じる。

 一面の真っ白な壁や天井は清潔さ等よりはむしろ荘厳さを感じさせ、俺以外は人一人居ないのにその空気に飲まれそうな感覚に落ちいる。

 周りには取り囲まれるように置かれた机と、目の前には人一人分の小さな机が一つ。

 裁判所のような場所だろうか。


 自分の体を見れば、いつもの半袖のYシャツに制服のズボン。左腕には腕時計に、過度に着崩しもしないいつものスタイル。

 普段通りに学校に行く際の姿だった。


 だが見慣れた姿の筈なのに何か違和感を覚え……


 「……?」


 そこに至って初めて違和感の正体に気がついた。


 体の感覚が無い。


 全身に麻酔を打たれたように何も感じない。 

 拳を握っても開いても、目の前の机を触ってみてもその感覚は無く、世界から自分の体が切り離されたように感じる。

 それなのに問題なく体は動かせるのはどういう理屈だろうか。


 理解出来ない状況に混乱していると、

 

 「目が覚めましたか。初めても良いでしょうか?」

 

 顔を上げれば、先程まで誰も居なかった筈の目の前に白い少女が立っていた。



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 それは厳格な雰囲気を纏った少女だった。

 

 着ている法衣も白、肌や髪も透き通るような白。白色の瞳孔はカラーコンタクト以外では初めて見るが、その中に虹色の光が反射しており宝石のようにも見える。

 置かれた状況が状況でさえ無ければ、雪の妖精が本から出てきたと言われても信じてしまいそうな見た目。

 それにも関わらず、少女が発する雰囲気は部屋の空気に負けず劣らず、思わず頭を下げたくなる程の重圧感を秘めていた。


 「それで、始めても?」


 まじまじと見つめていたのを少女が一言で遮り、ふと置かれた状況について思い出した。

 

 ここは何処か、いやそれよりも。


 「始めるって……何を?」


 そう聞き返すと周りをチラリと見やる。

 部屋の見た目通りなら裁判を……という事だろうが生憎、生まれてこの方逮捕されるような事も、裁かれなければならない事もした覚えがない。

 

 「部屋なら気にしないで下さい。あなたの中のイメージを投影しているだけなので見た目に意味はありません」


 ますます意味が分からない。

 見る人によって見え方が変わるなんて技術も知らなければ、人の頭の中を覗いて投射するなんて聞いた事もない。


 さらに混乱する俺をよそ目に少女が続ける。


 「奥山桐路、享年17才。あなたがこれから死後どの世界に向かうかを裁定します」






 …………今なんて言った?


 「ではこれからあなたの生前の罪を……」

 「っ、ちょっと待ってくれ!」

 「……何か?」

 

 ここまででも訳の分からないこと尽くしではあったが、最後の一言は完全に俺の理解の範疇を超えていた。

 それにだ。

 

 「俺、死んだ記憶無いんだけど!?」


 自慢では無いが人並み以上に健康には自信がある方だ。

 そんな高校生が寝ている間にポックリ逝ったなんて有り得なければ、事故に遭った記憶も、誰かに殺された記憶も無い。

 

 「ああ、ここに来る方は皆期間はまちまちですが死ぬ前の記憶は思い出せなくしております」

 「え、なんで……」

 「だって死ぬ痛みを覚えたままここに来たら、錯乱して裁定どころでは無いですから」


 確かに老衰や即死でもない限り、文字通り死ぬ程の怪我や病気に直面した直後に会話なんてできる状態じゃ無いだろう。

 冷静に納得しかけた自分が嫌になる。


 「だから落ち着いて下さい。ここに来る方は皆さん慌てられるので」

 「いや落ち着けるか!」

 

 そりゃそうだ。

 突然あなたは死にましたなんて言われてパニックにならない方がおかしい。


 「なら落ち着くまで待ちましょう。ここでは時間は意味をなさないので」

 


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 「落ち着きましたか?」

 「納得はして無いけど落ち着きはしたよ……」


 着けている腕時計が止まっているせいで具体的にどれだけ時間が経ったかは分からないが、体感で2、3時間してからようやく平静を取り戻した。

 

 途中、頭のおかしい誘拐犯の戯言かと勘繰るものの、よく見ればこの部屋にはドアが一つも無く脱出することは無理だと気づいた。

 目の前の少女が頭のおかしい誘拐犯でも、本当に死後の世界の何某だとしてもどうしようもなく、半ば諦める形で裁定とやらを受ける事にした。

 

 「それなら結構。では裁定を始めます」

 「わかったよ……ええと、なんて呼べば?」

 「ああ、私に名前はありません。呼びたいのであれば便宜上『エンマ』とお呼び下さい」


 エンマ、閻魔、ね。

 死後の世界に閻魔大王と、いよいよそれっぽくなってきた。

 

 「だとするとこれから天国行きか地獄行きかを決めるってことか?」

 「人によって天国、地獄の定義がまちまちなので断言はしませんが、概ねその認識で合っています」


 そう言うとエンマはどこからか古めかしい、鈍色の小さな天秤を取り出し目の前の机に置いた。

 

 「で、俺は何をすれば良いんだ?質問に答えるとか……?」

 「生者も死者も、口から溢れる言葉に重みはありません。あなたの罪は、あなたの『執着』が雄弁に語ってくれます」

 

 エンマはそっと手を伸ばし、俺の腕時計を取ると天秤の上に置く。

 そして懐から真っ黒な石のような物を取り出し、もう片側の天秤に乗せ始めた。

 

 『執着』なんて言いながらいつも着けてた腕時計で何が判るのか……と思い至ったところで、ふと気がついた。

 さっきまでは体の感覚が無くなっていたり、突然お前は死んだなんて言われたせいであまり気にならなかったが。


 「俺、あんな腕時計持ってたか……?」



 「終わりました。これはあなたにお返しします」


 エンマが『執着』と呼んだ腕時計に対して疑問を持つのとほぼ同時に、裁定とやらは終わったらしい。

 見れば腕時計の逆側には黒い石が4、5個置かれているのが見える。

 あれが俺の罪の重さだとでもいうのだろうか。

 

 「んでエンマさん、結局俺は天国と地獄のどっちに行くことになるんだ?」

 「それは私には分かりません。天秤が決めることなので」


 道具に丸投げかよ。

 てっきりエンマ直々に天国送りだの地獄行きだの判決を言い渡すものだと思っていた。

 エンマは裁判長というよりは役所の事務員のような立ち位置なのだろうか。

 名前負けというか、イメージと違うというか。

 

 「ですがもし逝った先で、ここでの出来事を覚えていたなら、その腕時計は大事に持っておく事を強くお勧めします」

 「それはどうい……う………?」


 疑問を口にしようとしたところで、急激に意識が遠ざかっていく。

 結局ここは何だったのか、これからどうなるのかという一連の疑問の答えを得ないまま、エンマの一言を最後に俺は意識を手放した。


 「それでは良き旅を、トウジさん」

 



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 「あっ、やっと気がついた!」


 呼びかける声と背中に当たる冷たい土の感覚で目が覚めた。

 先程まで全身の感覚が切り離されたような状況にいたため、戻ってきた体の感覚に安心感を覚える。


 目を開ければ、呼びかけていた少女の顔が映る。

 少しばかりあどけなさが残る顔立ち、タレ目にくりくりとした茶色い瞳。

 黒いパーカーを着ており、被ったフードからセミロングの銀髪が覗いている。

 首元のチョーカーも合わせれば、いわゆる地雷系ファッションという奴だろうか。

 

 「うん……ここは……?」

 「お兄さん大丈夫?池に水を汲みに来たら倒れてたからびっくりしちゃった!」


 体を起こして辺りを見渡す。

 どこかの森の中だろうか。見た事もない種類の木がねじれ、あらぬ方向に伸びて、生い茂っている。

 完全に闇に包まれていないのは、木から釣り下がる光の玉が微かに森の中を照らしているからだ。

 この木特有の果実のような物だろうか。


 近くの池を見れば、澄んだ水が周りの風景を映し出している。

 おどろおどろしい雰囲気の森の中で、そこだけ清浄な空気に包まれているようだった。


 天国行きか地獄送りか、はたまた別の何処かか。

 パッと見ただけでは判断はつかないが、とにかく目が覚めたら突然火炙りにされていた、なんて事態は避けられたらしい。


 「とにかく、ここが何処か確認しなきゃな……」


 そう呟き、ひとまず顔を洗おうとして池を覗き込んだ俺は、池に映った青黒く腐った自分の顔と目が合った。






 「ぅっおぉ!?」

 

 青黒く変色した肌と大きく窪んだ眼底。

 目玉こそ飛び出してはいないものの、自慢だった健康さは見る影も無い。

 有り体に言えば、ゾンビのような見た目になっていた。


 思わず後ろに倒れ尻餅をつき、後ろに生えていた木と左腕がぶつかった。

 その衝撃で左腕がもげ、足元に転がる。

 それを見て、さらに俺は声にならない悲鳴をあげた。

 

 「えっどうしたの!?」


 横で水を汲んでいた少女が振り向く。

 先程は全身像が見えなかったため気づかなかったが、よく見ればその少女の手足の先が透けており、向こう側の風景が見える。


 「体っ、透け!?っいや腕がぁ!!」

 「え、それなら大丈夫でしょ?ゾンビなんだし」

 

 腕がもげているのはどう見ても大丈夫では無いだろう。

 というかその見慣れたような反応とゾンビに対する信頼は何なのか。

 左腕が欠損した割には痛みは全く無く、それが逆に混乱を加速させる。

 

 「いやもう大丈夫じゃねえよ!死後の世界だの何だの、さっきからなんなんだ!」

 「えっ、もしかしてこの世界に来たばかり……って、ちょっと静かに!」

 「落ち着けるか!もうわけわかんねえよ!!」


 先程の部屋とエンマの一件、腐った自分の体にもげた腕、所々が透けてる少女と、完全に自分の頭の処理能力を超えていた。


 もう、大声を上げずにはいられない程度には限界だった。

 

 「静かにしないと魚が……あっ」

 「なんなんだよさっきから!?……うん?」


 少女が見やった池の方を見ると、土気色の魚が体を上半分だけ出してこちらを見ている。

 それもかなりデカい。パッと見た感じでも5、6メートルはあるのでは無いだろうか。

 淡水魚の大きいものは細長いイメージがあるが、コイツは縦にも大きい。

 丁度、鯉を何倍にも拡大したような形をしていた。

 

 「あの魚がどうかしたのか……っえ」


 少女の方に向き直った直後、背中を何かが掠める。

 そして右手側の木が轟音を立てて崩れ出した。


 見れば木の幹には大きく齧られた跡。

 そして齧った元凶は、当たり前のように土に着水し、先程と同じように上半分だけ体を出してこちらに向き直る。

 向けられたその目は……明らかに、獲物を見るそれだった。


 「ああもう!だから言ったのに!早く逃げるよ!!」


 少女が叫び、それを機に魚が土を泳ぎ、こちらに向かって突撃してくる。




 ここが天国か地獄か、それでも無い何処かなのか、いまだに分からないままだったが。


 少なくとも、ここが天国なんかでは無いことは確信した。

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