第7話 魔法を覚える



「……朝か」


 沢山動いて体が疲れていたこともあり、よく眠れた俺は心地良い目覚めを迎えた。

 閉じられたカーテンからは朝日が当たって明るくなっており、飛んで動いても問題ない程度の明るさとなっている。

 妖精にとって丁度良い大きさであるミニチュアサイズのベッドから出て立ち上がり、俺は大きく伸びをする。それと同時に、背中にある四枚の羽をパタパタと軽く動かして付け根の筋肉をほぐす。


「この体にもすっかり慣れてしまったな……」


 まだ自分が人間であるという自覚はある。だが、この状態が数カ月、数年と続けば……恐らく妖精であるということを受け入れてしまうだろう。

 そう思うと、変わらず訪れる静かな朝と変わり始めている自分との対比が浮き彫りになり、無性に虚しさと不安が込み上げて胸が苦しくなる。

 胸に手を当てれば、柔らかく大きな乳房に嫌でも触れてしまい、男という性自認を真っ向から否定されて不安が増してしまう。


 ――いっそのこと……。


 自分を慰めて全てを強引に受け入れてしまうのも一つの手だと思い、乳首や股間に手が伸びる。


「いや、駄目だ駄目だ!」


 俺は首を横に大きく振り、長く綺麗な白髪を揺らして自らの思いを否定した。これは魔が差しただけであり、一度やってしまったらそれこそ後戻りが出来なくなる。

 自分の頬を強く二度叩き、痛みによって気を紛らわした俺は朝のルーチンとしてトイレに行き、とりあえず落ち着くことにした。


「……ふぅ」


 尿意を解消して一息吐く。股を軽く拭いて水を流し、手を洗ってトイレを出た俺はサトを見た。

 気持ち良さ気にぐーすか寝ている。寝相は悪いようで布団もパジャマもはだけており、お臍が見えてしまっている。ただ、その寝顔はとても可愛らしく、頬は自然と緩み、口角が僅かに上がってしまった。


「フフ、起こすか」


 飛び立った俺はカーテンを掴んで動かし、日差しを室内に取り入れた。直射日光こそサトには当たらないが、急に明るくなったことでサトが眩しそうにした。

 だが、すぐに眩しさに慣れてしまったのか、それとも夢に変化を与えただけに過ぎなかったのか、また可愛い寝顔に戻ってしまった。


 やれやれ……。


 俺は仕方なくサトの顔に近づき、その頬にぺちぺちと手を打ちつけながら声を掛けた。


「おーい起きろー。朝だぞー」

「うぅ……お姉ちゃん、あと五分」


 お姉ちゃん!?


 寝惚けての発言とはいえ、自分のことを指しているみたいで驚いてしまった。


「こいつ姉がいるのか……って、起きろ起きろ!」


 寝返りを打って起きようとしないサトに、再度ぺちぺちと頬を叩く。


「うー、やめてって」

「うわっ」


 鬱陶しかったのか振り払うように手が飛んで来て、俺はべちっと吹っ飛ばされた。まだ軽く当たった程度だったから空中で立て直して持ち堪えたが、本気でやられていたら街中なのに大ダメージを受けるところだった。

 それはそれとして、蚊のように扱われたことにちょっと怒りを抱いた俺は、サトの頭に向かって思いっきり蹴りをかました。


ったぁ!」


 サトは痛みに跳ね起き、俺が蹴った箇所を手で押さえて辺りを見渡し、横で腕を組んで飛んでいる俺を睨みつけた。


「セキレイ! 痛いじゃないか!」

「起きない方が悪い」

「なら、もう少し優しく起こしてくれたっていいでしょ!」

「二回優しく起こそうとしたさ。だが駄目だった」

「……そう」


 自分の寝相などは分かっているようで、サトは渋々と納得してくれた。


「ところで、お姉ちゃんはどうした?」


 それを聞いた途端、サトは何とも言えない気まずそうな顔になった。


「……僕、なんか言ってた?」

「寝惚けて、起こそうとした私を“お姉ちゃん”と呼んでいた」

「うっ、そっか……」


 どうやら知られたくないことだったらしく、分かりやすく項垂れた。ただ、同棲をしている以上はいつか知れ渡ることだと思っていたのか、すぐに気持ちを切り替え顔を上げた。


「ちょっと話を、聞いてくれるかな?」

「聞くだけ聞こう」


 ずっと飛んでいるのも疲れるので、俺はベッド脇の小さな棚の上の妖精用ベッドに腰掛けた。


「僕には二つ年上の姉さんがいるんだ。このゲームを始めたのだって、姉さんが友達に誘われて予約したって聞いて、僕もこっそりやろうと決めた。でも、姉さんと合流する前にこんなことになって、もう誰が誰だか分からない。捜したいのは山々なんだけど……個人情報を晒すわけにはいかないし、身内を捜してるって不特定多数に知られたら、危険な目に合うかもしれないから捜していない」


 その判断は正しい。ゲームには色々な人がいる。実の姉弟きょうだいだと知られたら、それを出汁に騙されたり誘拐や人質にされるだろう。


「……会えるといいな」

「うん」


 少ししんみりとした気持ちになっていると、サトのお腹が鳴った。


「……朝食、食べに行こっか」

「だな」


 俺とサトは身支度を済ませ、部屋を出て食堂で朝食を摂り始める。いつも通りのパンとスープと肉とサラダ。

 ある程度食べたところで、俺から話し掛けた。


「なぁサト、魔法を覚えに図書館に行かないか?」

「魔法を?」

「サトはよく怪我をしてるから、最低限の回復魔法を。私は火起こしとか明かりとか、水分補給の為に。あと、身体強化系の魔法を覚えたい。切実に」

「そうだね。セキレイが元気になって余裕も出来たし、そうしようか」


 やるべきことが決まり、朝食を終えた俺たちはすぐに出掛けた。

 歩くこと数分、広場に面した建物の一つにサトは立ち止まった。


「着いたよ」

「……思ったより小さいな」

「設定だと、避難して来た人たちが本を寄贈し合って出来た、人類最後の図書館なんだって」


 公式の情報だから知ってる。


 外見は他の建物と同じ一軒家で、『図書館』と看板が掲げられているだけだ。

 中に入れば手前のカウンターにNPCがいて、椅子とテーブルのセットが幾つかある。奥には少ないながらも本がびっしりと詰まった本棚が並び、小さな本屋のようになっている。

 ただ、来館しているプレイヤーは数えるほどしかいない。既に多くの者が次の街へ移動したのもあるし、まだ朝早いからだろう。


 さて、目当ての本はあるかな?


 サトの肩から飛び立ち、俺は先行して本を探し始めた。


 最近のVRゲームにおける図書館の扱いは、リアルの図書館を兼ねた宝探しの場になっている。白紙の本を並べるだけなのは味気ないということで、著作権の切れた小説や古典や詩集が読めるようになっているのだ。その中から、ゲーム本来の歴史書や魔物図鑑や魔導書を探して、攻略に役立てていく。


「おっ、あった!」


 本棚の間をゆっくり飛んでいると、早速『回復魔法・初級』という魔導書が発見した。

 すぐに棚から出そうとするが、みっちりキツキツに収まっていて、空中にいるからか踏ん張りが利かずに抜き取れない。


 ……マジかぁ。


「僕が取るよ」


 自分の非力さに唖然としていると、遅れてやって来たサトが僅かに力んで本を抜き取った。

 惨め過ぎる俺は黙ってサトの肩に乗り、その場で一緒に読み始める。


 ……ふむふむ。なるほど……情報少なっ!


 中身は、回復魔法【ヒール】について簡潔な説明があるだけだった。一ページのみで余白たっぷり、習得方法も初歩の魔法だからか『読了後すぐ』と書かれているだけ。


「あっ、覚えた」

「……じゃあ、次を探そうか」

「うん」


 ゲーム的な簡便さに少しつまらなさを感じつつ、俺とサトは次々と魔導書を探して幾つかの魔法を覚えた。


 炎の属性魔法【ファイア】

 効果は火球を撃ち出す。火起こしに最適。


 水の属性魔法【ウォーター】

 効果は水球を撃ち出す。水の補給、初期消火に最適。


 風の属性魔法【ウィンド】

 効果は風球を撃ち出す。空気を圧縮した球で、破裂すると衝撃波が発生する。


 土の属性魔法【ストーン】

 効果は丸石を生成して撃ち出す。焚火の囲い作りに良い。


 光の属性魔法【ライト】

 効果は光球を生成する。松明の代わりに使える。ただし、魔力が低いと光も小さい。


 闇の属性魔法【ダーク】

 効果は闇球を生成する。魔力体の暗黒物質。若干の粘着性があり、目潰しに使える。


 毒の状態異常回復魔法【キュアポイズン】

 効果は『毒』状態を回復する。上位の『猛毒』には効果が無い。至近距離でしか効果が無い。


 強化魔法【ボディアップ】

 効果は身体能力の向上と防御力の向上。ただし、効果時間中はMPが持続的に減る。




「こんなものか?」

「だね」


 俺が求めていた強化魔法を読み終え、サトが本を元の場所に戻した。この時点で本棚の隅から隅まで見て回り、これ以上魔導書はないことを俺もサトも確信していた。

 だからこの図書館でやることは終わりであり、たまの暇潰しに訪れる以外にもうここには来ないだろう。


「じゃあ、ダンジョン行くか」

「うん、行こう」


 図書館を後にし、俺とサトはまたダンジョンへと潜った。

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