第12話 此処は地獄の一丁目!
アンナの酒場はその日、緊張に包まれていた。カウンターの内側でカチャカチャとグラスを拭くアンナの目は大海を泳ぐ魚なみに右往左往しているし、ロナは意味もなく剣をかちゃかちゃ鳴らしている。一人、紅茶を優雅に飲んでいるユメリアであるが、その紅茶のカップが『かちゃかちゃかちゃ!』とやかましい音を立てていることで分かる通り……まあ、皆緊張しているのだ。なぜか。
「……ワンダーランド様、本当に来るのか? つうか、どんな人なんだろうな、ワンダーランド様って」
そう。アリス・ワンダーランドがこのアンナの酒場に訪れるからだ。しかも、アレクシア聖教の巫女を務めるサーシャ・リングバードを引き連れて、だ。そら、緊張もする。
「だ、大丈夫ですよロナさん! ワンダーランド様、お優しい人だって評判ですし! そ、それに貴族じゃないらしいですし!!」
「……その方が心配なんだよな。だってワンダーランドって言えば有名な執事の家系だろうし、下手な貴族より権力もってるかもしれねーけど……それでも平民は平民だろ? にも拘わらず、サルバドール公爵が殆ど猫可愛がりするってどういう意味だよ? そっちのがこえーだろうが」
「そ、それは……」
ロナの言葉にユメリアも二の句が継げない。ロナの言う通り、『ワンダーランド』といえば代々サルバドール家に仕える忠臣一家である。最大公爵のサルバドール家の片腕とも言える存在であり、下手な貴族では敵わないほどの権力がある。あるが、そうは言っても平民、サルバドール公爵家が王都に家が買える程の護衛料を払うのはちょっと考えられないのだ。
「……イイ仲なんじゃない?」
そんな二人にグラスを拭きながらアンナが声を掛ける。黙って視線をアンナに向ける二人に、アンナは言葉を継いだ。
「『義妹』って言われたけどさ? よくよく考えたら、義妹の為に此処までするの可笑しいじゃない? それじゃ『イイ仲』……少なくとも、エリオット様は義妹さんを憎からず思ってるって考えた方が自然じゃない? ワンダーランドとは言え、貴族と平民だし、正妻は難しいけど……お妾さんとか」
その言葉に目を見合わせるロナとユメリア。見合う事数瞬、どちらからともなく、ゆっくり頷いて。
「……んなことばっか考えてるから行き遅れるんじゃね?」
「……しかもお妾さんって……アンナさん、下世話過ぎですよ」
「酷くない!?」
ジトーっとした視線を向ける二人にアンナが憤慨して見せる。そんなアンナに『はいはい』と雑に応えた所で、『コンコンコン』とアンナの酒場のドアがノックされる。その音に、三人の緊張がマシマシになる。
「……ど、どうぞ」
アンナの言葉に、ロナとユメリアも緊張を増して視線をドアに向ける。やがて、そのドアがゆっくりと開いて。
「――邪魔をする」
「「――は?」」
現れたのは妙齢な男性。鋭利な視線をこちらに向けるその男性は、視線をちらりとロナとユメリアに向ける。
「……君がロナ・テイラーか。優秀な剣士と聞いている。未だ下級だが、直ぐに中級に上がれる腕だとか」
ロナへの視線を切り、その次はユメリアへ。
「そして君がユメリア・フェイトか。君の噂は聞いている。戦闘級の魔術師だが、何かきっかけがあれば戦術級の魔法も使える様になりそうだとな」
そう言って視線を二人に向けて。
「――今回は『私の依頼』を快く引き受けてくれてありがとう、二人とも。君たち二人と我が義妹、アリス・ワンダーランド、サーシャ・リングバードと共に魔王討伐をぜひ果たしてくれたまえ」
にっこりと男――エリオット・サルバドールのその言葉に、ロナとユメリア、ぽかんである。そらそうだ。同年代の女性が来ると聞いてたのに、来たのはこの国の最高権力者の一人である。そんな話、聞いてない。
「え、っと……え、エリオット宰相閣下……です、か?」
「ああ」
「あ、あの……わ、ワンダーランド様が来られると聞いていたのですが……」
パニックになりながらもそう問うロナに、エリオはにっこりと笑んで見せる。常ならばこれほどのイケメン、ロナとて微笑まれたら頬の一つも染めてもおかしくないが……そんな考え、思い浮かばない。
「勿論、アリスはこの後来るさ。それでも、まだまだ幼い妹の事だ。何か粗相があっても行けないと思ってな? 先んじて二人に挨拶をしておこうと思って」
あ、これ、怖い、とロナは思った。だってこのイケメン、笑っているけど目が笑ってないもん。
「……アンナから話は聞いていると思うが……今回は充分な報酬を用意したつもりだ。いや、報酬だけではない。この依頼をしっかりとこなした場合、私の叶えられることならなんでも叶えてやろう。爵位だって一代爵位くらいならくれてやっても良いし、屋敷がいるならこちらで用意してやろう」
笑顔のまま二人に歩み寄るエリオに、ロナとユメリアが思わず後ずさる。が、残念ながらここはアンナの酒場。そこまで広くないこの酒場で逃げる所なんてない。そのまま、背中がカウンターについた二人の肩にエリオはゆっくり手を置いて。
「だが、もし、だ。もし、だぞ? もし、アリスの珠の肌に傷の一つでもついて見ろ?」
ああ、もう、とロナは思う。さっきまで辛うじて笑顔だったエリオの顔にはもう、笑みなんて浮かんでない。
「……ど、どうなるんでしょうか……しょ、処刑とか……?」
ロナのその言葉に、獰猛な笑みを浮かべて。
「――優秀な君たちなら、私の期待を裏切らないと思っているさ。だから……」
処罰なんて、聞く必要は無いだろう? と。
「違うかい? ロナ・テイラー君? ユメリア・フェイト君?」
エリオの言葉に、まるで壊れた牛のおもちゃの様にロナとユメリアはガクガクと首を上下に振った。
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