第16話 虫は出来れば無視したい
翌日。
まだ少し暗さの残る早朝に起きた俺たちは、パンとウルフの干し肉とボリボリという簡素な朝食を済ませ、用の無くなった第三階層を一気に進むことになった。
早朝故に他のプレイヤーは全く見掛けず、ここの迷路は構造変化に数日の猶予がある為か、スムーズに次の階層の門まで辿り着いた。
第四階層:布虫の森
すりガラスのような膜がある門を潜り抜けた先は、鬱蒼と生い茂る森の迷路だった。五人並べるほどの広い道が真っ直ぐ伸びており、曲がり角は直角、十字路が幾つも見える。森は道との境界がはっきりとしており、道以外は容易に通り抜けが出来ない程にぎっしりと草木が茂っている。
まるで、一人称視点で進む3Dダンジョンのようだ。
「この階層では虫型の魔物を討伐することで様々な布が入手出来ます。また、大量にある木を伐採して多くの木材を確保出来ますが……少人数だと時間効率が悪いのでやりません。魔物討伐をしながらさっさと抜けましょう。というわけでセキレイさん、案内をお願いします!」
「……分かった。【ガイド】」
なんか、妙に早口で気合入ってるな。
もしかして虫が苦手か?
気が合うな。俺も苦手だ。
「こっちだ」
脳内でこの階層の地形を把握した俺は、飛んで案内を始めた。
さて、ここから先は公式サイトの情報が無い完全な未知だ。どんな魔物がいて、どんな素材がドロップするかは分からない。油断や慢心は命取りになるし慎重に行かないと。
おっ、早速魔物――。
頭上を覆う木の枝葉からボトボト落ちて登場したのは、三体の芋虫型の魔物――ヌノムシだった。全長五十センチほどの白を基調とした
「キモっ!?」
鳥肌が立ち思わず声が出て、俺はサトの後ろにサッと隠れた。
いやいやいやいやいや!
これは生理的に無理!!
絶対近づきたくない! 触りたくないッ!!
「だだだダイジョウブです! ヌノムシは粘性の糸を吐き出して動きを拘束し、飛びついて噛みつくだけの雑魚です! ええ雑魚です! 弱点は火ですよ!」
隣ではアキナが自分に言い聞かせるように説明し、微笑を浮かべたまま顔を真っ青にして杖を構えていた。手が震えている。
おいこらビビんな人間!
こちとら下手したら丸呑みなんだぞ!?
嫌だぞこんな奴に食われて死ぬのは!
「大丈夫。任せて!」
サトっ……!
サトは剣を構えると、颯爽と真っ直ぐ突っ込んだ。ヌノムシの三体が口から白いねばねばした糸を吐いて絡め取ろうとし――サトは二つを躱した。が、残り一体の糸にあっさりと当たって胴体と腕を拘束された。
「くっ、ごめん助けて!」
サト……。
そういえば、センス無かったな。
仕方ない、触るのは滅茶苦茶嫌だけどヤルか。
「【フェアリーダンス】」
ウェポンスキルを発動し、一定量のMPを消費して俺の体が淡い光に包まれて魔力の粒子を撒き散らし始める。
それから全力で移動を始めれば、今まで味わったことのないスピードが出た。
おおっ、風になってる!
いや、光ってるから彗星か?
相手は柔らかいし……拳で!
ねばねばの白い糸を躱しつつ、サトに飛び掛かったヌノムシを下から上へアッパーを振るった。
ぶにょっとした嫌な感触が拳から伝わり、アッパーの勢いを殆ど殺すことなく貫いて俺はヌノムシに風穴を開けた。
俺が攻撃したヌノムシは飛び掛かった勢いが無くなって地面にべちゃりと落下し、粒子となって消えた。
うえぇ、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……!
防具『ダンシングフェアリー』は【汚れ防止】のスキルで汚れていないが、肝心の俺自身が緑の体液で汚れた。変な臭いがするしヌルヌルしてるし今すぐにでも体を洗いたい。
サトを拘束したヌノムシが倒されて絡まっている糸も消えたが、俺が動いた方が速い。汚れを我慢して一刻も早く戦闘を終わらせようと思ったところで、ヌノムシ二体の位置に目が留まる。完全に横並びだ。
――これなら!
全力で移動して真横に回り、そこから拳を出して突っ込んでヌノムシ二体を貫いた。
すると脳内でピコン♪ と音が響いてメッセージが表示された。
ウェポンスキル【コメットパンチ】を習得しました。
スキルの内容は【ヒーローキック】のパンチバージョンといったところ。MPを消費し、魔力を込めた拳で彗星の如く真っ直ぐ突っ込んで強烈な一撃を叩き込む。腕に負荷が一切掛からないのは嬉しい。
「【ウォーター】!」
戦闘が終わったところでスキルを解除し、すぐに魔法で水球を生成。俺はその中に入って念入りに緑の体液を洗い落とした。
水球から出て、汚れた水球を適当に木に飛ばしたところで剣を鞘に仕舞ったサトが近くに来た。
「ありがとうセキレイ、助かったよ」
「いい。でも出来ればこの階層はサトに任せたい。苦手なんだ、虫」
「奇遇ですね。私も苦手なんですよ」
アキナも近づいて来たが、微笑を浮かべている顔色はまだ青い。
「大丈夫か?」
「ええ、なんとか」
駄目そう。
「手、繋ぐ?」
サトが手を差し出すと、アキナはジッと手を見つめた。
「…………お気持ちだけ受け取っておきます」
数秒沈黙したが断った。
手を繋ぎたいけれど、万が一に初動が遅れると危険、とでも考えたのだろう。
「ところで、ここの魔物のドロップ品は稼げるのか?」
「ええ、需要はありますからかなり稼げますよ。まぁ私は遠慮しておきますがね!」
流石に商人だとしても、生理的嫌悪感には勝てないらしい。
何はともあれドロップ品を確認。
シルクの布
丈夫な糸
銀貨一枚
この三つがヌノムシを倒した場所にあった。『シルクの布』は純白でそれなりの長さと幅で巻かれており、『丈夫な糸』は糸巻きに巻かれた状態だ。銀貨は100マニー。
それらを回収してアキナがバックパックに仕舞い、移動を再開。
すぐにまた魔物と遭遇。
今度は全長一メートルほどの巨大な蛾の魔物――シルクガが二体、木に貼り付いていた。全身が白く、シルクのような光沢のある翅を持っているが、黒い模様はヌノムシ同様に気持ち悪い。でも、蚕の成虫と似た姿をしていて、幼虫よりも生理的嫌悪感は少ない。
「気を付けてください。シルクガは毒の鱗粉を撒き散らしてきます。と言うか気持ち悪いので攻撃しますね。……【ファイア】!」
アキナとしてはシルクガも耐えられない対象だったようで、早口で説明を終えると杖を正面で掲げて魔法のチャージを済ませ、火球を飛ばした。
火球は一体に直撃すると火達磨にし、シルクガは燃えながらも少し飛んだが翅が焼け崩れて墜落、そのまま地面に落ちてHPが無くなって倒されると粒子となって消滅し、ドロップ品に変わった。
もう一体は火球の音に驚いて飛び立ち、白い鱗粉を撒き散らして俺たちの頭上を不規則に飛び回り始めた。
うわっ、飛んでるとキモイ!
じっとしている状態なら愛嬌すらある顔だが、飛んでいる巨大な虫は普通に怖いし気持ち悪い。特にこちらに向かってくる時なんかは無理だ。
毒持ちということで俺はすぐに離れて鱗粉の範囲外に逃れた。ただサトとアキナの二人は逃げ遅れ、もろに鱗粉を浴びてしまう。
「うっ、なんか、体が重い……!」
「これが毒です。HPも徐々に減るので早急に対処を……【ファイア】!」
「……【ファイア】!」
アキナがもう一度火球を飛ばすが、大きさの割に素早く不規則な動きをするせいで外した。
魔法を強くする杖を持たないサトも剣を掲げるようにポーズを取って魔法をチャージし、手で狙いを定めて小さな火球を飛ばすが、それも当たらない。
……接近して殴った方が速いか。
「【フェアリーダンス】!」
生理的嫌悪感よりも二人を助けたい気持ちが勝ち、二人から誤射されないようにタイミングを計ってから突っ込んだ。
舞い散る鱗粉の中に入って状態異常『毒』になり、視界の隅に毒のアイコンが表示される。HPが僅かずつだがゆっくりと減り始め、同時に体が風邪を引いた時のように重くなるのを感じつつもシルクガの背後を取った。
一撃で決める。
外しはしない――!
「【コメットパンチ】!」
一瞬の急加速によるパンチを繰り出し、俺はシルクガの腹部を貫いた。緑の体液塗れになりながら振り返ると、シルクガは墜落を始めながら粒子となって消え、ドロップ品が地面に落ちた。
ううううう、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!
でも我慢だ!
今は解毒優先!
「【キュアポイズン】」
祈るようなポーズで魔法をチャージして自分自身に手を当て、解毒の魔法を発動する。淡い光が全身を包むとさっきまで重かった体が軽くなり、毒のアイコンも消えた。
次は二人だな――って、もう治してるな。
最初の街であるホープタウンの図書館で習得出来る【キュアポイズン】。当然アキナも習得していたようで、MPをケチるような状況でもないから自力で治していた。
でもまだ、俺がやれることはある。
「二人とも、【ヒール】はいるか?」
「ええ、お願いします」
「お願いね」
僅かに減ったHPを回復する為、俺は二人に【ヒール】を掛けた。ついでに俺も自分に【ヒール】掛けて回復。
その後はドロップ品を拾った。
シルクの布×3
毒粉
銀貨三枚
毒さえ気を付ければ、遠距離攻撃を主体とするプレイヤーにはいい稼ぎになるかもしれない。
移動を再開。最短ルートを通っていると、奥に魔物が堂々といて立ち止まった。
「蜘蛛だ」
「蜘蛛だね」
「蜘蛛ですね」
俺が口を開くと、サトもアキナも同じように言った。
そいつは巨大な蜘蛛型の魔物――アサグモだ。全長は人間と同じサイズ。見た目はジョロウグモで体は白く、背中が黒い麻の葉模様になっている。通路いっぱいに蜘蛛の巣を張っているが、その巣は目に見えるレベルで太く、アサグモは巣の中心に居座っている。
「アレは近づかなければ襲って来ません。他のプレイヤーが戦っているところを見たことがありますが、戦う場合はそれなりに強いのでご注意を。牙には毒があり、HP吸収能力があります。尻尾からは粘性のある非常に頑丈な糸を複数吐き出しますし、あの見た目で動き自体が非常に速いです。また、糸も本体も火に強く、他に弱点属性はありません」
なるほど。聞いた限りだと自信が無い限りは避けた方が無難か。
俺としては危険なら避けてもいい。
「サト、アキナ、どうする? 別のルートを案内しようか?」
「僕は戦ってもいいけど……アキナは?」
「……そうですね、ドロップ品の『麻の布』もそこまで高価というわけではありませんし、ここは迂回して進みましょうか」
「分かった。それならこっちだ」
別ルートを検索すると瞬時に迂回路が示され、俺はそっちへ案内した。
と、少し先の十字路の角から二体の魔物が姿を見せた。
「……羊?」
「そう見えるね」
「そう見えますが、毛虫ですよ」
その魔物の名前は――ワタゲムシ。全長五十センチほど。体の大半がフワフワしてそうな厚みのある大きな白い綿に覆われていて、頭と無数にある足が黒い。ただ、毛虫にしては前後が短くてパッと見では羊に見える。
「ぶっちゃけますが、ヌノムシ以上に弱いですよ。体を丸めて突進して来ますが、綿が柔らかくて潰されても痛くありませんし、吹き飛ばされた時は壁や地面に打ちつけられてちょっとダメージを受ける程度です。乗り掛かられると流石に噛まれてそれなりのダメージを受けますが、他に攻撃手段も無く、仲間がいれば負けることはありません。ただ、綿の部分はかなり分厚いです。打撃は通じず、刃物もそれなりの長さが無いと本体に届きません。頭を狙ってください。あと、見た目の通り火が弱点ですが、火を点けると暴れ始めるのでお勧めはしません」
火を点けると暴れる……俺とサトには関係ないな。
「サト、片方を頼む。【フェアリーダンス】」
「分かった」
移動速度を上げた俺が一番槍を務め、恐れず真っ直ぐ突っ込む。ワタゲムシが俺たちの接近に気付いて体を丸めるが、頭と尾に綿が無いせいで横からだと隙間が見えてしまっている。
「【コメットパンチ】!」
そこを狙ってパンチを繰り出せば、頭を貫通して一撃でHPゲージが無くなり、倒せてしまった。
うえぇ、こいつヌノムシより臭い。
どぶのような酷い臭いがする。石鹸で臭いが取れるか不安だ。
サトの方を見れば、サトも俺と同じように横から隙間を狙って剣を刺し込み、持ち上げるように頭部を切断、一撃で倒した。
「お見事」
「いやぁ、それほどでも」
思わず素直な感想が口から出て、サトは満更でもなさそうにはにかんだ。
センスは無くとも成長著しい。
これが若さか……。
……まぁ、それより体を洗おう。
「【ウォーター】」
また水球を作り出して中に入って体を洗い、出てから自分の臭いを嗅ぐ。
スンスン……まだ臭うな。
アキナから買った石鹸をインベントリから取り出して汚れにくい場所に設置し、濡れた手で触って溶けた石鹸を体に塗っていく。
だが、手では塗るのに時間が掛かる。
……面倒だな。
ならばこうだ!
濡れた体のまま石鹸の上で横になり、体を動かしてヌリヌリしていく。これならば素早く手軽に前進を石鹸塗れに出来る。実に効率的だ。
「あの、セキレイ……」
「ん?」
サトから声を掛けられ振り向くと、何故か頬を赤くして視線を逸らそうとしつつ頬をポリポリと掻いていた。
「そういうのは、誰も居ないところでやった方がいいよ」
そういうのとは?
首を傾げていると、いつもの微笑は何処へやら、呆れ顔のアキナが言った。
「今のセキレイさん、まるで風俗とかアダルトビデオみたいなことしてますよ」
「え?」
風俗?
アダルトビデオ?
「……あっ」
指摘されてから気付いて、それらのイメージしてしまった。そのせいで自分が大きく動揺したのを自覚し、顔が熱くなり羞恥心のせいで涙が浮かんだ。
黙って石鹸から降りた俺は、顔を合わせたくない為に飛んで木で埋め尽くされている壁の中へと入った。
ある程度奥に来たところで止まり、大きな溜息を吐いて肩を落とした。
「やってしまった……」
まさか男である俺が、あんなことをしてしまうなんて……不覚だった。
思考が思った以上に体に引っ張られている。
気を引き締めないと、取り返しがつかなくなりそうだ。
「っと、それよりも石鹸を落とさないと。【ウォーター】」
石鹸の気持ちいいヌルヌルのせいで、今の俺は
だからすぐに水球の中に入って洗い落とし、頭も冷やした。
それから二人の元へ戻ると、いつもの態度で出迎えてくれた。
「あっ、おかえり」
「おかえりなさい。落ち着けましたか?」
「まぁ……急にいなくなってごめん」
言い訳の仕様もないから素直に頭を下げる。それにいつもの感じは有り難かった。さっきのことを思い出さないで済む。
「別にいいよ。僕にとっては――まぁ、うん」
「それよりこれ、忘れていますよ」
男だからサトが何を口走ろうとしたかは分かったが、俺が全面的に悪いので追及はしない。
アキナからは俺の石鹸を差し出されたので、インベントリに仕舞った。
この話はこれで終わり。
アキナとサトが気を利かせて放置していたドロップ品『
道中、ヌノムシが降って来たり、シルクガが飛んで来たり、ワタゲムシが転がって来たり、アサグモの通せんぼに遭遇したりが何度もあった。俺とアキナは虫嫌いで阿鼻叫喚しつつもへっちゃらなサトと連携を取ってアサグモ以外を全て倒し、レベルが15から17に上がりつつも次の階層の門へと辿り着いた。
第五階層:罠の迷宮
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