第11話 優秀な彼女は気付かない。
「……なるほど……エリオット・サルバドールは、『そう』動きますか……」
スモロア皇国第一皇女、マリア・スモロア摂政宮姫は、サルバドール王国に派遣していた外交官――という名のスパイから届いた手紙に目を通して詰まらなそうにそれをポイっと放り投げる。そんなマリアの姿に慌てた様、壮年の男性がその手紙を慌てて拾う。
「ま、マリアちゃん!? ダメだよ、こんなことしちゃ! これ、国家機密だよ!? ウチみたいな小国が、サルバドールの動向を一々探っているなんて知られたら、一気に攻めこまれちゃうんだよ!?」
涙目で手紙を胸に大事そうに押し抱く男に、マリアは疲れた様にため息を吐く。
「……心配し過ぎです、お父様。動向を把握したくらいで一々攻め込んでなど来ません。諜報活動は外交の華、お互い様ですよ」
「で、でも!」
「……煩いですよ、お父様。そもそもスモロア皇国の国王陛下なのですよ? もう少し、どっしりと構えていられないのですか?」
完全に呆れた視線を男――マリアの父であり、スモロア皇国国王、ドルト・スモロアに向けるマリア。そんなマリアの視線に、『うっ』と小さく息を詰まらせ、皇王は両手の人差し指を胸の前でツンツンとして見せる。
「だ、だって……僕、先代の三男だよ? たまたま兄上たちが早々に崩御しちゃったから王位が回ってきただけだし……」
現国王であるドルド・スモロアは先代国王の三男であり、政治能力の低い――言ってみれば『血統』だけで国王になった男である。臣籍に降下して公爵家を立家していた彼は天下国家の運営よりも公爵邸の花壇の整備の方が向いているのである。そんな彼の国王への即位は彼にとっては――これは彼のせいではなく、スペアのスペアとしての役割しか期待されていなかった彼に帝王学を学ばせなかった前国王の責ではあるが――ともかく、重荷でしかなかった。
「……だから私が摂政についているのでしょう?」
対して娘のマリアは正にトンビが鷹を生む、政治能力に明るく、他国との外交にも精力的に取り組む俊英だった。どちらかといえば芋っぽい父親似ではなく、『スモロアの白百合』と呼ばれ社交界の華であった母親似であったこともそれに一因しているが。
とまれ、流石に血統だけの国王陛下、優秀なスタッフはいるけど最終決定は国王だし……とスモロア官僚の危惧と妥協の産物として、『健康だけど政治不器用な父王に代わって、摂政を務める姫宮』なんて複雑怪奇なものが生まれてしまったのである。ドルド国王にとっては歴史に悪い意味で名を遺す末代までの恥であろうが、幸か不幸か彼本人は鈍感力の高い人間であり、娘の摂政就任を誰よりも喜んでいたりする。
「そ、それで? スパイからの手紙にはなんて書いてあったの?」
「お父様。スパイではなく外交官です。内容については自身で手紙を読んでください」
マリアの言葉にドルドは視線を手紙に落とす。眺めているうちに興奮したかの様にドルドの頬が朱に染まっていく。
「す、すごいよマリアちゃん! サルバドール王国、魔王退治に本気になった!! 国軍まで出して魔王を倒そうとするなんて、大陸初じゃない!? 凄いよ、これ! 英雄的所業じゃない!! 国民の生活を守るために……う、ウチも参加する!?」
興奮しっぱなしのドルド。そんなドルドに、もう一度マリアは大きくため息を吐く。
「……お父様? 何を言っているのです? エリオット・サルバドールですよ? 彼がそんな『国民の為』などという甘い思惑で動くと思いますか?」
「え? エリオ君だよね? あの子、妹想いの、心根の優しい子だよ?」
「……お父様」
マリアは最高指導者たる父王の認識の甘さに肩を落とす。仮にも隣国の、それも悪辣宰相と呼ばれる人間を、こともあろうに『良い子』呼ばわりとは。
「……そんな訳がありません。良いですか、お父様? エリオット・サルバドールですよ? 彼がそんな考えで派兵を決定する訳がありません。きっと、何か別の思惑があっての動きです」
「べ、別の思惑? そ、そうかな~? そんな事ないと思うけど……こないだもエリオ君に公爵邸の薔薇園で取れた薔薇を送ったらすごく喜んでくれたよ? 『妹が喜びます。この様なものを下賜頂きありがとうございます』って!」
「……何してるんですか、お父様。っていうか、エリオット・サルバドールとやり取りがあるのですか?」
「エリオ君、お花が結構好きらしくて! 今じゃ『花友』だよ!!」
胸を張ってそういうドルドに、マリアの肩が一層落ちる。なんだよ、花友って、と。
「ある意味大物かもしれませんね、お父様。ですが、幾らお父様の『花友』とはいえ、彼は巨大国家の辣腕宰相です。国民の事を大事にはしているのでしょうが……きっと、他に思惑があるはずです。それを見極めないと……」
そう言って彼女は自身の親指の爪を噛む。これは彼女が考え込む時の癖だ。王族として、淑女として決して行儀のよい癖では無いが……これをしないと思考がクリアにならないため、ドルドも止めない。
「……考えすぎじゃない、マリアちゃん? エリオ君の事だし……ほら、妹さん大好きだしさ? 妹さんにお願いされたかもしれないじゃん! 民の為に、お願いします! とかさ!!」
「ちょっと黙っててくれませんか、お父様? 思考が纏まりません」
「酷い!!」
「酷いのはお父様の思考です。いいですか? 『あの』エリオット・サルバドールがそんな理由で軍を派遣するわけありません。そんな事実があったら鼻からピーナッツを食べてあげますよ」
なおも騒ぐドルドを無視し、思考の海に沈むマリア。だが、彼女は知らない。優秀な彼女は、自身の想定外のことを想像することが出来ない。
――エリオット・サルバドールが、妹可愛さに大軍を派兵しようとしていることを。
優秀な彼女の限界。その限界こそが彼女の思考を歪め――そして、『言ったじゃん! マリアちゃん、鼻でピーナッツを食べるって!!』という乙女の尊厳との戦いを生むことを、この時の彼女は知る由もない。
…………まあ、優秀であっても流石にシスコンで派兵、は思いつかないかも知れないが。
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