第9話 第三階層へ



 サトの肩に乗ってホープタウンに戻ると、昼時だからか料理の匂いが鼻腔をくすぐり、空腹を刺激して唾液が口の中で分泌されて生唾を飲み込んだ。特に肉の焼ける匂いが強烈で、俺の食欲が「肉を食べたい」と訴え掛けて来る。


「セキレイ、何食べたい?」

「肉」

「分かった」


 聞かれたから答えると、サトは人だかりが出来ている市場へと向かった。


 ホープタウンの市場には、店を持っていないNPCの商人や商人プレイを始めたプレイヤーたちが屋台で様々な物を売っている。その中にはダンジョンで取れた食材を使った料理を提供している屋台もある。

 俺とサトはピンクブタの串焼きとキンキンに冷えた麦茶を購入し、炭火の香りがする肉と、濃いのに後味スッキリの麦茶を堪能した。因みに俺はサトから一部を分けてもらう形で食べた。流石に妖精の体では食べきれないし飲みきれない。




 昼食を終え、サトが口を開いた。


「セキレイ、これからどうしようか?」

「そうだな……次の階層に行ってみたいが、サトはどうだ?」

「僕も行きたいかな。まだ腕に自信はないけど、どういったところなのか見ておくのもいいと思うし」

「決まりだな」


 というわけで俺たちは第三階層を目指した。

 第一階層は何事もなく素通り。

 第二階層は時々ウルフに絡まれたが、サトがまともに戦えるようになったことで、無事に奥にある次の階層への門へ辿り着いた。


 第三階層:雄牛の畑


「ここが第三階層か……」

「迷路だね」


 サトが言った通りここは迷路だった。地面は肥沃な黒土で、多くのプレイヤーが行き来しているからか一部が踏み固められている。壁は二メートルほどの木の柵で出来ており、隙間からは奥が見える。通路は幅が広く五人並んで歩けるほどで、幾つも曲がり角が存在している。天井は無く、妖精ならわざわざ迷路を進む必要性は無さそうだ。

 また、何処からか「モ~」という牛の鳴き声が聞こえ、先にダンジョンに来ていたプレイヤーたちが通路を歩いていた。


 ……ダンジョン本番の為の練習エリアっぽいな。


 第一印象からそんなことを思いつつ、サトが歩き始めたのを肩に乗ったまま黙って見守る。

 壁は隙間だらけでよく見えて、地面も土が踏み固められて罠の危険性も無いが、それでもサトは念の為に慎重な足取りで進み、曲がり角を通って広い大部屋に来た。

 動物が駆け回るのに十分な広さがあり、牧場独特の糞尿のキツイ臭いが漂っていて、思わず顔を顰めてしまう。

 中心には水飲み場の噴水があり、その近くに土と同じ色の体で立派な二本の角を持つ雄牛が数頭、糞尿も混じっているであろう土をもしゃもしゃ食べたり「モ~」と鳴いてのんびりとしていた。

 でも、ここはダンジョン。ただの雄牛ではない。公式サイトの情報では『ベジタ・ブル』という牛型の魔物であり、その背中には野菜が生えている。

 今ここにいる奴は、背中からルビーのように赤く熟したプチトマトを沢山生やしていた。


「ベジタ・ブルだね……近づいて大丈夫かな?」

「私が行こう」


 人よりずっと重い雄牛を相手にするのが不安なサトに変わり、俺は肩から飛んで先行偵察を敢行した。

 妖精だから空を飛べば安全だし、小さいから敵と認識されないだろうと思った。

 だが、どうやら考えが甘かった。


「……駄目か」

「モオオオオオオオッ!!」


 気付かれてから一定距離まで近づくと、縄張りに入ってくんじゃねぇ! とでも言わんばかりに怒りだし、強靭な足腰によって走って特大のジャンプを行い、空中にいる俺目掛けて突っ込んで来た。

 まぁ高度を上げてあっさり躱せたが、着地したベジタ・ブルたちは鼻息荒く猛スピードで走り回り、まるでサーカスのようにピョンピョン跳ねて俺に突進しようと繰り返した。


「これは恐いな」


 慢心して不用意に近づいたプレイヤーを高い攻撃力で轢き殺す初見殺しだ。戦うなら防御特化のタンク職をしてくれるプレイヤーか、回避特化のプレイヤーに何体か引き寄せてもらって、一対一の状況に持っていく必要がある。でないとちょっとしたミスが恐い。


「さて、どうしたものかな……?」


 空中で腕を組みつつ考える。


 流石にこれだけのスピードで数百キロは有ろうかという質量が突っ込んで来たら、この妖精の体では掠っただけでも致命傷だ。身体強化魔法【ボディアップ】を習得したが、こいつ相手に正攻法で試すのはちょっと恐くて出来ない。魔法で空中から攻撃すれば安全に全滅させられるが、魔法を主体として戦うのは嫌だ。壁が頑丈なら誘導してぶつけられたが、木の柵程度では大したダメージにならないだろうし、偶然近くにプレイヤーが居たら巻き込んでしまう。

 とすると……目潰しをして動きを止め、体内に侵入して内臓をズタズタにして倒す。これしかないだろう。


「……【ダーク】」


 祈りのポーズで五秒ほどチャージし、闇の属性魔法を発動する。ベトベトした暗黒物質の闇球が生成されて狙いをつけた場所に飛び、ベジタ・ブルの一体の顔にべちゃっとくっつく。突然視界を奪われたベジタ・ブルは急ブレーキを掛けて止まり、貼り付いた物を取ろうと首を何度も振るい始めた。


 ヨシッ!

 思い通りだ!


「……【ダーク】」

「……【ダーク】」

「……【ダーク】」


 連続して魔法を行使し、外すことなく他のベジタ・ブルにも闇球を貼り付けることに成功。

 首を振って取ろうとしていたベジタ・ブルたちも中々取れないことを理解すると、激しく動くのを止めて耳と鼻に意識を集中して大人しくなった。


 これならやれる。


「……【ボディアップ】」


 五秒祈り、小さな声で身体強化魔法を発動する。一瞬身体が光に包まれ、視界の隅に身体強化が発動したアイコンが小さく表示される。同時にMPがかなりゆっくりとだが減り始めた。

 闇球の効果時間は魔力によって増えるが、最低保証時間は三分と短い。身体強化もMPの減り具合からそう長くは維持出来ないので、俺は早速ベジタ・ブルの一体に向かって飛んだ。

 妖精は小さくて飛んでいるからその音は非常に小さい。ベジタ・ブルに気付かれることなく正面に来て、臭いで気付かれる前にそのまま開いている口の中へ突入した。


 うわくさっ!


 糞尿が混じっているだろう土を食べているから覚悟していたが、口臭が半端じゃない。下水道の中みたいだ。

 突然俺が口の中に入って喉奥まで来たことで、ベジタ・ブルは反射的に口を閉じてゴクリと嚥下し、俺は食道を通って胃の中へ落ちた。


「うへぇ、これキツイ」


 真っ暗闇の胃の中は、ヌルヌルドロドロだった。食べていた土が水分を吸って泥になっているせいだ。そして臭いが口の中以上に酷い。一刻も早く脱出して衣服も体も洗いたい。


「さて、やるか……おらぁ!」


 気合を入れて胃壁を殴る。だがやはりと言うべきか、ぼよんと少し歪むだけだった。


 …………まだ力不足か。


「なら、これはどうだ? 【ヒーローキック】!」


 MPを消費しての魔力を纏った強烈な蹴りを繰り出す。すると身体強化をしている為か一撃で胃壁は破れ、血が噴き出し始めた。


 よし、これならいける!


 ベジタ・ブルがもがき苦しみ始めたのか、胃の中なのに激しく揺れだした。俺は傷口に入り込むと手で掴んで奥へ奥へと引き千切りながら進む。

 息は【潜水Ⅴ】によって長く持つ。牛の内臓の構造なんて知らないから、適当だ。


 ――っ!

 このリズム……脈か!


 内側を進むうち、一定のリズムを刻む鼓動が音と振動で分かった。心臓が近くにあることが分かってそちらへ向かう程、音と振動は強くなり、とうとう心臓の前に来た。


 これで終わりだ。【ヒーローキック】!


 血の中だから黙ってスキルを発動し、魔力を纏った蹴りで脈打つ心臓を貫いた。心臓は血を大量に吐き出し、一度ベジタ・ブルの体が大きく揺れると動かなくなり、粒子となって消滅を始めた。


 勝った!!

 やはり俺のやり方は間違っていない!!


「っしゃあ!」


 喜びと共に右手を掲げ、そのまま残っているベジタ・ブルから攻撃を受けないように急上昇する。まだ闇属性魔法【ダーク】の効果は残っているようであったが、どれくらい経過したのか分からないので警戒しておく。

 部屋の入り口ではサトが大人しく待機していて、俺と目が合うと軽く拳を掲げて俺の健闘を讃えてくれた。


「っと……疲れた」


 思った以上にMPを消費した。もう半分になっている。息を止めたまま動いていたからスタミナもだ。気が抜けたことで疲れがどっと出た俺は【ボディアップ】を解除して、ドロップ品のお金と肉と野菜と皮を回収してからサトの所まで飛んで戻った。


「ただいま」

「おかえりセキレイ。うっ」


 うっ、って……。


 出迎えてくれたサトが、笑顔を引き攣らせながらスッと一歩下がった。


 ああそうかい。そうなるだろうと思ってたよ。臭うんだろう?


 自分の臭いを嗅いでみるが、鼻が馬鹿になってしまっているのか血の匂いしかしない。だが恐らく、サトには血とドブの混じった悪臭に感じているのだろう。


「……とりあえず、洗うわ」

「うん、ごめんね」


 申し訳なさそうに謝られ、俺はその場で【ウォーター】の魔法を発動して水球を空中に浮かせてその中に入り、汚れを落とした。


 ふぅ、スッキリ!


「これでいいか?」


 濡れたまま聞けば、サトは顔を近づけてスンスンと俺の匂いを嗅いだ。


 なんか、恥ずかしいな……。


 嗅ぎ終わったサトは顔を離し、眉を顰めて言った。


「うーん、やっぱり臭うよ」

「……石鹸は?」

「宿に置いて来た」

「そうか。タオルとか着替えとかは?」

「それも宿」

「……そうか」


 こうなったら自棄だ。MPとスタミナが回復次第、ベジタ・ブルをぶっ殺してやる!


「ところでセキレイ、ベジタ・ブルと戦ってどうだった?」

「ん? ああ……一対一なら比較的安全に戦える。でも複数同時だと危険だ。一定範囲に近づかない限りは襲って来ないから、何かで一体ずつ釣り出して倒すのがいいと思う」

「そっか。じゃあ、今度は僕がやってみようかな」

「気をつけろよ」

「うん」


 やる気のサトは部屋に入り、離れた位置から祈りのポーズで魔法のチャージを始めた。


「【ファイア】!」


 火属性の魔法を発動し、火球をベジタ・ブルの一体にぶつける。するとその一体だけが振り返り、怒りの形相で「モオオオオオオオッ!」と鳴いて突進して来た。

 サトは真剣な表情で鞘から剣を抜いて構え、ギリギリまで引き寄せると素早く横へ躱し、側面を斬った。


 よし、教えた通りだ!


 小さくガッツポーズをしつつ、不安から安全に変わった心情で戦闘を見守る。

 サトはまるで闘牛士のように引き付けては躱して斬る、という行動を繰り返してあっさりとベジタ・ブルの討伐を成功させた。

 笑顔で手を振って来るので、手を振り返しつつ思う。


 ……羨ましいな。


 普通に戦える種族に嫉妬しても現状は変わらない。ふぅっと息を吐いて気持ちを切り替え、ドロップ品をインベントリに仕舞って戻って来るサトを出迎える。


「おかえり」

「ただいま! セキレイ見てた? 僕、一回も攻撃を受けずに倒せたよ!」

「そうだな。少し休憩したら、交互にどんどん倒して行こう」

「分かった!」


 興奮冷めやらぬサトは自信に満ちた顔で、インベントリから革袋の水筒を出して飲み始めた。


 ……増長しなきゃいいけどな。


 サトが慢心しないことを秘かに祈りつつ、俺たちは暫しの休憩に入った。

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